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林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。






このContentsは、適当に増殖します。


文明残滓
謳歌
する自然
交錯
する。




その一筋の境が
林道である。





林道日記(OFF-ROAD・DIARY)087-1



「銅山林道 起点」路肩には時代を写し出す三本の標識が立つ!。


全部標柱? どの時代も「平営林署」管轄。立て直す理由は?


昭和28年竣工?銘版の方に記載。
標柱の延長は塗り潰されている



多分これが一番古い標識。
目兼林道なんかは林道通過の為の料金表も一緒に立ってるタイプだ。
当時の延長が5.03Kmとある。


実はMR、林道を逆走して来た
だから写真のKLXはすべて逆向きです

●実は県内では最も早い部類の鉱山である八茎鉱山の林道!
概要
 八茎鉱山(やくぎこうざん)は浜通りに於いては最も古くから栄えた鉱山である。
 その鉱山に至る道筋がその後林道名に成る事からも、古くは銅の産地である事が伺える。
 鉱脈発見は和銅年間(708〜714年頃)という記録も在り、福島県内の鉱床としてはかなり早い発見である。



起点の峠に向かってなだらかに駆け上がる林道。
だから写真のKLXはすべて逆向きです


 しかし実際に銅山として栄えたのは天正元年、時の領主である佐竹氏の手厚い庇護に因る物だ。
 その後領主は変わるも、磐城平藩に庇護されて移推し、明治にはついに民間(個人所有)となってしまうが、操業は細々と続いていた。
 明治維新後、ドイツ人と日本人の共同経営で合資会社八茎鉱山として改めて設立され、鉱山は最初の転機を迎える。
 このスカルン鉱床では胴産出の際に大量の石灰石をズリとして産出するが、この頃から時代はセメントを建設資材として重用が始まる時期であった。



ここで川を渡る。写真のKLXはすべて逆向き、
つまり橋のあっちが起点側だ



ガードレールの欄干は? 昭和40年代の林道化かな?。




「緑青橋(りょくおうはし?)



何と!昭和38年2月竣工。


 時の社長は
「常磐セメント」を設立、これが後の住友大坂セメントに発展してゆく。

 これに合わせて四ツ倉にセメント工場を建設、八茎鉱山で掘り出された石灰石は
明治41年に建設、竣工した玉川温泉までの索道と索道終点の鉱山事務所が起点と成る軽便鉄道で鉱石を四ツ倉の工場まで運んだのだ。


橋のまん中の窪地には、
無数のバイクのタイヤ痕が!、


橋を渡ると分岐土場?がある!
ここをトロッコ列車が走ったのか?


「千軒平(ダム)の表示板がある方が支線!
ト、オモワレ……?



戦後の食料不足に対応して造られた「池」らしい?
農業用溜め池として戦前の昭和15年に起工し、太平洋戦争を挟んで昭和26年に竣工した人造湖。
「銅山林道千軒平支線」に行ってみる。


 因に軽便鉄道は当初トロッコを馬車で引く馬車軌道であったが大正2年に蒸気機関車による牽引に変わった。
 勿論胴鉱石も運んでおり、こちらは日本鉄道四つ倉駅から運び出された。

 やがて銅よりセメントの方が売り上げを延ばし、八茎鉱山は子会社の常磐セメントに吸収合併されてしまう。
 鉱山は戦中も銅を産出し続けたが、人員不足と設備の過重
稼動と整備不良や資材供出により索道や鉄道の老朽化が深刻化。太平洋戦争を生き抜いた鉱山だったが昭和27年にこれらが廃止、休山となる。その2年後に鉱山は日鉄鉱業に譲渡された。
 

昭和38年2月竣工?
緑青橋と同じ竣工かよ。

 日鉄鉱業になって昭和29年に鉱山は三たび復活、廃止に追い込まれた軽便鉄道は軌間610mmから1067mmの専用鉄道として生まれ変わり、八茎鉱山が経営不振に陥り日鉄鉱業から分離された後も運行が継続され、昭和57年まで鉱山と国鉄常磐線四倉駅の間を走り続けた。
 専用線が廃止の翌年、鉱山は一度清算整理で規模を縮小して「新八茎鉱山株式会社」として現在に至っている。

