●久慈川林用軌道を元に"軌道から県道に昇格した林道"。
概要(読み飛ばし可)
森林鉄道ファン(誰だそれ?)にして「八溝三大林用軌道」と目された殕石沢(かぶれいしざわ?)真名畑、久慈川の林用鉄道が元になっている林道群である。とは言っても資料に乏しく、戦前から在ったのか?戦後いつ頃まで稼働していたのかも定かではない林用軌道なのである。
ただこの中で、真名畑と久慈川の軌道は車道に転用されていたらしいのだ。しかし手元に路線図がない為、その区間や位置も正確な所は今のところ不明である。
久慈川林用軌道は、それでも真名畑より橋台の遺構などがあるらしいが、余程の林鉄眼が無い限り判らないようなものらしい。
(何だか「らしい」ばかりの解説だな)
MRに至っては舗装化が始まってからは見向きもしない方針だったが、「元林鉄」という着眼点に気づいて、改めて写真を撮り直した訳である(威張るなよ>俺)。
こうした理由から林用軌道がらみの「林道日記に付帯した現状痕跡の確認」程度の掲載であり、コメントは全て"現状からの推察"である事をあらはじめお断りしておきます。
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全長3151m、全幅3〜4mとある。
久慈川林道極楽沢支線。
昭和30年竣工、棚倉営林署。
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「最初の左コーナー出口にゲート」
まあなんだ、写真は帰りに撮影したもので済まないが?
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なんだこれは?
よく、歴史在る古林道には路肩に
墓が建っていたりする。
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「よ、読めない・・・(爆!」
馬頭観音かな?
牛と頭の字にも見えるが?
やっぱ人名?
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TouringMapple2008.3版に林道として掲載。関係者以外通行止。
●旧久慈川林道 極楽沢線 (旧久慈川林道分岐、起点/終点土場)
総延長:3.15Km(全線未舗装)
概要
先に記したが、当ページで完抜きでない林道を扱うのは異例である。
まさに免罪符!ハッキリ言って林鉄ネタ特例措置と言えますね。
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素晴らしい里山の風景が手つかずで残る?。
いや、言い過ぎだな。
そもそも"里山の風景"なんてものは、人の手で造られし物なのだから。
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それもこれも、初めて出会ったのが福島県最大規模を誇る原町森林鉄道のせいです。漠然と林道を走るから、林道の成り立ち、変遷を着眼とするよい機会でありました。
残念ながらこの久慈川林用軌道については軌道敷設図(路線図)が手元になく、はたして今回採り上げた支線が軌道跡かは確認のしようが無い状況ではあります。
さて、行ってみよう。
極楽沢林道入口と極楽沢を渡る県道377号線の橋は山を挟んで離れているので支線林道から沢べりまではそれなりに距離がある。入り口付近も林用鉄道の軌道を彷彿とさせる作りで惚れぼれしてしまうような経線である。
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「暗橋が痛んでいる」
路肩が落ちてしまっている、要注意だ。
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路肩が落ちて撫で肩に。(沢まで落差1〜20mあるかな?)
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ゆっくりと時間を掛けて登る途中地形に沿って回り込んだ左コーナーの先にゲートが存在している。そのゲートは閉鎖しているものの、車以外は難なく入場できる作りだ。
その先から別れた極楽沢が合流してきて、コーナーを挟んで道と川は平行に南下を始める。
そのコーナーに何か立てられていた。「よ、読めない・・・」
最初は馬頭観音かと思ったが
「牛」「頭}という漢字が読める。
可能性は二つ。
一つは馬頭観音説。一般には街道沿いの路傍に建立される死んだ馬や牛の供養塔。
もう一つは人のお墓説である。戦前の林業は鉱工業、つまり鉱山と同じ友子精度が引かれていたと言われる。
親方を頂点としたピラミッド型の組織で、今風に言えば「一人親方を束ねる大親方」と言う感じか。この親方らが集まってグループを作り、国や森林オーナーとの労使交渉を行っていたという。 当時はまさに人海戦術の時代なので、労使の中間に立ってマネジメントしてくれるのだ
この林道のここで、何らかの理由に因って命を落とした人工の墓かもしれない。
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「警笛鳴らせ」
いい味出してますね、この標識。
こ、これは!。
えらく苔生した石垣が始まる。
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「いい感じの植林が続く」30〜40年前後の植林
林用軌道からトラックに変わる頃に植えられた木々だ。
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MRは手を合わせるとそれに背を向けてバイクに跨り、黙々と発進した。
ナゾの石碑コーナーを左に折れると、10数分前に橋を撮影した極楽沢と平行に揃って南の八溝山に向かって遡上を開始する。
しかし両者の間には、30m近いらくさがあった。流石林鉄由来、通る人間に傾斜をあまり感じさせないで、実はかなりの勢いで急速に高低差が発生していたのだ。
その標高差を路盤の欠損部分で思い知る。林道自体は優雅に見えるほどに里山の林道らしい、若々しい木々が美しい。またその間に見え隠れする古い標識達が味わい深い。
「魚っ!石垣だよ・・」
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林道は極楽沢と共にさらに奥へ。
さもありなん。
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ざっくり奥に向かって積みが新しい法面補強。
石垣はここが一番長かった。因みに足下の路肩補強も部分的に高く長い石垣だ。
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やがて山側の法面を石垣で土留めした遺構が現れた。
んん〜、石垣の積み石が一定に揃ってるな?林鉄初期の遺構ではなく昭和に入ってからの遺構じゃないか?
