プロローグ

東日本震災と原子力災害から3年。
 原町市や川内村は、未だ住民の多くが避難先での生活を余儀無くされ、住宅地以外の除染は進んでいなかった。当然、県道などの基幹道路も除染の手は行き届いていないし、山岳地など何時になるか分からない程だ。























 
戦後昭和三十年代、相馬藩御用達の森林は戦時中の乱獲伐採の時代をこえて、戦後の庶民の生活を支えていた。
 
アイヌ語由来の地名は明治維新間も無い頃に北海道に移民開拓に従事した旧相馬藩の子孫が相馬に戻って新たに御山を拓いたからとも、国有林を借り受けた地主が北海道出身者とも言われるが、真実は定かでは無い。
 昭和5年に敷設された原町森林鉄道新田川線は、それまでの馬場線のような伐採した森林資源を日本鉄道原ノ町駅に輸送するだけでは無く、新たに発生した電力重要増大に伴う発電計画に準じて企画された軽便鉄道である。その後支流の比曽川にも支線を増やし、延伸してゆく。鉄道は木材は勿論、ダム建設資材や機器類、隣接する川内村への生活物資や人も運ぶ一大交通路となってゆく

また、戦中は鉱山の為のトロッコ鉱山列車に仕立てられていた。
 
新田川線の左右には同じく新田川を挟んで石神鉱山と高ノ倉鉱山の鉱床があり、一時は川を挟んで双方に軌道があり。石神選鉱場には双方を繋ぐ索道を新田川に渡して鉱石の運搬を行っていたという。

何故ここでこんな事を書いてんの?
そんなのマエフリに決まっているじゃん!という訳で、2014春のツアーは当初、原町森林鉄道の道を巡って、県道12号八木沢峠に新たに出来るトンネル開通を前に旧道も行ってみようという企画であった。
さあ行ってみよう、いいささか線量に不安も在るが、あの森へ。


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。

また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。





2014"Springtime"Tour「原町森林鉄道」



「野手上ダム周辺地図?!」
当日は一つ北側の尾根から入る。
(Photo.2014.2)


 また、あの森へ。 1

 
某川俣高校前のセブンには次々と参加者が集まってきていた。
 遅い朝食を軽めに食べて一服すると今日のコースを軽く説明。県道12号を4台のバイクが列ねてゆく。
 ここは2年程前に過積載のトラックが大事故をやらかしたところで、すでに激坂になる前の準備運動的登り坂になっていた。地名で言えば、水境の峠は狭くきついヘアピンが知れた峠道だったが昨年(13’)やっとバイパスが完成し、高速S字コーナーとなって立ちふさがる。



林道は途中から山道と成る。歩道も兼ねるが、勿論歩く人などいない。
(Photo.2014.2)


管理する人など避難していないが、
思った以上に綺麗な路盤。
(Photo.2014.2)

 峠を上がればあとは比較的高低差の少ないコーナーだけだ。国道399号線との供用区間を過ぎると、低い峠をこえてトンネルに入る手前に「野手上ダム」の標識を確認する。先頭のおぉじぃ氏が進路を慌てて右折、続いて左折と二月に一度来ているのにすっかり道を忘れているMR、大丈夫か>俺。
 そんなこんなで人影ない民家の前の道を進んでゆくと、途中から道は遊歩道になるが、もはやハイキングに来る人すらいない小径を越えてゆく。
 途中、野手上山山頂に向かう道も、足下に足跡は無く、静まりかえる山肌に軽やかにエキゾーストだけがこだまする。



「いい感じだよ」ほれ惚れするね、この線形。
(Photo.2014.2)


野手上の坂を下る。
(Photo.2014.2)

幾多の倒木を越えて、やがて4台は野手上ダムの妨堤部分に辿り着く。
 普段であればこの時期、ダムには釣り人が居るものだが、ここにも人影は無い。まあ、沼の底の泥はきっと何十万ベクレルの泥濘が眠っているのだろう。水が在ると言う事は遮蔽されているということだろう。


野手上ダムのダム本体側にある比曽川巡視路。
エンド付近ゲート。
(Photo.2007.3)



「通過」写真後ろが野手上ダム(ダム本体)
難無くゲートを抜けて、比曽川巡視路に突入する。




これが、原町森林鉄道
新田川線、比曽川支線の道床だ。
車道化に当たり50cm程度の拡幅を受けている
と思われる。
(Photo.2007.3)

