廃道日記(Riding・Report)




昔、フェンス越しに見た、分断された国道。
国道沿いの鉱業施設群が、なぜ国道の上にあるのか?
国道が何故、片側通行止めだったのか?
何故沢沿いに鉱石運搬ルートがないのか?


鉱山は国道を使って鉱石を運び出していたのではないだろうか。
新道が出来てからは、許可を取って官地である国道に施設を造ったのではないか。
もしかしたら、
ワザと通行止めにしていたのではないだろうか?考え過ぎだろうか?
国道なのに?。
先ほどの老夫婦は既に山を下りたらしく、実際に聞いてみることは出来なかった。

謎が多い中、ただ一つ確定した項目がある。
結論、
大峠を越えるには本道を走るしか方法は ない


しかし、昨年はあえなく 敗退!

ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。

(
キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)005-1


 下見で突入した大峠隧道を抜けると、妙にハッキリとした米沢田沢が見て取れた。
 そう、
 すっきりしているのは鉱山の立ち入り禁止フェンスが無いせい。
 公式の閉山日がはっきりしないが、昭和62年前後(この辺が自分の記憶とかみ合わない、平成まで操業していた?)八谷鉱山は採掘を止め、最低限の処理施設を残して閉山する。露天掘りの鉱床から採掘した蝋石などは国道脇から吊られたワイヤーで空中を走り、トロッコなどによって運び出されたと思われるが、既にほとんどの施設は撤去されている。
また、八谷沢ぞいの坑道からは金・銀・銅・鉛などが生産されていた。
 当時持ち歩いた古い地図には、温泉と共に点線の路が存在する。
 沢沿いに尾根分けされた点線は採掘場所を抜け、大峠隧道に辿り着き交差してゆく。よくあるシチュエーションだ。

 これまでWeb上でのバイク通過例は僅か数台。リンク先のORRへなり・ロリエ両氏(SL230/DT125R)で突破が最大排気量であり、この記録が打ち立てられた2003年以降、これ以上の大排気量の通過はない。
(大峠隧道喜多方側はWINDY-EXCURSION/燦・Wi-Wi/かつろー両氏がTDM900/R1150GSで到達、06年迄の最大排気量と思われる。)
 昨年(2005)は山形側の倒木による通過不能、これで「やむを得ず」という大義名分?も成り立つので、機会を伺っていた。
そして、掲示板熊五郎さんと意気投合するなる!。
(この場をお借りして、事前の踏破調査に感謝致します。)



Q極のQ国道大峠。
121番台で平成4まで砂利引きの国道は、実在する。


 セカンドインパクト

“病院で診察を受けると「靱帯裂傷の一歩手前」「足首の関節が開き気味」という診断”

治る訳がない。
 つたない私の経験からでも容易成らざる事態である事は、容易に想像できた。
 ようやく体重が掛けられる様になったのは3日目の水曜日、ついに土曜日まで階段は1段づつしか登る事が出来なかった。実際、普通に階段を上り下り出来るようになったのは、リベンジ当日からさらに一週間後である。
 賢明なDTM読者各氏なら想像出来るであろう。
 その理由を。


今回のルートはTouringMapple2005.3版に未掲載。(林道表記なし)国道121号線大峠は不通区間としての掲載。

 最強山羽軍団登場!

 指定した喜多方の某7-11は一面霧に包まれていた。
 一週間前の田代山を思い出す濃霧である、気温は10度位か?2時間前の中山峠のデジタル気温計は7度を指していた。
 不思議と寒くはない。コーヒーを飲もうかと店内に入る頃、最近聞いた様な高圧縮な排気音が響いてきた。
 かくして、一発芸で店舗入り口ドアに張り付いた?のは、06'TT250WRに乗るSJ30Vさんである。
「おはようございます」
相変わらず礼儀正しい、お茶目な方である。
 先週の残りタバコを吸って歓談していると、間もなく懐かしくも聞き覚えのある排気音を耳にする。
 DT200WRの2st排気音をひっさげて、熊五郎さんが登場!
 挨拶もそこそこに本日の予定と、ちょっとしたルールというか気構えみたいな事を朝食を摂りつつ話をする。


7-11で打ち合わせと朝食。
熊五郎さんとは勿論初顔合わせである。


国道121号線喜多方バイパスを快調に飛ばす。


地区、前方には距離表示板を外された案内ポール。期待が高まる。


いよいよ廃道区間だ!最強山羽軍団揃い踏みで、いざ「空中要塞」の陥落を目指す。
待っていろ!三島!!。(爆w


3人とも本日の獲物を見せつつ、互いの気合いの度合いを推し量る。

 派手に笑うMRに比べ、一見物腰優しいお二人、特に初顔合わせの熊五郎さんは柔和な感じの方で、旧型とはいえ相棒がDTという感じには見て取れない?。しかしレース経験があるこのお二人、さるコースの難易度で話が噛み合っている。
「あれからくらべれば・・」笑いをこぼしつつ、かなり目がマジですよ、お二人さん?二人とも予備燃料持ってきてるし。
 それでも定石通りに途中で給油しつつ、DT・RAID・WRの順で大峠に向かう。郊外に出ると次第に濃霧も晴れ、行くべき山の輪郭を掴む事が出来るようになる。


