林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。






このContentsは、適当に増殖します。


なぜ?ここに?
末継駅に向かう
はずの県道が
"脱線"した
理由とは?






そして道は
再び森へと回帰してゆく。







林道日記(OFF-ROAD・DIARY)088-1



「黒森林道 起点」最終的に黒森林道が県道247号線に
編入されたか?は不明である。



県道249号線 上戸渡広野線。南側(上戸渡側)から撮影。


●3ケタ200番台で
 「廃道」!

概要
 八茎鉱山(やくぎこうざん)は浜通りに於いては最も古くから栄えた鉱山の一つである。
 古くは銅の産地で、その鉱山に至る道筋がその後林道に成る事からも、当時の隆盛が伺える。
 鉱脈発見は和銅年間(708〜714年頃)という記録も在り、福島県内の鉱床としてはかなり早い発見である。
 しかし実際に銅山として栄えたのは天正元年、時の領主である佐竹氏の手厚い庇護に因る物だ。


北側(帚平側)から撮影。
正面の看板は「→いわき」


あっという間に峠越え。ここが黒森峠?
山から海に降りて行く訳だから。


峠の下にすぐ分岐。
写真右が本線である「黒森林道」左が電波塔への管理道路。



 その後領主は変わるも、磐城平藩に庇護されて移推し、明治にはついに民間(個人所有)となってしまうが、操業は細々と続いていた。

 
明治維新後、ドイツ人と日本人の共同経営で合資会社八茎鉱山として改めて設立され、同時に近辺の山々にも開発の手が伸びる事と成る。

 「常磐セメント」を設立後、四ツ倉にセメント工場が建設されると、八茎鉱山で掘り出された石灰石は明治41年に建設、竣工した玉川温泉までの索道と索道終点の鉱山事務所が起点と成る軽便鉄道で鉱石を四ツ倉の工場まで運ぶ事と成る。
 当時、索道や軽便鉄道は道路も無い更なる山奥に集落を形成する要因と成り、浜から遠くに幾つのも村や部落が形成される事と成る。
 戦後の鉱山再開発を過ぎて索道や軽便鉄道は昭和40年を境に急速に衰退し、代わりの道路でクルマやトラックが台頭すると、国や県のお眼鏡にかなった蚕業を持つ部落に向けて、優先的に道路が普請される様な流れとなって、やがて県道や市町村道に指定され開発と維持が部落の手から(金銭的にも)大きく離れる事と成る。


そのまま下って行く。


S字区間で急激に標高を下げる。
一応、最低限の設備は備える。


風前の灯火だけどな? しかしその下の路肩は大分まずい状況だ。


「黒森林道 終点」 ト、オモワレ……? 写真右が本線?
である三森林道(現県道247号線)左が五社山への林道。


 さて、本件もそんな時代背景を下敷きにして見てみよう。
TouringMapple2015.3版に林道として掲載。

黒森林道(本線)
総延長:5.6Km(全線未舗装)
概要
 このエリアの中間にして主力となる、3つの林道が繋がる基幹林道とも言うべき林道群。
 今回の銅山林道エリアは某ガ○ルWebに掲載されたツーリンクマップを参考に走破した記録である。

 さて、県道247号線「片倉末続停車場線」は、文字どおり”いわき市平四倉町字大字八茎亜他片倉を起点とし、常磐線末続駅に接続する県道である。

 しかし、大字の通り現在の地図で言う「片倉」地区は
千軒平の裏山辺りを指すので、どういうルートで計画されたのか良く分からないルートでもある。


GPSで見るとこんな感じ。
「五社山黒森大内林道」に行ってみる。



右の本線は更に荒れ出す!路盤流失は基本なのか?


