次の林次の廃道へ。道に進む。

廃道日記(Riding・Report)



交通の二極とも言える道路と鉄道。
こんな山奥に早くも登場した交通形態は
まさに艱難辛苦を乗り越えて今に続いている。
人は
様々な理由で独自の判断から、
この二つの通行形態を利用した。
この道はその二つを支えたかも知れない
古の”Missing Route”である。




赤岩駅のある大笹生大平地区へはあきれる程曲がりくねった舗装林道の様な
福島市道/安養寺大平線を、フルーツライン(県道5号線/上名倉飯坂伊達線)から
延々20分以上走らなければならない。
同じ福島市とは言え、奥羽本線の分岐である福島駅前からは50分くらいの感覚がある?




ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。

(

このContentsは、適当に増殖します。
廃道日記(Riding・Report)006


 始めに。
 この解説は、二つの沿革から導き出された推論仮説であり、検証が行われた訳ではありません。あしからず。

 明治14年、栗子山に穿たれた全長870mの隧道を明治天皇が通過し、これをもってその道路は
「万世大路」と命名された。明治に国道三等/国道三十九号、大正には代五号国道と言われた、後の一級国道13号線(改名は昭和27年)である。開通後の通行量は1日70〜110人程度、殆どが徒歩であったとされ、大平宿には専門の旅籠から籠屋までいたそうである。
 しかし人力と馬車で運ぶ荷物の運賃は高く、庶民は相変わらず徒歩で万世大路を通行していた。
 またその輸送量も少なく時間もかかり、運送コスト高による流通の停滞は福島〜米沢間の大きな障害となっていた。

 こんな状況を打破すべく民間の手によって福島〜米沢間の鉄道が計画されたのは明治20年。完成すれば時間的量的な輸送問題は解決するはずであった。
 しかし、そこには大きな問題があった。奥羽山脈の分水嶺と、そこに水源を発する最上・松川水系の渓谷である。鉄道敷設法が施行された後に官営予定線となった奥羽線は工事のために赤岩の上に大笹生大平(おおざそう、おおひら)部落を作り、作業飯場や宿舎を作り、突貫工事で進められた。



秘境駅と言われる(らしい)赤岩駅。その選定基準は不明だが・・・?


  かくして4つのスイッチバックを擁する栗子・板谷越えの鉄道が出来上がったのは明治32年、国営鉄道奥羽本線として開業したのだった。
 これにより大量の物資が国道13号を通るより早く安く運ばれる事となるが、それは庶民には高価な旅費であった。また人や物が山里に都内から直接入る様になり、万世大路直前の大滝根宿・大平宿には地元の物産は馬車
で道路から、高価な物や人は関東圏から汽車で来るようになったのだ。

 かくして、
松川渓谷赤岩駅から国道13号大滝根宿、つまり万世大路に抜ける山道、つまり菱川林道が出来たのではないだろうか。
 そしてここから、軌道と道路は共生関係の道を歩み始める。

 明治42年6月、赤岩駅構内で列車脱線転覆事故が起きると、復旧作業のため多くの作業員が大笹生大平部落に入り切れず、菱川を抜けて国道側の大滝根宿に宿を求める事となる。


菱川林道、国道13号線入口。

 事故の余韻が醒めやらぬ翌年8月、
折からの台風による土砂崩れで第一赤岩隧道(いわゆる7号隧道)のアーチ崩落が起こると、ここから実に2年は路線の改築のため作業員が同地区に滞在する事となる。間もなく仮設の東赤岩駅に飯場を作ったが、作業人員の大半は大平地区に、また高級士官(いわゆる政府役人など)は赤岩や大平の飯場ではなく、飯坂温泉や大滝根宿に逗留した。

(因みに、経線変更により廃棄された路線をリンク先の「山さ行がねが」管理人ヨッキれん氏とご友人が踏破している。)



画面右手が菱川林道本線。100m先でY字路がある。
画面左が菱川林道支線、約1Km先で第1支線、第2支線(大平線)へ。


 この約2年間、仮設の東赤岩駅からの物資は、崩落の危険が拭えない第一赤岩隧道を通り、人力と馬車で赤岩駅から万世大路の峠を越え、関東に向かう人や物は菱川林道を経由し赤岩駅から列車に乗り換えられたと思われる。
 明治44年9月、奥羽本線に全く別経線の新軌道が出来上がると万世大路の通行量は激減し、国道13号はまさに冬の時代を迎える。大正時代を冬として過ごした万世大路は荒れ果て、大平宿などはこの時期一度消滅してしまう。

