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廃道日記(Riding・Report)



国道13号線旧道「栗子山隧道」の双璧
奥羽本線板谷峠。

 それは東北屈指の傾斜33.3パーミルの激坂を
4つのスイッチバックを使って登坂する驚愕の鉄路。

 蒸気機関車がスリップし、
自然を克服する為に造られた筈の隧道で乗員の窒息事故が
起こる程の
「魔の鉄路」でもあった。


 その廃鉄を、去年に引き続き林道屋が挑む。



「新幹線だ!隠れろ!」いい大人が何やってんだか?



ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



(

このContentsは、適当に増殖します。
廃道日記(Riding・Report)037

それは明治から連綿と続く、日本鉄道史の縮図である。

 計画と首謀者。
 

 明治18年、当時の工務省鉄道局は長野の碓氷峠に続いて、官営主導の新規鉄道を福島〜米沢間と定め、当初は民間の日本鉄道が計画、申請していた路線と建設費を下敷きに、改めて鉄道省で吟味される事となった。
 
ここで、この鉄道の歴史には無いある人物が猛プッシュをかけて来たと思われる。
 
廃道ファンの皆様ご存知の、あの鬼県令三島道庸閣下である。
 当初奥羽山脈越えには、福島から松川渓谷を遡上して福島〜庭坂〜(栗子峠越え)〜米沢〜山形に至る案と、摺上川を遡上し福島〜飯坂〜(鳩峰峠越え)〜高畑〜山形に至る案が在った。
 共に豪雪地帯の上に、碓氷峠に迫る急坂が予想された路線計画でもあった。
 建設費の見積からすれば路線距離の短い摺上川案だが、当時の技術では鳩峰峠の長大隧道の建設に難があったとされる。
 松川案は路線距離が長いものの短い隧道を繋いで行ける事、途中滑川に鉄鉱石を産出する滑川鉱山がある事で現在の松川案となる。
 
これは、三島閣下の会津三方道路に通じる富国強兵策において、自ら開発した対ロシア軍事道路でもある大峠や酒田港にも通じる新たなルートでもあった。道路マニアの閣下でも、鉄道の輸送力と欧米列強のステイタスを併せ持つ事は重要であった。
 こうして閣下のロビー活動によって鉄道省は松川案を採択し、三島閣下はまんまと庭坂に
鉄道省管轄の庭坂駅を誘致する事に成功する。当時の福島駅は私鉄である日本鉄道の駅であり、加えて水の便が悪く、蒸気機関車の運用に難があった事も理由であった。



集合!某7-11にて太陽発電パネルを展開するおぉじぃさん。


 
県令時代の明治15年、三島は福島市内の公邸の他に庭坂に私邸を持ち、高湯温泉から引き湯して温泉を愉しむ程の温泉好きであった。
 
当初は飯坂温泉を我が物にしようと企んだ閣下であったが、伊藤博文伯爵の何番目かの愛妾が居たり、当時飯坂の名士であった堀切氏と若葉町建設の際に遺恨があったりして、その計画は頓挫していた。
 そこで閣下は、予てから計画に沿って高湯に歓楽街を作って有力者を色と欲で懐柔し、中央政界進出の足掛かりを得ようとした。あらはじめ書類操作で名義変更した温泉井戸から大々的に引き湯して、新たに温泉街「湯ノ町」を作ったのである。
 
その為にはどうしても奥羽線が高湯の近くを通って貰う必要があった。
 まるで怨念成就のように明治政府は奥羽線を松川案に決定、明治21年に死して尚、自分の意に反した堀切氏への
報復ともなったのだ。

 こうして開削された奥羽線福島〜米沢間は明治、その後の鉄道史に残る壮絶な生き様を見せる事となるのだ。
 20を越える大小の隧道と橋梁、4つのスイッチバックでかろうじて作り出せた
アプト式を用いない通常路線最強の33.3パーミル(最大33.6パーミル)の猛烈な坂道路線が、この峠区間最大の特徴なのだ。

(注釈 白文字/文献等に書かれた史実
    
山吹色/MRの妄想)
今回のルートはTouringMapple2005.3版に未掲載。(林道表記なし)
県別詳細マップルは実線道路区間として発電所までは掲載。


国道13号栗子ハイウエーを疾走する4台
125/90/225/110の順?