 銅山林道(県道363)を素直に下り、そのまま四倉駅に出るのが吉と考えるのが普通ではないか?。
 なんでだろ〜と謳いながら、実際に走ったのでした。

では起点から行ってみます。
  当日は
Wikiの福島県道247号線の項目に延長が16.5Kmと記載されている県道の起点側とも言える山側、つまり「黒森林道」から突入した。
 
黒森林道は県道249号線よりすぐアクセスできるが、同じような入口が手前の電波塔管理道にも在るので、目印も大変少ない。
「まさに林道入れ子パズル」状態である。
 黒森入口にはその旨の標識などは一切無く、ただ
北側から「いわき方面→」の表示が南側からは「←広野」立て札としてあるだけである。
 入口から一歩入ると登りのダートだ。初めてでは無く、まだパジェロJトップを転がしていた頃に一度走った覚えがあるが、
当時は249号線もまだ「浅見川林道」と呼ばれていた時代で、全ての道はダートだったと思う。

 問題の黒森林道は、2016年6月に久方ぶりにトツゲキしたときもダートだったが、その後10月にアタツーで走った際にはこれから営林作業が入るのか?簡易のコンクリート舗装がされていた。
現在では荒いコンクリート仕上げが恐ろしい程のグリップを提供しているはずだ。(写真は失念)
 峠の
(やっぱり黒森峠?)一つ前から道はダブルトラック並の草木生い茂るダートに戻る。
 

三叉路以降、道が平らな所が無い。


勝手に沢が出来て、道は水浸し。


開けた所は雑草の天国、雑草フローラル!
さあ!「キタよ!」ステアケース。

ジャンプ台ともいう。(笑
相当の水量が"林道""沢"にしたね?これは。


そこそこに撒かれた砂利がそこそこに滑るダートは下りに転じて直ぐに三叉路を迎える。
 この三叉路は起点からだと右の直進が黒森林道本線である。
 そして左が電波塔への管理道路である。轍の使われ方を見れば交通量的にも本線が右と自ずと判る。
「何だか段々砂利がでかくなっている気がする・・?」
 そう、最初の側溝が道路を横断した後、確実に営林署?が道路補修で撒くような小粒な、いわゆる建築用の砂利では無くて、土木工務店が地固めに使うコブシ大の石が混じっているのだ。

 そんなことを思いながらガリガリと下ってゆくと、道はヘアピンを挟んで尾根反対側の川の源流付近を下ってくる。途中、何だか側溝から水が溢れて路肩を破損したかのような所も、難なく通過できた。
 すると突然視界が開け、またしても三叉路が現れる。
 
これが黒森林道の終点である。

い、石がデカい。

この大量の尋常ではない雨水が
何処に行ったのだろうか?
答えは直ぐ!


「コレだー!」これは完全に小川だ。(笑w
初めてガードレールが出てきたのに、意味無し!




 正確に言えば正面に看板のある見てくれ直線部分だけ、舗装のジャングルルートが五社山黒森大内林道の終点(仮)と思われる。  
 さらに通成
右に曲がる感じで接続しているのがお馴染み大森林道だ。「五社山黒森大内林道」に行く。

三森(みつもり)林道
(県道247号 片倉末継停車場線)

計測総延長: 9.8Km
 ダート区間:8.1Km
 舗装区間: 1.7Km

引き続き行ってみよう。
 大森林道は県道247号線に編入されてしまうわけだが、地図で見る限り実際の指定と、それに合わせた道路改良は全体の半分を切る勢いだ。
 分岐路を過ぎると、道は一段と荒れ始め、道を横切るように流水の轍が出始める。何度も何度も・・・?
「この兆候は・・?」
MRには何げに思い当たるフシがあったのだ。
「あそこと同じか・・・?」
あのHBHと。
そしてコーナーを曲がるとそれは始まった。




溢れ出た沢水は、さらに下流へ。


うわ!



すげえ!


どこが県道なんだよ?この状態で。


うっひょ〜〜!2mは掘り込んだねぇ、甲子みたい。


こうして見ると、ガードレールを本来のグランドラインとして、
林道の路盤も1m近く抉られている様だ。



 林道を横切る排水溝はグレーチング(網型の蓋)こそ健在だが600角の側溝の下り側はアスファルトも既に無く、その下の砕石敷きも流失して、最大30センチ程のステアケースと化していた。ウリ坊と1mは優にありそうな親が横切る廃林道は、遂にその牙を剥いたのである!
 その後、増水の傷跡は衰えるどころか更に勢いを増して林道に雪崩れ込んでいたようだ。約1Km近くに渡って林道はまるで枯れ沢の様相だ。

