廃道日記(Riding・Report)
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取り敢えず、朝からノンアル(笑。 |
廃道日記36「会津の峠集中講座"大内宿"」 |
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大内宿。 参勤交代と 幕府の為の会津米運送のため開かれた 下野街道(江戸からは会津西街道) 以前から在ったと言われる。 秀吉の時代には、 会津の芦名氏、田島の長沼氏が 火玉峠(現氷玉峠)を挟んで 戦いを繰り広げる。 そして幕末には 戊辰戦争の真っ直中で、 宿場は 戦禍を免れ現在に至っている、 それ故に、 各地区からの間道が 折り重なるのだろうか? |
下野街道(会津西街道)の要衝、大内宿 |
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大内ダムのほとりで車中泊。やっとタープを掛ける。 |
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さて、県道131号線氷玉バイパスを駆け上がり、大内トンネルを抜けると大内ダムは既に一雨遭ったようで、霧と共に静まりかえっていた。 |
なかなか霧雨が止まない。 朝からノンアルのんでくつろいでいる。 おお、ここ電波が入らないぞ!SB! |
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ルーフに雨粒が叩き付けられる。 |
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さて行くぜ!。全部で6つもある峠を見に行こう。 |
下野街道(Simotuke-Kaido) |
032
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霧雨に煙る大内宿。霧の流れる中、美しい風情が判る。 |
No-033
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大
内 峠 (大内峠) |
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四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。 |
「ゲート無しの舗装?林道か!」 |
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「大内峠の一里塚」チョット待て、手前のは何だ? |
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こんな豪雪地帯にアルミ複合板だ? 3mm鉄板に足2本で造れ。 文字はペンキ書きだ! |
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「左右の塚が完璧!」でも、周りの柵がもう限界だよ(笑w 「案内板を読む」当時の20Kmて足で半日の距離? |
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「んん?作業道はどっちだ?」 |
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「間違えた上に滑り落ちた?」 すると、ここって作業道っポい。 「続いている」作業道はダブルトラックが豪華沢になっていた。 |
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下野街道(Simotuke-Kaido) |
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034
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氷玉バイパスピーク付近にあるパーキングエリアに 旧街道の入口と看板がある。 |
No-033-2
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氷
玉 峠 1 (火玉峠) |
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四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。 |
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「下野街道の案内板」氷玉バイパスの峠パーキングにて。 |
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入口を入って左折、大内峠に向かって まずは下ってみる。 |
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「三郡堺の塚」塚というより倒木撤去した根っこみたい。 「解説がある」というか、当時の山道で駕籠を振り回せるほど 道幅があるようにはとても思えないのだが。 |
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三郡境の塚の先に下野街道の標柱があるが、 その先は完全に登山道! 素早く退散する(笑w |
また、この地は藩主通行の際の 御駕籠(おかご)引き受け地であったとも伝えられています。 |
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その先には、延々と下野街道が続く。 入口から下の三郡堺の塚までが石畳、入口から氷玉峠までが山道である。 |
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おお!祠がある!。妙に新しい階段もある? |
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モロにバイパスの切り通しだよ。 トンネルにすればいいのに。 |
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「反対側も見てみなくては」 いや、バイパスで分断されているのは承知の上なんだけどネ。 |
次の廃道も見てみる。
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