廃道日記(Riding・Report)



ほんとうの駒止峠・・・とは?。




廃道日記 33 旧針入街道の峠「秋の小峠・大峠」

かつて、駒止峠の冬は、
針入部落と山口部落の逓信局員に支えられていた。



明治36年に新造された大峠は、他の峠と区別する為に
「駒止峠(こまどとうげ)」
と名付けられた。

だが、
馬車や荷車の通行を前提に作られた道は、冬になると4mの積雪と雪崩に見舞われ、
約4ヶ月間、冬期間の通行は閉ざされた。

伊南村、桧枝岐村は
遠回りの沼田街道ではなく、間道であるこの針入(はにゅう)街道が
生命線であった。

この道の物流を
命がけで守っていたのが、
当時の郵便局、
すなわち逓信局員達である。


キャンプ2日目

雨があがる、今日は駒止旧道。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



2013秋の廃道"南会津秋の陣"Tour/2日目

 
ついにあの峠に行くのだ!


 ふたたびの針入街道 1

 
痛恨の選択だった。
 その時は、直ぐに本命の車を買うので、今年中にこの区間だけの再アタックをかけるべきだな?と目論んでいたが、KLXのクラッチ損耗は思った以上に深刻で交換になったり、車の確保が出来なかったりで今年中に再度現場に立つ事は出来なかった。
 大峠から小峠までの区間は流石に最低3人総当たりでの突破だろうし、小峠は地図上部落からの道程も在る三叉路なので、どうとでも対応出来るだろうと踏んでいたのである。
 しかし、実際にはやはり痛恨の選択だったのだ。


今回のルートは
TouringMapple2013.3版に一部掲載(点線表記、部分的に表記なし)。



参考文献一覧
著者、編纂 製作、発行年
  福島縣道路改盤沿革概要   福島県   福島県 昭和3年
  会津の峠(下)
 笹川 壽夫/編著   歴史春秋社 昭和60年
 田島町史3
 田島町/編著   昭和60年
 田島町史 現代編    田島町/編著   昭和60年
 福島民友朝刊 
  昭和31年12月23日 第一面
(福島県立図書館/蔵、
 マイクロフィルムライブラリーより)


昨年(2012)撮影分の写真やMR撮影以外の写真には、キャプションまたは写真に埋め込みで記名があります。あしからずm(_"_)m




ほんとうの江戸期の駒止峠とは?実は定番に大峠と小峠があるのだ。


 橋の残照 2

 キャンプ場を後にした5台は山口で水分補給でコンビに
立ち寄り、そのまま旧国道に登っていった。
 モトクロスタイヤであるM51/52もこの三島的7連ヘアピンでヘタりながらも登って行く。5台はすぐに旧駒止峠に到着した。
 ここからは前回の来訪者であるおぉじぃ氏を先頭に、先行者4台はたちまち見えなくなる。
 ひとりポツねんと、MRが殿を追いかけると何故かすぐに追い付いた、間違って旧道三叉路を西に降りたが、すぐ気がついて戻って来た様だ。
 それでもあっという間に大峠の水源沼まで辿り着き、例の脇道から前回同様に
峠の浅い掘り割りまで到達する。


あれが明治道への入口だ!半年振りである。
ううむ、血が騒ぐ。


 春に下見しましたから、大峠まではあっという間!
カメラ側、手前が明治道となる。



カメラは山口方面(西)に向って撮影、みんなで二等水準点を探す。
人の居る位置が本来の道床、つまり浅い掘り割りである。



 ここで、例の水準点探しを行なうが5人掛かりで発見出来ない。予想として大峠〜小峠の最凶区間に突入すれば沢越えなど走るだけで目一杯で探せないと予感していたので躍起になって探したが、見つける事が出来なかった。
 残念を残して、気を取り直して前進を開始する。道は下りのつづら折れだ。

