次の林次の廃道へ。道に進む。

廃道日記(Riding・Report)



交通の二極とも言える道路と鉄道。
こんな山奥に早くも登場した交通形態は
まさに艱難辛苦を乗り越えて今に続いている。
人は
様々な理由で独自の判断から、
この二つの通行形態を利用した。
この道はその二つを支えたかも知れない
古の”Missing Route”である。



菱川林道を経由して国道13号線から大笹生大平地区へは約15分。
沢に橋が架かり、菱川本道と同じ状態なら、もっと短いかもしれない。



ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。

(
キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)006-2


 始めに。
 この解説は、二つの沿革から導き出された推論仮説であり、検証が行われた訳ではありません。あしからず。

(解説文1の続き)
 明治43翌年8月、折からの台風による土砂崩れで第一赤岩隧道(いわゆる7号隧道)のアーチ崩落が起こると、ここから実に2年は路線の改築のため作業員が同地区に滞在する事となる。また高級士官(いわゆる政府役人など)は飯場ではなく飯坂温泉や大滝根宿に逗留した。
 この約2年間、仮設の東赤岩駅からの物資は、崩落の危険が拭えない第一赤岩隧道を通り、人力と馬車で赤岩駅から万世大路の峠を越え、関東に向かう人や物は菱川林道を経由し赤岩駅から列車に乗り換えられたと思われる。
(因みに、経線変更により廃棄された路線をリンク先の「山さ行がねが」管理人ヨッキれん氏とご友人が踏破している。)

 明治44年9月、奥羽本線に全く別経線の新軌道が出来上がると万世大路の通行量は激減し、国道13号はまさに冬の時代を迎える。大正時代を冬として過ごした万世大路は荒れ果て、大平宿などはこの時期一度消滅してしまう。



秘境駅と言われる(らしい)赤岩駅。これがその駅前通り
「私道福島赤岩停車場線」だ!?


 しかしモータリーゼーションの発達は道路を見捨ててしまう訳ではなかった。

 自動車が登場しその利便性が受け入れられると、昭和8年に自動車の通行を加味した大改修が行われた。復活した大平宿に飯場が設けられ、道幅の拡幅(全線幅4m道路への移行)道路経線の湾曲率緩和および経線の根本改良(新規経線)山形側安刈隧道の掘割化、栗子山・二ッ小屋隧道の路盤掘り下げと拡幅・電化(照明が付いた)などである。

 この人員や資材も一部は鉄道で運ばれるが、重量物など福島から自動車で直接運ぶ様になっていて、菱川林道は地元民の連絡道路の意味合いしかなくなってゆき、林道は山ごと王子製紙に譲渡され、菱川林道はまさに本来の姿に戻ってゆく。
 戦後、車の急速な改良と発達は時間を縮め、4連スイッチバックによる運行を余儀なくされる奥羽本線より車は30分も早く米沢に着くようになり、その車の高速化を追うように奥羽本線も単線直流電化・経線改良による高速化・複線交流電化と進化してゆく。



菱川林道から福島市道/安養寺大平線に合流して大平地区にはいる。
橋を渡り、T字路を左折(南)すると、ご覧のようなどん詰まりに出る。
昔、DT125Rで間違って右折したら谷底に落ちそうになった。



 だがしかし、昭和41年に栗子第一・第二トンネルを擁する栗子ハイウエー(現国道13号線)が開通すると時代は完全に車社会となり、宿場も、もはや連絡する必要のなくなった大笹生大平に続くルートは忘れさられていったのである。



右手(西)に二つの道。赤岩駅は左手の下り道である。
(ここからの写真は総てバイクが逆向きです)



何時からあるのか?この手書きの標識は?
既に地名は連想クイズ状態。


この広場は・・駅前駐車場?
実際この先、普通乗用車すら通行が難しい?