正面に見えるのは造成中の東北中央自動車道福島米沢間の大滝宿パーキングエリア。


旧米沢街道に突入!電柱に添って前進する。


 謎は解けた!!  2

 
前回2014晩秋赤岩駅においてMRとおぉじい氏は明治謹製の6号、7号隧道と崩落現場、それに伴う東赤岩臨時駅を堪能した。
 
駅から見る松川渓谷には足下に今は亡き松川橋梁の橋脚と、対岸に坑口を見せる4・5号隧道をじっくりと眺める事が出来た。
 そして今回、
当初の計画通りに板谷探訪を発動したのであった。

 
今回の最大の難関は、ルートの一部にある某発電所の敷地を横断しなければならない点である。
 歩く分には何の問題の無いルートなのだが、単車で行くとなれば鉄橋とゲートの存在は俄然大きくなる。
 勿論ゲートが永年施錠で管理されている。今回はそんな、まさにヤバイ橋を渡る企画故に掲示板での告知はしなかった。
 2〜3の知人にその旨を伝えただけである。それでも当日は4人の参加者が集った。


終わる事ない電柱の列。
実は最後まで着いてくる。


段々坂がきつくなる!
うむ、いよいよだな



キタ!問題の橋だ。発電所の取水口がある。


 オフバイクが2台、スクーターが二台と言う
廃道企画史上、初のスクーター参加となる。
 セブンイレブンに会した4人4台は一丸となって、まずは国道13号線を北上、哀愁の東栗子トンネルを抜けて板谷に到着した。
 一路五色温泉方面に向かった一行は、
旧米沢街道である林道に突入してゆく。

  工場街を抜けると舗装が途切れ、道は崖っぷちの林道となる。
 松川の本流であるが、
対岸に奥羽本線が在る様には、まるで見えない。
 林道は加速度的に下りの角度を増して、ついに小さなヘアピンを連続して無理矢理に川岸との帳尻を合わせようとする。
その過程で、問題のゲートと橋が現れた。


(Photo:2011) 
 シリーズ「鉄道廃線路を歩く」の著者である宮脇先生が訪問したときにはこの鉄橋は無く、先生は川を渡って対岸を登ったと思われる。

 三叉路で米沢街道と別れを告げて、その囲いに挑む。先頭にアタックした順番に、ここで今日の参加者を紹介しよう。まずはスクータの
アクシス90で参加したのはS老師、割とあっさり倒して入って行ったが、・・
「ちょっと、起こせねぇ」
・・・だよねぇ。


見なかった事にしましょう。
すいません、通るだけですから。



対岸に到達!その横には?
(Photo:2015/10)


うむ、確かに監視カメラだな
(Photo:2015/10)


ここが入口。KLXで見えないが単車の奥に道がある。
(Photo:2015/10)


 続いて本日最大排気量(笑w の
セロー225を駆るおぉじぃさんが潜って・・・
「ちょっと、助けて・・・」矢張り起こせない(爆w 思った通りだ
 流石薮部の隊長と水先案内人、躊躇なく単車を倒して潜り抜ける。
 首謀者の
MRがKLX125で抜けた所で、施錠が南京錠からダイヤル錠に格上げ?されている事におぉじぃさんが気づいて弄り始めた。
 遅れてはるばる千葉から来た
あずさ2号さんが新車のアドレス110で追いついた。
 その時、
鮮やかにおぉじいさんがダイヤル錠の謎を解いて一同を驚かす。難なくアドレスは通過する。
 
いよいよ、廃線の探訪が始まる。
 発電所取水施設が川岸に向かって降下を始めるその場所に、山側のフェンスの間に
廃鉄ファンが歩ったマニア道が存在している。下見のときには無かったロードコーンが一つ置かれていた。
 下見以降の一ヶ月の間に管理者が来ているのは間違いない。


10月の下見でこの位の藪。
(Photo:2015/10)


11月末になるとすっかり見通しがいい。
まずはアクシス90のS老師。



そして新車アドレス110で藪に来るあずさ2号さん。
嬉しそうだな、こんな地獄で。


殿は本日の最大排気量225ccのセロー&おぉじぃさん。


実はここが分岐路!奥に12号隧道の
雪止壁のコンクリートが見える。

(Photo:2015/10)


写真中央が道?その左手は高さ1m程の敷地のような盛り土だ。


熊笹の海は俺の海、俺の果てしない憧れさ〜



急にまるで路盤のような道が?

