廃道日記(Riding・Report)



ただ、見て欲しい。

先人の残した、この巨大な回廊を。
ダートとかグラベルとかいう言葉もなく、
ただ「砂利道」と言っていた
懐かしい時代の国道。
そして、橋梁。

これは遺構というには、あまりに現実的である。



現在の国道を望む旧道13号線「新沢橋」。
改良に次ぐ改良で、全面砂利引きの旧国道の中で、この区間の平均的道幅は6mを越える。
かつて、これ程巨大な旧道を走った事はない。
この新沢橋だけが、旧来の寸法で異常に狭く感じた程だ。



ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)007


 
国道13号線を通ると現在工事が行われている北側の斜面に何か道のような跡と、大きなコンクリート製の橋が見える部分がある。
 橋は樹木の葉の落ちた期間しか見る事が出来ないが、晩秋・冬季・新緑前にその姿を見ることが出来る。
橋の名は「新沢橋」
 新沢橋は昭和11年12月竣工、メラン式RC開腹アーチ構造の橋の長さは42m、巾6m と昭和初期のものとしては当時最大級のものである。
 また、一連の万世大路上にある橋梁群の中で最も竣工年が若く、その構造からずば抜けた耐久性を持ち、立地する山並みと現国道13号線から遠望できるその容姿は、エレガントの一言に尽きる。
 この橋は、昭和8年から11年までの「昭和の国道大改修」に立て替えられたとされ、 さらにその上流には明治期の国道床と旧新沢橋の橋梁も現存するという。
(こちらは木橋のため、大正末期に建てられたとされるPC製橋桁のみがある)

書籍によると

 昭和8年、国策「時局匡救土木事業」及び昭和10年度「農村その他応急土木事業」による4カ年計画によって、改築総延長13Km(内隧道2箇所の拡幅と橋梁4箇所の新規掛け替えを含む)、計画諸元は総全幅7m、有効道路幅6m、路面は全線転圧砂利道とし、自動車の通行を円滑にするための経線変更と部分拡幅(主にヘアピンコーナー等)の増設、最急縦断勾配12%、最円縦断勾配2%、最小曲線半径15m、道路有効高さ4.5mとされた。



福島側ヘアピンコーナー(昭和新設分)


12月完成、翌年開通した新沢橋。
(写真は東北建設協会発行の本より借用)


 起点は新沢橋東岸とされ、改良新道はまさに新沢橋から始まる。
 新沢橋は掛け替えの決定がされた4橋の中で最も大きく、最も長い工期を要した。
 橋は摺上川水系支流小川の水源地新沢に架橋。明治に施工した旧橋は橋長20m・巾員5mの木橋であったが、新橋はその下流約200mに昭和10年4月着工・11年12月に完成した。橋体は33m、拱橋一連で側径間3.9m版橋2連とある。

 通説では、旧道廃棄から40年、この橋を車が渡ることはなかった。
何故なら、橋の東側(福島市側)は崖の崩落も激しく、最後には現国道13号線の拡幅部分となって、道路が途絶えてしまうからだ。
ここを踏破する管理人も居る!)
 一方、西側(栗子隧道側)は九十九折れを経て旧飯坂スキー場跡に達し、さらに二つ小屋隧道へと通行可能となる。
 いや、
崩落しつつある暗橋が一つあるという。
 今回、新沢橋脇にバイクが通行可能な小道がある事が解り、思い切ってチャレンジしてみる事とした。
さて、40年の時を経て、万世大路は、新沢橋は動力車を通行させてくれるのだろうか?

参考文献
文献名
著者
栗子峠にみる道づくりの歴史 吉越治雄


Challenge!「万世大路1−新沢”遠すぎた”橋」

今回のルートはTouringMapple2005.3版に未掲載。(林道表記なし)
県別詳細マップルは点線表記区間としての掲載(新沢橋は未掲載)。

 プロローグ。
N

 2007年、春。
 GWの初日は初夏を思わせる日差しで、コンビニの駐車場を焼いていた。
前日まで出欠の調整が難航した事が、今年1年の波乱の幕開けを告げていた。
事実、このシリーズ「万世大路」Tour は思わぬ展開を見せるが、現段階ではまさに
「知るよしもない」事である。