 さて銅山林道を語る上で、この八茎鉱山の成り立ちは非常に重要である。
 これを念頭に、今回の銅山林道エリアは某ガ○ルWebに掲載されたツーリンクマップを参考に走破した記録である。
 江戸時代の相馬藩とは対照的に磐城平藩は銅山開発に併せて精製の為の燃料として山の伐採を許し、明治には索道と、それを整備管理する為の道を切り拓いたからだ。
 現在の銅山林道郡はこうして生まれたと思われる。
 TouringMapple2015.3版に林道として掲載。

銅山林道(本線)
総延長:7.4Km(全線未舗装)
概要
 このエリアの始まりにして基幹林道とも言うべき林道。
 現在でこそ八茎鉱山を抜ける県道365号線のラストの峠が起点だが、林道開発当時は鉱山の手前からが銅山林道だったと思われる。
 県道指定日時は不明ながら。恐らくは県道指定によって索道と鉱山鉄道の廃止という目論みだったのだろう。


また橋を渡る。
この川は既に仁井田川ではないと思うが。


「八茎橋(やぐきばし?)
と言うからには八茎川と言うのかも?(失念)
ついでに銅山神社も写真を失念する。
鉱山全盛の頃には信仰も厚かったのだろうがな。



ここから先はヘアピンで急速に標高を上げてゆく。路肩に退かされた倒木も散見する。


けっこう標高差の在る滝がある?


そのヘアピンの中間に、建物やら案内板やら
警告看板やら色々濫立してるが?

成る程、あれが逢瀬の滝か?と、
言う事は……?


「神社前の駐車場扱いの広さか?」ん?ここは林道ですよ(笑w



では起点から行ってみます。
  当日は
ルート逆走で通過した。 県道41号好間四倉線のT字絽から実に8.9Kmも奥の八茎鉱山のてっぺんとも言うべき所に起点がある。
 Wikiの福島県道363号線の項目に県道延長が15.9Kmと記載されている。
 このうち「四ツ倉(駅)から県道T字絽まで6Km程が重複指定」なので、残り9.9Km、この事から推測するにK363の末端約1Kmは銅山林道と重複していると思われ、一部の地図には起点を越えて最長で銅山神社の先の支線分岐路まで県道表記の地図もある。

 起点には3つの林道標柱があり、それぞれの時代を写し出す。
 真っ赤に錆びて折れ曲がった鉄板が最も古い関東営林局時代の物で、場合によっては林道通行に通行料を課した時代(昭和2〜30年代)の標識だ。もはや題字以外の殆どが読み取れない。
 次は高度成長期に林道が爆発的に延伸開発された時代(昭和40年代)の銘板形だ。柱も実はコンクリート製の擬木で造られている。銘板形は昭和50年代を過ぎると徐々に擬木ではなくコンクリート製の台座と成る。
 木製標柱は最近の平成に成ってからの標柱だが、総延長などは消されていた。
 銅山林道が起点からダートは勿論だが、手前の県道363号線のラストも約1Km程がほぼダートという状態である。
 かつて砕石を運んだ鉄道敷の道は、今でも使わない石灰石が敷かれて白い林道と成っている。窪地の縁に沿って林道を走って行くと、1Km程走ると橋を渡った所で最初の分岐路を迎える。
 本線は川に沿って平行移動する進行方向左手の道である。
 ここから登りはじめる右手のルートは支線で、林道沿いの林業区分表示板に
「銅山林道千軒平支線」と明記されている。



これが
地図に在る銅山神社だな。
最初はそう思ったが、
実はこれ、公園と滝見台だったらしい……?


上の段のヘアピンも部分舗装されている。


足場用の単漢パイプで路肩ガードがしてある。


右手に檜山支線、奥に銅山支線!
小さな名も無いコンクリート橋を挟んで170m程の間に2本の支線がある。。


「銅山林道千軒平支線」に行ってみる。
 これを過ぎると本線はしばらく川に沿って直線主体の高速エリアに入って行く。
 二つ目の橋を抜け、2014年前後まであった林道沿いの鉱山施設はほぼ撤去され、夏草によって覆われた跡地は、かつての風景を敢然に消し去っている。
鉱山神社を過ぎると三つ目の橋を過ぎると、道は大きなヘアピンを使って標高を稼ぎ出す。


