原町森林鉄道を歩く。(廃道版.2)
廃道日記(Riding・Report)


それはかつて、日本のエネルギーを根本から支えた場所である。
ここはかつて、一円の公共施設に銘石を産出したところである。
そこはかつて、アジアのパルプ業の根幹を成す部分である。
これがかつての、東北の里山の知られざる風景である。

そして、
一振りの斧とトロッコに力の凡てを賭けた、山男達の生活がここにはあったのだ。
錆びたレールが標識の支柱となって、何度目の越冬だろうか?
林道に残る距離標柱が、かつての軌道を彷彿させる。

「原町森林鉄道」
かつての基盤産業が、残存する森へ。



ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)004-2


 その林道を最初に「不審」に思ったのは何時の頃だろう。
 助常・冬佳林道は当時すでに旺文社発行の「東北二輪車ツーリングマップ」に無い林道として、マニアではメジャー林道であった様だ。
 初走破の際、落合橋の袂は封鎖してあり、対岸にある延々とした林道は「なんだろう?」程度の認識しかなかった。

 だから、昨年秋にリンク先の「街道Web(管理人TUKAさま)」のレポートはぶっ飛んだ。リンク先の「山さいがねが(管理人ヨッキれんさま)」以上に、成層圏までフッ飛ぶイキオイだった、いや ほんとマジで。
「こんな所に林鉄なんてあったのかよぉ〜〜(T^T)」
(自宅からバイクで50分、しかもガッツリ走り尽くしたかのような林道で、だよ?)
そしてまた教えられ、本を読んで
顎が外れた
「…………………………………………………………………………う・そ?」
そこには!何処もソコもああxん!走り尽くし、舐め尽くしたいわき・相双の林道が、あらかた元「森林軌道」と記載されていたのだ!

 しかし、そんな浜通りの中でも原町森林鉄道はひときわ規模が大きく、複雑であった。林道化されている延長も、埋もれてしまった軌道跡も長い。
既にかなりの距離を踏破し、事の発端となった「街道Web(管理人TUKAさま)」の方も未だその全容が掴めず、構想を巡らせている状態のようだ。

参考文献 トワイライトゾ〜ン MANUAL 6 RM1997-10増刊 ネコパブリッシング刊
原町の地名(全3刊) 
原町市教育委員会発行
交通に見る近代化ー海岸線の開通ー 
野馬追いの里歴史民族資料館発行


新田川線(助常〜石神発電所間)

今回のルートはTouringMapple2005.3版に点線表記(一部表記なし)


06'5月、(写真は3月)助常林道との分岐点。
右に登るのが本道、川沿い直進が鉄路跡(石神発電所〜助常間)である。
ここはかつての事業所跡であるが、広大な河原にはその痕跡すら認められない。



事業所の中を貫通して軌道は通されていた。
助常林道分岐点(最初の写真部分)から僅か350m足らず、二つの空き地を経由して
鉄路は車幅がなくなる。



 助常〜石神発電所
 間を歩く。
1

 状況から、またTUKA氏のHPからの映像から察するに

「バイクの回転スペースは無い!」
と思われたからである。
見るからに廃道、単独行では時間的にも危険だ。何より
「だれも通過した人は居ない」訳だし。
(実際には「東北のリーサルウェポン」が既に踏破していた訳だが、この時は知るよしもない)
では念のため熊鈴つけて、Let's go!

 先ほどの飯樋川上流の探査のせいか、気分的には大部楽な感じである。ただ、あっちは対岸から俯瞰でルートを見ていたから良かった。
今度は先が解らないのが怖い。

ルートは荒れ捲ってはいる物の、現状ではバイクの通行も可能かな?

岩場に入ると前方に何やら見える。
「手すり?」
は?
手すりって、何ぞや???


鉄橋だ?ちゃんと道幅があるぞ!



思わず足下のH鋼に目がいく!レールかと思ったが、残念!鉄鋼規格品のH鋼でスた。

 後日馬場林道や明治林道で実際のレールを見る事となるが、全然断面が小さい!勿論この時はそんな事など思いもしない。
 鉄橋の幅は約2.5m・長さ約8m程度の鋼鉄製の橋である。この路線内で初めて見るタイプのものだ。
林道日記No-32、新田川線のルーフデッキコンクリ路面とも違う新種である。
無論飯樋線
では完全コンクリ橋だ。


 下は?下はどうなってるのだろう?。年甲斐もなく覗き込む。
(つーか、年相応?)
橋は南側に滝を控え、コンクリートで支えられていた。


ん?ナンか変だぞ?


