廃道日記(Riding・Report)



ただ、見て欲しい。

先人の残した、この長大なトンネルの末路を。
かつて隧道と呼ばれた時代に手作業のみで開かれた悲願の道を、
その悲運の結末を。
懐かしい時代の国道。
そして、隧道。

これは遺構というには、あまりに現実的である。



廃道となって久しい旧道13号線。
福島側に比べて、その改良は主にトンネル関係に集中していた。
全面砂利引きの旧国道は福島側に比べて狭く感じる。
それ故、荒廃も激しい。


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)008


 新沢橋に始まる昭和8年から11年までの「昭和の国道大改修」はその7割ほどが福島県側の改良工事であった。

 正確には、昭和8年に国策「時局匡救土木事業」及び昭和10年度の「農村その他応急土木事業」による4カ年計画によって、改築総延長13Km(内隧道2箇所の拡幅と隧道1カ所の掘り割り化、橋梁4箇所の新規掛け替えを含む)、計画諸元は道路総全幅7m、有効道路幅6m、路面は全線転圧砂利道とし、自動車の通行を円滑にするための経線変更と部分拡幅(主にヘアピンコーナー等)の増設、最急縦断勾配12%、最円縦断勾配2%、最小曲線半径15m、道路有効高さ4.5mの工事計画が推進された。



明治期の「栗子山隧道杭口」


昭和初期の「栗子隧道杭口」
(写真は「栗子峠にみる道づくりの歴史」より)


 起点は新沢橋東岸とされ、新沢橋の掛け替えから始まる昭和の大改修は、最終的に二つ小屋隧道や栗子山隧道の拡幅及び掘り下げによる自動車通行の利便性向上が目的であった。

 大規模な道路の経線改修は、長さで言えば福島側に分があるが、難工事と言う点では山形側も苦労の絶えないものであったようだ。
特に刈安隧道の切り通し化、バスの運行を主眼としたゆるやかな経線への変更、そして最大の問題は使い勝手の悪い栗子山隧道杭口の変更・付け替え工事であった。

 栗子山隧道はその
山形開口が南尾根沿いの西向きという立地条件から杭口を32度南寄りに曲げて開口されていた。
 これにより風雪の吹き込みを緩和したとされるが、昭和の改修では自動車通行の観点からこれを直線化した。
 それ故この栗子山の西側中腹には
明治期の「栗子山隧道杭口」と昭和初期の「栗子隧道杭口」が並んで穿たれる、全国的にも希な国道となる。

参考文献
文献名
著者
栗子峠にみる道づくりの歴史 吉越治雄


Second-Challenge!
「万世大路2−謎を呼ぶ栗子隧道山形側」

今回のルートはTouringMapple2005.3版に未掲載。(林道表記なし)
県別詳細マップルは点線表記区間としての掲載(新沢橋は未掲載)。


 セカンドライ。
 戦!第二回。          

 2007年、春。
 初夏を思わせる五月晴れの日差しは、時折流れる雲と共に待ち合わせ場所の採石場の路肩を照らしていた。高速道路の工事現場を回遊する大型ダンプが唸りを上げて通り抜け、舞い上がった砂埃が風と共に流れてゆく。
 今年1年の波乱の幕開けは、
参加予定者のケガという最悪の事態に発展していた。
 我々が
新沢橋を攻略した次の日、それは天から降ったように実体化した。
こうして、シリーズ「万世大路」Tour(何時からシリーズ化したんだ?>俺)は思わぬ展開を見せる事となった。
勿論、
単独で突破しか無い!
あずさ2号さん!貴方の無念は私が!」と固く決意していたMR、
「いえいえMRさん、治ったら必ず自分で逝きますから」byあずさ2号

 しかし前日、突然に超強力な助っ人が登場する事となったのだ!
 当掲示板にいらっしゃるKimiさんとSinさんである。
ま、
誤解無きよう言わせて頂ければ、こと福島は道路・鉄道などのHPが乱立している。
 こーいうのか好きな人が、それぞれ
独自のご意見調査方針、そして何より驚く程の健脚をもって、まさに日々町内山中を闊歩しているのである。それも老若オヤジ男女を問わず!