このワイヤーを切ったら「バイ〜〜ン!」とか言って崩れるのか?。

 じっくりと熊五郎さんのライディングを堪能し、その実力を垣間見る。足が本調子と言えない今、最悪MRは引き返す事があってもSJ30Vさん共々、あの凶悪なポイントを通過できるだろう。喜多方側ゲートで順番替え、MRは写真撮影のためしんがりとなり、先行でSJ/WR・熊五郎/DTが猛然とアスファルトヘアピンを登ってゆく。
 デジカメで追ってもピントが合い切れないよ、あはは・・・ゆっくり逝こう。


防雪枠の倒壊部分が増える。

 
先は長い、こんな所でテンパッてケガを悪化させても仕方ない。撮影病人モードで喜多方側の峠を登りあげる。
 実際、昨年から見ても国道の壊れ具合は半端ではない。まさに皮一枚のタイトロープである。今後冬を迎え積雪とともに春には道路も無い?なんて事が起こってもおかしくない程である。
 特に泰次郎岩を越えて山腹の北斜面にルートが移ると道路の破壊は目を覆うばかり。写真に収めていても
「これが最後の写真かも?」と思ってしまう。


昨年の路盤消失部分より先に新たな崩壊部分が!


昨年より一段と進んだ崩壊。
ついに道路の基部を揺るがす。



鮮やかに山肌を染め上げる紅葉と地べたに這い蹲るコンクリート、ガードレール。極彩色と無彩色が織りなす異質の風景。


さらにお休みの体勢になった昨年倒壊の防雪フェンス。来年はいよいよ・・?。


昨年の路盤流失分はそのまま。これはこれで安定したのか?。


バイクを止めて見惚れてしまう、美しくも儚い生命の終末。
終焉と再生を繰り返し、やがて道路を飲み込んでゆく。



昨年のお気に入り場所であったコーナーもガードロープの支柱が曲がっていた。
黄色い警戒標識は既に顔もなく、無言のまま佇む。


落葉に埋まる国道。
SJ/熊五郎両氏が悪戦苦闘した跡が無ければアスファルトも見えず、とても100番台の国道とは思えない。尤も、三島通庸が生きていた時代の大峠の秋はこんな感じではないだろうか?
道幅は少々狭いだろうが?


 ヘアピン越しには目も眩むばかりに鮮やかな紅葉とワイヤーの緩みきった国道の安全設備が一種のコントラストを醸し出す。
役目を終えて無に帰ろうとする鉄とコンクリートを、アスファルトを突き破って葉を伸ばした木々が生きて実りを迎えて、次世代への繁栄を継承しようとしている。
 喜多方側2/3まで辿り着き、例の林道のY字路に辿り着くと丁度WR.・DT2台が林道から現道に復帰した所だった。
 速い!こんな舗装路の上にコブシ大の岩がゴロゴロしてる砂砂利路面で何故にそんな速くターンが・・二人ともたちまち視界から掻き消される。


昨年のY字路。濁流の吐き出し口だった。勿論、逝って濃い林道である。

 排気音が遠のくと、廃道はカサカサという落ち葉をタイヤが踏みしめる音が聞こえて来る。
 アスファルトの上に降り積もった絨毯を、噛み締めるように登ってゆく。見上げると鮮やかな紅葉の中に白い棒がぶら下がる。例の最終崩落点、宙吊りのガードワイヤ支柱だ。いよいよ周りに山陰が無くなると、福島側最後の直線の果て、二人のライダーに迎えられる。


美しい紅葉の中、よく見ると
宙吊りの白いモノが一本?。


ショウタイミタリ?濡れパイプ?。
(よい子は濁点に付け替えては逝けません)



三段に、いや四段に見える国道はもはや迷宮の佇まいだ。
ここもMRお気に入りの風景となっている。
でも、来年は・・・?。


ここだけは残った、奇跡的?とも思える距離標識。
建植を昭和40年代とすれば、3〜40年近くここに「居る」のだ。
Photo by SJ30V


扁額、というにはあまりに無造作な銘板である。一応エッチングの様でがあるが?
昭和初期の改修時に取り付けられた物とされるが・・?


