林道日記(OFF-ROAD・DIARY)


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。



このContentsは、適当に増殖します。

林道日記(OFF-ROAD・DIARY)073



どちらかと言えば "廃道日記"なのか?
伐採道と言うなら、多少の差異はあっても、まあこんなモンだしなぁ。



完全に廃村となった新宿地区。
二級縣道から外れてしまった街道の悲しい末路を
垣間みる。
さらに襲いかかる放射能汚染が、人を遠ざける。


●やがて人外魔境となる準避難区域の林道群。
 「相馬中村街道」と呼ばれた森に古くからある街道群と、原町営林署謹製の林道群は、原子力発電所の炉心融解事故(何だよメルトスルーって?フザけるな!)に伴う放射能物質拡散がもたらす計画的避難地域の北側外縁に位置する林道群である。
 具体的には今回紹介する新宿地区を核として東西南北に枝を伸ばす林道群、東玉野から真野大倉に通ずる江戸時代の間道である軽井沢林道を中心とした一群、そして前に紹介した真野ダム「はやま湖」の北東部にあるロングダート林道日記060「北ノ入横川線」063「栃窪大倉線」から成る一群である。
 一方、国道114号をメインルートとする汚染区域は原町からの南西の風に乗って放射能物質を飯館村・川俣町・福島市の順に垂れ流され続けている。



新駅から北東へ新宿/坂下、南東へ大久原/胡桃沢。
因みに旧街道&旧縣道二等線は左の道。右(正面?)は高度成長期に作られた林道。


大久原の部落に向かう。
気分はまさに「廃村をゆく」。


大久原方面から見た一枚。
この道は恐らく林道と思われる。
市道の終点、林道の起点が不明なんだよね〜。
新宿林道はピストン、普段通行止めだ。


地図でも確認出来るが、延々と尾根沿いを走る。
冬はいいが、夏は木々に阻まれて景色は見えない。


 
はやま湖のある真野川や上流の真野川渓谷に沿って霊山掛田に流れ込むサブルートもある。
 今回の林道群はそのサブルートの山一つ北側の斜面から頂上付近という立地条件である。20年後に癌で死にたく無ければ、基本近づかない方が無難な林道である。


地図で見た方が判り易いか?
ジムニーの写真の十字路が現在位置。

 
なぜ、そんな道を取り上げるのか?
 どこぞの首相の言う通り、もはや双葉、大熊、富岡町周辺は既成事実として核廃棄物のゴミ箱に成るのは致し方ない事実だ。廃炉と成る原発を含め、避難区域である地区は既に取り返しのつかない放射能汚染が残ると考えるのが妥当だろう。

 
主人公の兄貴を宇宙人の人身御供に某イ◯カンダルから放射能除去装置コス◯クリーナーDの無償供与でも受けない限り、10年から百年単位の半減期を持つ放射能物質が孫子の時代に遺す「負の遺産」となるのだ。



当日はこの尾根区間"倒木の嵐"であった。
道の右側の雑木林が飯館村側、左の造林が玉野、新宿側。


眼下に「はやま湖(真野ダム)」と流れ込む真野川を望む。

 今回、当ページ廃道日記の相馬中村街道は卒塔婆峠ルート(A),(B),(C)各区間がらみと言う事も在り入った林道群を、原発事故以前の状況と言う意味で写真を残して置くべきと思い、個人的にアップさせて頂く事にした。
 前回の林道日記70にて、「当ページ(林道日記)は基本に"通り抜け林道をウプ"が原則だが、今回は未確認ながら「逝けるカモ」林道としてアップしています」と書きましたが、新駅〜大久原〜胡桃坂の通過が確認出来たのでこれはその報告レポです。
まあ、
ほぼ廃道ですが。

TouringMapple2011.3版に掲載無し。林道入口の橋からほぼ全線記名が無い。
TouringMapple2012.3版に掲載無し。林道入口の橋からほぼ全線記名が無い。