 こんな県、日本中探してもマレよ、希!しかしそれすら氷山の一角だった。

 KimiさんとSinさんとの出会いは、こーいう事を嗜好する方の潜在的高さとその行動力を思い知らされた結果となった。

●旧国道13号線(昭和線)
 (一部明治・大正も含む)
区間総延長:約6.2Km
   (米沢採石場〜栗子隧道山形杭口
    /全線未舗装)
概要
今回のルートは万世大路の名前で有名な明治竣工、大正・昭和改良の旧国道13号線、山形県側の旧道区間となります。



旧国道13号線分岐点。
写真位置が現在の国道13号
「栗子ハイウエー」の末端位置である。

旧道は現在、
(株)米沢砕石場の敷地となっている。
写真左手に沢があり、
それを挟んだ隣が米沢スキー場だ。



ゲート手前のY字路で待ち合わせ。
って、左手も旧道じゃん!



その経線は三島道路が色濃く反映されたままで、昭和に改修されたとは思えない。

 ジメマシテ。
 めまして。           

 
「すいません〜〜
遅くなりました」

そして当日午後2時、3人は初めて一同に会したのだった。
 驚いたのは、その正反対の印象である。
 軽虎に乗せられて来た2台のマシンはkimiさんのDF125、割と実用的外見のバイクに乗るKimiさんは
グレイベースのモトクロスパンツ・ジャージ、ブーツにラフロのジャケットという完全武装

 相棒のSinさんのマシンは
正体不明の改造車?(TL125?)だ。
「いえいえ、ナンバーはもってますよ」
 車の中からピンクのナンバーを提示されるが、装着してなければ意味をなさないだろう。軽虎は125ccがトロいからではなく、まず無保険車であろう事は想像に難くないナンバー未装着車両輸送の為だからだった。

 しかもSinさん、
カドヤバトルスーツハンマーブーツにゴールドウィンの青ジャケットというメタル系重装備である。
 これがまた体格が良いのでなかなかキマっている所が凄い。メタボのMRには一生縁のない体育会系の引き締まった体に見える。
「これが廃道でドロドロになるのか・・?」
ちょっともったいない。

 軽虎からバイクを降ろし、出発準備をしながら簡単な打ち合わせをして、直ぐ様出発!
とにかく時間が心配だ。


一目で「廃橋?」
と疑う程草臥れている。


瀧岩上橋。初代は明治8年竣工。
この橋は例の昭和8年の改修工事リストに外れている。



その親柱には「昭和7年竣工」とある?
この為、
明治の石橋がどのような経路で廃橋となり
立て替えられたのかは不明である。


砕石所の敷地に向かう水路管とともにしっかりしている写真左手の欄干と、
何も無いのにもうボロボロの右手の欄干
この違いはなんだろう?



管理された林道はここまで。
四角い鉄の箱はどうやら井戸。吹き上げる澄んだ地下水が心和ませる。


  GWに下見の際は採石場の方に残雪があるとお聞きしていたからだ。どの程度か不安はある。
 MRを先頭に砂塵を巻き上げて1キロほど砂利道を走ってゆく。何処を見ても
旧道の面影は無い
採石場の入口わきにバイクを止め、事務所に断ろうとバイクを降りると、監督らしいお兄さんがデリカの窓をあけて用件を聞いてきた。
「奥の旧道に逝きたいのですが、通行していいですか?」
「いいですよ?解ります?」
「初めてなのでちょっと・・、川沿いの奥ですか?」
「そう、そっちのホッパーの奥」と指差指示するお兄さん。
「有難うございます」
「どの位掛かりますか?ここ(採石場)は5時に終わるんだけど」
「2時間程度だと思うんですが・・」
「5時には閉めますから」
「解りました」
 採石場事務所へ走り去るデリカは場内仕様でナンバーがなかった。我々は事務所にはゆかず、そのままバイクに乗って採石場東側を横断する。バックしてくるローダーにビビりながら道成に登ってゆくと、およそ事業所に似つかわしくない古ぼけた橋が見えてくる。

「瀧岩上橋だ」
写真を撮っていると左右を挟むように視線を合わせるお二人。
「あ、写真撮りで遅くなりますから先逝ってていいスよ」
「じゃあ・・・お先に」
 写真を撮っていると遠く軽やかに全開をくれる排気音が聞こえてきた。
「登ってったな」
それは、本気モードの全開音だ。 

