林道日記(OFF-ROAD・DIARY)


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。



このContentsは、適当に増殖します。


林道日記
(OFF-ROAD・DIARY)
071



まさかの大震災と
怪しげな原発事故は、
そこに住む人々の
ささやかな幸せを奪うものだった。

この林道に
もう一度轍を刻む事が出来る日は、
本当に来るのだろうか?









国道115号線沿い、入口。 河童の伝説が在る(爆


竣工昭和44年。
この年からこの林道の開発が始まったと考えるのが妥当なのだろうが、
道自体は、江戸の頃からあったかもしれない。


橋の名は「軽井沢橋」。


●やがて人外魔境となる準避難区域の林道群。
 「相馬中村街道」と呼ばれた森に古くからある街道群と、原町営林署謹製の林道群は、原子力発電所の炉心融解事故(何だよメルトスルーって?フザけるな!)に伴う放射能物質拡散がもたらす計画的避難地域の北側外縁に位置する林道群である。
 具体的には前に紹介した真野ダム「はやま湖」北東部にあるロングダートの林道日記060「北ノ入横川線」及び063「栃窪大倉線」から成る一群だ。



渡っているのは本流の宇多川。
この先で軽井沢が合流する。


今日も元気だゲートが熱い。車はここでサヨナラする。
部落の管理者らは鍵を使って慶虎で出入りしている。


のんびり南に向かう。あまり見ない警戒標識?。


法面崩壊はデフォルト仕様。


明治縣道の名残と思われる廃林道。

 これに前回紹介した林道日記070=中井塚林道、新宿地区を核として東西南北に枝を伸ばす林道群である。
 そして今回の東玉野から真野大倉に通ずる江戸時代の間道である軽井沢林道を中心とした一群である。

 一方、国道114号線をメインルートとする汚染区域は原町からの南西の風に乗って放射能物質を飯館村・川俣町・福島市の順に垂れ流され続けている訳だが、はやま湖のある真野川や上流の真野川渓谷に沿って霊山掛田に流れ込むサブルートもある。
 今回の林道群はそのサブルートの山一つ北側の斜面から頂上付近、そして何と南側のはやま湖、大倉地区に抜ける(と思われる?)ルートである。

 20年後に骨肉腫で死にたく無ければ、基本近づかない方が無難な林道であると言えよう。

 なぜ、そんな道を取り上げるのか?

 どこぞの打ち首寸前の首相が言う通り、もはや双葉、大熊、富岡町周辺は既成事実として核廃棄物のゴミ箱に成るのは致し方ない。廃炉と成る原発を含め、避難区域である地区は既に取り返しのつかない放射能汚染が残ると考えるのが妥当だろう。空想科学研究所主任科学研究委員柳田利◯雄教授によれば、地上に舞い降りた放射能体を某放射能除去装置コス◯クリーナーDに吸い込ませる為には、現在福島第一原子力発電所周辺で瓦礫撤去を行っている作業員同様の被ばく防護服に身を包んで風上に巨大扇風機、風下にコス◯クリーナーを配置し、作業員が一列にフトンタタキを持って列び、礼砲一発地面を叩いて放射能を浮き立てて扇風機で装置まで飛ばし、コス◯クリーナーに吸い込ませるしかないという。


「左折、旧街道?!」軽井沢林道は直進です。


左折すると放射能数値が高そうな沢を渡る。
「殿様道(とのさまみち)だ。


それはさておき、軽井沢林道直進。
また西から廃林道、ここは洗掘が激しい。


春先はこういう倒木が多かった。
帰りには車が通れる様に解体されていた。


明治縣道に合流、同化してしまう林道。
ここまで入口から約3.3Km。


 しかも作業限界時間は一人一日3時間というから、この自動化された21世紀になっても未だ人海戦術が手段なのだ、何だかやるせない。
 仮にセシウム吸着装置の側面にフランス語で「あれば」と書いてあると、事態は更に深刻である。
 10年から百年単位の半減期を持つ放射能物質が孫子の時代に遺す「負の遺産」となるのだ。

 今回、街道がらみと言う事も在り入った林道群を、原発事故以前の状況と言う意味で写真を残して置くべきと思い、まだ未確認の所もあるのだが、個人的にアップさせて頂く事にした。
 当ページ「林道日記」は基本に"通り抜け林道をウプ"が原則だが、今回は未確認ながら「逝けるカモ」林道としてアップしています、あしからず。

TouringMapple2011.3版に部分掲載。広域マップル等は林道末端が総て点線表記と成るが、他社地図に拠って精度がマチマチである。
ネットマップ「ウオッ地図」にも掲載されている。