これが檜山支線ゲート前。
実は脇が甘い。(笑w


「先を急ぐ!」
それにしても「銅山林道銅山支線」て何と言う安直なネーミングだ。


 スパンが大きい為に相変わらず直線区間は多い。登るごとに路面の荒れは激しく成っていく。
 やがて右側に一筋の白い帯が見える。滝だ!その先のヘアピンには何か建物のような施設と、案内板が立っていた。そこには「逢瀬の滝」というタイトルが上がっていた。
 ガイドブックには夫婦の滝と言う名前でも載っている。最初はこの施設が銅山神社かと思ったら、どうやら滝見台と公園の様だ。
現状は廃公園である。
 さらにKLXを進める。
すると急坂はなくなり、再びフラットに成ろうかと言う所で、連続して2本の支線が現れる。
進行方向右手にまず現れるのが
「銅山林道檜山支線」です。
さらにその150m程先に、今度は左に入る
「銅山林道銅山支線」だ。
 双方ともゲートが閉鎖されていて侵入禁止だが、檜山支線は少々脇が甘かった
 
銅山林道檜山支線」に行ってみる。

 
支線はさておき、さらに本線を遡上してゆく。
 途中幾つかの伐採道が分岐してるが、上記の支線以外は明らかな簡易土木によるもので、抜けられるかは未確認だ。この支線区間を過ぎると鬱蒼とした雑木林の区間を抜けて、明るく開けた植林区間に躍り出る。
 良好な視界によって数値以上の広い林道にも見える程だ。

 二つの分岐を過ぎると、本線林道は三たびやや登り気味になる。路面状況は改善され、走りやすい締まったフラットダートとなる。


逆方向から撮影。分かりにくいけど
写真右のガードレールが銅山支線(笑w


渡河の後に立ち塞がる激坂、かすかにキャタピラの跡が……?これも伐採道。


最後の沢越え。雑木林の最後は「不動沢橋」。




「昭和57年3月竣工」



「不動沢橋」奥に向かう毎に竣工年が若くなる


「なんだこりゃ?立派な三叉路?」
無駄に立派だが、的確な標識も完備。


立派な舗装林道が合流する。これが「芝原林道 桐ヶ丘線」。
この日は二ツ箭山登山口から「芝原林道 桐ヶ丘線」経由で銅山林道に合流している。


 
滝までの比較的鬱蒼とした森林区間を抜け、今は沢と共に登る開けた明るい区間だ。
 やがてお供の沢が枯れ果てる事に、林道には唐突に舗装路が察続される拾い三叉路が現れる。
場違いな道路標識がその風景に拍車を掛けた。
 この接続する舗装林道の正体は
「芝原林道 桐ヶ丘線」である。何を隠そう実はMR、最初はここから銅山林道に合流して八茎鉱山の起点に向かったのだ。それ故起点からここまでの写真が順番に際して全て逆向きなのである。(困ったちゃんだな>俺)

起点の鉄板標識に書かれた延長5Kmは大体この辺りだ。

 そんな訳で、ここから進行方向と写真が向きがやっと同一方向になります。
 さて相変わらずの白い林道が延々と続く銅山林道本線、前進を開始します。明るい植林地帯をスイスイと駆け抜けて行きます。
 まさか2ヶ月後にここでKonちゃんからモーレツなサイドバイサイドのプレッシャーを受けるとは思いませんでいたが、視界もブレーキも好く効く道幅&路面状況なので、まあ仕方ないのかも知れません。
そしてついに!
 銅山林道最高標高点に到達!
ここが銅山峠と言うのか知らないが、路肩には「猫啼山」の立て札が立っているじゃあーぁりませんか?
(へなりさん調で)
 実はここは二ツ箭山から猫啼山への登山ルートとの交差点なのだ。

 チェックは入れつつも「登山道入口」と書いてあるので、今日は写真だけにする事にする。


白い林道の再来?。
敷かれたばかりの石灰石が美しい


やがて石灰石は雨と反応し、砂利に色を変えて行く。道は登り続ける。


ついに峠か!



「一応登山道?」しかし、足下には一本の轍が……?