 この日、まだだれも手を染めない区間の走破を試みたのは、お馴染みDTMのMRと掲示板常連の紅白饅頭の二人である。
 同じような背格好にバイクを知らない人には同じように見える単車に乗り、まるで兄弟のようなオヤジ二人である。(このさいMRが弟分としておこう)
 さて、そんなふたりがまるで借金取りから逃げる様な鮮やかな手並みで福島市内を脱出したのは10時半頃、普通ならもうかなり
の距離を稼いでる時間である。
約30分後、2台のバイクは東栗子トンネル福島側抗口脇の、旧飯坂スキー場入口で写真を撮っていた。
 駐車スペースには車が3台、いづれも山菜採りと思われる。県外ナンバーもあるな?。
 因みに、こーはくさんはこれ程本格的なオフバイク体験は初めて。傍目に見てると何時もと変わらない感じだったが、本人は大分緊張していたようだ。
 ここに来るまでの国道13号線では結構なペースで走り抜け、素人ではない腰つきを見せたが、ここからは別!しかもいきなりの廃道である。
 勿論、MRは勝手知ったるモノである。
●旧国道13号線(昭和線)
 (一部明治・大正も含む)
区間総延長:約2.2Km
   (新沢橋〜旧飯坂スキー場間
    /全線未舗装)
概要
今回のルートは万世大路の名前で有名な明治竣工、大正・昭和改良の旧国道13号線の福島県側の一部となります。

 突入!そして。
N

 
先行はこーはくさん、慎重に林道を上り始める。続いてMRは写真を撮りつつ、時間を置いてスタートした。



菱川林道、国道13号線入口。
横目に見ながら登ってゆく、飛ばしてます。



「トンネルを抜けると・・」。


そこは「廃道」である。
国道13号線東黒子トンネル入口。待避所の横にそのルートは顔を覗かせる。
今回は久方ぶりの除雪用「ゴルディオン・スコップ」装備!

「うそぉ〜〜!」( ・_・;)
「ま、まさか・・?」(^◇^;)


 路面状態は「小川」。見事なせせらぎが、道路を右に左にと蛇行する路面状況は、未整備の林道や伐採道にありがちだ。途中、廃な空気を見せるスキー場のロープウェーが二人を見下ろす。
つづら折れののち、T字路に突き当たった。
「旧道だ」
 左(北西)に折れれば二つ小屋隧道、右(南東)に曲がれば新沢橋である。 
 新沢橋を含むここから大滝根宿までのルートは、途中から現国道13号線に寸断され繋がる事はない。徒歩ならこれから向かう新沢橋、その先の大路橋(仮称・木橋?)まで、明治・大正・昭和の旧道を楽しむ事が出来るが、大滝根橋の落橋は致命的であり、現在山形自動車道の福島〜米沢地区延伸工事によって他の旧道部分も地形改良が施され、面影どころか立ち入る事も出来ない。

 MRの見立てでは、一部の沢越えに不安があるものの、新沢橋までのバイクのみの通過は可能とみていた。
また、距離、時間的にも初心者向けと感じてこーはくさんを誘ってみた訳である。
 慎重ながらも小気味よく登ってきたこーはくさんが、不安げに下りの旧道を眺める。路面は2週間前にMRがジムニーでこねくり回したせいで、もはや足の踏み場もない。
こーはくさんは振り返ると「俺ちょっと先を見てきます」といって歩いて下り始めた。
MRはその後ろ姿を写真に収めると、少し上に行ってみる。
「おっしゃ〜!雪がない!」
その300m先、2週前には深さ40センチの雪があり事実上車両通行止めだった。しかして今日は白いモノは・・見えない。
 喜々として戻るとこーはくさんはまだ戻っていないので、そのまま旧道に突入してみた。
最初の倒木を越える前、20m程で路肩を歩くこーはくさんと合流する。

Challenge!初っぱなから「倒木潜り」だ!