 険しい程?。
 ケワシイ ドウテイ       
3

 橋を渡って200m程度の直線は問題ない。


「振り向けば廃道」
・・・・・・
まあ、お約束というか・・・。


轍は2台分しかない。自転車の跡もない。
「07'一番乗りだ」


新沢橋辺りの8段返しを見た後では「これが同じ国道か?」
目を疑う程、こじんまりした山形側。


 
事業所の水を賄っているのであろう井戸からは止め処もなく水が噴き出し、雪解けの地下水圧の高さを思い知らされる。
 相当冷たいのだろう、溢れて川となった湧き水のせせらぎにはペットボトルが冷やされている。ハイキングの知恵だ。

 300度ターンで正面の井戸に背を向けると目前には明らかに廃道と解る急激な上りが目に飛び込む。
 道路中央に荒れたバイクの轍が刻まれる。その先にジムニーが1台停車している。道はその左にターンしてゆく。
「全開だわな」


「栗子遊歩道・・・」
道は藪に消える。
大丈夫か?コレ?

 125ccはパワーに乏しく、車輪に泥詰まりを起こしやすいので在る程度開けて車輪や可動回転部分から泥を飛ばす必要がある。泥濘地なら尚更だ。
 ただ250から比べれば軽量でモアパワーゆえに掘らない・沈み込まないので調子よく走れば侮れない。
 こりゃ追いつけるかな?と思いつつ、あちこちで撮影する。
もう排気音も聞こえない。

 つーか、雑木林になりつつある沢のような林道・・・
いや沢だ!これは!(断言)
「だあって、沢だろう?これは!」

 先週見た新沢橋が別の道路に見える程に、刈安新道側は狭くなっていた。
 大きなヘアピンは確かにある。
 しかしそれは最大幅でも6mを切っていると見えた。

倒木を処理した跡がある。
誰かがみんなの為に出来る事をしている。


実はS字コーナーなんだが。
何だか全く解りません。


(T^T)。 居た!。
このヘアピンから急に道路幅が広く刈
山の法面に石積みが見られる。



昭和初期の擁壁からの倒木。こうして見ると確かに道路幅は6m程在る。
しかし、山形側は予想以上に経線が不鮮明だ。


 法面からの流水はやがて法面を圧解させて道路に流れ落ち、40年の時を越えて樹木が育ってますます通行の困難な国道に変質・・いや原点回帰してゆく。

 木の果て。
 トウボク ハテ     
 4 

 元々未舗装路だけに速い自然復帰に為す術もないだろう。
「フェンス倒壊がなければ、大峠より荒れてるな」
 長さ3m程度の短い橋で沢を越えると、道は一層深く荒れる。
 これは最後まで未舗装化というのが効いている。雑木林を掻き分けバイクで潜り抜けると、不意に排気音がした。
「反対側からSJさんか?」
んな訳ねーから。
 目前から右斜め方向に駆け上がっていったのはSinさんだ。ハンブーがきらりと光る。
追いついた。

 ここまで道路上に障害物しかないと、自然と迂回に時間が掛かり、全体の1/3程でMRはKimiさん達に追いついたのだ。というか、Sinさん手で引いて倒木退かしてる・・・これは土木作業だ。
 反復のヘアピンを過ぎると東南に面して立派な擁壁とその上から落下倒壊する木に遮られる。 この木もSinさんとMRで枝を引き、その下をKimiさんがDFを押して擦り抜ける。

枝を折り曲げ、通路を確保する。
そうした一連の行為が通行の足枷となる。


「押して歩こう」
ここだけは、行きも帰りもバイクから降りた。



「橋がある!」 名称が解らないが短いコンクリート橋がかかっている。

 
順番に枝を持ち替えて引っ張り、3台を引き出すとまた次の雑木林、それを掻き分け前進すると、また倒木となかなか先に進めない。

 KimiさんSinさん両雄も疲れると先頭交代を繰り返して前進する。合理的なコンビネーションだ。
見通しのきく場所に出た。

「栗子山か?」

 やがて大きく前方に栗子山を望む直線に出ると、道はいよいよ枯れ藪の様相となる。
 ブレーキレバーが、デコンプレバーが、サイドミラーが枯れ藪に絡め取られる。


足下の擁壁は8m程ある。
沢を越え、バイクは駆け上がる





擁壁側には排水路がある。しかしすでに本来の機能は失われていた。。
見事なまでに
腐葉土化した路肩をバイクで掘り起こす。


 断続的に続く擁壁が終わるとまたヘアピンで折り返す。
 とたんに足下が泥濘化した。ヘアピンコーナー中央はもはや誰も通わぬ湿地帯と化し、先頭に入れ替わったSinさんは踏み跡に沿って本来道ではないヘアピンの内側を登り上げる。
 しかし2段のヘアピンの中間部分は上から流れ落ちる大量の土砂に絶えられず崩壊した法面ごと樹木ごと道路にぶちまけられ、収拾がつかない。