 大きな峠の小さな隧道
「大峠隧道」
である。
 夏に見ることなく、Web上でご指摘を受けた「扁額」を初めて見る。これも福島側のみで、山形側には存在しない、その理由も不明である。

 先に着いた二人に聞くと、隧道手前の擁壁わきの小道を登って途中引き返したらしい。その脇にある国道維持管理出張所の道路案内板を見ながら、廃道談義に花が咲く。


峠の秋も晩秋から初冬へと。
Photo by SJ30V

 難攻不落の・・?  

かくして。
 戦場ともいえそうな山形側に3台は突入した!
 山形に入って直ぐに隧道湧き水攻撃を受ける!うん、確かに
水深20センチはあるよ、燦さん
(そちらのレポは何時)
出口の風景に、3人しばし沈黙のまま風景を眺める。
「抗口上のガードレールも落ちちゃったのねぇ」
隧道左手にある高さ制限の標識も、もうそろそろ就寝時間のようだ。
「これだこれだ!」


写真右手、看板の裏からも山道があるが、あえなく玉砕、つーか普通逝くか?。
Photo by Kumagoro


なんだこりゃ?鉄板製の標識の残骸だ!。


通行止めバリケードは単に水たまり進入阻止のための物か?。



「凄い水はねでしたね〜」ええ、おかげで水びだしですわい・・・。
改めて写真で見ると高さ2m以上あるな、時速20Km位なんだが?。
Photo by SJ30V


初めて大峠に立つSJ30Vさん(多分)どうだい?大峠の風情は?。


昨年よりさらに崩れている。


ほほう、あれが逝きたい林道ですか?
確かに北東に伸びている。


とりあえずカタログ撮影(こればっか)。
奥にホッパー塔が見える。


 MRが地にひれ伏した
「福島県」
を見つけ撮影する。隧道山形側は昨年に比べさらに抗口右手(西側)が崩れ、時間余裕はなさそうだ
 

苦節2年、やっと撮影できました。もう、熟睡してたけど。

「ちょっといいですか」
と、ここで熊五郎さんが手を挙げる。
 今年春からの彼自身の懸案事項でもある大峠隧道東側の伐採道?逝こうというのだ。
 時間も十分余裕あるし、全会一致で突入する。U字管の脇から伐採道と言っても、目測2mの路肩のしっかりした林道に突入する。見た目大丈夫か?

 10時30分頃、大峠山形側右手(東側)分岐林道へ。
しかしこれが、全身筋肉痛の始まりだった。
 
約1.1Km先の土場で林道は途切れていた。土場は対岸の尾根とほぼ同じ高さ、ちょうど旧道121号線上に放置された索道用のトラスの真向かいに当たる。
 間違いなく元索道の引き込み部分だろう。と同時に、営林署の土場でもあったのだろう。荒涼とした雰囲気からは想像も付かないが、大峠の倒壊部分が手に取るように観察出来た。
 MR的には、
「対岸に砲台を要し国道を攻め挙がるロシア軍を砲撃するには、まさに絶好の地形じゃ〜!見ておれ赤い星の北極グマ共よ〜!と、
かなり湾曲した大きく誤りのある歴史観に浸かってトリップしていたが・・・



東側から見る旧国道121号線不通区間の全景。
コンクリート製の土留め、飴細工のように倒壊した防雪フェンス、索道用と思われるトラス構造のタワー二基のホッパー塔・・国道と考えなければ、どう見ても鉱山施設だ。


「あれですよ」「マジですか・・?」「フッ(^_^)」
(悪いけど俺には道に見えん・・by MR)



ああ、でもみんなで逝くって言われると来てしまう。
でもやっぱりこれは 
道じゃねえぇ〜!


三人がそれぞれにアタッカー・サポーター・キャメラのダレが振り分けるともなく、やる。
なんて見事な・・
アドリブだ。


MRはもうこの頃には3回くらい左足を強打してます。捻りも2回くらいかな?
痛くてバイクを支えられない(T^T)。
案の定、この直後に転倒する。
Photo by SJ30V


「問題の道はアレ
(荒れ?)なんですよ」

の一差しに釘付けとなる。
「・・・マジですか?」
そこには笹藪に空いた穴のように、幅1.5mの道がポツンと口をあけていた。

 その道は、延々その先(正確には北東側の別の尾根)に続いて、明らかに尾根先を廻って居たのである?
「つながってんの?」
「それを見たくて・・
ちょっと一人ではねえ」
「・・・確かに」
「荷物は置いてきますか、いやぁ、普通のツーリングだったらどうしようかと思ってたんですよ」
うっわ〜〜!SJ30Vさん
「点火!
(ふぁいや〜)」

こ、これは・・
SJさんの科白を聞いて
熊五郎さんの表情も明るくなり、こちらも「やる気ニトロ」に火が入ったようである。早速先頭で突っ込んでゆく!
 
あのね君たち、
おいらケガ人だって知ってる?ん?


 大体、この先の事考えたら、何処も「普通のツーリング」じゃねーから!