 改めて写真を撮ると、四台は比曽川の林道ゲートを摺り抜け、助常林道に向かって走り出した。
 このゲートは、なぜか一部がふさがっておらず。名目上"私有地に付き通行許可を"と謳っては居るものの、実際には緩い規制と言えるのだろうか?(
あくまで個人的見解ですが、廃)。
 
車を入れない為のゲートは、この道が森林鉄道所以の屈峡路の為である。実際バイクはともかく、軽虎も曲がれるか怪しいコーナーも在るからだろう。
 
 
まずは、走り出した順番に御紹介しよう。
 先頭は
BS選手と溶接BJセロー225、二番手に最終型XR250のS君が張り付く。そして当ページの常連おぉじぃ氏のセロー225が付いてゆく。
 最後に写真を撮りつつ
KLX125のMRが独り別次元のトロさで後追いしてゆく。この四台のうちセロー2台は今日始めての林道であった。



比曽川巡視路にある石神発電所取水施設。ここにも遊歩道が在る。
そして工事現場でも在る。

(Photo.2014.2)


工事名「石神発電所比曽川巡視路」法面本復旧工事(災害)
当初は期間H26年3月末日とあったが、既に27年に延長されていた。
(Photo.2014.2)



いかにも林鉄らしい傾斜の少ない直線路。
というか断続的に続く橋。

(Photo.2007.3)

 実はこの道、東日本大震災の前後から崖崩れなどがあって、通行に支障を来していた。
 当HPでは2010年にも一度走っているが、崖崩れをバイクで越えたのもこの比曽川線だったりする。

 震災以降は発電取水及び配管設備の破損漏水や、管理道の修繕、崖崩れ防止ネットの補習や追加と一向に工事が終わらず、現在も工事が続行されていましたので、この日も通れるかどうか不安だったが、何とか通れた。
 しかし、野手上側のゲートから車が入った跡が無いので、工事車両は助常林道から出入りしているのでしょう。

 
さらに進んでゆくと、かつての発電施設があったと思われ、唯一比曽川を対岸に渉れる歩道橋が架かる所にやってくると、ああ、工事の現場事務所や仮説トイレがまだあります。



普通電柱がこんな折れ方するかよ!
高い位置から猛烈な力を受けて、てこの原理で折れたんだろう?


土砂崩れか!見事に薙ぎ払われたワイヤー型ガードレール。


落石注意の看板の手前で崩落。
道路下に3t位在りそうな岩石が落ちてる。


震災前に建てられた標識。
これで路線名が確定した(笑w


 でも通行止めにはなってないみたい。既に先の三人が抜けているのでそのまま進むと、その先は驚くべき光景だった。
なんと電柱が倒れてる!一本や二本ではなく、電線に繋がれたままにドミノの様に倒れていたのだ。
何か橋の欄干も倒れたり大きく傾いているようだ。

 ドミノ倒しの様に倒壊する電柱をよく視ていると、脇で支える岩盤に打ち込まれたアンカーが抜けたり外れてしまってる!
 もともとこの電柱、かつては木製だった電柱が虫食いで外れ、残ったコンクリート台にコンクリート電柱を当て込んだ物が多い。それ故深さが浅く為に倒れるのでは無いだろうか?
 
いやいや、電柱の一部は穴とかに関係なく途中で折れてるのもあるぞ?。
何か別な理由の事象で折れたのだろう。電柱に付いている電線も一部は新品に交換されているようで、倒壊後に電柱はそのままで電線だけ繋いだ「応急措置」にも見えるぞ。

 
さらに!ガードレールがまるで飴細工の様にひしゃげているでは無いか!




三叉路を新田川線に移行!いよいよ本線に突入する。



落石注意の標識。法面側はほぼ垂直である。
(Photo.2006.3)


新田川第四隧道(仮)
竣工昭和5年から変わらない素堀の隧道だ

(Photo.2006.3)


 反射的に山側の崖を見ると落石や倒木が、そこそこ大きな規模で崩落しているのが判った。
 沢沿いには鉄砲水とおぼしき流水跡が幾つもあり、それは一直線に比曽川のガードレールをなぎ倒していた。
 
流石に2010年頃の崖崩れは撤去されていたが、他の壊れ方もハンパ無いモーレツな壊れ方だ。

 やや遅れてMRがいつもの分岐点に辿り着く。先頭の二人は道が判らないので小休止と言ったところだ。

 想定外の? 3

 三叉路の右折側は比曽川を渡り本流である新田川に沿って助常林道の落合橋に向かう連絡道である。三叉路正面(やや左折ぎみは新田川の本流と共に北上する新田川巡視路だ。 
 助常林道から右の連絡道路を介して正面の新田川線の末端までゆくのが、
昭和5年敷設の原町森林鉄道新田川線、本線である。