 しかしモータリーゼーションの発達は道路を見捨ててしまう訳ではなかった。
                            
 (解説は2に続く)



カメラ正面に1本の道が見えるのが解るだろうか?ほら、木の根本!これが突入ポイントだ。
ナンちゃって(^_^)。


 川になった道
 

11月某日。
 雪におびえているような心細い曇り空は、昼間だというのに林道の路面を暗く描き出していた。
 今年ついに三度訪れる事になった菱川林道の支線分岐点は人影もなく、静寂に包まれていた。dark-RXさん初ネットアップして4年後、MR的には10数年前にJA11c-1ザブングル号で通過して以来の大平支線である。
 零度は大峠以来傷ついたままであったが、止血が効いて今は正常である。
ちょっと山屋には場違いなマフラーだが、まあクマ避けと思って逝こうか。

今回のルートはTouringMapple2005.3版に未掲載。(林道表記なし)
県別詳細マップルは実線道路区間としての掲載(マジ)。

例によって左折、支線に入る。
 杉林の中は相変わらずの伐採現場であるが、夏場より多少ぬかるんでる程度である。やがて沢に向かう坂道を下りてゆくと、左手に登るルートとみせかけて直進できるY字路に出る。と言っても、まずそれは道路とは思えない。Kimiさんの情報通り、夏場の藪が完全に落ちると、僅かな枝を残して支線がその見通しをさらけ出した。
 零度がひょっこり顔を出したそこは、かつてのカントが削り出されてしまった道路、いや全くの沢が現れた。

「ふ、深い・・」

 そう、すっかり通る者のいない林道は完全に沢となり、現道との落差は1m近くに達していた。しかも目前には大きな岩と共に沢が蛇行し、バイクで下りるには躊躇する。取り敢えずバイクを置いて徒歩で沢に下りて現状確認する。
 完全ではない左足が滑る。沢水は冷たいが、深さはさほどではない。ザクザクと沢を歩いてゆくと50m程先の対岸に登り口が見えた。

「あったか・・」

 渡河予定部分から振り向くと、どうやら上流は崖の高さが30センチ位だ。路肩沿いに走れば何とか逝けるだろう。バイクに跨り前進を始めるとたちまち狭い法面を零度は前進する。巾一杯になった所でバイクを降りて、写真を撮ると、もう踏み位置も目一杯だ。
「押すか・・」
その瞬間、ドサッとリアが滑り落ちた。


「ヤバ・・・・・」(^◇^;)


藪を抜けると沢が現れる。
バイクから水面までの高さは、ざっと1m程。


んん〜いいね。いい感じの廃道だ。
(広域マップルはこれを実線道路と言い張るか?)


路盤流失分はそのまま沢、つーか
もとから沢だ。


おお、もう後がないなぁ。



面倒なのでそのまま車体を起こすと、案の定リアだけ着地!


後ろから見ると格好いいが、横から見ると打ち上げられたサカナの様。(核爆


 なかなかこういう転倒?もないだろうから取り敢えず写真撮影の後にフロントも降ろす。
 さて、逝きますか。
 川を越えると落ちた藪の中に一条の道を見せ始める。一度沢に落ちた林道は再上陸と共に上昇を始める。途中沢と共に右にカーブした道は、一部軽自動車一杯の車幅を残した路盤崩壊を起こしつつ急速に沢との距離を離してゆく。


無事、着地。前進開始!


菱川林道大平支線の真実?。藪さえ落ち着けば、普通に渡れるかな?
思い切って先に川にバイクを落とすのも手です。


こうしてみると左手の藪は割と平らで、本来は川に入らす左岸を通って
橋で渡していたのでは?


そう、第一支線にあった木橋みたいな・・・?


 やがて切り通しのあるS字コーナーに達すると零度は倒木を潜り、風が巡る牧草地を見下ろすコーナーにたどり着く。
 細い倒木のため前進を中断した零度を置き、倒木の処理をする為バイクを降りると、感触通りのフカフカに堆積した落ち葉の出迎えを受ける。


雑木林越しに牧草地を確認する。

 湿原の出現   2

 無事、公共奉仕の間伐作業を行うとようやく見通しの利いた所に出た!
牧草地である。

 だが変だ、林道上には大規模に草が生え、逆に牧草地はキチンと刈り揃えられて、まるで林道が防風林の様にうねうねと牧草地を分断して居るではないか?