実はこの写真は帰りの物、行きの沢越えは殆ど撮影されていないのだ。
このあと熊五郎さんの豪快なウルトラCの大技を見てしまう。
ケガが無いのが不思議な程だ、MRも再度転倒。
もう勘弁して下さい〜(T-T)(T-T)。
Photo by SJ30V


主がルートの確認を行う間、廃伐採道に佇むDT。改めて写真で見ると結構な傾斜だ。
スタンドで立っているのではなくて、藪に寄り掛かってるのか?。


問題、法面と道路の境は何処でしょう?。
写真には熊五郎さんとSJさんも居る筈だが、わからん!



道が出来ると森が枯れるというが、それでも空にむかって手を差し伸べる。
それが生きると言う事なのだろう。


とか考えてる内にSJさんがトライ&リターン。
「入って直ぐ斜めの沢落としなんですよ」 足が痛いとゆーに現場を見に10m程歩く!痛いよ。
 ラインを決めて再アタック!全員通過。
「じゃ、逝きますよ!」
 笑う熊五郎さんは楽しそうだ!SJさんはまだまだ余裕である。そしてここからは、伐採道は完全な廃伐採道と化していた。のり面の崖を、沢を、倒木をただひたすらに越えてゆく。
 全身汗でびしょ濡れである。たまに平地があっても、藪や人の頭ほどの岩が散乱し、ルートの選択すらままならない。
 大きな沢越えは3人でルートを熟考し、簡単な土木作業を用いてルートを確保する。それでも転倒する面々。
 SJさんに至っては70万からの新車を平気で放り投げる!
「え、だってバイクが登っちまえば人間は歩いて登れるでしょ?人力でバイクを揚げるのは大変だよぉ」
 仰る通りですが・・MRにはできねえかも?百戦錬磨の熊五郎さんもこれには流石にビビッたようだ。既に瞳がキラキラと
「師匠」を見る眼差しとなっている。
 論理に裏付けられたライディング?を見せつつ、二人は奥に、さらに奥にと突き進む!
「いでぇ!」

 そんな二人に対して既に怪我人のMRは疲弊しきって、すでに熊五郎さんのラインをトレースする事すらままならない状況であった。凡ミスが増えて、何げに倒木と石に挟まれるとそのまま崩れる様に転倒してしまう。しんがりのSJ30vさんが冷静に助け起こすと、
「MRさん休んでて、ちょっと歩って見てくるから」
 
息も絶え絶えに顔を上げると、熊五郎さんも倒木に阻まれ停止してるようだ。その先、倒木と藪に隠れて路面が見えないが何かヤバいらしい。その場に座り込んで熊五郎・SJ両氏の帰りを待つ事にする。直ぐに藪に見えなくなる二人。

 汗だくで噎せ返るようなヘルメットをバイクに掛け、真上の空を見ると、ブナらしい木が枝を空の先へと延ばし続けている。
撮影していると二人が帰ってきた。
「通れますよ!」と熊五郎さん。っん〜嬉しいやら悲しいやら・・・?やにわに障害となる岩を押しのける。柔和な表情から解らないほと力持ちである、うむ、いい意味で期待が裏切られている。
 そして、大峠最東端の伐採道の土場に到着。3段になった土場はけっこう広い。



なんと、通行可能区間も見渡せる???尾根沿い最東端に到着。
まさかこんなところまで来るとは・・?


そして、いよいよ大峠が
その牙を剥く!。



 
初めて見るもう一つの「大峠」がここにある。
 対岸の旧国道沿い正面に例のホッパー棟が確認出来る。真下はあの作業小屋のある、八谷沢鉱山の露天掘り部分である。
 この土場もかつては鉱山の索道を支えて巨大なトラスが林立していたのだろう?
一服しつつ思いを馳せる。
「ここより先に道は無し。ですね」「さて、引き上げますか」
 しかし、やはり例の沢渡りでDT/Reidは玉砕転倒してしまう。
いやぁ、側転・前転・宙返りと転倒は疲れるぜ。流石にSJ30Vさんは無難に通過!すごいぜ師匠。

 荷物の場所に戻ってみると、既に時計は12時半に届こうというところだ。
「重い!重すぎだよ!」振り返るとSJ30Vさんが持ってきた燃料を・・って容器がデカいんだけど?「3L持ってきた」
オイオイ、最悪RAIDからでも入れられるんだけど。と、豪快にこぼし(このガソリン高騰のご時世に)つつ、タンクにハイオクを注ぎ込む。荷物を纏め直して、出発。

 12時45分。かくして枝葉とU字溝を擦り抜けて、3台がもとの旧道に辿り着く。そのまま、3台はさる関門を突破!
そう、それは2輪廃道界を震撼させる
「大峠バイクゲージ」だ。




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