なんじゃこりゃ。
どう見ても、ガーダー橋に無理繰り道路乗っけてねーか?
(内側にもう一つ幅の狭いのがある?)


鉄橋を過ぎると荒れ方は尋常ではなくなる。でも踏み跡はある。(誰の??)



 鉄路から廃路へ。
2

 
川の流れに身を任せ、廃道の土に埋もれ〜♪、ゆるやかに鉄路は左(北)にカーブしてゆく。
荒れ方はもの凄く、こりゃ使われてないな20年ぐらい?と思うほどだ。そして何げに気付いてしまう。
見なきゃ良かった。(撮影したけど)
「川の中にお堂がある!」



イヤ〜〜!キモい〜〜!
誰かこっちを見てるぅ〜!
(気がする)

恐ろしい物を公開してしまった。
「廃道の中の廃堂」

……………見なかった事にしよう。

俺は今、モーレツに後悔している!
(星飛雄馬調で)
などと思いつつ先へ進む。
 ちなみに本物のオブローダーはお堂の確認するものらしいが……
おいらエセオブローダーでいいや、この際。
つまり「通りすがりのツーリングライダー」という事で手を打って貰おう
 良く見るとこの辺から路肩がきちんとコンクリート補強されている。
でも、
何かひっかかるんだな?これが。
ん?枕木・・じゃないよね。
それとなく気になる。

 この辺は道床自体も崖崩れと路盤崩壊で欠落する。仮にバイクで入ってきても先ほどの鉄橋を渡った所でUターンだろう。
オートバイでの通行は
不可である。
 例によってほぼ垂直に切り落とされた断面の切り通しがある。
鉄路は川に沿ってちょっとだけ北から東に進路を変える。
先は右コーナーだ。


切り割りの中、深く堆積した膨大な落ち葉!
(これがSFなら間違いなく巨大毒サソリが居ることだろう)

 足を踏み入れた瞬間、これだもの。一番左端を歩いてもこの深さ!
右側は膝上まである。
しかも時折「路面がない」。
 そう、倒木などに引っかかって堆積した落ち葉がまるで雪比のようにオーバーハングしているのだ。
うかつに踏み抜けば
「即退場!!」である。
しかしそれ以上に土砂崩れもある。


立派なコンクリート製の路肩。これはもしかして・・?。

 そう、このコンクリと先ほどの橋に共通する物がある。
落ち葉の遮るルートを歩いて考える。そして、次の路肩の補強で閃いた。


このルートにはトラックが出入りしていたのではないか??。

今はこんなになっちゃってるけどね。崩れ落ちた土砂はざっと4tダンプ1パイ分と見た。
この日の気温は24度。もう汗だくで歩いている。カメラが光量不足を感じて、自動フラッシュをたいていた。時計は4時を指している。
先ほどの崖崩れ場所を後ろに…、
そろそろ戻るきっかけが欲しいな?、と思う頃に、何やら前方がだだっ広い。これは?


ここは土場(切った木を列車やトラックに乗せるところ)では??。


 コーナーの中央付近の高さは実に3.5mはあろうか?
低い位置でも2mはある高い舞台だ。下は10tトラック2台が縦列駐車と2重駐車が出来そうだ。上からの排水設備などもある。
上流の新田川沿いにあった土場らしき石垣より二回りほど大きい。


土場の上は崩れているが、昔は平坦だった感じもする。
水路のようなものも確認して(俺も写真忘れてる)いて、後日TUKAさんとその使用目的で悩んだが、同じものが新田線にあり、個人的には単なる水路ではないか?と思っている。

感動もひとしおだが道はまだ続く。



林鉄らしいコーナーワークだが明らかに道幅がある。

これは絶対トラックを入れている!そんな道幅だ。
だからといって、決してバイクでは入って来れないと思うが。

しかし緩やかな直線を基調とした経線はいかにも鉄道らしい。

雰囲気が昨年末の大峠に似てきたな?。


しかし、ここで痛恨の大規模な路盤崩壊。
写真左下に見えるコンクリートがもともとの道路位置。
暗橋だったのだが思い切り流されている。
差し渡し12m・最大幅8m・深さも6m位あるだろうか?。