林道軽井沢線(本線)
総延長:6.3Km 全線未舗装
 (国道側分岐より終点標柱まで。
 起点標柱は不明)
支線A(仮称):0.3Km
(終点標柱から土場まで)
支線B(仮称):0.15Km
(土場から路盤流失部分まで)
支線C(仮称):0.5Km
(土場から折り返し地点まで)
概要
 軽井沢林道は昭和44年竣工の橋が入口の国道沿いに掛かっている為、現在の林道もこれを基準に編成されていると思われる。
 旧街道及び明治仮定縣道部分に付いては江戸末期から大正中期にそれぞれ道が普請され使われている。



「現在の卒塔婆峠入口」


最後の西側分岐路、何処にも繋がらないと思われる。あくまで地図上の話だが。


さらに登って行くと広い土場がある。
ここが軽井沢支線の起点T字路だ。


昭和63年竣工となる軽井沢支線。
投げ槍なネーミングだよなぁ。

 それらは古い物で100年を越える道であり、後に作られた林道に上書きされている部分も多い。
 原町営林署管内に於いて木材の輸送方法を森林鉄道からトラックに切り替えたのが昭和37年以降となるが、本道と言える軽井沢林道を昭44年、末端にある軽井沢林道終点の標柱が昭和60年、そして途中にある軽井沢支線が昭和63年と、開削年から見て徐々に開発されて来たと言える。
 そして、最盛期には森の南側にある大倉地区・・・現在のはやま湖、真野ダムを擁する真野川上流の湯舟林道に繋がっていたと推測される。(推測カヨ>俺)



ここが「軽井沢峠?!」林道最高地点はおおよそ海抜580m程度と思われる。


目前は真野川渓谷を擁する放射能が痛い地域。
胸一杯にセシウム吸ってどうする?俺?(T_T)。。。


写真中央上に見える一本杉付近が峠、
尾根先ヘアピンを介して一気に標高を下げる。


峠直下のヘアピンで南に向いていた林道はいきなり東の尾根筋に進路を変える。

では、逝ってみよう。
 国道から200mほど入ると、原町営林署御用達の作業(監視)小屋とゲートがある。廃道日記でも申し述べたが、東玉野地区が管理している様で、鍵が無い限り車はここでサヨナラする。バイクは問題なく、小屋の奥にはこの林道唯一のガードレールと一連の原町森林鉄道の、お約束的ナロウレール支柱の標識が建つ。
 路面状況は極めて良好、一部に法面の怪しい所も在るが問題は無い。
 軽井沢と共に南に登って行く軽井沢林道には終点標柱までの間に西側3本、東側3本の林道が接続されるが、その内東西2本の道は街道と旧県道絡みの林道、廃道である。

のっけからこれらの街道、旧縣道の道が離合するが、本道である軽井沢林道にゆらぎは無い。軽井沢自体はあまり湾曲の無い沢のせいか?直線も多い大味な林道だ。かなりのハイペースで飛ばせるが、ブラインドコーナーの先はご老体運転の軽トラとも限らない、慎重な運転はやはり必要だ。(体験済み)
 林道は沢と共に標高を上げゆく。
 入口から約5.2Kmで軽井沢林道の支線、軽井沢線(どういうネーミングセンスなんだよ?)の分岐点と成る広い土場&三叉路に出る。軽井沢支線は後回しで、三叉路を直進すると、峠と言うか切り通しに出る。



何の変哲もないY字路。
「伐採道の分岐路だ」取り敢えず直進。


登りに転じる、がすぐ下りか?。


おおっと、原町営林署謹製の・・・。


なんじゃ?ミサイルみたいだな?
「テポドン杉?」


わぁ、ハチの巣のマンション?。
怖くて近づけない(滝汗。

 碓氷峠か?などと反射的に考える、イカン!何て短絡思考な・・・?
 切り通しの標高はざっと580m、向きは西南西の方角だが先の尾根は岬の様に途切れ、道は直ぐにヘアピンターンを敢行していた。
 このヘアピンを越えると、道は急激な下り坂と成っていた。
 ひとしきり下ると、林道はY字路を迎える。地形に沿って再び登り始める伐採路と、時折砂利敷きも見られながら、堤状に沢を跨いで対岸?尾根に登り始める林道である。
 ちょっとだけ登って、南斜面の良好な杉林と共に再度下り始めると、唐突に待ち焦がれたモノが現れた。
なんと!終点標柱である。
「昭和60年・・!」
 どうやらこの辺は、昭和最後の植林地だった様だ。しかし圧倒的に人員が足りないのだろう。間伐の手が足りては居ない。