この改造車輌(TL?TLR?)について、メーカー以外の質問及びクレームは一切受け付けません(爆 
125で登録つーんだから125だ、と言うコトでm(__)m。。

 
MRの零度も続くが、倒木の根本はかなりのヌタ場と化している。250のパワーまかせに突破する。
 先頭がまたまたKimiさんに交代し、DFはそのまま止まらずに登ってゆく。
 2段ヘアピンの最後はかなりRの大きいものだが、ここも湿地帯化して足の踏み場もない。
 コーナーの内側には道路に合わせてかつての排水側溝が在るようだが既に塞がれ、行く手を失った大量の土砂が道路全面を覆っている。


道路中央を流れるのが刈安沢。
この際勝手に命名する。
残雪の兆候はない。逝けるか?

 コーナーの出口付近の山側法面に沢があり、ここから雪解け水が流れ出ている。荒れ具合からこの土砂はここが元凶だろう。いや、道路沿いにも沢が上に伸びている。


疲れたから先(先頭)良いかい?」
「いーよ」


路肩が崩壊し、道幅が半分以下となる。


伝説の廃道に漢達の轍が刻み込まれる。
ふと顔を上げると、雑木林の先に栗子の稜線が!。




最終ヘアピンの一つ手前は、もはや土石流跡
慎重にラインを見極め、エスコート付きで突破する。


何年も前に倒木した木が、土に回帰しようと努力している。
僅かな隙間を縦に、突破を試みる。
二人の斜め上を反復した道路が登ってゆく。


 ここでTLがまさかのスタック。避けて別ルートに進んだ零度もスタックする。埋まったまま倒れない零度を置き去りにSinさんに駆け寄るが、Kimiさんの手助けで無事脱出する。
(腰痛めたので)ち、ちょっと休憩…!」流石のSinさんも堪えているようだ、ついに道路にへたり込んだ。つーか、もはや道路の所在さえ怪しい・・。
(しかも沢の水チョクに顔突っ込んで飲んでるし…)
「飲んで大丈夫なんですか?」



抜けると湿原化した最終ヘアピンコーナーだ。
福島側に多用された「広いヘアピン」は山形側に驚く程少ない。


「上流で糞&小便してなきゃ大丈夫ですよ(笑)」)
「……」
(北海道なら感染確定だな…)

 振り返ると、零度も疲れたのか寝てるし・・・。
「一休みしますか」
 状況から察するに、多分これが最後のヘアピンだ。この先は隧道まで一直線だろう。
 二人が休んでいる間に泥の海を渡って零度を引き起こし、比較的路盤が安定している沢の中にバイクを立てる。

 史上最の穴へ・・。
 シジョウサイキョウ アナ            5

「さ、逝きましょうか。もう目前ですよ」
 三人は改めてバイクに跨ると、藪の先に潜む目的地を目指して走り出した。程なく、視界が開けると目的の「穴」が見えてきた。
「うおーーー!」
年甲斐もなく漢達が吠えた! 
あの「山形の廃道」(管理人fuku様)の所で始めて見た衝撃に身震いする。



ヘアピンの出口は、
「まるでレンコン畑だ!」
押しても動かないSinさんの愛機。


最終コーナー出口は泥沼。
漢起ちした零度も萎える泥濘だ。




























 
何という場所だろう。流石東北屈指の有名隧道、貫禄が違う。
素堀の為落盤し、すでに洞窟になりかかっている、つーかほぼ洞窟の栗子山隧道(初代)、コンクリートと煉瓦で化粧された外壁がほぼ割れ落ち、それがまた異様な存在感を放つ栗子隧道(弐代目)の妙に白い山形側抗口・・。
 まさに峻険な山脈を越える佇まいに圧倒的な存在感を見せる。

「すげえ・・・」
 明治期に開削された栗子山隧道はもはや単なる洞窟である。
 洞内の落石はかなり苔生して滑りそう。トンネルの時の面影なぞ微塵もない。
しかし天井に目をこらすと、確かに無数のノミの跡が散見出来る。この洞窟が人造である証である。
 かなり天井が崩落し足場が悪く、とてもオフロードブーツで入る気にはなれない。