国道13号線に合流。
写真手前が栗子側、奥に進む緑の絨毯が旧道部分。
バイクはスキー場側(写真道成右手)
から来ている。


一応長靴を履いてきたこーはくさん
ここは思惑通りの展開?いやいや、
「まるで田圃だ!」(本人談)



「いや〜ドロドロだ」
「酷いでしょう?逝けますか?」
「なんとか・・何か聞こえません?
「・・・・?!」
遠く排気音がこだました。勿論MRの零度ではない。
振り返ると遠くこーはくさんのXLR-BAJAが佇むが、他に人影はない。国道を行くバイクだろうか?。
「下から誰か来ますね?」
先の倒木コーナーを眺めて、こーはくさんが呟いた。
「下から?!」
二人は顔を見合わせた。
「こんな所に来るのはMRの知り合い位だなぁ、SJさんじゃないのか?(笑w」とMR。
SJさんは昨晩以降、連絡が取れなかった。別用で諦めたのだろうと思われていた。
「まぁさか・・?(笑w」
笑うこーはくさんが
凍り付く



ホントに?
ホントキターーー!!!



 甲高いエキゾーストと共に青いバイクがコーナーから飛び出して、手前の倒木で泥に足を取られて停止したのだ!
 聞き覚えのあるエンジン音は、間違いなくWRだ!なんとSJさんは単独でここまで登ってきたのである!
 在る意味、この時点でこの企画は終了したも同然だった。

新沢橋までのバイクの通行は可能である。

 合流!さらに。
N
 


「う、動かない・・・・」
亀の子スタックに陥るXLR-BAJA


SJ30Vさんの的確なご指導の元、無事脱出したこーはくさん。
「ぜーぜー」と肩で息をする。初めてにしてはハードなツーリングだよなぁ。


 あまりのタイミングにしばし呆然としている二人を前にWRで再度倒木越えをこなし、汗だくでヘルメットを脱いだSJ30Vさんが
「酷い、だれも手伝ってくれない」と苦言を呈し、改めて
「どうも〜!あれ?結局今日だったんですかぁ〜?」と一言。
 静かな廃道に笑いがこだましたのだった。

 ここで突然の作戦会議である。しかし、なんというサプライズであろうか?
前日までにルートの説明は断続的にしていたが、よく新沢橋側の入口が解ったものである。
「ああ、写真見てましたからね。(通行に)支障のある倒木は切っておきました」
へなりさんか?君は?と思いつつ、これは感謝である。
 いきなり事前の作業や時間距離測定が終わってしまい、こーはくさんは上げ膳据え膳で逝けるようになってしまった。まあしかし、初心者には違いないので同行する方としては不安要素が減った事を素直に喜ぼう。
 ルートの概要がわかり、取り合えず我々二人はそのまま下って新沢橋を渡る事とした。
 SJさんには待つも先に進むも同行して戻るも、判断を一任した。
 SJさんが休んでいる間に、こーはくさんがT字路まで戻り、BAJAで突入してきた。
 零度共々、進撃を開始する。
 しかしこの倒木・泥濘セクションの酷い事、易々とタイヤが沈んで埋まってゆく。一度ぬかるむともはやバイクを降りて押すしかないが、まさに泥の海には島すらなく「足の踏み場がない!」の一言に尽きた。
「ダレだい!こんなにグチャグチャにしたのは!」
「すいません、MRっス!」
 
そう、みんな先々週MRがジムニーでのたうった所で悪戦苦闘しているのだ。
これは人災である。
「威張るな!」
早速ツッ込みが入る。
 ぜーぜー言いながらようやく倒木を越え、何とか走り始めたが、まだあちこち路面がぬかっている。
休むSJさんを置き去りに、二人はその下に進んでいった。



「エンジン掛かんね〜〜!」
こいつは一回被ると掛からねーんだ



「とりあえづ降りて休んでやろう」
日頃の運動不足か?なかなか動悸が収まらない。
さすが「メタボレスルート!」


こうしてみるととにかく道幅が広い。とても未舗装路とは思えない程だ。
黒く変色っているところが
腐海化した部分、大変よく滑る。


 突入!そして。
N
4

 
とにかく下りなので、登ってきたSJさんから比べれば大分楽の筈の紅白饅頭さんだが、そこはやはり初心者、思わぬ所でつっかかっていた。
 しかしそれでも、いきなりで十分のライディングである。だが、何かの拍子にエンジンをストールさせてしまうと、掛からないかからない。焦りが無理な体勢からの始動をさせ、結果被って掛からなくなってしまうありがちな悪循環になりつつあった。
 遠く後ろの高台から眺めていたSJさんがおもむろにメットを被り、恐ろしい勢いでたちまち下ってきた。
「逝きましょう!」
 こーはくさんのサポートを買って出てくれたSJさんに感謝し、3人は一路新沢橋を目指す。