  発見は時の運と割り切る事は大切だ、今回は完抜きが目的なのだから。
 峠を下り始める。まずは春にMRらを驚愕させた幅1.5mのつづら折れ3段に驚いて貰う。
 そうして訪れた最初の沢・・もと橋のあった地点は
初めて来たT師匠、BS選手、Sクンを沈黙させるに十分なロケーションだった。

 ホントに前回越えたの?と絶句するのも僅かな間で、鋭い眼差しはすぐに現実的な沢降り、沢登りを模索していた。
 ところが先頭バッターのT師匠が選択したのは、
橋の掛かっていた通りの道筋を正面突破という潔さ。
オイオイ本当に大丈夫なのか?と今度はこっちが絶句する。

 2〜3度車体を揺らして体勢を整えたT師匠が一気に屈挟ハーフパイプを下り登り上げる。しかし沢底でかすかにフロントが引っ掛かり、その分僅かに開けたスロットルがラフになって登りのラストでフロントを道床跡から浮き上がらせる。


 さあ、小峠に向ってレッツラゴォォ〜!


恐らくこのように木橋が架かっていたと
オモワレ。最大高さ3m50くらいか?


赤線が橋の掛かっていた高さ・・・・?


ロープ滑車人力で、どうにか沢を登り上げる。
ここで取り敢えずエンジン始動(笑w


底が僅かにぬかるむ
殆ど岩盤の様なナメ沢だ。


 黄色い車体が駒止の名も無い沢を宙に舞い、危険を感じた師匠が単車を放して危機を脱する。
 オヤジどもの
「ああ〜っ!」
という叫びが大峠に木霊する。

 2m程転落したRMXはリアフェンダーが破損。T師匠はザックから6mmロープと2連滑車を取り出し、鉛直線上から右に在る広葉樹にアンカーを取ると、RMXを立て直して5人総掛かりで単車を吊上げる。

下から押すと見上げる様な激坂道だ!
 
 
足下がズルズルで力が入らないが、どうにかこうにか押し上げる。
 黄色いフェンダーが割れて固定出来ない泥よけは、早速一体化してあるナンバーやテールランプ類ごと撤去され、持ち歩けば大丈夫だろうとそっくりザックの一番上に押し込まれた。
 続いて同じコース選択でおぉじぃ氏もトライするがT師匠の半分程度しか登れない。前回突破したルートに直して第一の沢の突破を試みる。


 
おぉじぃ氏もトツゲキ!
・・・・敢え無く転落。





正面突破(白ヘルメットBS選手位置後ろ)は諦め、おとなしく本来のルートを行くが、
「ちっとも大人しくないルート」である。


リアの泥よけを外され本来の姿に戻ったRMX。ここから怒濤の捲りがあるのか?



 こうして、これ以降は沢の上流に向って降りて反転、沢の法面を斜めに駆け上がってゆくルートに戻る。
 三番手はBS選手、セオリー通りのラインを難なく突破する。続いてSクン、MRと次々突破!
 
最初のタスクを越えるのに、実に30分からを要する。

 残照の連鎖

 たまたまバイクを置いた位置関係から先頭がSクンに切り替わる。
 ほぼ変わらないペースで、再び同じ様なつづら折れを下ってゆく。
 小さいながらも流れの在る沢は直角コーナーだ、さらに道は続く。
 すると、前回は薮が生い茂って見えなかった二つ目の沢の現状が一目瞭然に。
 明治の道は
二つの沢の合流点を中州を跨ぐ形で通っていた。
 前後関係から見て橋が架かっていたのは間違いないだろう。
 だが、道は多分に中洲の位置で70°程度曲げる必要が在り、或は一本の橋をまっすぐに架けて居たかは今イチ不明であるが、橋は間違いないだろう。