終了・撤収ゥ〜!
しかし、鉄路はその先も延々続いている・・?。

この先を是非見たいという方には!
あのオブローダーの所に行かねばならない

り走り始めて5分走り始めて5分走り走り始めて5分走り始めて5分

前の林道に戻る。


キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン

「鉄路の末路」は今も生きているか・・?
廃道日記(Riding・Report)004-4




馬場線(馬場林道)
馬場林道には現在も路肩(原町から見て主に沢側)
に鉄道用の距離標柱が残存する。

 全体像が未だ掴めない
  「森林鉄道ラビリンス」
 1

 原町森林鉄道には大別して3つの基本ルート(いわゆる本線)が存在していた。

1)馬場線
 明治41年(1908)敷設。
 最初の路線は現在の県道49号線横川ダムの奥、馬場林道の入口となる横川入からバッカメキ地区。(軌道12ポンド軌条・延長23.5Km
(恐らくこの距離はバッカメキ〜原町貯木場間に存在したすべての軌道の総延長と思われる。確認年月日は大正10年)

 その後、支線(タコウ線・
風兼線(仮名、名称のない手押し軌道が現在の県道62号線まで続く))と、原町駅までの軌道が開発され、最終的には戦後、峠を越えて隣の飯舘村まで延長された。
(因みに飯舘村木戸地区の峠から比曽川沿いの長泥地区までは逆軌道である。バッカメキから上は総て手押し軌道と言われている)

 馬場地区が最初の本線となった理由は林業の他に石材の切り出しという側面があり、馬場林道の途中にある明治地区では旧藩時代から上質の花崗岩が産出されたという。木材の他に遙かに重い石材の搬出という役目ゆえ、この界隈の林道では最も早く開発された訳である。

 現在までの調査で馬場線は
最終的に木戸村まで動力車の入村がされたようである。
 これはリンク先の「街道Web(管理人TUKA様)」の調査により
馬場林道の西口(木戸村側)に「15500(横川入りから約15.5)」の鉄道標柱が発見されたためであり、今回の調査のバイブルともいえる「トワイライトゾ〜ン・マニュアル6」にはない発見である。
 また馬場線の支線となるタコウ・風兼(仮)・明治(いずれも営林署では通行禁止となっている)については未だ調査が続行中であり、今後も折を見て現地調査をする予定である。
(馬場線については、林道日記No-44に掲載済み)



明治林道第2支線。
馬場林道から入って約2Kmの地点に「マニュアル6」にない鉄道距離表柱がある。


2)鉄山線

 馬場線に続いて明治42年(1909)には鉄山線(林道日記No-34)も敷設開始。延伸した軌道は横川入から分岐し、現在の県道46号線から国道114号線沿いに支線を延ばす。現在の原浪トンネル上にも支線があり、未調査の部分が多い上に一部は既に道としての体を成していない。国道114号線沿いの軌道については既に「街道Web」様の方で踏破調査が終了しており参考にしてほしい。 鉄山線の支線も最終土場の位置など謎が多く今後の調査が待たれるが、どうにもバイクで行けるところではない様だ。

 これまでのところ、鉄山〜馬場を繋ぐ明治林道第2支線が森林鉄道用に開削された元軌道の林道である公算が強い。加えて、鉄道用距離標柱の発見によりバッカメキ地区より上で動力車の支線入場という事になる。その距離は現時点で馬場線分岐から約3Kmが確認されている。2.4Km地点で鉄山線と合流した可能性も否めない。全く個別に別方向から調査したTUKA様とMRが、同じ土場の写真を持っている筈はないのである。
今後、全容解明に至る場合はアップ予定。
(解明できない場合もあります。(笑w) 