●林道赤岩停車場線(仮称)
区間総延長:約2.3Km
       (全線未舗装)
概要
 突入する支線は通常のロードマップに記名がないので、現在通行が可能な林道(だと思う)である。
先に申し述べて置くが、
赤岩駅までの片道林道である。

 駅前林道  4 

 まるで、2本の糸が縒り合わさる様に合流した菱川林道支線2大平線(仮)と市道であったが、振り返って撮影すると大平の部落から主要道路が別れる様にも見える。
 一つは勿論大笹生から福島中心に向かう
市道/安養寺大平線、今来た林道が国道13号に繋がる菱川林道大平支線である。とにかく赤岩駅に行こう。
 集落にはいって最初のT字路にもそれらしい標識はなく、取り敢えず左折すると崖っぷちのT字路にぶつかり舗装が消える。
 左右の道はどれも砂利道である。赤岩駅は右折だがすぐまた二手にわかれている。駅は谷に向かって一直線に下りてゆく方だ。


「これが駅前通りか?」


この様なつづら折れでまさに転がるように下り坂を駆け下りてゆく。!
まるで箱庭化した「ミニ万世大路」



なんと!枕木で補強される林道?
どうせならPC枕木の方が宜しいのでは?

今回のルートはTouringMapple2005.3版に未掲載。(林道表記なし)駅前通りは県別詳細マップルは点線道路区間として掲載。





只でさえ狭いのにこの下から更に道幅が刻まれる。(核爆
スイッチバックか?



実はここはT字路。バイクの前方にさらに幅の狭い山道がある。


ここは激細!下は線路か?
直線の永い下り坂である


途中に待避所はある、と思ったらY字路。
右は旧東赤岩駅への元連絡道である。


 というのが第一印象だが、まあ元々信号所なんだから駅前つーのも何だけどねえ。
今は駅なんだから、

「やっぱ駅前通りなのか?」
 ヘアピンの二つ目は上の写真のような状態で、なにげにここはT字路である。廃伐採道っポイと地図を捲ると、どうも赤岩駅への近道のようだが、どう見てもバイクでは逝けなさそうだ。

 そして、赤岩駅へ。

 そしてこのヘアピン調T字路もここから急に狭くなる。駅への道は転落防止にガードレールが取り付けられ、閉塞間は更に増長している。まずジムニーで来ても一発で曲がれない程のカーブである。しかも雪が降ったら二輪駆動では絶対滑りそうな傾斜だ。実際撮影のためバイクを置こうとするとスタンドが自動格納されてしまう。
この坂も終わり頃に待避所があり、車のすれ違いが出来る。
でも、目の前の崖が変な感じだ?

 そう、待避所とは世を忍ぶ仮の姿?実はここ、スイッチバック時代の引き込み線と待避トンネルだったのである。


「ここは・・トンネルの上だ」


待避所から奥羽本線が見えてくる。本線場には変電用のトラス架線が見える。


さらに待避所かと思ったここは、実はY字路であり、写真右手の雑木林は実は旧東赤岩臨時駅(明治時代の仮説駅)への歩道通路だったのである。
家に帰って「鉄道廃線路を歩く8」を読んで見ると、著者の宮脇俊三氏が歩った道のようだ。

引き込みトンネルの中にはバラストと枕木、レールが残っていた。

「ここが赤岩駅前だ?」
 島ホーム手前がつまり赤岩駅前だろう。バイクで前進し写真撮影する。
当初の予定通り、国道13号から赤岩駅に到着したのだった。

調査日(06/11/23)の状況:
 路面状況は良、バイクで林道に来たと思えば特に問題はありません。
ただ、こんな所誰も来ません。事故には十分注意しましょう。

 
帰りに、現行駅から引き込み線のトンネルの間にある旧赤岩駅ホームに入ってみる。
表示板のない駅名看板、途中から解体された屋根、新幹線用に増設された変電所によって、旧ホームは東半分がなく、ホームの上も盛大に植物が繁殖していた。



スイッチバックの突っ込みトンネル。
写真中央に小さく見える線路は奥羽線上り線。


線路に平行して駅に向かう道は、引き込み線とかつての駅ホーム施設の跡である。


旧赤岩駅は夏草にまみれて佇んでいた。
写真は西側に残ったホームの上。



赤岩駅。流石無人駅、何も無い駅前だ。



旧駅から移設されただろう駅名看板は、施設の中で一番痛んでいた。