 
同時に二つ越えなけれ

再び、二つ目の3段つづら折れを下ってゆく。
下の段の方が路盤流失が激しい様な
気がする。



 
前回の撤退地点に到達!
ばならない、島。
 先頭が絶対有利と信じるSクンがほぼ一発で島でターンし、再アタックで次の沢を駆け上がる。

周りから声援とも溜息とも取れる声が流れる。そしてBS選手が何事無く島ターンをカマして沢筋を駆け上がってゆく。
上手い!
 途中停まったものの登り上がる体勢には、えも言われぬ余韻すら感じる安定感だ。
 そして3台目のRMXがそつなく登りきる。
4番手おぉじい氏、ラストのMRと"グダグダオヤジ軍団"が路盤の崩しを追加する。二人のオヤジがかき回した路面は挑戦者へのお土産なのか?、



おりゃっ!! ・・・パワー制御が難しくも楽しいRMXが宙を舞う。


落石と倒木が道を塞ぐ。 アプローチラインの顔の辺りに倒木(笑w。


 
そしてここから、二つの山に挟まれた道は山塊の南側となり大峠側から小峠側への区間に突入した。

 明らかに上とは違う狭い道幅に狭いヘアピン。おそらくは一種のスイッチバックではないかと勘ぐる様なヘアピンで道は下ってゆく。


島から大陸への脱出なるか?。


 実はここ、沢越えの左へ直角コーナー
沢は大小総てこのパターンで現れる。


 石の敷かれた様な道床が残る古の道。
初秋の木漏れ日が美しい。


一気に駆け上がる!!。道幅はますます狭くなってゆく、大丈夫か?。


いよいよ険しくなってゆく!往けるのか?
この明治道は一体何年振りに車両を通したのだろう。


 さらに3つ目の
最深の沢越えは実に高低差4m!
 だが、幅も在る比較的助走が容易な構成に助けられ、全員ほぼ一発でクリアーする。
 四つ目の沢は遠大なヘアピンを介して折り返しその下の4回目の沢渡りとなる。
 
倒木、落石の嵐が続き、坂の傾斜が緩くなってくると渡河部分はそのまま泥濘地帯と化して足下を掬ってゆく。
トドメに入るタテの丸太におぉじぃ氏の悲鳴がこだまする。
 
そして8カ所目の渡河


落石と倒木が道を塞ぐ。
アプローチラインの顔の辺りに倒木(笑w。




倒木を潜って直角に左折。正面右から左に大きな沢が流れている。


沢沿いに下ってゆくが・・・ここも沢だよ。


写真左がその沢。この時点で沢より明治道の方が低かったりする。


 道は沢の脇を、泣きが入る悪路のまま2段のつづら折れで並走し、沢幅が広くなった所で直接渡っていた。
が、その道の部分は押し流され、届く筈も無いジャンプ台になってた。

 つまり、手前から沢に突っ込んで沢辺リの斜面を伝い登り、再び道に戻る事が出来そうだ。

 トップは波に乗るSクン&BS選手。
 ここも沢より足場が泥濘な明治道側から殆ど勢いを付けられないまま沢の上流に向って突っ込んで河原で方向転換、土手を突っ切るラインで登り上げる。
 Sクン、BS師匠、T師匠は難なくクリア、しかし既に体力の限界が近づくおぉじぃ氏とMRは息も絶え絶えにクリアする。
 
そして、問題の地点に到達する。


 
一度沢に降りて、上流から・・。


滝になる手前で法面越え!
う〜む、この状態から、普通に抜けるとは。



何だか傾斜が緩くなって来た。これは・・・!。


「小峠確認!」 だが、ここで問題が・・・十字路?


