廃道日記(Riding・Report)

時を遡ること2014年、春・・。

助常林道、冬佳林道合流三叉路。
その道、除染未定にて。




前回までのあらすじ はこちら。

廃道日記34「所属未確認ノ軌道、"バラ坂線"」 






 ここまでのあらすじ。

この日、午前中に
旧原町森林鉄道の比曽川線と
新田川線を走破した4台は、
助常林道延伸部の境川へと北上し、
冬住林道との三叉路に辿り着いた。

その先には、
想像だにしなかった
あの道が、
ひっそりと埋もれていた。


本当に、ひっそりと。




 伝説の路線。 4

 90年代末、MRがまだ92'DT125Rで初めてこの助常林道に来た頃、この合流点で休んでいると、バラ坂の方からやって来たXLR250Rのライダーと話をした。
 
当時、バラ坂林道は既に地図上点線表記で歩道と判断したが、そのライダーは県道12号線のバラ坂(県道267小高線三叉路)から来たという。
 危険なルートなので行かないほうがいいと釘をさされたが、取り敢えず土場まで行ってみる。
 すると、ぐるりと背丈ほどもある雑草の真ん中に、扉を失った戸口のようにバラ坂に向かうと思われる道が続いていた。
その足下には複数のオフロードタイヤの痕が残っていた。その先は2m程下がった沢である。

 

助常林道、最終土場付近。ウチの圭子ちゃんの奥に!。


 「成る程、これは上級者向きだ」と思って引き返した思い出がある。

 そんな訳で、当日は弁当持ちで雪崩れ込んだ我々4台は、あの時と同じ土場に辿り着いた。一回り小さくなった感が在る土場は、やはり震災以降は林業関係者が整備していない為と思われた。
 まあ。助常林道境川区間があの大荒れ状況なのでもっと酷いのかと思ったが、接続する冬住林道から車がはいっていっているのだろう。
 バイクから降りて正面の茂みを探すとその先にある沢と、そして渡河の為のスロープがあった。
スロープの入口にここ20年来判るはずもない物を見つけた。
「助常林道、終点」
 この土場が、助常林道の最終土場であることが確定した瞬間である。


助常林道終点標柱、
初確認。
年数不明。


段差を降りると沢。
沢向かいに道が二つある。



そして渡河。



 少なくとも。MRは先程の冬住林道との三叉路が助常の終点であり、通成から言ってもここは冬住林道の終点と思っていたからだ。


 助常終点の先に。 5

 
川を渡るために、まずはその前後にある倒木を撤去する。
 そして、順番に突入。
助常林道から延長したような車道は東に向きを変えるも日向で、すでにプランター状態である。





 もう一本の杉林に突入するルートは間伐作業道の風体だ。
そのまま進む。
 

 先頭が様子見している。
普通なら伝い歩きするような所だ、どうする?。
 幸い今回は台数もいるので行けると判断する。

 踏み跡と共に道は続く。
だが既に道は法面と同化し、或いは沢の一員となって幅員を減らしていた。
 最小幅はざっと15センチくらいか?下の沢まで8m位だ。
気にしないで走れ。



「ああ、やっぱり・・・?」




 
先頭が倒木に引っかかって転倒、というか墜落。
辛うじて助け上げる。
 明らかにハンドルに当たるのに何故行けると思ったのかは不明。
「イェイ!」
どこからともなくT師匠の声が聞こえる


 バイクは逆方向だが、このBS選手の谷(今回命名)を越えると、東北電力の鉄塔案内板が現れ、道が二股になっているる。向きは南向き、縣道側から登る向きだ。
これは繋がっているのでは?




 前進再開、慎重に下ってゆく。この辺は幅1mを割り込んでいる。
でも皆さん目はランランに輝いている様子(笑w。




 倒木が多い。迂回しつつ進む。先頭のBS選手は難なく通り過ぎるタスクも、後続の三人には手強い。



 ここで新たに電力案内板。
だが今度は北向きだ、自信がゆらぐアイテムだなぁ。
 でも道幅はいわゆる電力幅(約1.1m、ギリギリ軽虎幅)が確保されている。。


 そして再び倒木越え。数本の倒木が折り重なる様に倒壊している。定石通りに足で下見。
 ルートを探しながらバイクで進む。



 可能な限り、倒木はそのままで越える。それが出来なければ迂回する。
 この後、土場を一つ越えて沢筋の合流点を越えてゆく。

 写真に誰もいないが、ここで昼食。時折小雨がぱらつくが、森の中は雨にも当たらず快適。
 今更ながらに残留放射能を心配してみたりする。セブンのおにぎりが激烈に美味い。

 窪地のS字を下ってゆく午後の行程が始まる。



「ふたつの沢が合流する?」


「同時に道も合流?」正面に道?そして沢。


「三叉路だよね?」今見ると、ここってボタ山っポい。


「続いている」道が細い、鉄路道並だ。
横に流れていた小さな沢を越えてゆく。



 窪地のS字を下ってゆく午後の行程は、三叉路と渡河で始まる。
ここから!道の様相が変わる。

 二つの三叉路、
 そして・・・。
6

 自動車の入る車幅がこの辺にはない感じだ。
 無論鉄塔管理道が、必ず車道企画と言うわけではないが、歩道か、それに準じる道幅だ。
そして渡河。

 と言っても沢を乗り越える程度の小さな物。完全に遊歩道レベル。でも何か変。
 道というより小さな沢のようだ。一部にぬかるんだところもある。倒木も少なくない。
  随分、真っ直ぐではないかい? と、
突然広い三角形の広場に出る。