 一時的に路面の回復した旧道は、再び泥濘となっていった。
 状況から見て、dark=RXさんのレポにある路肩崩壊した暗橋だろう。しかし先頭を行くMRは現場を見て唖然となった。
「一本橋・・!!」
 そう、暗橋はその上流側、下流側双方が削られ、道路中央が30センチを切ろうかという幅になっていた。
差し渡しは約3m程度である。
が、左右は深く抉られている。特に下流側は5m以上の落差があり落ちたら絶対死ぬ?という状況だ。
「まあ、死ななくても骨折は免れないな。頭からバイクに降って来られた日にゃ、確実に逝くわ」
「エスケープは・・・?」
 上流側に平場があるが、ざっと20m以上の迂回、しかも沢へのアプローチはかなり急な感じである。ただ、落ちる事はない。バイクを降りて押せば二人がかりで行くだろう。
「SJさんは当然ここを通過したんだよね」
新緑の若葉が濡れて少々滑る一本橋でMRが確認する。
「まあ、上りはこうなると楽だから、下りとなると止まれないからね。」的確なSJさんの見立て。
「重さは保ちそうだ」とMR。
「・・・・・???」
もはやどうしていいか解らないこーはくさんは、しばし沈黙。


流石に見兼ねたのか?オタスケマンSJさん参上。
は!速い!。
通常の3倍のスピードだ。青いけど。


おお、「なんじゃこりゃ」
写真で見る以上に通れる部分は狭い。



橋の名は「一本橋」
視線がおぼろげなこーはくさん。
「ここ。走るんですか・・・?」
(T^T)。


下を意識しなければ楽々渡れる一本橋。
度胸一発といったところだが、一人の時にできるかどうかはMRも怪しい。
SJ30Vさんは別格?、行きも帰りも楽々?


「よし、やってみよ」
 MRは言い捨てると対岸の待避距離と位置を確認し、ギリギリまで前輪を橋桁にかけた。
 あれこれ考える暇を持たずアクセルを開け、1速のまま渡る。
「成功」と一言。
そのままバイクを待避させ、次を待つ。結局こーはくさんも意を決してチャレンジ!無事突破する。
SJさんに至っては何事無く通過。 

そして
怒濤のヘアピンコーナーが始まる。



道路と言われないと解らない広場が湿原化した旧国道だ。
道幅は7mを越える?、やたらとデカい廃道。


写真上に道幅を入れてみる。



境界線を示す石柱。側面に「山」と掘ってある。あちこちにかなりの数が埋設される。

 
これを機に、3人の、いや先頭となった紅白饅頭さんのペースが上がり始める。
 路面状況に泥濘部分が無くなった為だが、一つ自信を得る事がこれ程大きな変化を生むのだ。所詮バイクなんて、経験の積み重ねである。

 やがてルートは巨大なヘアピンコーナーの連続となっている。その数8段返し。
 どのコーナーもかなりの大振りで,道路幅も6mを越える勢いが殆どだ。
しかも
豪華複数倒木と道路中央への自然植樹が成されている。
路盤はその殆どが
砂利道のようだ。
 通常のロードマップしか持参しなかったが、このルートには今通る旧道の他に、明治期に開削され土砂崩れにより放棄された初代明治道もあると言われている。幾つかそれらしい道床もあったが、確認は出来なかった。んー、これこそ自然の摂理か?(<違


突然、いや忽然と現れた謎の紳士。
カゲが薄かったよなぁ・・・?

 
途中、いきなり徒歩で13号現道から登ってきた初老の男に出会う。
 熊鈴を持たずシャツにスラックス姿で歩く姿に異様な違和感を感じるが、昔若い頃通った道らしい。つまり昭和40年以前に、と言う事だろう。



昨年の大峠から比べると、
総てのスケールが1.25倍増量(当社比)している。!


岩塊を削って道幅を確保している。
4mを割り込む事がない。


廃道ではなく当時のまま林道として利用されたなら東北屈指のダートコースだったろうに。
こーはくさんが折り返した下を通過する。



倒木に滑って斜めに停車したSJさん。
待避所に居るのではない、全部道路なのだ。


今の時期以外絶対に来たくない荒廃した旧道、夏場は激烈な藪だろう

この窪地のような部分がヘアピンを縫うように散見出来る。
旧旧道(明治道)だろうか?。


分かり難いので道を書き込んでみると・・?


