廃道日記(Riding・Report)


A区間 最終局面・・・か?。

オレンジの線は2011年探査時の通過ルート。赤線は昨年(12')通過ルート。
が前回"01"でのループルート。




廃道日記 30-2「Last Piece! 卒塔婆峠A区間 02」


ほぼ、解明された卒塔婆峠。仮定懸道二等線の現状。

それは
旧江戸期の相馬中村街道を引き継いだ最後の道。

卒塔婆峠の道筋は荷車を通すには決定的に力不足だった。
懸道指定も外され道は徐々に衰退してゆく。

そしてついに・・・?



ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


 おさらい
(卒塔婆峠の沿革についてはこちら)


 ここ毎年のGWの一斉捜索?によって卒塔婆峠は勿論、かつての間道と目される昨年の大久原林道(仮、林道日記073)のルートは確定され、卒塔婆峠の全容をほぼ把握出来た。
 そして、当ページでは"A区間"と呼ばれる東玉野地区から卒塔婆峠の西側にある軽井沢までの小さな山越えルートだけが残された。
 これ迄の関係者?からの事情聴取によれば、
1)MRは入口を確認したが、そこ迄しか行ってない(爆
2)ジモティのご夫婦は判らない。
  (正確にはいくつか在る林道のどれが旧道/旧街道なのか判らない、という事。)
3)行った事があるが、(東玉野に)繋がらなかった。(S老師&T師匠)

 軽井沢林道は昭和44年から50年にかけて車道開削と延伸が成された林道だが(林道日記071参照)ジモティ老夫婦(推定年齢70歳前後)が
「子供の頃からこの林道(軽井沢林道)で山に入った」
との発言をしており、林道自体は1950年代から存在していた事になる。
 
昭和25年?と言えば戦後のエネルギー需要が高まり始める頃だ。原町森林鉄道など、明治から戦前に開発された各地の森林鉄道がすでに再起動した頃であろうか?
 この軽井沢林道を走ると何かに似ているとずっと感じていた。
 それは旧原町森林鉄道馬場線の代替林道である馬場林道(林道日記044)と同じで、急な登りやきついヘアピンが全くない、峠までは軽井沢に沿ってじつにゆるやかに登る林道なのである。
 勿論これは台八車などで伐採された木材を転出する為ではないだろうか?と思われたが、残念ながら文献などにその詳細は見当たらなかった。

 ただ、そう考えると
A区間の衰退は軽井沢林道の発達と共に、戦後既に決定的だったと言えるのではないだろうか?



地獄の門?閂を忘れているぜ!。



今回のルートは
TouringMapple2010.3版に一部掲載(点線表記、部分的に表記なし)。



参考文献一覧

著者、編纂

製作、発行年

福島縣道路改盤沿革概要

福島県

福島県 昭和3年

塩の道を行く

朝日新聞福島支局 編

歴史春秋社 昭和60年

「歴史の道」
 相馬街道(奥州西街道)中村ー本宮

福島県教育委員会

福島県教育委員会
 平成17年10月


今回のレポートにあたり、掲載された写真の中に一部昨年撮影、公開分も掲載致しました。
写真下のキャプションに撮影年を記載致しました。年月日の無い写真は今年(2013)撮影。


 ゲスト登場!。

 いつもの集合場所に既にゲストは到着していた。
 まさか2回目が在るとは考えなかったのだが、流石に今回はお願いした。本人も二つ返事で快諾していた。
 
点検道の住人!(本人希望名称、イヤイヤそこ強調するトコか?)、おぉじぃ氏、登場!である。
 今日は一日存分に・・・と思ったが二人とも午後から用事があって午前中のみの行程である。日頃の行いの悪いのはどちらか?と言う難題はあえて高く大きな棚に置いて、曇り空の中、まあ大丈夫だろうと空を睨む。
「行きますか」
 セローとKLXは115号線を、一路相馬中村に向かって滑り出した。
 そして予想通りの霧雨が東玉野に張り出し、軽井沢の森を深い霧が包んでゆく。我々は相変わらす軽井沢林道から前回の撤退林道まで走る。



例の土場まで登ってくる。

相変わらず、いや前回よりさらに十字路とは思えない?
取り敢えずここでタイヤの空気圧を下げてみる。(笑w


 入口で写真を撮影すると、二人はあっという間に例の土場に到達する。

 
思った以上に霧が深い

 タブレッドを見ながら慎重に進める事とする。
 再度見回すが土場に道らしき所は見当たらない。ともすれば北側の道すら確認できない程、すでに道が新緑に浸食されている、
「取り敢えず行ってみましょ」
 街道沿い?の交差点となる十字路はこの土場から200mほど北に分け入った所だが、前回は全く只の三叉路にしか見えなかった。 間もなく辿り着くが現在在る2本の道すら道と呼ぶには・・・
薮過ぎる。
「全然十字路に見えん」
「ちょっと先見てきます」
とおぉじぃ氏、どう見ても何も無い林の中へザクザクと入ってゆく。
 先月より20%増量中の笹薮は腰上程度なものの、道路脇の薮は確実に背丈程に急成長しており、林道の視界を著しく侵害していた。


林道消滅?。・・・・マジ?。
この前出て来た道は、どこだっけ?