この荒れ方、一昨年に南会津の「簣沢林道」以来である。
 そして1Kmの先には
巨大なクレパスがあんぐりと口を開けていたのだ。それも2箇所も。


しかも・・・


「1年後、さらに洗掘!!!」
昨年通った所(写真右上)は倒木で塞がれ、やむなく川底を走る。
Photo:2018.6


「これで県道かよ!」
   いやまあ、廃県道なんだけど(笑。
 それにしても、やっぱり一昨年辺りの豪雨災害なんだろうか?その規模と言い破壊力といい、自然の力は侮れないと思う今日この頃である。
 しかも更にその先にも大規模な路盤流出個所があり、さっきのV字溝で流れ切れない程の豪雨だった事が想像できた。
 その後も路盤は荒れ放題で、名ばかりの県道は完璧な放置プレイであった。



「その先にももう一つ!」
このゲリラ豪雨は相当の雨量が断続的に襲ってきたのだろう。

 
 川幅が広くなり光が射し込みやすいので、日当たりの良い区間はここぞとばかりに雑草が生い茂る。
 その中を一筋の道が突き抜けている。ダブルトラックに成らない理由は先程の巨大V字溝だろう、イヤ待て、ジムニー乗りなら前進不能まで突撃は基本である!と言うことは・・・?
 いや、それは後々の楽しみに取って置くとしよう。
 先程の様な大がかりな破綻は見なくなり、林道の上は雑草以外は平和で長閑な普通の林道のような体裁となる。
 
勿論県道として見れば「間違いなく廃県道」なのだが、実際ろくな路肩整備もなく横断する側溝も土が詰まって、林道としても整備が行われている気配は無い。
 それでもガードレールが現れると道幅が広くなる。これは川側の路肩補強がコンクリート製で橋もPGコンクリート製となりインフラとしての規格が高くなっていることで気づかされる。
 多分一般地図に明記のある県道表記の色塗りが途絶えた地点がこの初ガードレール辺りなのかも知れません。
 川が遠ざかる場所では造林によって光が遮れれば道幅は復活する。


森を抜けるとまた雑草攻撃!


ここで初めて隣を流れる川に出会う。




何故か舗装。県道舗装の一番上に到達、でも直ぐダートに。


幅だけだが。
 森の中は当然すぐに水が川に抜けるわけもなく、林道の路面を削り取って流れてゆく。
 しかし再び川に再開する頃には崖っぷちの林道(ホントは県道なんだよ?)となっている。
 しかも
崖崩れはフツー、路上に落石や倒木、はては路盤欠損も割と当たり前?という路面状況になって行く。
 
まさに"下れば下るほど酷い"という状況だ。


周りの森に変化が!。
この辺から本格的に植林となる(笑w


当然、植生が旺盛。分かりにくいけど
バイクが通るので真ん中だけ開いてる(笑w


ガードレールと倒木が増え始める。
この辺かな?地図で県道表記の末端は?


DTMに泥は憑き物。



「まただよ、流出」

 
 そんな廃県道の筈の大森林道中間地点、さっきの最奥ガードレール付近の沢岸にかつては何か造られていた様なコンクリートの敷設があるのだ。(写真は失念)
 そう、2016秋ツアー2日目にハイカーが昼飯を食っていた所である。
 そして今ここにMRの見立て的に
「昭和初期頃に造られたかな?」と思われる古い石積みの暗渠が足下にあった。
「これはヒントだ」どう考えても八茎鉱山に行くには遠回りな名称の県道。
 謎の元コンクリート施設と古い石積みの暗橋、その幅は軽虎がやっとという・・・何処かで見たぞ?そんな風景?
(この辺で見たんだ)



更に「崖沿いのウオッシュボード!」勿論、落ちたら死ぬ?


おおっガードレール付きの橋!
最初は法面の流失も在るが、総じて安定した下り道。


 
 確証は全くないが、恐らく鉱山が稼働していた時期に発電所の類の施設?があり、上のコンクリートが取水口、そのコンクリート資材を運ぶため下の暗渠が造られたと考える。
 工業インフラがあるなら県道指定も理解できるからで、それが何らかの理由で廃棄となり、八茎鉱山も規模縮小の後に閉山となり、整備計画で県道に指定された林道がそのまま放置プレイとなったのではないだろうか?


「竣工 昭和48年10月」



橋を渡り振り返ると見事な渓流美だと思う。
MR的には「石垣は昭和40年代の新し目なコンクリート製」に注目?