「ジュワ〜〜〜!」「オワタァ!」

 突線マフラーから蒸気と共に鉄の焼ける臭いとヘドロのような悪臭が漂い、急速に車速を落とし立ち止まろうとする零度君を鞭打ってMRはアクセルフルで沼地から脱出する。
幸い、泥濘の巾はせまく、直ぐにしっかりした足下に辿りつくが。
「なんじゃこりゃぁ〜〜!」車輪からエンジンからエキパイから、全部真っ赤である!臭いからして硫化鉄だろうが、エンジン熱に焼けるその臭いは戦意を喪失する化学兵器のようだ!
 車(というかトラクタ)の轍はここが回転場だった事を無言のウチに教えてくれるが、いかんせん道路のどちら側にもその車が入った跡はない。

 つまり牧草地が道路代わり、というわけだ。しかも前方の道路はタダの激藪ではなかった。




改めて写真を見ると・・ラカラン


「MRの言う道は、ワカラン!」(爆!
振り返って撮影。


沢沿いの土手を切り落としただけの簡単なルートだが、沢の浸食には勝てないようだ。



コーナーを曲がってさらに前進する。


右側から登ってきて左手に降りてゆく、一応ここが峠か?(違w~


 
写真に納めるときにそれに気付いた。「あの植物は・・葦だ
 そう、事もあろうに廃林道は既に
湿原と化していたのだ。


焼き付いて跡が残っちまったぜ

「菱川湿原」いやもとい
「大平湿原」なのか?
 バイクを牧草地側に出すと道路からの乗り換え部分も少々軟弱であった。
狭い所からいきなり広い牧草地に出ると先人の轍とも言えるトラクターの足跡に付いてゆく。
 トラクターはゆっくりと左(西方向)に旋回し、崖っぷちに30セン程段差が付いている林道をバッサリと横断し、その先で今度は右にステアし、15m程で元の林道に合流していた。


サミット会場は倒木が相次いでいた。


見た目より深か〜い二本の轍がある。

のどかな牧草地。奥に見える雑木林のようなススキヶ原が湿原化した林道だ。




何故か葦が乱立している林道、もはや沼である。

 
大平湿原菱川側、もはや湿原である。道路東側のすそ野に広がる牧草地の雨水はどうやら総て林道に集まる様だ。
んー、これこそ自然の摂理か?(<違


横断する際、右手(南)をみると林道は湿地帯と化している。
道路を示す缶が刺さった枝がある。



横断する林道の路面もグチャグチャだよ。


山の上から流れる水は、
まさに道路が水路(貯水路?)の役目を果たしていた。


本道に合流
。やっとまとも?な道だ。


 ところが、林道はまたも上昇を始め、間もなくこの支線林道最高所の掘り割り?を通過する。


切り通しを挟んでS字を連ねる林道。

 やがて林道を示すかのような例の「枝に缶(もしくはペットボトル)」の表示が終わろうとする頃にそれが現れた。
廃品置き場である。
いや、事業所名や許可申請看板の表示などはないので、
「私物を道端に置いている」
だけとも取れるが・・・良くあるよな?こういう場所。

青看ならぬ「青缶」が道を指し示す。
その殆どがアクエリアスだ。


私物と言えば聞こえが良いけど(T-T)(T-T)。
まあ、粗大ゴミ・・かな?



大平線おまけ に進む
 合 流   

 その宝物だらけの家を過ぎると、正面にログハウス風の家が現れた。今度は窓から人の姿が見える。
T字っぽく道があるが、チェーンで封鎖されており、良く見ると工事中のようだ。
 やっと持ってきたコーヒーを開けて一休みする。汗が引くのを待って再出発する。
ここから3分もかからず、林道は市道安養寺大平線に合流して終了する。

●菱川林道
 支線2/大平線(仮称)

区間総延長:約4.1Km
       (全線未舗装)
概要
 突入する支線は通常のロードマップに記名がないので、現在通行が可能(いや、伐採作業中なので立入禁止ではあるが)な林道
支線1かつて大平集落に抜けるルート「支線2」とさせて頂きます。


ログハウス風の家の前はT字路。
と言っても私有地でチェーンで締めてある。


ログハウスから、今来た道を撮る。


柔らかな日差しが挿してきた。錦に染まる山里。



調査日(06/11/23)の状況:
 路面状況は良、夏に沢のようになっていた分岐の水もほぼ無くなり、走りやすい。
渡河は慎重に、こんな所誰も来ません。十分注意しましょう。
藪区間と牧草地はともに滑りやすいので注意、車はまず入れないでしょう。
人が住んでいる部分の路面は良好です。雨天、春先の水量の多い時は止めましょう。


最後のS字を曲がると・・・、


市道安養寺大平線に合流、ここが大平地区である。しかしここで半分だ。



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