 痛恨の凡ミス

 沢越えの後、道はやっと安定の兆しを取り戻す。相変わらず路盤には木が生えて居たりする物の、往年の道の面影を見せる場面が風景に戻って来た気がする。そして、それはいささか唐突に現れた。
 すっかり先行していたトップ集団と、殿付近のオヤジ軍団が合流・・・というかみんなバイクを降りて右往左往してる。
その原因は分岐である。どうやらここが「小峠」の様だ。
 
やった!遂にここまでキター!と喜んだのも束の間、確かに困った事態である。こちらが予想したルートの様子と、実際が違うのである。

 地図からいけば、大峠から下って来て小峠の直前と思われた三叉路分岐の筈で、そのどれもが現役に見えるハヅである。しかるに現状はどうだろう?まず、最大の難点が・・・十字路になっている事であろう。正確には変形十字路と言うべきか?

 やまやまGPSで見ると、矢張り地図上は三叉路である。降りて来て左が針入部落から直接登ってくる言わばショートカット道であるが、駒止トンネル開通後は誰も使っていないだろうと勘ぐる程に激烈な笹薮攻撃、しかも雪の重みで熊笹やしな竹がくの字に折れ曲がって車道にはみ出す程の激薮である。



 小径を下ってゆくと、道に出た。




折り返して
明治道がいい感じだ、この独特の雰囲気。
つーか、水準点探すの忘れてるぞ
>俺。


 或はゼンゼン別な道か?伐採道の名残りか?
 正面直進はいわるるキノコ道で、現在でも地元の方が歩いておられる様な道だ。幅こそ1mを割るが、確実な踏み跡と期待出来た。
 地図で言う右手に曲がる方は明治道と思われたが、手元の時計は既に一時を指しており、今日Sクンが帰るのにキャンプ場に戻る時間距離を考えると、100m単位で遠大につづら折れを続ける明治道はひとまず置いて、まず針入部落で昼飯を食べるのが一番合理的と思われた。
 すると、部落に出るのは直進か左折か?という事になり、左の激薮は有り得ないので真っ直ぐ下るのが部落への道と思われた。


何度目のつづら折れだろうか?
を・・・引き続き下り始める。
十分に廃道です・・廃。



うおぉ!!何かいい感じだな、木漏れ日の明治道は。

 
 皆、一目散に直進の道を下り始めた。
しまった!間違えたと思ったのは大分降りて来た所でバイクか車の排気音を聞いたからだ。
 部落内に下って出てくるのに、あんな高周波な排気音を聞こえないだろう?トンネル側か?と言う事は矢張りあの激薮が部落へのルートだったのだろうか?。憶測に苛まれながら先行の皆に付いてゆくとまるで道の様な所に法面側から降りて来てしまった。そのとき初めてこの道が何か感づいた。

 これはもともとの江戸道の"なごり道"なのだ。そして今合流というか、左右から交差する道が明治に荷馬車を通す道として新規開削された明治道なのだ。
 我々はモロ江戸時代の道を降りて来てしまったのかもしれない、つーか多分そうだろう。今更戻る時間もないので、仕方なくこのまま下りきって現国道に出るしかないだろう。
 間違い無ければ"だいくら山スキー場"の出入り口付近に出る筈だ。しかしながら敵
??もさるもの、易々と通してくれる訳も無い。
 扇状に広がった山裾は総て杉が植樹され、その林立を縫う様に新旧の街道が走っている訳だが、扇状と言う事はそれ自体沢を内包している。


今度は・・・・?。


何処からショートカットか解らない。
いつの間にか車列は江戸期の道へ・・(汗


ここだぁ!と進路変更したら上から江戸期の道が被って来た
おかげで先行した4台に横手に追い付き写真撮影。先頭のSクンは丸太奮戦中で二番/三番手が待ち状態。



 長い間に浸食された道は、使われていた当時こそ整備が行き届いているものの、廃道となって風雨に曝されてからは道も荒廃し、路盤は木の根が洗い出され、さながらウオッシュボートの様だ。
 そしてそのスパンは150m程あろうか?という3段の道だ。まるでトロッコの軌道かと思う程に傾斜の緩慢で均一な長い坂なのだ。

 当然沢があり、詰まる所泥濘地があり、無論またタテに木が組み込まれていて、これがまた滅茶苦茶滑るのである。
 


熊笹の路地が幾つも交差している。
南なんだ?コレは?。


丸太の階段!?! しかも豪華タテ入部分もアリ?