そこから突入する。
 スルスルとKLXで登って、その先でおもむろにカメラを構え参加者を捉える。
 スクーター2台はかなり大変そうだがS老師のアクセルワークが素晴らしい。非力なアクシスをこんなケモノ道でここまで引っ張るとは流石だ。
 あずさ2号さんもアドレス110で躊躇無く登って来る。もうセローなんかは鼻歌まじりだ。
 
道也直進で4台が登って行くと、コンクリート製の壁が現れる。
 
道は福島方面に戻る様に続いて、登りから水平に転じた。てっきりコンクリート壁の裏に隧道がある三叉路かと思って、道を外れて突っ込んでみたMRだが裏にそれらしいところが無い。
「妙な平場が続いているな?」
 先頭はヤル気満々のS老師に任せて、雑木林の中をうろつくが目立った遺構などは無い。
 薮こそ少ないが、どう見てもスクータで逝ける筈の無いケモノ道を、面白そうにS老師が明治の蒸気機関車がこの奥羽線を登る様な遅さで
「まるで歩く様に」走って行く。
 後ろのアドレス110は明らかに難儀しているが、まるで憑かれた様にあずさ2号さんが必死に追いかける。
 その後ろでおぉじいさんがアドレスをフォローしている。

 林の合間からこの3人を見た時、
明らかに何かを見つけた様な表情とともに、駆け寄る様に走り去って行った。
「やっぱりあっちが坑口か」
 林からKLXで飛び出すと福島方向に大きく開口した隧道が現れた。



キターー!(笑 
11号(第2大日向)隧道と昭和のスノーシェッドだ。


 それは明治謹製の煉瓦隧道と、昭和戦後に追加増設されたコンクリート製のスノーシェッド(防雪覆い)であった。
11号
(大日向)隧道、現在の名称を環金(かんがね)トンネルと言う遺構である。
ついに辿り着いた!本日初の明治隧道である。


ゲートが寝静まって1年は
越えているようだ


枕木がある回廊!
その高さに合わせて砂利をひいている。


まるで城造りの様な角合わせ。
板谷の山中でこんな精度が必要か?


スイッチバック時代の名残か?
標識が下がっていた跡がある。


3.3パーミルが吠える路盤。



反対側には碍子、連絡用の電話線が
繋がっていた筈。



天井にはアンカーボルトの跡。
電化の時の架線を吊った基部だろう。
このシェッドは昭和35年頃造られた物。



 新幹線の逆襲。    

 盛大に倒壊した坑口前の単管パイプのフェンスを意に介さずアクシス90が走り抜け、坑口前のシェッドの下でS老師が呆然と天井を見上げている。
「すげえぇ・・・」
 隣に止まったあずささんが驚嘆の声を上げる。
 鉄道ならではの馬蹄形をした坑口は常磐線で見た明治隧道群に比べ少々小さな印象を受ける。
 ソレもその筈、11号隧道を含め、廃止区間の隧道群はいずれも立地条件の悪さから廃止になるまで止めどなく補修と改良を繰り返して来たのだ。
 前回見た7号隧道との大きな違いはこの運用期間の長さに尽きる。
 僅か7年程度で崩落、路線の大幅変更を受けた7号隧道と違い
、11号隧道は明治、大正、昭和、戦後と使われたのだ。



おかしい?何故ここにスクーターが居る?
シェッドは昭和21〜35年の間に二度に渡って増設されている。この一部欠けている4スパン分が
おそらく昭和21年からの改修工事の際に最初に造られた部分だ。


「こっちが明治の隧道で、しかも途中で石作りの覆いが被っている」
 しかもその上にさらにモルタル吹き付けをして、地下水の急激な変動に伴う天井の煉瓦落ちを防いでいるが、それでもモルタルが剥脱している。小さく見える理由はコレだろうか?
 隧道の手前に在るのは
昭和戦後にに増設されたスノーシェッドだ。内側の要壁部分は石積で、これの昭和になってからシェッド用の柱をコンクリートで造っている。
 その高い石積みの防雪壁の上に強固に法面から補強を取った屋根を、わざとアングルを付けて谷川に屋根を傾け、接地している。
 谷川にシェッドの足があるが、既に崩壊寸前のひび割れが発生しても屋根が揺らぐ様子は無い。
 工事用に一本足ごと穴を空けられているが、びくともしない強度だ。
 