林道新宿大久原線(仮称)
総延長:不明
区間延長:5.9Km (全線未舗装)
計測区間
  新宿林道入〜大久原 2.53km
  大久原〜横川林道 3.37km




豪快に2本連チャンだよ、越える位置を確認しながら。


さらにもう一本!。


流石に逃げようが無くて
中央突破だ。
楽しそうだなぁ。

TouringMapple2013版に点線で掲載。広域マップルは大久原まで実線表記だが、横川林道までの区間ルートに表記は一部点線表記すら無い。

概要
 新宿地区や卒塔婆峠など旧街道沿いは明治初期に新たに街道を縣道化する際に「新たに設けられた宿場=”新宿”」時であり、その後中井塚部落のある玉野川沿いに換線を受けるまでの紛れも無い「旧主要地方道」である。
 県道から市道に格下げ後、この道を管理したのは相馬市と言うより原町営林署と言うべきだろう。まさに相馬藩政時代に「御森」と言われた潤沢な森林資源を、日本の高度成長期に惜しげも無く供出した歴史が在る。
 現状を見る限り、例の旧道三叉路からは市道ではなくほぼ林道という状態である。そしてその末端はついに大倉に出る事無く、かつて部落の在った大久原地区を経由して横川林道のある胡桃坂地区に合流するのだ。

 その道を、今回初めて案内して頂いたのだが、タイトル写真に有る通り、
「これって廃道日記だよね」という状態、しかも当日に計測された放射線量が休憩した場所で一番高所が、1.7μsv/h前後と言う汚染区域なので全くお薦めしていない林道区間です。



「T字路!?!」右折は真野側、大倉地区に出るはずだ。(未確認)
我々はそのまま直進して大久原に出る。


大きな窪地の原と言う意味かな?
写真左は大久原で道は少し上を走っている。
林の間に廃屋が見える。

まあ、皆さん楽しそうに走ってましたが・・・?

では、逝ってみましょう。
 新宿林道前の交差点から林道と仮定して大久原線に突入する。
 ここから真野ダムへの分岐までは尾根沿いスカイラインの林道である。前回の林道日記70に雪道ながら詳細なレポがあるので、取り敢えずここはスルーする。
 震災以降初めて入るが路面状況は普通というか並というか?林道としてはニュートラルな状態を保っていた。
ただ、
倒木が多い。
 道端だけではない、林の中でも相当に倒木を見る事が出来た、それは決して植生の問題だけではなさそうだ。



また倒木?。 S老師が左の林から倒木を迂回する。
大久原東側は林道の道幅も広い。



「道が無い?!」(T_T)。。。


この土場で草刈りは終了。
道は刈り残された左奥に・・・?
取り敢えずトツゲキ。

地震で地盤が緩んだ所で冬場の強風という所だろうか?
 尾根伝いは都合3カ所の倒木が道路を塞いでいた。

 これを丁重に躱し、一団は真野ダムのある高倉地区に向かう(と思われる)T字路を直進し,やがて手造り柵とのゲートらしき残骸を越えて行く。
 ここまで割と標高を下げずに来た林道が、このゲートから一気に下り始める。ここも,一昨年(10')訪れた際にはゲートはロープも外され放置プレイだったハズ
だ。昨年直され、再び壊れたと言う事だろうか?謎は尽きない。
 部落が無くなっても草刈りにくる人が居るのだから営林/営農の拠点になっているのかもしれない。



道を追いかける様にバイクは突き進む。


道は尾根深くに入り込んで行く。


伐採道と化した道を行く。
道の真ん中にも木が生い茂る。


先頭が足を止めた!
何かイベントが有るのか?