 先頭が仕切直し、再び本線側の新田線に走ってゆく。新田川の地形に合わせて道床を続けてゆく。比曽川線と比べても損傷が少ない新田川線、一部に道路末端の手摺りが鉄砲水で倒されている。
 それにしても、初めての道でこのハイペース!流石だよな、先の3台は。
 やがて断崖絶壁の先には素堀のトンネルがある。



取水口の広場に到着、新田川巡視路の終点。


対岸には送水路橋。ほぼ判らないが………。
その上には!。森林鉄道の路盤と橋の橋台がある。


 
路線上5つ在ると言われる、ここは新田川第四隧道と言う事になろうか?。
 隧道を越えて倒壊したかつての鉄道の橋台や発電所の取水口を眺めつつ三度橋を渡ると、そこが終点の発電所の取水場である。
 ここでヘルメットを脱いでの休憩となる。目前の沢には現在導水管の橋がかかっているが、かつてはその7m程上に森林鉄道のトロ軌道の木橋が架かっていた事は、参加メンバーは知らないだろう。
 2007年頃に一度XLR250でトツゲキしているが、先細りの道でとん挫した記憶が在る。
 いやいや!今日のKLX125なら行けるんじゃないか!


情報交換に余念のない参加者。



ここも薙ぎ払われている!。
切り立った手彫りの法面。その上から突き抜けた土石流の仕業か?。



「落合橋」巡視路のゲートがあり、T字路の先は助常林道。
(Photo.2007.3)


 などと一瞬血迷ってみたりしたが、どの道先の橋はとっくに崩落してコンクリ橋台しか無いんだから!と自分をなだめて見る。

 そんなMRの葛藤はさておき、話題は橋の手前の階段を登って小さな峠を超えると、今日入山した起点に戻るという話で盛り上がっていた。かつてあの階段を見たSJ氏こと”こんちゃん氏”が語った一言がBS氏から飛び出した。
曰く、
降りられるんなら、逝けるんじゃないですか?である。正直、MRは地図確認と、当時のハイカー情報で接続を確認しているだけなので、この話は情報提供のみとさせて頂きます。(笑w
 階段は無理でもこの辺の土手から…などと、目は本気モードっぽい。
取り合えず一度助常林道まで戻り、上の冬住林道まで登ってゆく事とした。


落合橋から先は、カオス。

倒木2連チャンから始まる混沌空間、振り返って撮影。



 
 退廃。 3

 再び4台は新田川を南下し、先ほどの三叉路で左折、今度は比曽川を横断して落合橋に辿り着く。森林鉄道時代は最も急な直角コーナーだったと容易に想像できるT字路は、この落合橋が架かった頃には木材を運んでいなかった筈だが、定かでは無い。

 ここには電力が立てた簡易ゲートがあるが、バイク用にガードレールの間にアキがあり通過する。
 足下を見ると、成る程!沢山の軽虎や小型トラックのダブルタイヤ痕が残っていた。 
 だが、楽しい林道ツーはココ迄の様だ。橋から北に向かう助常林道の支線と思われる境沢支線(仮)は
ものごっつい事となっていたのだ。


「うわぁ、狭っ?」
誰も通ってない、誰も管理していない。


「木ごと法面崩落 墜落!!

と言うか一種の土石流?木の残骸が"流れ込んで"いる。


「倒木のワンダーランドに迷い込んだ様だ」


 橋から先は明らかに"混沌(カオス)"だった。
 すでに法面の小規模崩落で降り積もった砂や砂利もすっかり雑草達のアイランドと化していた。
そして凄まじいばかりの倒木の嵐である。 まさに「倒木道場」の趣。
 倒木を乗り越え、潜り、迂回して進むと落石や路盤欠損、心休まる暇が無い程だ。

 先頭のBS選手やおぉじぃさんは躊躇なく適格にラインを見定めて切り抜けてゆく。体もマシンもちょっと大きいSクンはちょっと腰が引ける感じだが果敢にチャレンジしている。