「まだ、続いている」写真左に一直線に下る道。
写真右奥は小さな峠で電力の鉄塔管理道の様だ。


「鉄塔道の分岐点がある」Uターンする管理道。


見覚えある風景 2段に誂えた道がある、渡河か?。


「何だこの石垣は・・・?」


「これは・・・?」


「橋台・・・?」

 土場だろうか?林道は僅かに左に弧を描きつつ、異様なほど直進に固執しながら進んでいる。

再び渡河が現れる、そこには思いも寄らぬ原風景があった。
「橋台」である。
随分長い、差し渡し12mはあろうか?対岸の橋台は流失したようで、僅かに石墨が残る。
上がってみると、普段の原町森林鉄道ベースの1m幅の橋台である。



「林鉄の橋台か・・・?」


「デカ・・・?」

クリックで別画面にて動画再生。
渡河 1
渡河 2
渡河 3


 その先には、延々と道が続く。
その規模から森林鉄道なのは間違いなさそうだが・・?。



 法面が大分落ちてしまっているが、踏み跡もある。


 軽自動車ギリギリ通れない幅1.1mの幅員。スタンドが立てられないよ。


 相変わらず惚れ惚れする様な所に軌道を造るな。一部粉砕されてるけど。


 人造のはずが天然の要害と化している軌道跡。


 さらに軌道は続いてゆく!。


 廃線路の末端へ。 5

トロ軌道があったと言うのか?こんな所に?。
 橋の無い「バラ沢?」を渡ると、そこから先は手つかずの「廃線路」が続いていた。
 次々と姿を現す遺構。その路線幅と雰囲気は助常林道の最も若い路線である新田川線に似ている。
新田川巡視路となった落合橋の所の後半区間ではない、「山さ行がねが」管理人ヨッキれん氏らが鉄橋渡りやトンネル尾根越えをした、スタート区間と雰囲気がそっくりなのだ。
目もくらむ深い谷の足下には2段の高い路肩要壁がある。
道幅は本当にトロッコサイズの狭さだ。時折試すように倒木や落石で塞がれたり流失したりしているが、決定的な場面は何故か無い。
そして切り通しや 橋(
2 の出現。
「繋がっているのだろうか?」
誰もが口にしないが、どこかでそんな兆しを受け止めていた。GPSで見ると。もう殆ど目と鼻の先だ。
しかし、残念ながらここで道が崩落と思われる路盤流失で、引き上げることとなった。GPSで時間距離約500mくらいか?



「上部石垣ハケーン!!」さらに・・・


「橋台その2か・・・?」


「こんな感じかな・・・?」左は普通に沢の石。
おぉじぃ氏は落橋に打ちひしがれたンじゃなくて、倒木を切断中。


「うおおお、路盤消失か・・?」


「林鉄の石垣 2 か・・・?」


「良く残っていたな」


「路盤消失?」




「あれが林鉄の路盤か・・・?」


「原町林鉄の十八番である、
巨大木橋落橋か?」



「林鉄に愛された漢しか立てない?」
神の玉座だ。


 
終わってみると、最初の橋台が出現した後に、それまで路肩にあった物が登場しなくなる。そう!あの鉄塔管理標識だ。

 さて、
 このトロ軌道らしき作りの謎の道は林鉄なのか?手持ちの資料やコピーにバラ坂に路線敷設の文字はない。
 あるいは鉱山軌道という可能性も拭えない。
助常線が林鉄由来なら峠を越えて来ているのか?
 いやいや、新田川線が現在の落合橋を越えた記述はないし、大体伐採した木材もそのまま縣道12号側のバラ坂地区に降ろした方がマシだろう?。
当時ならそのまま鹿島駅に持ち込めただろうし。
 また峠を越えた形跡はバラ坂側にはない。
人力か馬でトロッコを引いて、北側の縣道から出し入れしたと見るのが妥当だろう。
 最上流の沢の橋台、その先にある沢の合流点当たりが一番上の土場ではないだろうか?少なくとも、鉄塔管理道があの三角土場から鉄道軌道と分岐するのは間違いなさそうだ。或いは、バイクで通過というセンだけなら可能性がありそうではあるが。

 どっちにしても、縣道側の橋も落ちているので、約1Kmは単車による遡上不能と言うことだろう。

調査日:14/5/5の状況:
 ナチュナルに通行止めゲートあり。
ガイガーカウンター持ってくるの忘れた。人が通る事は無いだろうから、準備は万全に。

コメント:街道Web、管理人tuka様より。
 バラ坂線について、当時の掲示板に来場した方の書き込みをご掲示頂く。
 一部に、助常林道や縣道62号町境区間のトロ軌道が示唆されるが、バラ坂に関する書き込みはない。tuka様は石垣の古さに注目、森林軌道黎明期の軌道跡を示唆しているのでは?との事。例えば、馬場線支線の明治支線など、鉱物搬出の軌道の可能性も拭えない。(明治支線で採取された御影石の一部が国会議事堂に使われたという記述が郷土史などにある)


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