新田川線(東北電力管理道路)。
新田川線は一般車通行止の管理道路。ダムや発電所などの管理施設が点在するが、元は林鉄である。


3)新田川線

 そしてもう一つの支線、昭和4年(1929)全く新たに
新田川線(現 助常林道平の沼線 林道日記No-32)が敷設を開始、現在の大木戸から分岐し、新田川沿いの東北電力石神発電所沿いを遡上するルートである。
 馬場線が営林の前に石材産出と言う付加価値が先に在ったことに対を成すように、新田川線にも後世の為の「電源開発」という使命があった。
 特に原町はその地形上の有利から電波塔や製糸工場が建設されたり、戦時中は陸軍が兵士訓練の為の飛行場を造りと、電気に対する需要があった。戦後、パルプ業の発達と産業の地域拡散により大量の電気を使う機械産業が台頭を始める。
新田線は他の軌道と違う道を歩み始める。
 また、新田線の敷設には動力車の登場も見逃せない。それまでは登りを馬にトロッコを引かせて登り、原町〜馬場横川入間の移動時間は4時間(現在は車で20分程度)下りは自力慣性で下り、平地でやはり馬を使って貯木場まで引いた様だ。
 勿論新田線と共に馬場線も動力化されて機関車が入線する。(しかし、現時点で動力車の写真資料などは見つかっていない)
 新田川線は営林と共に「電源・利水開発の資材を搬入、管理する」と言う国策のもと、他の森林鉄道とは桁違いの高規格鉄道として開発され、それ故に現在でも土木遺構が類を見ないほどしっかり残っているのである。
 
新田川線についてはリンク先の「山さいがねが(管理人ヨッキれん様)」が既に相棒くじ氏とMRの未踏区間である助常〜石神発電所間の踏破調査を終了し公開しているのでぜひ見ておくべきだ。
 電源開発を目的に据えた高規格鉄道はお馴染みの「森林鉄道は木桟橋」というジンクスを快く裏切りまくり、見ていて感動する事だろう。相変わらずの凄まじい踏破能力には感服する。
 決してバイクで通れる道では無い事は、まず間違いないが。
(新田川線については、林道日記No-32に掲載済み)

 原町森林鉄道で運ばれた森林資源は、建材として都市部のエネルギー源として、またパルプ業の登場と共に資材として求められ、鉄道は次々と支線を開発し総延長を稼ぎ出してゆく。戦前・戦中・戦後と、それはまさに原町という地域が相双郡内で突出して伸びる要因である。国鉄原町駅はこの為に機関区があったのではないか?と思う程だ。原町森林鉄道は昭和30年代まで時代の寵児だったのだ。

 しかし、昭和25年頃から石炭の一般への普及、石油の輸入などにより確実に出荷が減り、また営林署の自動車への移行などがあり、里山の唯一の交通機関であった原町森林鉄道は昭和34年に惜しまれながらその幕を閉じたのであった。そして昭和37年、新たに原町営林署が誕生、森林鉄道から林道のための一元管理はここに一つの終わりを見るのだ。


新田川線/支線飯樋線(東北電力管理道路)。
飯樋線も一般車通行止の管理道路。
ここには唯一、車両が通行可能な現役の
素堀隧道がある。



06'5月、助常林道落合橋付近。誰かがターンして林道に突入(脱出?)している。
轍は野手川ダムまで続いていた。


 林鉄ラビリンスの
 エンディングは何処に。
 2

 MRはこれにて一度レポートを終了し、状況に応じてアップを予定している。リンク先のTUKA氏のサイト「街道Web」も参考にして欲しい。管理人さんの気合いが伝わる事だろう。
さて、これからの話はそれを踏まえている。
 いまだ探査を終えていない段階での思うことは、最初の森林鉄道ネタがいかに巨大な相手であったかを思い知った事だ。

 ここからの話は、裏付けのない考察でしかないことを、あらはじめお断りしておく。

 話の原点は助常林道にある。原点に戻そう。
 林鉄の最終廃棄は昭和34年、助常林道に掛かるこのルート近くの橋をみると・・・「昭和35年12月」とある。(第一・第二取木橋)