 新沢橋、
 その先に・・。
N
5

 
路肩側で切断された倒木を迂回しつつ進む右手(南側)にチラチラと現国道13号線が見え始めた。この辺りはこの区間で最も路面状態が良く、ハイペースで”走れる”区間だ。

 最後の2連ヘアピン、一つ目のターン直後にいやらしい位置に倒木があり、ここでこーはくさんがまず転倒する。その横をフロントアップに失敗したSJさんが珍しく転倒。
 二人が転んだ倒木を避けて法面を進んだMRが別な倒木に引っかかって、これで3人そろって転倒してしまう。


ヘアピンも下の方は排水機能が働いているのか?
大変安定した廃道?なのだ。
この辺はSJさんのお気に入りに登録された。



何か妙に沈んだ写真になってしまった。その原因は手前の倒木。


「チクショ〜!」
 気を取り直して二つ目をターンすると、眼下には現道の国道13号線が大きく俯瞰できるようになった。

 この時期、この区間は下の現道からでも確認でき、目を移せば、そのまま道路沿いに新沢橋が目視出来る。
 そしてこの辺りから目を見張るような法面の擁壁が始まる。下の道路からではまず視認不可能であろう石積みは断続的に100m以上続いている。
苔むした色合いには風格すら感じられる見事なものだ。


避けたハヅなのに〜。
しかも転倒向きが逆だわな?


基礎部分に樹木や流失による欠損が見受けられるものの、見事な保存状態の擁壁。
基幹国道ならではの設備と言えよう。


 
ムキになって写真を撮る間に大分遅れてしまったが、橋の袂にある警察官殉職慰霊碑前(明治21年1月4日、当時二つ小屋隧道に設けられていた駐在所から、囚人を飯坂警察署まで護送。翌5日、帰任の途中、六尺(約1.8m)を越える猛雪に阻まれ、遭難した森元源吾巡査の碑である。)から右手の現道側を振り返ると、見事に伐採された倒木が確認できた。誰の手によるモノかは容易に想像できたが。
「道路(現道R13)から丸見えなのに、よくやったなぁ」
新沢橋西側袂に辿り着く。


いよいよ最終局面。


最後のヘアピンを廻ると、新沢橋までは現国道と平行して下る。
下は路側帯・登坂車線付きの3車線道路である。
旧国道もこの場所で6m以上の道幅があり、驚く程広い。


 この新沢橋は昭和11年竣工、一連の万世大路の橋梁群では最も若い部類に入る橋であり、その佇まいはエレガントの一言に尽きる。昭和40年まで現役の国道橋である。

 橋の中央に置かれた二人のバイクを抜いて、取り合えず橋の東側対岸に渡る。この道路が運用を中止されて以来、恐らく40年振りくらいに橋は車を通した事になる。

 ところでお二人さん、途中で休んじゃったみたいだけど、ちゃんと対岸までバイクで渡りました?


橋の袂にある警察官殉職慰霊碑
別のところから旧道化後に、ここに移設された。



新沢橋。昭和11年12月竣工、橋の長さは42m、巾6m
長年風雪に耐え抜いたメラン式RC開腹アーチ橋梁が力強い。
欄干が竣工当時と違うのは恐らく戦時中に供出の為、今の欄干も一部が紛失している。


幅は6m程度。運用中はボトルネックだったろうか。
今まで走ってきたヘアピンからすると、えらい小さい感じるゾ?


