ご使用上の注意!
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このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレームは一切お断り致します。 走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。 また、掲載される内容は必ずしも最近の状況及び写真ではありません。 走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。 |
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林道日記(OFF-ROAD・DIARY)044 |
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馬場林道のもう一つの魅力は、
福島県下でも最大級の規模を誇るであろう森林鉄道が現在の林道の起源で在る事だ。 路肩には森林鉄道由来の距離標柱がいまも佇む。 写真は舘岩村側の林道入口にある距離標柱、「一五五○○」と刻まれる。 |
福島県道(険道?)62号線と馬場林道の分岐点(撮影03'0608) かつてはこの起点に林道の標示板があった。 |
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通行止めの標識がある直進が馬場林道の入口。 左手は民家、その上を県道62号が通る。 館岩側の登り。わずか1Km程で町境の峠に到達する。路面状況は前回よりいい。ただ、バイクにはチト砂利が多い。 町境となる峠。館岩・浪江・原町と跨ぐ。 ここから原町までは延々下りである。 途中に幾つもある土場(伐採材集積所)。実はここは林鉄との分岐となる。 画面左手が旧林鉄本線らしい。 橋の前後だけ舗装されている。 橋上の路面は殆どウォール状の鉄板である。 分岐林道。林道名表記はない。 ちなみに手押し軌道による軌道が存在したと言われるが、暗橋が流され、車は渡河不能 馬場林道には、この様な傾斜の緩やかな1Km近い直線が2箇所ある。 助常の直線と同じ雰囲気がある。 |
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道幅1.5車線の快適な林道。近年になく、よく整備されている。 |
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ここが林鉄ラビリンスの入口。 明治林道である。 南京錠による厳重な封鎖がされているが…? 太田川を渡る二つ目の林道林道。 林道名表記はないが、恐らくバッカメキと呼ばれた鉄道分岐と思われる。 路肩には夏場に藪に没する標柱も冬には姿をあらわにする。 バッカメキ事業所跡の東側の林道には枕木が残る。貴重な「生き証人」。 歩くと気が付くが、バイクで走行中は発見が難しいカモ・・・? 川に沿って緩やかに下る林道。こんな所にも標柱があると聞き及んだが・・・? 無惨な姿で発見されまスた。 ナンジコリャ?。 水飲み場があるぞい。 |
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横川水系太田川が美しい渓流美を見せる馬場林道。秋には紅葉を見ながらの林道遡上も魅力的だ。 |
北側への分岐林道、林道名表記はない。
道路沿いには「延命水」と呼ばれる水飲場がある。 南側への分岐伐採道、林道名表記はない。 |
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新旧の枝道が顔を揃える。馬場林道は車の置いてある左コーナーの道。 手前左が真新しい「北の沢作業道」線。 通行止めの看板がある橋を渡るのが乞食石林道。これが林鉄時代のタコウ支線と思われる。 しかし、新旧ともすんごい名前だ。 |
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乞食石林道道標。建立日不明。林鉄変換の際に名称変更したとすれば、昭和34年以降となる。 コンクリートに付け替えられた橋には、 「タコウ橋」とある。 新規に林道を開削している。 総延長1.3Kmとあるが、暫定だろう。 |
これを過ぎると峠から東に4つ目の橋を渡る林道の乞食山林道T字路に辿り着く。 |
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冬には草木も枯れ、ようやくその全貌を表す旧十間橋、森林鉄道専用であった?かは不明である。 もしかしたら事業所が近い事もあり併用軌道かも知れない? 森林鉄道にしては道幅が在る感じがする。 |
趣のある親柱。因みに反対側は消失している。 とおもったら、転落しつつ辛うじて残る親柱。 漢字で「十間橋」と書いてある。 |
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横川支流太田川を渡る十間橋の隣にはこの様な橋台が残されていた。 恐らく明治41年製、幅は1.2m程度、橋の長さは差し渡し12m程度だろうか? (上の写真は反対側の橋台である。写真手前の欄干は十間橋のもの) 助常林道を見るまでは、これが何か予想し得なかったが。 |
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「六五○○」と書かれた標柱、 傾き、文字の判別が難しい状態。 「六○○○」と書かれた標柱、 傾き、文字の判別が難しい状態。 馬場林道起点。 手前の十字路は旧県道49号線。写真左手には…?。 そして真新しい県道49号合に流点。 右が横川ダム(原町)左が原浪トンネル(国道114号線) 林鉄時代には鉄山線と馬場線の分岐路でもある。 |
調査日(03/5/18)の状況: |
追 伸 |
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マイガーッ! |
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この県道48号線沿い、横川手前の標柱は「五五○○」…。 |