そこは、
もう……。


道じゃ、
ない。


道じゃ
無いんだ。




ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。

また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



梅雨、6月の空が夏の匂いを連れて来る。
「初恋のJun」年を経ても尚、心踊る月だナ。


2014 春の甲子 Revenge Tour !


 お読みになる前に。
「プロローグ」と「管理人、来襲」は最早ツーレポですらなく、単なる業務連絡です。
 ガチな廃アタを読破する方は華麗にスルーした方がいいと思います。(MR)


 プロローグ 1

 道の駅羽鳥湖高原、夜8時。
 日没から1時間以上立つのに、西の空は今だ紅の余韻を、まるで秋の空のような雲を浮かび上がらせていた。
 低気圧の群れから外れたいわし雲のような形が夕闇を迎え入れるひと時を横目に、MRはおもむろにリアゲートから木製テーブルを出して、6月の夕暮れの中で夕食の準備を始める。
 お湯を湧かしつつ、取り合えずビールを開ける。駐車場には僅か2台の車、双方ともキャンピングカーの様だ。既に外で食事をしているのは、私だけである。
 ビールを飲りつつ悪茶からKLX125を降ろし、いつもの透明テントを掛けておく。
 お湯が湧いたらいつものパック御飯を暖めつつ、手は二本目のビールに懸かる。
 外気温は12〜3℃程か?虫がいないキャンプは快適だ、夏はエアコンの在る旅館やホテルだが春秋の少し寒い位は屋外の方が好きだ。

 否、実は車中泊なんだがな。
 立ち上る夕闇と月明かりにガンカメラのハイスピード映像の様に行き過ぎる雲をつまみにちびちびとビールを飲る。ネットの開示板を眺めつつ、
 ぼーっと星空を眺めているとMRの上空1000m辺りをボーイングが飛んでいる。
「嵐の前夜………だな」

 管理人、来襲! 2

 荷台に転がっても良かったが、死体と勘違いされても困るので運転席で眠りに付いたのだが、神も哀れむ寝相の悪さで夜中に2回ほどクラクションを蹴ってしまった。
 そのせいか?朝にはワゴン車が4台に増えていた。仕返しの様にインライン4のエキゾーストで目が覚めると、時計はまだ5時をさしたばかりである。
 元気なオジサン達だぜ、と自分の事は海底3万マイルの棚に仕舞い込んで、危うくビールを開ける人さし指を思いとどまらせ、ノンアルの蓋を開けさせる。
 昨晩と同じく、ごはんを炊きながら空を見上げる。いい蒼さだ。
 道の駅の駐車場にはバイクだけでなく車も出入りし初めて、皆さんの早起きには感心するばかりである。
と、隣に1台のスバルR2が滑り込んで


キャンプに電子装備と、
バイクとビール。


ゴチです!。
集合場所の管理人からの贈り物。

きた。
 新手の保険勧誘員かと思いきゃ、ポカリを携えて現れたのは、かつて
「集合場所の主(管理人)」と慕われた紅白饅頭氏その人であった。
「集合時間より2時間も早く雪割橋に着いたが、当然に誰も居ないのでMRの居る羽鳥に来た、これから水戸に行く」と言う、何だか良く判らない行程の様だ。
 30分ほど談笑して彼は北関東に
荒ぶりに行ったのだった。
 やっぱり良く判らないが、取り合えず慎んで施しは承って置く事とする。

さてどうやって積もう?
 水は既に1Lからバッグに入っているので流石に背中は重い。キャリアにリアバックごと縛り付けた。



あの絶壁クンが鎌房山。この道が鎌房林道。そして記念撮影。
恐ろしい事がその身に起こっている事すら知らずに。



 要らない物は全部車に積み込む。
 スコップはずいぶん迷ったが無くて泣くのも嫌なので持っていく事とする。
 この道の駅羽鳥から雪割橋まで西部、釜房林道を経由して30分位と思っていたが、6時5分頃に出発する。
 途中何枚か写真を撮りつつ雪割橋に45分頃到着すると、初顔合わせのあづさ氏とセローの達人おぉじぃ氏が既にセロー談義で盛り上がっていた。
 集合場所に来襲したMRの第一声は"お早う"ではなく
「リアバックがねぇー」である。
 こーはくさんに頂いたポカリの背もたれの筈のバックは跡形も無い。

