廃道日記(Riding・Report)
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取り敢えず、朝からノンアル(笑。 |
廃道日記36-2「会津の峠集中講座"大内宿"」 |
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大内宿。 参勤交代と 幕府の為の会津米運送のため開かれた 下野街道(江戸からは会津西街道) 以前から在ったと言われる。 秀吉の時代には、 会津の芦名氏、田島の長沼氏が 火玉峠(現氷玉峠)を挟んで 戦いを繰り広げる。 そして幕末には 戊辰戦争の真っ直中で、 宿場は 戦禍を免れ現在に至っている、 それ故に、 各地区からの間道が 折り重なるのだろうか? |
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大内ダムのほとりで車中泊。やっと出発。 |
下野街道(Simotuke-Kaido) |
035
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鮮やかに晴れ上がる大内宿。イザベラバードも眺めた風景。 |
No-036
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市
野 峠 (峰越連絡 林道市野 大平線) |
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四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。 |
「舗装?林道か!」もはや元の峠道も判らない。 |
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舗装林道をウネウネと上り詰める。周りは森ばかりのつまらん風景だ。 ここが峠か! 「市野峠」今日始めての峠越え。 まあ、舗装林道だし。 |
イザベラバードの道(日光街道) いいのかこれで? |
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こんな開通記念碑にも地元の期待が感じられる。 平成2年10月16日とある。 |
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「上の道←」おおっ!イケるのか? |
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・・・・真新しい階段だよ。 階段じゃ無かったらトツゲキしてたな、俺。 林道は片側一車線の2.5m道路、待避所が多い。 まだ何かあるぞい? |
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「上の道の出口!(爆」 「本気で通れそうだな」入口は階段だがな? |
「あれ?下の道は何処だ?」 |
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てか、 |
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「何げに路肩に手書き表示?」入口は確かに広いが。 「山ノ神橋」無事渡れるかは「神のみぞ知るセカイ?」。 |
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「民有林林道 市野大内線 終点 会津美里町」 「幅員4.0m 延長4.790.9m」 |
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イヤイヤ、下の道の"上の入口"は、ドコ? |
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「山神はコレに?」水神様なのかな?。 |
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「そして市野の部落に到達」昔ながらの供養塔に見送られ、部落へ。 |
下野街道(Simotuke-Kaido) |
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034
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氷玉バイパスピーク付近にあるパーキングエリアに 旧街道の入口と看板がある。 |
No-033-3
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氷
玉 峠 2 (火玉峠) |
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四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。 |
栃沢部落(会津美里町)側の氷玉峠入口。 丁度写真左に走る車の辺りに冬季閉鎖用のゲートがある。 |
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最初は舗装、氷玉バイパス完成に合わせて 舗装された模様。 |
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「栃沢の一里塚」大内峠の一里塚同様に街道左右の塚が残っている。区間連続で左右残っているのは大変珍しいらしい。反対側の写真を失念。 |
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舗装の切れ目ハケーン!(笑w いよいよ本領発揮か? |
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「ええっと、どっち?」 取り敢えず林道らしい写真左の道へ。 「いかにも街道らしい感じだが・・・」 お!氷玉川を越える!。さらに奥へ 開けてきたら路盤崩壊!。何が起こっている? |
なんだこの道は?造りかけの林道?。 再び氷玉川を暗橋で渡る。 何となく先細りな気が・・・ |
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突然、終了してるし。 でも何かすげー中途半端感あるな? |
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下野街道(Simotuke-Kaido) |
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038
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「櫻木姫墳」霧雨で寒々とした結能峠に瀬尾向ける姿は、 何処か象徴的だ。 |
No-037
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結
能 峠 (唯納峠) |
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四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。 |
悠久の時を街道と共に生きたお地蔵様。 右が大内峠、左が結能峠である。 |
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深夜にこのお地蔵さんは見たくないな。 すげー怖そう。 阿久茶の方角が南、すなわち大内宿。 もうすぐ永眠状態の林道標柱。 「小野川林道 延長2.44.1m」とある。 |
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大内宿の原風景!。林道脇の小野川から水を引き、田畑を耕す。 |
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鬱蒼と茂る針葉樹林の直線を ハイスピードで登ってゆく。 |
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待避所100m先!縦長の風景故か、正方形に見える? |
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気象観測所がある。 風量、雨量、積雪量などなど、計る物は多そうだ、 更に登ってゆくと、「何かある!」 |
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お!鎖のゲートだ!。 ムフ?脇が甘いぜ! |
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分かり難いが、ゲートから暫くは沢の北側を走る。 例の航空事故の支線がある手前で、暗橋を介して道は再び南側へ。 やがて、廻りに山陰が無くなる。 峠が近いのか! |
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おう!END!。土場の奥に微妙な踏み跡がある。 峠を抜ける人がいるのかも知れないが・・・? |
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写真右が本線である小野川林道(本線)、 左が航空事故慰霊塔への支線林道である。 |
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既に虫たちのアパートメントと化している、 現場入口標柱。 |
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下野街道(Simotuke-Kaido) |
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039
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聖書「会津の峠」には近世において、氷玉峠より容易に峠越え 出来ることできたと記される。 |
No-038
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檜
和 田 峠 (檜皮峠) |
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四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。 |
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本来の道筋を単車で辿れない。檜和田峠の入口は大内宿 |
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のメインストリート真ん中
にある神社の参道である。 約1.1Kmの県道329号大内バイパス(仮) 実は写真位置は三叉路。 写真右のあぜ道を行くと突き当たりが街道。 |
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県道通行止めの表示!右側に開けた所は? ちゅーか、県道ってすら書いてねぇ! |
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右側にあるのは?大内宿の水源地だ。 写真右奥が目指す峠だ。 |
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これが県道だと! 美味しそうな蕗が採れそうな道じゃねえか?(違w |
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これで県道なんだ!水道施設から300m程、ごめんもう駄目? |
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次の廃道も見てみる。
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