あずささんと二人で写真撮りまくりである。それ故最初は気づかなかった。


さらに先は在るが、光がない。


「閉塞している」
写真左からコンクリート要壁が迫って、隧道が閉塞してゆく


「ん?工事用軌道の名残りか?」てゆうか、人が居るぞ!4〜5人程。
 
相手もまさかこんな所でバイクの集団に会うとは思わなかっただろう。ひどく驚かれた様だ。
まあスクーターはねぇだろうなこんな所で。
 聞くと先に赤岩駅を見て来て、ここに移動して来た廃鉄愛好家と言うが・・・歩って?ではないよね。おぉじぃさんらが相手をしている間にあづささんと話をする。
「この隧道、閉塞してる?」
「いや、ちょっと違う筈です」
そういいつつ、二人は貫通特有の風がない事が気になっていた。
 足下は
撤去されていない枕木の高さに合わせて雑にコンクリートが打設してあり、まるでクルマが入れる仕様だ。
「逝ってみますね」
 KLXで前進してゆく、明治の煉瓦に昭和初期の石造りに拠る補強、そして唐突に左側から真新しいコンクリートの壁が!
「塞がっている」
 
同じ物を万世大路栗子山隧道、山形側明治坑口の最奥で見た事が在る。
これは、現新幹線のトンネル補強のコンクリートだ。
 MRととんぼ返りにあずさ2号さんも確認にアドレス110で突っ込む。


煉瓦は明治、石造は大正補修、昭和戦前はモルタル補修。


さっきの出入り口から外の通路へ。
軽虎が行ける道幅がある。



この辺は道が不鮮明。眼下に砂防ダムが見える。
まだ道は続いている。

なんだこりゃ?鉄道部材で路盤補強?。
こんなのが一杯埋まってるのか?


「あ、新幹線だ!」て、ピース上げてる場合じゃねぇ。


赤崩側末端到達。流石にここから先は危険だ。
それにしても、凄い流用だな、これは。


「現環金トンネルの裏ですね、コンクリートの奥には山形新幹線が走っています」
 廃鉄愛好家の彼らを見送って11号隧道の福島側坑口を見に行く。
 
どうやら環金トンネル開鑿の際に裏側から補強をかける為の、いわば工事用通路だったのだろう。シェッドの横穴には軽虎サイズの道幅が・・・(いや、足跡のみだな)
 やっと?繋がっている。その道は路肩にC鋼や枕木なんかで補強されてる頼りない道だ。
 一瞬、宮脇先生の言う工事用軌道か?とも思ったが。(注、やはり元は明治32年の工事用軌道の廃線路でした)
 そして福島側坑口に辿り着いた我々を出迎えたのは山形新幹線だった。

「ヤバい隠れろ!(いまさら・・・?)
「運転手も"今日は変なのがいるなぁ"って思ったでしょうね(笑w」
 
何と、環金(かんがね)トンネルの坑口はそのまま明治製の11号隧道を使っていたのだ。


明治隧道に山形新幹線が
吸い込まれてゆく。



白杭には「鉄道保安林」
初年度登録「昭和27年」
これは昭和21年策定、翌年実施の GHQ承認
「電化5ヶ年計画」の最終年度と思われる。


明治11号(第2大日向)隧道改め「環金トンネル」
明治隧道の抗口から伸びた昭和のスノーシェッドがモダンに見える。


 
電化するときに路盤を下げて天井を上げ、上下に拡幅したらしい。
 さらにそこに現代風のスノーシェッドを10m程付けてあったのだ。
 
その上ミニ新幹線に併せてレール幅を変えてあるのだから参る。
「大体、在来線より新幹線の方が圧倒的に本数が多いんですから、奥羽本線は」
 真新しい白木の杭に「鉄道防風林」許可票があったが初年度登録が昭和27年とある。 100年以上使って、まだ現役には恐れいった。


余裕だな。その奥にある穴は・・?
昭和21年製のスノーシェッド。



複線電化の際?に開けられた保線管理道路の為の「穴」
豪快だよなぁ。でも何でこんな所に穴を造る必要があるのだろう?
昭和21年製のコンクリートは物資枯渇の時期であまり良い製品では無く、劣化が激しい。


11号隧道と12号隧道の間に広がる原野。
バイクはここに置いてゆこう、とあずさ2号さんは南側に歩き出した。



 新たな謎は「藪の中」に。   4 

 赤岩に行くには鉄道防風林の中を新幹線運転手や監視カメラの視線をかいくぐってトラバースするしかない。
そんな事は単車では不可能なので(一部真剣に考えた人もチラホラ)今度は引き返して板谷・米沢方面に向かう。

