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林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。





大森林道に戻る。

このContentsは、適当に増殖します。

至る棚倉/県道60号(下り)

取り敢えず棚倉に下ってみる。


「谷底注意」この状況で県道とは片腹痛い。

林道日記(OFF-ROAD・DIARY)086-1



大規模河川改修。川も道も規格化、大型化されている。
ここだけな。


久慈川林用軌道を元に"軌道から県道に昇格した林道"。
概要
 森林鉄道ファン
(誰だそれ?)にして「八溝三大林用軌道」と目された殕石沢(かぶれいしざわ?)真名畑、久慈川の林用鉄道が元になっている林道群である。とは言っても資料に乏しく、戦前から在ったのか?戦後いつ頃まで稼働していたのかも定かではない林用軌道なのである。
 ただこの中で、真名畑と久慈川の軌道は車道に転用されていたらしいのだ。しかし手元に路線図がない為、その区間や位置も正確な所は今のところ不明である。


林道にしては道幅が広い。
この辺は水辺も近い。



ここも大きく切り通し?幅だけは県道並だがガードレールなども保護設備はない
それにしても緩やかな直線だ。


「支線分岐がある」
鹿ノ又橋で軌道は対岸に支線分岐と言われているが?

 
 久慈川林用軌道は、それでも真名畑より橋台の遺構などがあるらしいが、余程の林鉄眼が無い限り判らないようなものらしい。
(何だか「らしい」ばかりの解説だな)

 MRに至っては舗装化が始まってからは見向きもしない方針だったが、全長の6割方を舗装したところで自然災害が多発し、また震災や原発事故などによって舗装の浸食スピードがかなり鈍化したところでやっと「元林鉄」という着眼点に気づいて、改めて写真を撮り直した訳である(威張るなよ>俺)。
 
こうした理由から林用軌道がらみの「林道日記に付帯した現状痕跡の確認」程度の掲載であり、コメントは全て"現状からの推察"である事をあらはじめお断りしておきます。
 
 TouringMapple2008.3版に林道として掲載。関係者以外通行止。


昭和35年11月竣工の文字が踊る。つまりその1〜2年前に軌道は終了か?。

福島県道377号棚倉八溝線   (旧久慈川林道/旧市道棚倉八溝線)
総延長:13.5Km(全線未舗装)
A区間:6.4Km(大森林道三叉路
        〜県道60号まで)
未舗装区間;起点より5.5km


「久慈川林道、鹿ノ又支線」
延長3.59Km。幅員4m


「欄干に鉄パイプ2段」は当時の東京営林署管轄のデフォルト設定のようだ。


「昭和38年起工」起工かよ!
あ、でも棚倉営林署とある。


3.6Km、林鉄の痕跡があればいいのだが?。ゲートは封鎖されている。
それでも行ってみる。


あるよ!これ!

久慈川林用軌道については、残念ながら手元に資料がない。

 一体いつ頃敷設され、それはどれ程の規模で、どこまで軌道が遡上されていたのか?
 
現在の林道の状況から当時を推察するのは実に楽しく難解である。
 
 A区間中最大の遺構がこの
「鹿ノ又支線分岐橋」の橋台である。
 平行に並ぶ車道橋が昭和35年11月竣工、鹿の又林道が同38年竣工、軌道を使ってコンクリート橋の資材運搬などをしていた可能性もある。

 B区間の所で中間にして最大の土場である中ノ沢土場にはかつて
「東京営林局技術員養成所」があったので、もともと他の二つの林用軌道同様、この軌道も戦前から関東管轄で森林管理がされていたと思われる。



久慈川林用軌道(多分)鹿ノ又支線分岐橋台、残存。


対岸には痕跡がない、残念。


 残念ながら(こればっか)手元に「東京営林局百年史」なる資料がないので、現時点では路線図も無い。勿論手押し軌道なのか動力なのかも不明だ。
 ただ、久慈川に沿って緩やかな傾斜が続くので、気動車が入って居たのではないか?とも思う。

 バイブル「トワイライトゾーンマニュアル6」には、この久慈川林用軌道の本線は、その殆どが現在の林道にほぼ置き換えられたとあり、幾つかの支線の内、この鹿ノ又支線には路盤を共用しない区間があるとされている。

 概要
紹介するには極めて変則的なページレイアウトでの紹介である。
何故かと言えばこれは利用方法に則ったからである。
 この付近の林道を何処から効率的に攻めようと思えば個人的には県道  号沿いの「白河の関」から「旗宿金山林道」「厨川林道」経由で戸中に入り、県道60号を西に300m程走って「大森林道」から来る為なのだ。


 では、取り敢えず行ってみよう。
 大森林道から左折してこの県道八溝山線(K377号線)を棚倉町、すなわち起点方向の北東に向かって下り始める。
 元林道は、その元の姿を隠すようなそぶりもなく、ゆるゆると流れてゆく久慈川に同化するようなイメージで穏やかに下ってゆく。
 林道としては極めてイージーに見えるこの区間も林鉄由来と思い直すと、成る程これは林道だよな?と思われる線形と、明らかに後年に拡張したであろう久慈川路肩の土留めや拡幅された切り通しを確認する事が出来る。
 林鉄ファンなら萎え萎え、林道ファンには痛快無比の直線ダートとなるわけだ。
 だが渓流釣りの車は勿論、しかけを付けたままに釣り竿を手に持って林道を移動する人も見るので、安易な高速走行は危険である。我々もそうだが、釣り人の多くは川のポイントを見て歩くので、通行するバイクに無頓着な傾向があるからだ。
 さて、砂利道を暫く走ると、川を渡る分岐点が現れる。

また、その起点は水郡線に接続されていない。起点と思われる土場は大塩部落の西にある大梅土場と思われる。


    さらに東に向かう。
警笛鳴らせがいい感じだ。


柱は勿論ナローゲージ。
さもありなん。



「絶壁の断崖」林道だよな、どう見ても。




これで県道とは恐れ入る。先に県道指定して観光道路として予算でも付けるつもりなのか?