もはや遺構というより遺跡と化している。
万世大路(旧国道13号線)山形側抗口。


「だ〜〜!、なんだあのは!」
左が栗子隧道(昭和9年竣工・二代目)右が栗子山隧道(明治14年竣工・初代)



既に赤煉瓦は殆どが剥離崩落し、見る影もない栗子隧道山形側抗口。
埋め込まれた扁額と崩れ落ちた煉瓦の段差が、通り過ぎた時間の長さを物語る。
抗口の真下にいるのは、もはや自殺行為である。



 続いて昭和初期に改修された栗子隧道に入る。冷気を感じるトンネル内は外と比べて3度近くは低温と見た。
「1年1組・・ハイキングコースか?ここは」


入口に立て札が横たわる。寄せ書きの片隅に2004年とある。

 MRも今度アクリル板で作って置いておこうかな。
「お、コンクリート舗装だ」
「ホントだ」
 しかし目前の崩落を見てギョッとする。天井崩落のコンクリート破片が空中にぶら下がっている光景は不気味である。しかも、双方閉塞しているので、暗闇の奥に光がさす事はない。


トンネルの中、空中に静止するコンクリート。
止まった時間を演出する。
昭和28年にも内部崩落があり、
さらに内壁を厚巻きして補強されている。


崩落した穴を除く。すると・・一番奥が岩盤だ!。
下打ちのコンクリートがあり幕板・H鋼
(*木造支保工の誤り)・コンクリート(無筋)
コンクリート巻き(鉄筋)の順。
岩盤にそって漏水、やがてコンクリートを溶かして緩ませ、水圧により崩落するか?。


「皆さん、よくこんな所に入りますよね」
 この場合の”皆さん”とは(dark-RXさん・ヨッキれんさん等々のリンク先の管理人さん方)
「全くだ」
といいつつ、MRとKimiさんは入ってゆくが、最初の崩落地点で足が止まる。
「怖え〜〜」
「針金でぶら下がってるンですね」
「断面薄いですね〜」
「何か木が見えますね」
「あれは支保工と岩盤の間に詰めて居るんですよ、H鋼の上にあるでしょ」
(*07'11月の来訪でこれは重なった支保工の見間違いと判明。鉄筋などは未使用でした。
 隧道は間違いなく
木造モルタル造である。)
「あー・・そうですね」
「さらに幕板を組んで、その内側にコンクリート巻きしてるんですね」
「二つ小屋は鉄筋無いですよね」
「山形県の方がキチンとしてますよね」
「支保工はともかく、コンクリート巻きのネットはお手製で、針金も妙に細いですね」
「その奥は無事みたいですね・・・」
まるで
「どうします?」と聞きたげな視線でKimiさんが振り向く。
「俺、今日はライト持ってくんの忘れちゃったんですよ」
「ははは」
「スパトラ付きの零度で入って反響落盤はヤだなァ」
「はは、そうですね」
「入洞、落盤部分の確認は他(のHPさん)でもやってるので、そちらにお任せしましょう」
 正直、通過できるなら入るが、ダメな事はいまさらなのだ。
ここは既に道ではない。
今日はトンネルに辿り着く事が目的なのだ。ふたりは抗口に戻ってゆく。




二つの抗口前は広場となっているが、かつて三島神社があったとされる所の沢から
大量の土砂が流れ落ち明治抗口前に堆積している。
もともと、明治抗口と昭和抗口は1m以上道床に差がある。昭和道が掘り下げられた為である。


ネットで見る限り、こんな廃れ方をする廃隧道はここくらいだ。
ところで、
写真矢印の所に
こんなモノが埋まっているようなのだが・・・。



「このレールは何だ?」


 最初にして最大の・・
 サイショ サイダイ ナゾ            6   

 中も酷いが外側もかなりの傷みがあり、外装とも言える昭和初期の煉瓦はその総てが割れ落ちてしまっていた。仕上がりが同じ並びと思われる扁額が妙に浮いて見える。
「随分大きいのも落ちてますよね」
kimiさんがしゃがんで見ているのは要石かその左側部分のようだ。
「危ないなKimiさん、落ちてくるよ
二人で上を向くと、もう何時でも良いよ状態で浮きまくる煉瓦と、僅かに寄り添った右のアーチの1枚に狙われていた。落下場所を見定め、しゃがむ場所を変えて改めて観察する。
「何か埋まってます」
「なんだこりゃ」