 いきなり来た道を戻るMRとそれを追い掛ける2台のセロー、変な幕開けは結局バッグ紛失から始まった。


何の変哲もないリア廻りだが、
「リアバック落としてるぅ〜」


正面の道路が甲子林道。
周りの風景がすっかり変わって、通り過ぎてしまう。



今回のルートは県別マップルで既に羽鳥側は林道抹消。下郷側は掲載。TouringMapple2012.3版に掲載(林道表記なし)
 

「早くもボトルネック」。入口は国道規格で広いのにココだけ林道規格で
見事に狭いのだ。

 下郷町管轄
「甲子林道線」
3

 
開通前から廃トンネル化という前代未聞のきびたきトンネル分岐点を覗き込みながら、3台は僅か30分程で甲子峠を超えて下郷町に突入した。



「仮設欄干!!」下郷町が登山客の為に増設したと思われるロープガード。
目印以外の事故抑止能力はないと思われる。



 最後に通過したのが2008年夏だが、当時とは雰囲気が変わり、うっかり旧道を行き過ぎる先頭のMR。
 iPadminiでもう一度現在位置を確認し戻ると、確かにここに分岐はあった。標識類が撤去されていた様だ。
 入って最初の直緯から既に
廃れたにおいがしていた。

 
さて、最近殆ど見る事が無くなった下郷側「甲子林道」の現状を見て頂こう。


既に欄干や親柱に銘板は無い。



「これが下郷ゲート」
部落の裏山と言う感じに成り下がっていた。


 最初の橋は、恐らくは国鉄の第一次登山キャンぺーンの頃の舗装化第一号のコンクリート橋だろう。
 度重なる土石流と国道を剥奪されてからの無普請ゆえに銘板すら無い何の変哲も無いコンクリート橋だ。
 この形状のコンクリート橋は、福島県内の林道黎明期となる昭和30〜40年代によく建設された橋で、幅3m程で交互通行を良しとする。高欄が低く2本の鉄管で繋いであるのが特徴だ。

 橋をすぎてその直線の先には、当時の標識とともに簡易な、
極めてやる気のないゲートが鎮座していた。もう破ってくれと言わんばかりのボロゲートである。
 バイパス完成後5年を経過した下郷町道甲子林道線は
道路老朽化に伴う不通林道として既に登山ガイドブックからも抹消されつつあったのだ。

 だが、問題はソコじゃない!
ゲート横に
明らかに110ツーリストと判るタイヤ痕がつけられていた事だ!


通行不能を表示する看板。
生き残っていたか!。



先行者はツーリスト使いか?。
先人の努力を無駄にしてはイケナイ。




逝くぜ!!、甲子峠へ。


 この直線の終わり頃に一般的な普通の車なら乗り越えを躊躇う様な法面崩潰が在り、その先は既に車の轍が発見できなかった。

ココが事実上「下郷側の車止め」である。

 林道は観音川の源流部分の北側を沢の地形にそって登ってゆく。
 基本的に舗装路の筈だが、漏水で鋪装は断続的に破壊され、或いは流れ落ちた砂利や倒木、路肩欠損が傷の在るドーナツ盤の様に順繰りに襲ってきていた。


アスファルトとダートが甲子峠まで、
飽きる事なくくり返される。




国道待遇の林道って?この路面と落石防止フェンス。
「コンクリート舗装の混じる仮認定扱いの国道?」


 今は段階世代の登山が流行だそうだが、こんな道は厄介を増やすだけである。

 この林道は観音川の源流を沢とともに登る林道であるが、ほぼ一直線に流れ落ちる渓谷の為に、林道は不自然な程に直線区間が多く、きついコーナーの少ない林道である。


「昭和40〜50年代の舗装?」


大きな暗橋がある。その横には!


観音沢の支流から登り上げるヘアピン
に入る。!




暗橋の下には土石流の生傷が在る。
土砂は全て洗い流され、
木と根っこだけである。


 やがて釜滝と三輪滝の手前の、唯一無二のヘアピン区間に差し掛かる。

 このヘアピンは観音川に流れ込む枝沢を跨ぐ形で地形に沿って造られ、勾配が急な上にヘアピンの角度や幅が狭く、カントが付いた路面は普通の車では後輪の荷重が抜けて登らなくなりそうな場所である。
 ここを過ぎると標高は1200mを超えて、いよいよ渓谷沿いの森のない区間に入り、目前に甲子峠が射程に入ってきた。



この2連ヘアピンの舗装部分はあの最初の橋と同じ古さである。
既に舗装の体を成していないが。


 車は一台も入っていないと書いたが、実はバイクと自転車のトレッドパターンを確認していた。
と思ったら、ジモティの軽虎確認!流石軽虎、販売店オプションに「どこでもドア」も在るのか!

