林道日記(OFF-ROAD・DIARY)


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。


このContentsは、適当に増殖します。
キャョン
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)35-1

しかし、鉄山線と結ばれる橋台が雄弁にその存在を肯定する。
冬枯れの中そびえ立つ石積みは、明らかに林道のそれとは異なる。


ここにも森林鉄道が走っていたとは?にわかに信じがたい状態の明治林道。
既に話は、MANUAL6の領域から大きく逸脱する。



●伝説の森林鉄道、続編か?。
 線路は続くよ「何処まで?」も?
 
 この話、最初は県別マップルに「道路(林道)表記」のルート探査が目的であった。
 しかし後から原町森林鉄道の話が立ち上がり、状況は一変したのだった。  
 林道の開削は馬場林道同様明治以前と思われる明治林道は相馬藩御用達の御影石の産地であり、これが現在の本道であると思われる。大正には同地区内で別の鉱脈が見つかり軌道化されたのが第2支線と思われる。
 しかし、こういった史実を確かめる為の公的文献があまりに少ないのもまた事実である。したがってご来場の皆様には「その可能性がある」と言うところでご理解頂きたく思う。
 また、広域詳細マップル上では鉄山林道第3支線と繋がっている旨の実線表記がされているが、別項の廃道日記をご参照頂きたい。

TouringMapple2005.3版に掲載なし。(林道表記なし、点線表記)


入口にある起点標柱。割れていて読みとれるのは「〜林道、昭和37年、営林署」である。

●明治林道第2支線
全長2.3Km(全線未舗装)

概要
 明治林道は馬場林道のバッカメキより少し西側にある林道だ。古い地図を紐解くと胎内と明治の境界にある林道のようである。入口には三種の神記?と言われる「林道表柱・案内板・一般車進入禁止」の看板が揃うが、そのどれもが一般の人に目の届かぬ藪に隠れていて、通り縋りに確認することはまず不可能だ。だれにでも目に留まるのは通行を阻害する1本のチェーンで、営林署が音もなく威圧しているようだ。
 さる方法で林道に突入、木漏れ日の中登ってゆくと、入口からY字路までメーター読み約300mでたちまち第2支線との分岐点(A)に到着する。

発見した標柱は終点表記(06/5/6)。
しかし名称部分は痛みが激しく判読不能。


標柱はいまだ残存(07/3/18)。
俺には読めねぇ(爆。
 明治林道第二支線はここから右に1.5Km先に林道終点表記があり、先の土場までは伐採道延伸の形なのであろう。今回の探査では時間の都合からその先の土場で折り返す。
この場所を
便宜上、土場(1)とする。
調査日(06/5/6)の状況:
 最初はキチンと普通林道です。路面状況もよく、砂利もそこそこ撒かれ、バイクで逝っても車で逝っても大丈夫。しかし終点標柱辺りから、路面状況も何も最後はただの伐採道のような林道です。

調査日(06/8/17)の状況:
 デカいアブを何とかしてくれ。
(T^T)


明治地区と胎内地区の境にあると思われる明治林道入口。手前は馬場林道だ。
チェーンで封鎖されるがなんとか進入。


最初のY字路(A)。
右が明治林道第2支線、左折直進が明治林道。
右に向かう。


1.8Km先に朽ち果てた標柱を発見。


街道WebのTUKA様のご協力により
こちらが第二支線と判明する。
(ご協力感謝!)


土場(1)に出る。
土場にはさらに伐採道が存在するが、時間の都合でここで引き返す。つーか、凄い雨と虻だ。


土場(1)はここから左右に伐採道が存在するが、
既に右側の道は植物に覆い尽くされている。
左側はルートが在りそうだが正面の山に登るルートにも見える。


林道日記(OFF-ROAD・DIARY)35-2



入口にある起点標柱と案内、標柱はもうボロボロ、在ること自体が奇跡だ。

●明治林道
総延長2.9Km(全線未舗装)