 新田線は34年に廃止、その後レールや枕木などを撤去し、材木の積み出しからダム管理まで車に切り替えていったのだろうと推測する。




 新規ルートの策定、測量、申請、そして実際の工事などが1年掛かりで行われたのだろうが、現在の標識は総て昭和37年以降のためこれが当時の工事ペースとして早いか遅いかは判断がつけにくい。
 ただ、馬場線に比べて距離標柱などの残存が少なく、かわりに橋梁・隧道などの土木遺構が多い。これは、そもそも車道転用を念頭に開発されたものの助常〜石神間はあまりの険しさに拡幅を断念、現在の助常林道(県道62号線から入り助常地区で新田川沿いの軌道に合流する)を新規開削したものと推測する。
 またその前後に、上流への電源開発の資材搬入などの事業を行っている筈である。あるいは助常林道の新規道路開削のための資材や人員、廃材などの搬出も考えられる。
 これについては特に落合橋橋から上の部分を電力が営林署から道路ごと「借りて整備した」事も見逃せない。これによって枕木など鉄道に関する総てが撤去されたと見るべきであろう。これは、新田川沿いの電源施設の利水使用標識に借用年月日が昭和45年から30年間と定められて居る事や、(30年単位で延長?すると、初申請は昭和15年?じゃあ、その前は?)落石防止フェンスの設置・管理者が電力、申請先が福島県相双農業事務所という銘板からも推測できる。





 また、新田線はほぼ探査を終了(3人掛かりだものなぁ)しているものの、支線の飯樋線の終点位置、つまり導水管の先についてはまだまだ謎である。

 一方の馬場線も営林署の名称、管轄が昭和37年に旧名の「原町営林署」に変わり、現存する標柱、表示板が当時のまま使われている事に注目したい。特に初期の標識の柱は総て森林鉄道のレールを代用したものであり、軽い目眩を感じるほどだ。 
 全体の約8割がナロウレールというある意味贅沢な標識群である。つい倒れている奴を「1本位〜」と持ち出しそうな自分が怖い。(笑w
 加えて存在感のある鉄道距離標柱。現在までに主に馬場線沿いで数本が確認されている。馬場線の今後の調査は最終的な動力車の終点と、各支線の探査である。

 一番の問題は現在砂防ダム工事中の鉄山線だ。TUKA様が精力的に踏破されたが、本線もさることながら、支線はその存在すらよくわかっていない。現在の県道46号線原浪トンネル近くまで軌道はあったようだが、既にバイブルである「マニュアル6」の軌道地図とは隔たりが出ているので油断はならない。







06.6月、明治林道第2支線の終点部?新たな林道(軌道跡?廃道?)に出会う。
昨年(05'晩秋)、TUKA氏が逆方向から同じ場所に到達している。
この半径500m以内に「三〇〇〇」の標柱があると思われる
ん〜、林道ラビリンスが爆裂してるぜ。



寄り道Webより転載。Photo by TUKA

04.12月、TUKA氏が鉄山線の踏破で同じ場所に到達している。
氏は振り向いて撮影している。ほぼ同じ位置から撮影しているのが面白い。

寄り道Web[原町森林鉄道・鉄山支線4]

氏はここを右折?(写真では左)している。これは明治林道から来たMRからすると「クランク状に直進」となる。




 しかも今回、明治林道第2支線と合流の可能性から、この林道が鉄山線(本線?)との共用区間だった可能性すら出てきている。鉄山線は約1.4Km程で軌道図通りに南西に進路を変え、浪江街道に向けて南下する。少なくともこの区間は、現在でも営林関係の車両が出入りする区間という事になりそうだ。
 ただ、浪江街道国道114号線沿いの軌道は林道として利用されていないため、軌道は荒廃しすでに完全に崩落・埋没した区間も少なくないのが現状である。

 原町森林鉄道は未だ多くの謎を抱えつつ、我々の捜索踏破を待っているのだ。


明治林道第2支線は左へ。
撮影位置が第2支線、鉄山線は写真左(東)から来て写真右手(南西)に進路を変えていたのでは?
ここが分岐点?


右に進むともう一つ土場がある。鉄山線は正面?右?。



原町森林鉄道を疾る。

HP内林道関連リンク
 @馬場林道(バッカメキ線)
 @助常林道(部分新田川線)/境沢林道(仮)
 @新田川線@飯樋川線(東北電力管理道路/常時通行止)
 @明治林道/明治林道第二支線(バッカメキ〜鉄山線)
 @鉄山第三支線/北海道沢資材運搬線(常時通行止)
 @福島県道62号線