 峠に見通しの効く最終区間はほとんどが昭和60年代までに舗装化された若い道路である。
 漏水が少ないせいか?殆ど荒れては居ない。峠直下の2連ヘアピンで眼下を撮影しつつ、さらに登ってゆく。


軽虎を確認?流石ジモティ。
標識の痛み具合の差が激しい。
「甲子峠目視!!」

登りはいよいよ
ファイナルステージへ。


そして我らは、恋い焦がれた甲子峠に辿り着いた。

 砂時計の道。 4

 甲子バイパス完成時にはあれ程登山客の車でごった返していた甲子峠だったが、ここまで出会えたのは僅か1台のジモティ軽虎のみ、部落民はカギ持ちでフリーパスなのだろう。


そろそろお休みな標識達。


峠のヘアピンより下郷方面を望む。
この辺の舗装は前世紀ラストに行われた最後の舗装だ。


その上から峠までは未舗装だ。この辺は荒れていない。


 それなのに、我々を迎え入れた峠には至る所に四輪駆動車のタイヤ痕が、まるでトレッドパターンの見本市の様に刻まれていた。
 ノーマルのジム二ー純正や軽虎も在るが、一部はジム二ー御用達のオフタイヤもある。
 そしてここにもあの110ツーリストのタイヤ痕がちゃんとある。彼らは登ったのか?下ったのか。
 峠はそのまま下郷町と西郷村の境界線であり、ココから尾根沿いのルートは西郷村村道林道甲子線となる。
 90年代は福島屈指の峰越基幹林道として名を馳せたこの林道、開発当時は本気でここに国道を造ろうと考えていたらしい。


最終コーナーを回って……。




「甲子峠だ!」路肩のエスケイプルートが、
俺達を呼んでいる!。


 同時期には自衛隊104建設大隊にあの那須道路が造られており、或いはこの甲子林道群も、資金難などのネガティブな状況がなければ彼等の出番があったのかも知れない。
 最早車を通す事は全く更々無いと思われる石を積んだゲートと看板。
 
その横の土手が現在の入り口では在るが、やはりその先はシングルトラックしか見当たらない様だ。
 3人はそれぞれにあちこちと写真を撮って一服し、廃道談義に華を咲かせていたが吸い殻を仕舞うと迷う事なくヘルメットをかぶり準備を始める。

「やる気在るなぁ、じゃ逝きますか!」
3台はそろそろ伝説の域に入るであろう廃林道に身を踊らせた。


●「甲子林道」正確には3つの林道の総合仮称。
 
区間総延長:26.2Km
A区間/下郷町管理林道「林道甲子線」(当レポート)
   (下郷町新旧道分岐〜甲子峠):区間長:11.8Km(部分舗装/全線廃道・通行止)

B区間/西郷村管理林道「甲子林道」
   (甲子峠〜鎌房山林道終点):区間長:5.0Km(全線廃道・通行止)
C区間/鎌房林道
   (鎌房林道終点〜西部林道分岐点まで):区間長:9.4Km(全線廃道・通行止)


調査日(14'/6/03)の状況:
 A区間/下郷側甲子林道はここ2〜3年の間に通行止めになった様です。
11'/12’/13’と震災以降の豪雨災害を伴う大雨で一気に林道路盤の崩壊と洗掘が進み通行不能となった甲子林道ですが、下郷側は登山道の連絡通路と言う事もあって通行が可能でした。
 先日に現地を走る限り、特に法面の崩壊で極端に道幅や路盤が撓んでいる部分が見受けられ、遠方の都市部からやってきて林道慣れしないドライバーにはひとたまりも無いダート混在の廃林道と言えるだろう。
 車と違って二輪車ならまだ道幅もあり通行は可能である。少なくとも峠までは問題ないと思われる。
それでも、懸命なライダーや読者様には、甲子峠からUターンを強く、極めて強くお勧めする。
そこから先は、
魔道である。