いやいや、よく見ると途中から揃わない石を適当に積んでいるような?
成る程、時代毎に何度か補修しているのか?
だとすれば、歴史は相当古いな?
その後も断続的に石垣は現れるが積み方は色々だった。
それも、どー見ても増築を繰り返して、100m近く積んでいる所もある。
一体何時から在る人工法面なんだろうか?
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上の写真は石も揃っている 。
恐らくこちらは昭和40年代かと??
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ゴルフ場のような風情だな。
猿とか出てきそう、アイアン持って(そっちかよ<俺)。
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そんなあてど無い疑問を更に自分だけの棚に上げつつ、TTR269を走らせる。
やがて断続的に現れた法面の音沙汰がなくなると、誰も通らない林道は薄い緑におおわれてゆく。
まさに「新緑萌える・・」の言葉通りの美しい里山風景だ。
その直線が終わる頃に、真っ赤な看板が二つ現れた。
それは標識だった。
手前の標識は
「待避地点 100m先」
奥の標識は「極楽沢分線」と書かれた林道標識だった。
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石垣にかかる植生も様々。
どこまでが林鉄でどこからが林道か?
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「すげぇ、何かお宝見つけたみたいだ」。
林用軌道の香りを感じる、真っ赤に萌える標識類。
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あわててGPSから地図を確認すると、既にMRは地図に道がない地点を絶賛驀進中であった。
それにしてもこの廃景、浅い若葉の緑をバックにこの錆色は「真に廃色」
文字の部分だけが見事に焼け残ったこココア色、ほぼ松崎茂色である。(松崎茂の肌色はサクラクレパスに同名色があり、同社のHPで作り方と混合配分を公開している)
その先には更に濃く、まさに「廃色濃厚」ととなる林道標識だ。
と言うことは・・・
そこには三叉路を挟んで二つのPC橋が鎮座していた。
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「殆ど読めない」
久慈川林道 極楽沢分線。
延長603M 幅員3.6M 棚倉営林局。
とある。
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木の葉沢橋。極楽沢林道極楽沢支線の最初にあるコンクリート橋。
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「木の葉沢橋!」何か銘板薄い
名前からして戦後の開削林道だな?と思う。
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昭和44年9月竣工!。
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バイクから降りてカメラを取り出す。
どうやら正面直進が極楽沢林道本線のようだ。右の橋が分岐支線と言うことだろう。橋の欄干には「木の葉沢橋」「棚倉営林署 昭和44年9月竣工」とある。
廃色濃厚の殆ど解読不能の銘板の替わりに、新しい標柱が隣に建っている。「極楽沢林道 極楽沢支線」とあるこの支線は僅か603mと言う事だが橋の先は檄藪が今年も増殖中だったので遠慮する。
極楽沢本線の「がんとりばし」を渡る。漢字側の銘板を失念してしまい、どういう漢字かは失念したが、隣の木の葉沢橋より7ヶ月早い竣工である。
橋の先はそのまま土場で、既に地図での位置が起点に書いてある全長を凌いでいた。
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昭和44年竣工の支線林道起点。
ポツリと残った標柱が時代相応の味だな。
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狭そうなガーターにPCコンクリが載ってる感じ。
道路橋で造られているのは間違いないんだが<偏見?
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おそらくもともと、林鉄時代は手前の土場が終点だったのだろう。
柔らかな緑に包まれた土場だが、奥にはまだ道が続いていた。しかし明らかに道はいわゆる伐採道の類で、それも支線同様、藪に包まれていたのであった。
「どうやらここまでだな」
踵を返すMRだった。
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「がんとりばし」
ポツリと残った銘板だが、反対側を失念。
何か感じ読みの銘板が無かった気がする。
「昭和44年2月竣工」。
支線より7ヶ月ほど竣工が早いのか。
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調査日(15/5/4)の状況:
基本的に通行止めです。
基本的に路面状況は良。一部に路盤欠損が見受けられますが、もう何年も前の印象を受けました。今後も大きな変化は無さそうです。
鹿の又沢林道同様に、車道として貫通していないのが口惜しいと感じる良い里道です。
石碑などもあるので、林容器道としては鹿の又沢線より古い林道と思われたが、掛け替えられた橋などは昭和44年以降であり。この時既に林道としての開発は鹿の又沢林道に主軸が移っていたと思われる。
また、鉄道廃線路としても路線図も無いことも手伝って林鉄時の最終土場は不明のままです。
終点近くにある三叉路と二つの橋も軌道から林道への変更後に延伸されたと思われますが、林鉄の最終土場は三叉路の手前にあったものと推測されます。
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「支線の橋より本線の橋を見る」
二つの橋とも同じスペックに見えるな。
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