概要
 左折後、小さな峠に向かって林道を登る。今回の林鉄想定の中で唯一「軌道にしては傾斜がきつくない?」というルートである。


 路肩には時を経た標識が建ち、これが林道であることを示している。

 峠から二つ目のY字路までわずか300m足らず、左右は夥しい伐採路の開削跡だ。ざっと10本以上がひしめきあい、縦横無尽にブル道がある。
 まるでタチの悪いイタズラの様である。中央の
真新しい砂利道を小さな峠に登り、下るとまたY字路(B)となる。
 林道標柱などは確認出来ない、またこの辺までに「一○○○」「一五○○」の距離標柱が在るはずだが発見には至らなかった。
 取り敢えず、Y字路の双方脚を伸ばす。
 まずは右折してみると150m足らずで土場となる。便宜上
(土場2)としよう。ここも一種のY字路(C)で、土場から2本の林道が延びている。が、双方手前にある沢を越えられない
 理由は不明だが橋や暗橋を撤去した形跡があり、意図的に寸断したと思われる。


最初のY字路(A)に戻り、今度は左へ。
右折が明治林道第2支線と判明。
本線は左折直進という事になる。
「ナゼナラバ・・・?!」


「距離票か・・・?!」
これが本線の証と言えるのではないだろうか?


南東の山に向かって上る。
使われている林道だ。


峠を越えるとまたY字路(B)。
峠からここまでの300mぐらいの間にあちこち開削の跡がある。試しに右折、南へ行く。


沢を挟んで南進する林道。ロードマップに記載された鉄山林道への最有力ルート?か?。
沢にはかつて簡易の暗橋が架けられていたようだが、現在は撤去されている。
無限軌道は通行可能か??


広大な土場で一時的に行き止まり(土場2)。
道は2本続くが沢によって分断されたままだ(Y字路C)。やむなく引き返す。



 
方向から察するとマップルに描かれる実線林道はここかもしれないが、この豪雨の中単独通過は厳しいので今回は引き返す。南に向かうこのルートは今後再調査の必要アリだ。
 一方、土場(2)から西(右折?)に向かうルートも水路で寸断された状態だった。しかし土場(1)に雰囲気がよく似ており、あるいは繋がる可能性もある。さて、どうやって沢を越えよう?ここも埋設した土管を撤去したと思われる。



Y字路(B)に戻り、こんどは左へ。
東に向かう。


 
やむなくY字(B)に戻り左折すると道路脇には標識がある。どうやらこれが明治林道本線のようだ。先程の道は伐採道と見るべきか?

土場(2)から西に沢沿いを登るルート。
別な支流で伐採道は分断される。
方向的には土場(1)に繋がりそうだが・・?


明治林道はどうやら東南に進む様だ。
この直線の林道も鉄道由来か?。
ここにも整備がされた形跡がある。
これは倒木ではなく露出した排水路。



こちらも土場で一時的に通行止め(土場3)。沢を挟んで直進と左折のルートがある。
はたしてこれが明治林道第3支線なのか?。


 直進200m程で、そしてまた土場。
 明治林道入口から直行したと仮定すると、ここまで約2Kmとなる。この土場も直進と左折の二つのルートがあり双方沢によって連絡が途絶える。
一応
土場(3)としよう。
 途絶えたと思われたが、直進は沢に大量の根っこを入れて橋代わりにしている。よく見るとこの部分だけコンクリートで側溝を組んでいる。見方によっては橋台とも取れる部分もある。

 因みに左のルートだが「明治林道第三支線」という情報もあるが未確認である。ただ地図上では点線ルートがあり横川事業所そばまでルートがあるようだ。


コンクリートの側溝が張り巡らされている。
しかし橋の代わりに
大量の「根っこ」で埋められている。


「なんじゃこりゃぁ〜!」こわごわ根っこを乗り越えると、えらいご褒美が!。
ネットアップと同時に一部熱狂的原町森林鉄道ファンの心を鷲掴みにした最初の逸品である。



 バイクで十分逝けそうなので、根っこの橋?を渡り対岸に逝ってみると、山の中、冗談抜きでそう叫んだ。
 冗談ではない、マジびっくりである。
現在公開されている原町森林鉄道の路線図に明治林道はない。
しかし鉄道用キロポスト、しかもバイクのメーターから読む馬場林道からの距離誤差は5m前後という正確さ。

その傍らには、標識が捨てられていた!

道路用の筈だが、なぜか支柱も捨てられているが?支柱?まさか?


何か無いか?と周囲を見回すと・・・?