林道が路盤崩落している。
が、法面から逝けそうだ。徒歩で下見する。

 などと考えていると先のバイクが停車している。どうやら道が無い様だ。
 草刈りされた林道はここで一旦終わっていたのだ。

 例に因って、このルートを走った事があるというS老師が道を見つけ出し、いよいよ騎馬隊は伐採道の様な幅の狭い林道に突入してゆく。
 かつては横川林道に抜けたであろう道はすでに何度となく植物達の楽園となり、道の真ん中には高さ3m前後の杉や松が生い茂っている。
 道路ギリギリまで植林した結果だろうか?思ったより道幅はハッキリしている様だが,それと判るのもこのGW頃までで、青葉が茂る頃にはもう判らないだろう。
 路面状態は車幅こそ軽虎専用だが、良い。かつてよく整備してた感じだ。
 基本赤土に落葉なんだが、一度道として作られて車が走ったせいか?思う程には掘れず、ハンドルもブレーキも利く。ただしイキナリやって来るネコパンチのような枝や竹はやっかいだ。 やがて小さな尾根を越えると、道の右(南)側に小さな沢が現れる。横川の源流の一部だろう。


先頭が再び止まった。
 道が15m程下の沢に、法面ごと崩落している。


リアフェンダーにボルトオンで付くスコップ。ハンパじゃねぇ。

 事前にコレを知っていたS老師はここで轍を作る為にスコップを持参していたと言うから、平成20年頃には既に落ちていたのカモしれない。



イケそうだ!みんなノリノリだよなぁ。


既に経過時間から路盤は安定していた。
樹木ごと落ちているが谷側に樹木があるのは有り難い。

 基本が出来てる強者は必ず一度歩ってルートチェックしてバイクに跨がる。崩れて居る所はもう安定していたが、高巻きしたあと林道に戻る法面の急坂が少々コワい。
 ここは1台づつアタック。崩落の頂点で順番待ちに成る程,慎重に降りて行く。無事通過するといよいよ沢辺リまで林道は下って行く。

 丁度二つの沢が合流するポイントで休憩。成る程,先程の路盤崩壊箇所で仮に滑落しても、この沢で合流出来そうだ。
 沢沿いは放射能値が高そうだが割とそうでもない。



最上段から道路復帰。最後の法面が一番急峻。


崩落頂点の所から谷底を撮影。
木の奥の玉石の所が沢、遠くに眺めると道のようである。
 
 風通しの良い沢沿い、積雪で植物の葉に付着したのも雪と共に落ちるが、雪解けの水もほぼ流れ終わっているなど、空間線量が下がる条件は悪く無い様だ、しばし歓談する。
 沢の水で顔を洗う強者が居たりする、度胸あるなぁと関心。
 まあ確かに空間線量は低いだろうが川底の泥とかは危なっかしそうだ。
 よく見ると、川に降りて来た所までが林道というか道路の形をしている。
この休憩ポイントには車幅らしきものは見られず、これから向かう道程も幅1m未満の伐採道の様だ。
成る程、これは点線表記だな、と納得のルートである。というか、よくまあこんな伐採道を組み合わせた様な道が相双には多い。またその組み合わせを正確に走れるライダーが居る事も凄い。営林関係者でもないのに、まさに「道を知り尽くしている」と言う感じだ。
 再出発すると、思った通りに小さな峠があり、切り通しで道幅が極端に狭まる。一緒に進んでいた沢はその手前から別れて、道だけが猛烈な直滑降になる様相だ。




休憩している。二つの源流の合流点。下の沢に今T師匠のRMXが到着。


沢沿いに下流に向かう。沢から東の道は別な伐採道、
雰囲気が違う。


沢の蛇行に逆らって伐採道は山裾を恋しがる。
さあ,いよいよ・・・。

 案の定、峠の先は江戸時代から在るんじゃないか?と思わせる様な、渋い超コンパクトつづら折れである。

2につづく。


調査日(12/4/29)の状況:
 GWという時期的観点での現状?。
尾根沿いルートはご覧の通り大きく倒木が3本、それ以外は路面状況も良く、道幅も広いまるきり普通林道です。尾根から降り始めると路面状況は変わり、大久原の部落まではやや幅の狭い伐採道的な林道。部分的に軽虎一杯の道幅まで狭まったりします。
キーポイントは大久原部落の先の路盤崩壊、事実上ここが車のデッドエンドです。その先は有効幅1mの細い伐採管理道になります。
ここで見るだけにして現地はスルーが平和でしょう。放射能数値も高いし。



この峠を越えると、後半戦・・。

その2に進む。