こういう時の進路を嗅ぎ分ける力が凄い
先行のお二人。
野性のカンに経験的選択を加えて尽き進む。


「よっこいせ!」誰も処理していない、その酷さ。



ああ、「警笛鳴らせ」が!。
綺麗に残った路盤に、間もなくお休みになりそうな標識。


 そんな3人をフレームに収めて殿のMRが追い掛ける。
 
 
震災以降、恐らく一回も営林署は入っていない。
 いや、発電所の補修と言う件が無ければ、恐らく助常林道には誰も入ってこない。つーか入り口付近の地域は昨年秋まで帰還困難地域だったんだから、そら入れないわな。
 多分に、比曽川巡視路の工事に入った作業員らも線量測定ペンダントを持たされたのであろう。
 なのに!何故か我々より先にここを味わってた先駆者の



ま、もともと傾いてたんだが、
その廃れ具合が良くてね。

(Photo.2006.3)


「おお、廃道みたい」
つーか、現時点で落合橋から先は廃道だな。(爆


「事実上の車止め」
この石が決定打で冬住林道から車が降りる事が出来ない。(爆


轍が在るんだから困ったもんだと言うか凄い事である。

 境川の上流付近になると、流石に植林も少ないせいか倒木も少なくなり、また岩盤モロの地形故に割と林道がシャンとしていた。
 だが、震災の揺れは健気に立つ標識達には堪えた様だ。
 なんせ使われる支柱は森林鉄同時代の忘れ形見のような軽レールばかりである。しかもほとんどヨーロッパからの輸入品なのだ。
 今後はこれらの標識の生存率が気になる所だ。



震災時に倒れたと思われる木。



廃道レポ2007「原町森林鉄道を逝く」
旅レポ2010「春ツアー、原町森林鉄道」


こんな大木がボッキリ逝ってる。片付けも大変だろうね。


 幾つもの倒木を終え、我々は北に向かって林道を登ってゆく。この飯樋川の支流である堺沢の部分は森林鉄道由来の助常林道にあって林道化工事に合わせて延伸した区間であると思われる。それ故、トロ軌道より遙かにきつい傾斜で山に登っている。機関車の入線が記録される新田川本線とは生まれは同じでも育ちはまるで別である。

 その林道も、いよいよクライマックス!それまで堺沢の右岸(東側)を走っていたが、沢を渡って切り通しからヘアピンで一気呵成に標高を上げ始めていた。
 所々に現れる造林地区は勿論、沢風の影響なのか雑木林でも倒木が折り重なる林道上を登ってゆく。



まあ倒木も確かに酷いが、
車で引っ張って
退けたり木を切れば通れるだろう。
でもあの岩石は2t以上あるな?、
あれは重機でしか動かない。


そうは言ったものの、切って捨てるも大変な倒木地獄だぜ?


 林道は完全に笹薮に覆い隠され、路面が見えない。更に言わせて頂ければ、今年も車1台通って無いのだろう?砂利に残るトレッドパターンは2〜3台のバイクだけの様だ。
 それにしても標高を上げてからの倒木は中々にアグレッシブな折れ方だ。それはまるで竜巻にでもあったような捻り折られた印象すらあった。峠の直前は見通しの利く所だったはずだが盛大に繁殖する藪が両側から襲いかかり、道幅は半分以下となっていった。
 そして山のてっぺんに祭られる大送電線鉄塔が見えると、唐突に路肩の雑草は遠退いて視界が広がり、ヘアピンの真ん中に接続するこの道と、かつての土場とおぼしき空き地が、先程の大鉄塔に見下ろされて在った。
思ったほど離
されていないようだ。



「問題の分岐路」
20年信じて疑わなかった事実が!今日知れ渡る。


バラ坂林道に突入してみる!
(廃道日記へ)



●東北電力新田川巡視路(一般車通行禁止)
 
区間総延長:2.22Km(全線未舗装(片桟橋等橋区間はコンクリート舗装))
●東北電力比曽川巡視路(一般車通行禁止)
 
区間総延長:3.05Km(全線未舗装(片桟橋等橋区間はコンクリート舗装))
●助常林道(境沢支線(仮)ほか
 
区間総延長:15.4Km(落合橋以北区間:約5.61Km/全線未舗装(部分廃道))
調査日(14/05)の状況:

 管理者が居る居ないで相当明暗の別れた道路環境でした。
 特に落合橋から北側の「荒廃区間」手がつけられない惨澹たる状況ですね。しかも林道整備、除染とまるで時間の読めない現状です。
無論線量も至る所がホットスポットそうで怖い。長居は無用な区間です