 なーんて事を考えたのは自宅でこのレポートを組んでる途中である。新車おろしたてのツーリングセローで行くには明らかに舐め過ぎた展開に当日はドキドキの連続である。

 石積みの暗渠を越えた先は、明らかに整備された道幅が存在していた。橋にも欄干が付き、ガードレールが断続的に現れる階数が増えていく。もっともインフラとインフラの間の区間は物凄い荒れ方ではあるが。
   川の川岸を共に降りるようになると、
大きな落石(規模と言うより単純に落ちてきた岩石のでかさ)がほぼ道を塞いでいた。「成る程これじゃ起点側から車は入ってこねえわな。」

 やがて現れた橋はガードレールの欄干を備えたPCコンクリート橋に遭遇する。付いている銘板には
「竣工 昭和38年10月」とある。(反対側失念)
 県道指定後、最後に行われた道路改良工事の年代は、恐らくこの昭和38年前後だと思われる。
 この後、下流に進むに連れてガードレールの次には路肩のコンクリート補強が断続的に現れ始める。
 それと共に、予算の問題だったのか?整備費に余裕が無い話だったのか?


併走しているのは、大久川。

頑強そうな路肩のコンクリートがある。


「よく見ると橋だ」
欄干もないPC橋。
ま、この規模は林道ではなく作業道扱いだな。


「強度ありすぎ」お陰でその内側から崩れるのはどうかと?。


大久川まで目測10m。
なだらかな路肩は通行人を沢に誘う殺人アイテムになっている?


この後暫くは、路盤補強や路肩のコンクリ補強などが行われている区間と、全くの手付かずな古い林道区間が交互に現れて、その「整備格差」が広がってゆく。
 特に大森林道区間そのままの所は落石や倒木などの災害復旧が全くなされず完全に放置プレイで、事実上の「車止め」となっていた。
 落石の上には登山道宜しくケルンが積まれ、廃道感に拍車が掛かっている。


「ここも沢かよ!」湧き水は?
そのまま沢となり川と成る。


倒木も増えて来た。



暗橋の上には幾つもの土砂崩れの跡が!。


「これは古いな」まるで森林鉄道を思わせる石積みの暗橋。
道幅も車道とは思えない狭さだ。


「落石の為通行止め」今さら何を言っている?。
まさに「立ち消え」?





倒木越えタスクにチャレンジ痕と
アシスト(笑w。




い、岩落ちかよ?


「道幅狭ぁーい!」


「フル加速の跡が!」飛ばすねぇ。

 
 また文字がほぼ消えかかった「落石注意」「災害に付き通行止め 福島県」といった仮設看板類ももはやオブジェと化して廃道に更なる彩りを添える始末だ。
 何条
もの轍が収束する比較的大きな倒木にはフロントアップ用か?石が、しかも前後からあてがわれ、通行するライダー達が無尽蔵に通過していることを暗示ている。
 愕いた事に、中には
カブのタイヤ痕もあり、老若男女車種も問わずに愛されている廃県道であることは、もはや疑いもない事実であるようだ(笑w
 
ウチのローストセローも難無く倒木を越えて行く。



「またまた倒木」減速、加速の双方の轍が残る。


 中には1t位あろうかという大きな落石に、
登山道宜しく石が積まれていたりする。
「ケルンかよ?」
 さらに
倒木、落石、路盤欠損と順不同に県道を襲う災害。
 この廃県道の路上も路傍にも安寧は無く、ひたすらに自然回帰を目論む目に見えない力が作用している。
ここは
カオス、混沌の廃道。
 そんな自然の猛威に、細々と道を造り、自然の力に僅かばかりの抵抗?というか猛威を
「いなして」生きる地元の方の無償思いやりが道の形を辛うじて保っていた。


もはや予告とは言えない標識が空しい。


「根ごと倒壊」誰か切断処理してくれてる。


「見なくても解る」落石注意だろう?多分。


 そしてここで、確定的なアイテムが出現する。
「ヘキサだ!!」
県道標識、つまりは「県道 片倉末継停車場線」の県道表記である。
 その下の補助標識には
「↑三ツ森 大久町番屋」と記されているが番屋の場所は現在の地図に無い。
 そしてよくよく見ると、道はいつの間にか舗装となり、上流(道路の話だよ?)から流れ込んだ膨大な堆積の土が苗床となり、雑草とは言え草原のように生い茂っていた