 
これは支線である鹿ノ又線である。
 正確には「茗荷林道鹿ノ又支線」と手近の造林案内板には書いてある。
何故か本線名称が違う名前である。
 林用軌道時代も支線であったという話だが、現行の林道にはそんな雰囲気は殆どない。僅かに石積みが在る程度だった。林道は久慈川支流の金山澤沿いに上り詰め、源流付近で遊歩道と切り替わる。
 (様子を見てみる→鹿ノ又線

 
一方、本線はそのまま下り続ける。やがて舗装が始まると沢の狭まった所で川の対岸へ橋で渡っていた。
壜澤橋(びんさわばし)
である。親柱には昭和38年竣工とあるPCコンクリート橋だ。  
 

県道八溝山線、県道377号線。
全長13.5km。
その6割が既に舗装済み?


親柱に外傷がないって素敵!。
フツー傷だらけだよな?。

昭和38年8月竣工。
林鉄は37年度で廃止か?。


壜澤橋(びんさわばし)で久慈川を渡る。
この周辺ではここが一番川幅が狭い。
林用軌道の香りを感じる。


橋台もコンクリート施工してあり、やはりこれも林鉄の橋を同じ場所に掛け変えているのだろう。

 さらにそこから、距離のあるS字を一発抜けると、再び同じ様なコンクリート橋が現れる。
「極楽沢橋だ」
と言うことは、この先に支線の極楽澤線があるのか?と思いつつ比較的大きく廻る見通しの良い川岸の林道は。その先で急に道幅を減らしつつ、峻険な切り通しのような所でクルリと反転する。
すると、右上の斜面から林道が合流してくる。
これが「極楽沢林道」である。

 久慈川林用軌道で最も古い一番最初の支線のようだ。しかしここもゲートが閉じられている。
 GPSで全長を測っている都合上極楽沢支線への突撃は一旦棚上げし、大人しく起点に向かって舗装林道にしか見えない県道を進んでゆく。
(棚上げせずに様子見→極楽沢林道

 やがてどの地図にもあらかた載ってる巨大な砂防ダムを通過した。
 ダムには釣り人も居るようだ、慎重にバイクを進めてゆくと、何とも中途半端な通行止めゲートが現れた。工事看板には今年度いっぱい(レポート時は2014年1月頃である。現在は多分ゲートは無い(筈。


昭和28年竣工だと!


極楽澤(ごくらくさわ)橋。
極楽沢林道と沢の出口は別々である。
下って来ると先に沢の合流点。


そして支線、
極楽沢林道(笑w↓」


緩やかに合流する支線の極楽沢林道。道幅こそ車道化で倍の広さだろうが、
この角度やパーミルは林鉄時代と変わらないとオモワレ。



 ゲートで写真撮影を済ませると、その先は広大な資材置き場だ。
 
成る程ここが「大塩土場」林用軌道の起点と目される所だった。


久慈川林道極楽沢支線。
昭和30年竣工、棚倉営林署。

ここから棚倉までの輸送ルートや方法は全く不明である。
 そもそも久慈川林道時代の、と言うか旧久慈川林道の標識をMRは確認出来なかったのだ。

 さて、現在の県道の起点はこの先の大岩平部落を通過してその先の県道60号線の合流点である。
 勿論そこまでは、部落内がいいささか狭いが全面舗装である。
大塩土場と部落の間に、もう一つ古い橋があるので、最後にご紹介を。

 
昭和11年11月竣工、久慈大橋である。竣工年はこの県道中最も古い。
 この橋は車道として造られたと思われる、森林鉄道ではない、久慈川林道のルーツ、最初の遺構と思われる。



全長3151m、全幅3〜4mとある
覗いてみる?


大塩土場ゲート!
と言っても工事用仮設ゲートだ。既に釣り人らの
車が何台も入っていた。


2015年春の起点、大塩土場。
ポツリと残った桜がいい味出していますねぇ?。
建物の残骸などから相当古い土場らしい。


調査日(14/1/4)の状況:

 基本的に路面状況は優良なれども、
ここ数年断続的に道のどこかで舗装等工事中です。



久慈川橋。(だったと思う?)今となっては片側1.5車線ではあるが、
当時は必要にして十分だったのだろう。


素晴らしい橋脚美だ!
橋脚の幅が広く林鉄用の橋ではない、車用の専用設計である事が確認できる。

 
 
このレポを書いてる時点(2015/5)でも、未だに部分工事中。2014/4月の時は八溝山下のつづら折れの入口付近が法面崩落とその補修工事で全面通行止めだった。
 その工事看板は、起点の大塩土場の仮設ゲート前及びレポート初めの大森林道三叉路にありました。その大森林道は、戦後木材の搬出車両が軌道、普通トラック、大型トラックと巨大化するのに合わせて、大岩平の部落を通らない県道60号線へのショートカット林道として造られました。
 故に久慈川林道の
「壜澤橋(びんさわばし)」や極楽沢橋が殆ど無傷なのは車道化以降、小型トラックしか乗り入れてないからだと断言出来よう。
 部落は勿論の事、県道内も通しの悪いところは絶対に飛ばせない元林道である。



昭和11年11月竣工?。
昭和11年で車道橋だとぉ!



「ここが県道起点」2車線の7m道路が県道60号線、
写真左折が県道377号八溝線だ。


次の林道に進む。





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