 沢越えの一カ所は交差する明治道を利用して越えたが、二つ目は見事に転倒するMR。前を走るおぉじい氏の挙動もかなりの緊張が伺えた。と言うより峠に突入が9時過ぎだからもう4時間近くこの明治道を走り続けているのだ。
 体力的にも限界と思われる。
 先頭のSクンのXR250が宙を舞う挙動が遠く見て取れた。2番手のBS選手が小さなジャンプで姿が見えなくなった瞬間、ハタと気がついた!出口である。国道から林間コースに入る所には落差1m程の段差があるのだ。
 おぉじぃ氏に続いてジャンプすると飛びすぎて泥濘地にKLXが突き刺さり、モアパワーで出られなくなるのを力ずくで押し出すと、すでに全員国道

うわあ!!!。
何処走っても丸太に当るぅ〜〜!。
しかも滑るぅ〜!

の登坂車線脇に退避してバイクを降り
た所だった。
「最後にミススートがありましたが、無事通過しました!」と声を掛ける。廃道行はここで終了となった。
 小峠から原国道の289号線大倉山スキー場前までにミスルートが在ったが、昭和30年代の逓信局員宜しく江戸期の針入街道を抜けた。まあバイクで通過するには超絶ハードな大峠〜小峠の8つの沢越えを無事?通過出来たので良しとしよう。
 ハッキリ言って国道121大峠の鉄骨区間と双璧を成すハードさで、トレール車単独での走破は困難を極めると思われる。
 廃道日記としての掲載はこの辺でエンドロール、ここからは前ページのツアーレポの続きと言う事で書き加えるので、廃道だけ解れば良い人は読み飛ばしを推奨する。



「"Full"道がいっぱい!!」ドコ走っても年代物。
在る意味生活に土着してる古道であるが、生き残っていてうれしい、
丸太が無けりゃ。



 取り敢えずのエンドロール。

 針入部落のいつもの旅館に辿り着くと、まだ食事が提供出来ると言う事で、携帯電話で待機中のおぉじい氏らを呼び寄せる。
 泥が凄いので座敷には上がれないが、ここには屋外にテーブルセットも在るので頂く事にする。昨日のキャンプと露天風呂に続き
「廃道行なのに汚れたまま食堂で飯が喰える(=山の中でコンビニ飯が普通だった)」事に感動するT師匠とBS選手。どんだけレース&薮山三昧なのかと思うMRであった。
 しかし、時間が遅い為か来店数が多かったのか?お目当ての「駒止定食(焼き魚&蕎麦)」はイワナ終了で食べられなかったのだ。だが、その分「普段喰わない裏メニュー」が在る事が判明し、来た事が在るSクンやおぉじぃ氏は早速注文するのだった。
廃道日記ツアーレポから出張Verの食事写真を連発掲載!



「ふわとろ卵丼!?」初めて見たぞ、しかも旨い!


「エビ天丼!?」これも初めて見たぞ、岩魚を喰いに来てたからなぁ


と言う訳で食事もそれなりに満足!
 一行はキャンプ場に戻り一泊参加のSクンを見送り、風呂と買い出しに行くのであった。
 その夜は流石に疲れとムードメーカーSクンが居ない為に静かに大洗ガルパン酒を堪能する夜となった。
 そして翌日、キャンプ場を撤収した我々は、三日目のメイン「箕沢林道」アタックのベースキャンプを針入部落の七ヶ岳林道入口国道際のチェーン着想所に変え「"箕沢林道"アタック」に向うのだった。


ううむ、何処が廃道日記なんだ・・・?




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2013秋の廃道"南会津秋の陣"Tour
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