 ここを過ぎると、始めて本線林道で強烈な下りが始まった。時折面倒な角度や路面のシケインコーナーを織りまぜつつ中々の高速ストレートでハイペースのまま、何処に繋がるのかもよく確認しないままに下って行く。
 下りの傾斜角も目まぐるしく変わるが、
ヘアピン区間を過ぎて一時的に北向きに走る林道が再び進路を西に変える頃には、路面状況も傾斜角も安定してくる。
「芝原林道 桐ヶ丘線」の三叉路辺りを境に起点側は雑木林、終点側は杉の植林に因る造成林であり、後者の方が圧倒的に明るい

 
そうして、林道を下り切る頃に沢が現れ、やがて加路川に合流する。
 最後に加路川を渡る橋が現れる。橋の上には通行止めを表記する看板と一本のトラロープで仕切られていた。
 これは難無く潜って通過する。
出口と成っている橋は「大銅沢橋」とあり、昭和58年竣工というから不動沢橋と同時期に造られた橋の様だ。
問題は、橋の出口はT字路で、加路川沿いの林銅に合流となるのだが、
そこには橋と並列に「敷屋林道大戸沢支線」と標識があるコトだ。
 今回の探索に当たって下敷きとなった某ガル●Webや、他雑誌の同地区案内、その他サイトの記事などを閲覧しても、銅山林道はこのまま橋を出て左折、川沿いに降りて国道399号線に合流、終点と記載されている。

おお、橋の所で道路封鎖が!
 

最初は法面の流失も在るが、総じて安定した下り道。


標高が下がる程に案程度は増して行く。
いつしか脇に沢が現れる。これが大戸沢か?


最後につづら折れがあるが、それ程急でも無く緩やかにまがって行く。


「よしよし、いい感じだ・・・」KLX1255だと普通に潜れる?



 だとしたらこの大戸沢支線の林道標識は不可解である。
 
現場の立地から考えるに、国道399号線から川沿いに登る林道が「敷屋林道」本線、途中から橋を渡って八茎鉱山に繋がる林道を「大戸沢支線」と言うなら納得できる展開である。

 因に大戸沢支線の竣工は昭和51年とあり、開設の翌年(恐らく半年以内、いや年度内に)入口の大銅沢橋が竣工したと推測出来る。
 果たしてこの場合、何処までが「大戸沢支線」で、何処までが「銅山林道」なのかが非常に着に成る所だ。



「竣工昭和52年2月」
渡っているのは、加路川。


「大銅沢橋」普通、沢の名前とか悲鳴とか
名付けしない?銅山林道と大戸沢を結ぶから?
とは深読みし過ぎだろうか?。



ここに建つのか?林道表示!
「敷屋林道 大戸沢支線」だと?




Gaルル先生は橋を渡って左折が銅山林道本線だとのたまう。
MRには
橋から先が大戸沢支線としか見えないんだが?


よく整備された現在も使われる感のある林道。
銅山林道?or敷屋林道?。



調査日(16/7/18)の状況:
 路面状況は良。
 昭和28年開設とあるが実際は江戸末期には道が在ったと思われる銅山林道本線。その前身は索道の管理道(現在の電力点検道と同義)とトロッコ軌道です。
 支線の千軒平や銅山神社まで線路が延伸していたようで、その先の鉱山までを索道で結んでいた。誰か当時の路線図とか持って無いかな?とか思う今日この頃。
 その為か?銅山神社までは森林鉄道らしい緩やかな登りと直線区間がある。その先はいずれも初期の精錬の為に燃料として木を伐採したり、戦後材木の需要に併せて植林の為に延伸した林道である。
 ただ、平日は鉱山関係のクルマが、土日は同業者(笑wも多く入り込んでいるようなので、ブラインドコーナーなどでは対向車の対応を先んじて行う必要が在ると思う。
 四駆のパーティーも良く入っている有名林道なので、少なくとも本線は十分注意して走るべきでしょう。
 尚、幾つかの支線、伐採道が接続しているが、林道完抜きなのはレポートしない「芝原林道 桐ヶ丘支線」だけである。

 本文にも書いたが、終点を現時点で一応399号合流点としたが、個人的には違うと未だに思っている。


出口に林道標柱があれば問題は解決
するのだが?。


無い(血涙w



「知っている情報ばかりだ」
後に双方の山を確認するのだがな。国道からすぐダート。


「茱萸平1号橋」(ぐみだいら1ごうきょう)
ローマ字表記が無いとまず読めない「難読地名」。




銅山林道群01
銅山林道 本線
銅山林道群02 支線群
銅山林道 千軒平支線
銅山林道 檜山支線
銅山林道 銅山支線
銅山林道群04
蛭沢林道
猫啼山縦走路
木戸川林道群01
電力管理道/地蔵峠線(仮)
七曲林道
木戸川林道

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