「障害物が多いな」
終点に向かって落石が増える。



「登山道かよ?ここは」ケルン積みとは?登山道扱いだな。


「ヘキサかよ」「県道 片倉末継停車場線」


 渓流側の路肩には断続的だったガードレールがずっと繋がって設置されている。ヘキサが立っていた所こそ泥流で酷かったが、その先はほとぼりが冷めると普通車が通れるくらいのアスファルトが現れた。
「うわ〜平和だ」
6月の日に照らされた雑草で狭まったアスファルトロードも、よく見ると3.5m程の幅員があり、当時はキチンと造られていたことが判った。

 だが、特に3.11以降はあぶくま山系の林道は原発災害の影響で林道の放置プレイが目立つ事となる。
 まあハッキリ言っていわき市から川内村あたりは原発事故の影響が殆どなく、放射線濃度も当初から平凡だ。
 単に震災の他の事案で山林管理がおろそかになっているだけとも言える状況と見ている。
 そしてまたしても倒木や法面崩壊に遭いながらも、県道は古いコンクリート製の橋に差し掛かる。先程のモノとは違って、戦前の造りに似ている。同じ様な半円の意匠は南会津の「鱒沢林道」の橋に似ている。
 残念ながら銘板は無かったが、昭和30年代の橋と考えている。
ここを過ぎるといよいよ拝見道も終盤だ。


まさに動かぬ証拠と言う奴か?
補助標識には
「↑三ツ森 大久町番屋」


本格的にアスファルト舗装が続く。


そのアスファルトも半分はプランターと落石で埋まる。

 
 道は殆どアスファルトなっているが、雑草と路盤欠損があちこちにある。落石と倒木も順不同で来襲してくる。
 
最後に幅1mがやっとの崖崩れを2連続で襲われ、やっと何とか部落に辿り着いたのだった。
 その終点出口には、当然の事ながら、
「通行止め」というボコボコの策が看板と共に立っていた。


「旧い橋だ」いいね、欄干意匠デザイン。

「県道の証」境界杭だ!流石県道?。


調査日(16/6/18)の状況:
 路面状況は劣悪(四輪は不可)
 昭和28年開設とあるが実際は江戸末期には道が在ったと思われる銅山林道本線。その前身は索道の管理道(現在の電力点検道と同義)とトロッコ軌道です。誰か当時の路線図とか持って無いかな?とか思う今日この頃。



欄干に銘板は無く、名前は不明。その廃れ感は凄いが。


 当然、工場を稼働するためには電力が必要であり、この林道はその電源施設として作られた林道が起源と考え、アタリを付けて色々と資料を漁ったが現時点で特に発見がない。
 したがって、大森林道が大久側に添って拓かれ、県道に発展した理由は今のところ見つけられない。
 県道指定は第三次主要地方道指定の昭和46年(1971)と思われ、指定後県の費用管理で昭和48年頃に路肩補強や橋梁整備が行われたと思われる。
 まあ出生不明の林道ではあるが、県道指定後道路整備は恐らくこの一度きりで、後は放置プレイ。


「また落石!」



「また倒木!」微妙な転落?。


その結果、廃県道としては抜群の成績「4輪車は通行不能で二輪車が入れない事も無い程度に道が檄荒れ」で認定された事だろう。
 勿論自然災害なので、こんな事は狙って出来ることではないが
「二輪車天国」となっている。当然、対向車もバイクで速いので十分気を付けるべきだろう。
 それなりに用心して掛からないと泣きを見るので単独は控え、十分な装備で走ることをお勧めする。また、近くにはGSも無いのでガス欠は要注意だ。


「またまた落石!」


「最後の法面崩壊!」


「よく見るとダブル法面崩壊!


「廃道区間突破!」ここも「立ち消え」。
相当長い時間放置プレイなんだろう。




銅山林道群01
銅山林道 本線
銅山林道群02 支線群
銅山林道 千軒平支線
銅山林道 檜山支線
銅山林道 銅山支線
銅山林道群03
黒森林道/三森林道(県道247号線)
林道五社山黒森大内線
木戸川林道群01
電力管理道/地蔵峠線(仮)
七曲林道
木戸川林道