いつの間にかSinさんが来ていた。今まで何処に逝ってたんだろう?
(一人で明治の穴の奥に行ってきてました。by Sin)
「これは・・・?」
「レールだな」
「まさか、こんな所に森林鉄道が(爆」
ご愛読有難うございます(笑w
 まるでナローゲージみたいなレールが
隧道抗口の左右一杯に敷設されていたようだ。レールは2連で片方は倒れた状態で発掘された。フラットバーで等間隔に繋いでいるかも知れない、バーに穴が在る事から地面に固定されていたと思われる。
「ん〜、通行止めゲート、いや扉ですかね」
「こんな所に扉?」
「たしか明治の抗口って雪が吹き込まない様にワザと曲げたんですよね」
「へー・・・雪が吹き込まないって、冬は通行止の筈では?」

「猪苗代役場のエントランスにでっかい防雪扉があるんですよ。
 鉄筋コンクリ5階建て庁舎の3階高さくらいだから、高さ9m位、幅3m位の4枚で引き込み式だったかな?」
「(扉と仮定して)自立してたんですかね」
「解らない、文献漁るしかないけど・・?猪苗代は建物にレールが付いてたな?」
「扉と考えて、上はどうしたんでしょうね?」
「わがんね〜」



猪苗代町宅場前の巨大防雪扉。
勿論、冬場の磐梯山降ろしからエントランスホールを
保護する役目がある。除雪も楽だ。


写真矢印の所にこんなモノが埋まっているような配置予想(妄想?)図・・・。


写真矢印の所に埋まっているようなカゲ・・・(妄想か?)。
撮影:昭和38年頃。
あちこち聞いて回るが、今のところ用途不明である。工事軌道の名残という説が多い。
解る方が居たら教えて欲しい。


「左右の擁壁からワイヤーを張るとか?」
「あー、成る程」
「扉はどっかに仕舞って置いたのかな?」
「見た事ないですもんね」
「とにかく冬場は通行止めの筈ですからね、この道路」
「ネットのレポートに何処かで書いていませんでしたか?」
「いや、覚えはないなぁ・・いで!
 一同が首を傾げる頃、バイクの周りには小さなアブやショウジョウ蠅のような昆虫が集まり始めた。Sinさんのほほを打ったのも多分そんな昆虫だろう。
 まさに五月蠅くなってきたので、引き上げる事となった。
 帰りも二人が先行し、MRは殿を受け持った。


 
二人の排気音が急速に遠くなる頃、振り向くとそこには、夕方3時の赤い光を浴びながら、一世紀を超えて鎮座する穴があった。
「またな」
 まるで昔会った旧友のように別れの言葉を言って、その広場を後にした。
 逝きに比べると帰りは異様に速かった。行きは約1時間ちょいだったが、帰りは40分そこそこで採石場に到着した。時計は4時半に届かない。



来た時の3倍のスピードで下ってゆくKimiさん。
あっという間に見えなくなってゆく。


相変わらずの倒木も、もーなれた。


只一カ所、見事に当時のままに残る切り通し。
新緑の緑が美しい、
まさに古道美


事務所で一礼し、不法改造車のみ再び軽虎に積むと、MRとKimiさんは自走で一度福島に戻り、飯坂の某FMで休憩・解散となった。
「こんど、またどこかヤルときはお互い誘いましょう」


昭和改修時のままの状態だろう。
よく残ったものだ。


合い言葉のようなセリフと共に3人はそれぞれの家路を急ぐのだった。

調査日(07/5/12)の状況:
 路面状況は廃道のワリにはやや腐?良、夏にはまずジャングルだろう。
 区間全線に渡って倒木や雑木林化が進行している。一部は道路の体を成しておらず、路肩等の無事な部分で通過が出来る程度。次回も使えるかどうかは解らない程荒廃している。

 最終コーナー辺りの土砂流失はもはや手が付けられない状態。
その下のヘアピンに大量蓄積し、沼と化している。総じて、用がなければ近づかない方がよい。




明治の擁壁を割って生えた山桜が可憐な花を咲かせ、
それは苔生した擁壁と見事なコントラストを見せる。




管理人:あづさ2号様