「(・o・)ゲッ!!、レールじゃん!」




 
後日、再訪の際にはここで倒木に苦しめられる、

 何が何だか判らないが、道はあるので前進を開始する。地図(県別マップル広域道路地図)で見る限り、いまだ林道に居る筈だが、目前に広がるのはダブルトラックすら消失しつつある木漏れ日の道だ。やはり土場(2)の南進ルートが正解なのか?取り敢えず真っ直ぐに下ってゆく。

突破のご褒美に金貨じゃなくて「二五○○」の距離標柱を頂く。

 やがて、大きな右(南東方向へ)コーナーを曲がると小さな土場(土場4)があり、ついに轍も消え失せた。
(土場3)からここまで700m、馬場入口から2.7Km。残念ながら広域地図に載る林道はすでに獣道となり、通過が困難な林道となっていた。

 H6年5月の段階で、ここが明治林道の終点かは不明であるが、写真の通り林道の注意事項を書き添える案内板があるので、新たな林道の可能性はあるが、この時は時間の都合からやむなく引き返す。

調査日(06/5/6)の状況:
 最初はキチンと普通林道です。路面状況もよく、砂利もそこそこ撒かれ、バイクで逝っても車で逝っても大丈夫。営林署のトラックが走ってますから、平日は立ち入らない方が宜しいかと。
 しかし、ひとたび土場を越えれば、路面状況も何も最後はただの伐採道のような林道です。


その後林道は下りとなる。

かろうじて轍はあるものの、(土場3)から先は使われた形跡がない。


上の写真と同じ位置。
林道左手の残材に埋もれていたのは・・?


鉄山線の道床側から沢道沿い南西を見る。
バイクの向き位置は明治林道から入ってきた事を示す。
勿論、正面右にみえるのは例の林道案内表示板の慣れの果てである。

道は写真右から左へ(バイクは逆に向いている)その先には・・・。


そして、新たな林道入口?もはや轍もなく、緑に包まれる。


小さな土場(土場4)がある。ここから直進のルートが鉄山線跡(赤矢印)。
沢に沿って登るルートには延々と木に印(丸の中)がある。
左折(オレンジ矢印)は多分造林導入口。沢の対岸に造林標柱(丸の中)がある。



だが、事態はさらに新たな問題を孕んで展開した!

 廃道日記「原町森林鉄道を歩く3」を参照頂ければ解るが、実はこのコーナーは鉄山線との合流点であることが後日判明。
 リンク先の街道Web管理人TUKA様とのルート突き合わせの結果、明治林道を横切る形で沢沿いに鉄山線が在る事が確定した。MRも現場で確認している。
 それにより、実際に鉄山線もここから東(原町方面)にも南(国道114号方面)にも車両が通過する事が出来ない、事実上の袋小路であることが確定したのだ。



上の写真のT字路を東に左折(カメラ位置方向)すると小高い堤の上で道は突然途切れる。
「なんだかヤケに道幅がないな」




「(・o・)ゲッ!!、橋ナイじゃん!」
鉄山線の道床ゆえに道幅が無いのだ。沢を挟んでルートは寸断されていた。


 つまり、明治林道終点は鉄山線に合流するが、通過は不能である可能性が非情に高いと言う結論である。
無論、歩く事は出来るが。

念のため、鉄山線を南東に遡る。

 例の枠だけの案内標識から僅か200m足らずで倒木によりルートが切断されていた。よく見ると道床が2段になっており、果たしてどちらが林道でどちらが森林鉄道かの判別は不能に近い。
「三○○○」の標識は確認出来なかったのは残念である。

調査日(07/3/18)の状況:
 昨年5月とは違い、一発で鉄山線と理解しました。勿論十分な予備知識とTUKAさんとの討論による結果であります。この時期なら、迷わず誰でも発見出来そうです。
 しかしひとたび植物が育てば、土場から先は路面状況も何もタダの藪かジャングル林道です。


鉄山線の道床側は沢沿い南西側に実質3段になる。
もっとも、一番上は道床ではなさそうだ。


永遠に車両を通す事がなくなった林道跡
思うに、森林鉄道の鉄山線が廃線(一段上の道床)後に、新たにトラックの通る林道として
明治林道(その下、つまり写真の零度のある道床)が造られたのではないだろうか?
つまり、この300m足らずは供用区間なのかもしれない。