終点標柱。正面入口から6.3km。
傷みは激しい。

 終点を過ぎても道が続いているので、例の如く行き着く所まで前進を開始すると、わずか300m程で終点土場が見えて来た。
 殆ど枝の無いミサイルの様な杉がそそり立つランドマークタワーである。テポドン杉とでも言おうか?
「なんじゃこれは?」
その樹には恐らくキツツキが開けたであろう無数の穴が開いていた。よく見ると枝が折れた部分も穴と成っている。穴の中に恐らくは熊蜂と思われる黒くでかい蜂が出入りしている。その3m程下の穴にはミツバチの様な別な蜂が・・?
「BeeTreeって所かな」
夏に成ると壮絶な所になりそうな予感だな?とちょっとビビリつつ、バイクを停める。

 普通車が10台は停められそうな広い土場には2本の枝道があった。地図を確認すると、一本は地図にあり、それは今通って来た山脈の尾根を平行移動して行く道だ。地形的には土場を介して東にターンしてゆく道である。
 もう一本は地図に無い、想定外の道で、道なり直進で真っ直ぐ山を下りて行きそうだ。
 距離の整理上、終点から土場迄を区間A、土場から地図にある東ルートを区間B、地図に無い道を区間Cとする。
その上で土場から先の2本の道を見比べると、Bは浅いダブルトラックが刻まれた道だが、夏場には恐らく凄まじい薮に包まれそうな、近年使われた形跡がない道だった。
 Cは、Bに比べて明瞭な仕様感があり土場が無ければ、或いは地図を見なければ、直進の道が本道と思う線形で、東南東に下って行く道だった。



一応
左コーナーなんだが土場となる広場。写真正面が軽井沢林道本線末端"B"区間
この撮影位置が
「地図に無い枝道"C"区間」



末端"B"区間、突入!
車が通った跡は在るが、遥か昔の様だ



イキナリ最終回!
影に成っている部分は路盤が流されて無い。

 早速、Bに突入するが、僅か100m足らずで道が沢に押し流され、その先は道そのものが不明瞭となっていたので引き返す。
 そのまま、Cにトツゲキすると・・?
「タイヤ痕だ!」
エンデューロタイヤとおぼしき轍が明瞭に残っていた。イヤイヤイヤイヤ、もはや明瞭つーか、昨日か今日朝方に通った跡だろ?これは。
「え?繋がるの?」
 真っ直ぐ下った道は尾根の突端でヘアピンターン、高度を下げるままにさらに進路を南南東に向けると、丁度植林の分かれ目であろう尾根筋を素晴らしい急角度で、まさに一目散に下って行く道筋だった。慌ててニコ改を停止させるも、
急角度過ぎて滑り落ちて逝く!。
「えええい!ままよ!!!!」
 とっさに左側の樹にフロントをぶつけて、ようやくTTRは停止した。バイクから降りようにも脚が届かない。(笑
何とかここでバイクを回す。
「うわぁ、降りて逝ってるよ」
 MRの逃げ腰を尻目に、轍は延々と下り続けていた。地形から尾根先に降りた場合、真野川渓谷に出るハヅだ。



「地図に無い枝道"C"区間」に突入 ! !


調査日(11/4/24)の状況:
 この日は卒塔婆峠がメインだった為に、軽井沢林道は確認走行。
軽井沢林道軽井沢支線の分岐点迄を確認する。
 倒木等が散乱する場所もあったが、通行に支障をきたす程ではない。またその様な路面状況も無く、クリアな林道という印象。
 この日は結局、接続する枝道を取り敢えず行ける所迄逝くピストン走行を繰り返す。

調査日(11/5/5)の状況:
 前回イけなかった本線末端部分と支線に入る。路面状態は良好、
悪化と共に終了の一言に尽きる。(笑
 末端部分は何処もか細い植林道なので高低差が大きく相当危険だ!電力鉄塔管理道と同レベルの高いスキルを要求されるルートであり、通る車も皆無なので自力脱出出来ないと思うなら入るべからず。また、尾根沿いのスカイライン部分や馬の背も残留放射能が高い可能性があるだろう。


おお、逝ったきり!。
往復した足跡じゃねーよ!。


うっ1?何かいいカンジ。


傾れ込む様にヘアピンを廻る。

 そして、TTR改は本日のメインイベントとも言える軽井沢林道「軽井沢支線」に向かった。



延々と続く真野川渓谷への「脳天逆落とし的 激烈ダウンヒル」
立つ事も難しい傾斜を、先人は無事下の県道まで出られただろうか?



軽井沢支線へ。