親柱は4つ全部確認。
しかし「もうダメぽ」状態?写真は西南側。


こちらは西北側、
袂には旧新沢橋の橋台らしきモノがある。
(仮橋なのかな?)
しかし、明治道ごと落ちてしまっている。


こちらは北東側の親柱。
モルタルの劣化に伴う剥離分解が始まっている。

 零度で対岸に渡ったMRはさらに橋から右手(南方向)の旧道に進むが、袂から僅か10mでダウンした。目前には完全に崩落した法面と脱落して見る影もない路肩がある。
「こりゃ無理だわ」
 写真を撮って反転すると、こーはくさんとSJさんが徒歩で橋の袂まで来て、案の定という顔で笑っていた。
 後日確認したが、この東岸(福島側)が昭和改良の起点と言う事、つまり
この手前の大路橋などは明治と同じ4m道路なのだ。
大路橋が新旧混在なのが、その理由なのだろうか?疑問の残る所である。

 反転した零度はそのまま橋を渡らずに直進(北進)し、高さ1m程の土手を乗り上げる。橋から見ると左手、明治からの旧旧道である。
 そこには未だ見事な石積みが雄々しく立ち上がる橋台が残存していた。
 明治生まれの昭和一桁改良の逸品であるが、木製の橋が無いのが実に惜しい。延々と沢沿いに続く旧旧道はこの奥で新沢を短く渡り、先ほどの旧道北側袂に戻ってくるのだが、西北側の明治道は既に崩落していた。
 また旧道の北側には橋台がもう一組あり、この橋が3代目であることを暗に物語っていた。

 脱出!また・・
N
6

 MRが写真を撮る間に、既にお二人は橋の中央でくつろぎモードとなっていた。
「どうでした?」戻ったMRがバイクを降りて、こーはくさんに聞いてみる。
「いや、疲れました。」まーそりゃ、そうだわな。
「いや、まだまだですよ」とSJさん。そんな、ビキナーなんだから。
 
聞けば今日は結局朝6時出発、ここまで都合6本の林道を走り繋いできたという。



橋を渡ると、旧道は斜面に沿って右(南)にカーブする、
そこはしかし、もはやバイクの通行は
危険!


1tは下らないだろう巨大な岩石が行く手を阻む。(T-T)
上なんて見たくもないくらい、脆い。

このあと、二つ小屋隧道にも行ったが、その件は別の機会に。
本日はごお疲れ様でした。また、そのうちに。

近くに国道13号。
この辺りは現道からもよく見える。

 
例の蟹ヶ沢も抜けてきたそうだ。メタボとか言いながら、やる事はキッチリこなす辺りがSJさんらしい。

 こーはくさんとMRはここで軽く昼食を摂り、いよいよ
最後の難関である現道復帰を敢行する。
  15%は在ろうかという猛烈な下りを落下し、倒木の下を潜ると一時停止。

 目標を定めてガードレールと国道電光板の基礎・支柱ををくぐり抜けるという初心者にはスパイス効き過ぎのルート設定である。



明治道、本来の旧旧新沢橋の他に、もう一つ橋があったようだ。
ここも明治道とは思えない程に、道が広い。



正面が今来た旧国道13号線。
左手の細い道がエスケープルートとなる。


 トップのSJさんはまるで普通の道路の如くクリア、早すぎてカメラが追いつかないのはもはやお約束だが、契約した覚えは勿論無い。
 こーはくさんもここはかなり慎重に下るが、最後の現道合流部分で痛恨の転倒。例によって始動不良を起こす。
  MRもそそくさと脇を抜けて安全帯まで移動し、助けに向かおうかとスタンドを上げた時、ようやくBAJAのエンジンに火が入り、3人は元の東栗子トンネル抗口脇の路側帯に戻るのだった。

 こうして、新沢橋は無事攻略を終了したのだった。
僅か2Kmに3時間、新沢橋と旧国道13号不通区間は初心者のこーはくさんにとって、まさに”遠すぎた橋”であった。



細い脇道を下り、ガードレールの内側を擦り抜け、現道に復帰する。
対岸にSJさん、慎重に下るこーはくさん。




無事降りきった所で痛恨のエンスト!
再起動できないまま、バイクを押し出すが、対向車が怖い。

調査日(07/4/29)の状況:
 路面状況は良、夏にはまずジャングルだろうこの道も走りやすい。
 区間の1/3は法面に幾つも穿たれた沢水によって溜池となり、腐葉土化の後に腐海となる。
 大変滑るので要注意である。

 一本橋の渡河は慎重に、こんな所誰も来ません。十分注意しましょう。また、状態は風前の灯火なので、無理に渡る位なら戻りましょう。
 総じて、単独突破は可能な限り避けるべきでしょう。


MRの零度君が居る位置も
道路から1m位の高さがある。






シリーズ「万世大路」福島側編も読む。