 下りでもやっとのケモノ道の坂を、今度はスクータが頼りなく登って行く。
 そして狙った様に
突き出た岩にヒット、押したり引いたりとタイヤ位置を替え、10分程でやっとクリア。そのあとをセローが2秒で越えて行く。
「おかしい・・・」山裾まで平な雑木林を眺めてMRが言う。



アドレス110はオフ車なのか?。違う!
違う筈だが、何に乗ろうとヤる事は変わらない"漢"、あづさ2号


「軌道痕にしてはあまりに地形がおかしくありません?」MRの疑問にあずさ2号さんが同調する。

 今越えた段差は本来の敷設軌道の登り角度からは考えられない登りだ。敢えて言えば鉄道用ではなくクルマ用にも見える。
 意味が分からないだだっ広い雑木林、妙な高さと形に揃えられた土地、高さが合わない軌道痕・・
「ちょっとその裏の方見て来ます」
 あづさ氏はアドレスをその場に置くと南側の雑木林の奥を見に行った。
 最初に発電所から登って来た、コンクリート擁壁の袂まで戻る。
 MRは一度立ち止まるが、先頭のS老師がそのまま降りてしまったので、おぉじぃさんが追い掛ける。
 最初、
擁壁の奥か?と思って行ったが何も無かった。・・・つまり、 西側の薮を睨んで見据えると、パズルの様な風景の奥に隠れる本当の原風景が・・・!

「ここだよやっぱ!」
KLXが無理矢理
薮の「扉」を抉じ開け、軌道道床に踏み込んで行く。
 
激薮の結界の果てにポッカリと空けた穴が待っていた。12号隧道である。
 取り敢えずエンジンを切ってKLXをその場において、熊鈴を付けると元の道に出る。物音一つない青空の奥で新幹線の通る風鳴りが聞こえる。
 
いや、誰かが薮を歩く音がする。熊さんじゃないといいなぁ。
 答えは一分後、予想通りのあずさ2号さんが先ほど消えた南側から現れる。何でも作為的に仕組まれた一片のレールがあったとか・・・?


見えた!こじ開けた扉の先に、
12号(天狗山)隧道。


トツゲキしてゆくあづさ2号さん


貫通!緩く右カーブしている隧道。


12号天狗山隧道は脇が全て石積みだった。
ここは明治から石積みのようだ。


二人で現状の突き詰めを行った予想では、

1)軌道痕は基本的に一定の角度で登り続いている。(確定
2)軌道南側
(つまり松川側)、入口手前の窪みは、元々の土場または作業所があったのではないか?(予想
3)軌道南側、東の11号隧道手前の盛りは、明治隧道掘削のズリではないか?
(予想
4)軌道南側12号隧道脇の空き地も、明治隧道掘削のズリではないか?
(予想
5)軌道北側
(栗子・板谷側)は全域山裾まで、明治隧道掘削のズリと、さらにその上に積まれた新環金トンネルの掘削のズリではないか?(予想?

写真を撮りながら漠然とそんな予想を立ててみていた。



12号(天狗山)隧道通過!そして驚愕の廃景が・・?



路線略図(JTBキャンブックス「鉄道廃線路を歩く」)より転載、加筆。
青線が地図上にある道路標示(旧米沢街道及びダム管理道路)

●旧米沢街道(仮称)
区間総延長:不明、全線未舗装
概要
 当路線は福島側を北山林道終点で分岐、旧米沢街道李平宿を経由して福島/山形県境となる蟹ヶ沢を渡河し、米沢板谷の県道154号檜原板谷線(五色温泉道路)に接続するダート路である。
福島県側を「林道高津森線」(総延長5.7Km)とし、林道終点から河畔に至る約1Kmは法規上林道(公道)ではない。
 2007年頃まで途中の三叉路の看板に「産ヶ沢造林地」の看板があったが現在は不明。旧道区間が存在し、県指定「旧米沢街道石畳」の標柱があるが、旧道はその区間以外はほぼ廃道状態である。旧道参考;2009「旧米沢街道探訪」
渡河では年の1〜2回程度の「車両水没、スタック」の怪情報があるが、詳細は不明。

参考文献
文献名
著者
 高湯温泉 四百年史  高湯温泉観光協会 著
 鉄道廃線路を歩く  宮脇 俊三 著




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