「ここも道が無いィィィィ〜〜!!!!」。
(福島の林道は世界一ィィィィ〜!・・・いや、ついそのままで)


 
しかし、本当にここには道がなかった。
 地図精度の問題もあるだろうが、少なくとも国土地理院の方は軽井沢林道に関して誤差はない。

「少し降りた所に点検道がありますね、そっちは十字路です」
おぉじい氏はこれから行く先から唐突に原隊復帰してきた。
200m程ズレるが、それか?
「いや、少なくともこの道と交差した後の西側ルートは完全に点検道ですね。猛烈な坂になってる上に最後のカーブは階段です(爆」
うわ!MRは無理!階段、降りるならどうにかなるが、登るのは流石にね。
「点検道までの道は比較的藪も落ち着いています。行きますか?」
「トーゼン!逝きます」



ここが点検道の交差地点。写真前後、前方が北。写真右の道が東への点検道。
実はおぉじぃ氏の視線の先に西への点検道。





「次のお昼はここだな!!」
イヤイヤ、除染されてないから!。

 
 東西に在る筈の仮定縣道の三叉路がほぼ標高頂点のこの林道は、南北に拓かれてこの後は徐々に枯れ沢と共に
下り始める。
 その時点で、尾根沿いを西に進む仮定縣道から遠ざかる事になるのだが・・・?二人は熊笹の道をガサゴソと降りてゆくと、道の狭まりと共に逃げ場を失った熊笹が制空権を確保刷るために手を挙げてくる。

 おぉじぃ氏の下見した点検道の十字路に合流した。

 西側の道はいきなり急降下で枯れ沢を跨ぐと、鬼の角度で小さな尾根に巻き付くように登ってゆく。
こりゃあダメだわ。

 そのまま道路右の北東に登る小径に突っ込んでみると、土手を上った先は東への直角コーナーだ。ほぼパーぺキな林間コースを2台は東に突き進む。
 いきなり広いところに出た、尾根沿いの鉄塔である。
 晩秋にはここでお弁当と決め込んで十字路まで戻る。
「この先は沢沿いに何処へ出るんですか?」再びiPadminiで確認したMRが答える。
「多分115号。林道の出口が川で、橋落ちしている所だ」
「?」どうも判らない様だな。
 


 東北電力が国から格安で30年土地を借りている?と言う事だ。送電権が国に移ると今度は国が、
鉄塔設備を国に貸すことになるのか?
いずれにしても
"カネ"だよな?


流石に限界?。ここは道じゃねぇ!
薮だ!


見つからない・・・
相馬中村街道の三叉路から少し南にズレてある道らしき場所。
だが、どこにも繋がらない・・・?



扉は絶対ココにある!?!。実はバンザイの奥が扉である、絶対わかんね〜〜。


 扉の向こうへ。

 結局、南北の廃林道も辿るが、北側は見事な迄の廃道で薮が背丈を超えた所でダウン。途中、街道の三叉路のすぐ南側に道の様な地形があるものの、その先に道はなく南側の例の土場まで戻ってくると一休み、SmokingTime!である。
「霧でゼンゼン見えない〜」
「鉄塔の位置が見えれば見当付くんだけどなぁ」
「さっきの鉄塔は?」
ん、出口側とは違うライン。さっきのは相馬の高規格道路の辺りに出る奴と地図片手に説明する。

道を探す!さがす!?。

 
「おかしいんだよな?ここも十字路のハズなんだが・・?」
「もうちょっと探してみましょう」

携帯灰皿に吸い殻を仕舞ったおぉじぃ氏が、おもむろに南側の薮を歩き始める。MRも地図とタブレットを仕舞うと西側の薮をつつき始める。
「MRさん!道在りますよ!」
それは文字通りの"扉"だった!
「成る程・・・」もっと正確に言えば、実際の十時路は変形十字路であり、東西方向へはクランクの形で接続していたのだ。
 つまり扉の奥に西に向かう道が分岐している形である。しかも1m近い高低差があった。




土場と土場を繋ぐ道、僅か300m?(笑w
最後は大きく回り込んで、昨年確認済みの東玉野の土場へ。


「ココから昇り降り出来そうですね」
 
しっかりアプローチラインを確保しているおぉじぃ氏。斜面を斜めに大胆カットしてくる。
「ん、確かに道だ!」
 残念ながら南側の道は薮も激しく、行くのは困難に思えたが、それでも道幅が容易に確認出来た。


判りにくいけど、前と同じ木と印。(Photo:2011.11)

 緩やかに駆け下りる林間の小径は、その進行方向左側から明るい光が降りそこが原っぱの様な拓けた場所である事が明白であった。
「ココはもしや・・?」
 そう昨年末に確認した、あの土場である。最後のターンにはそれを示す赤く塗られた木と、認識表が落ちていた。間違いない!
そして二人は遂に辿り着いた。


間違いない。去年見た印。


これは始めて見るな・・・。
山林境界票か?。



〜〜〜〜〜〜〜ァァァ〜〜〜〜〜〜〜!。
(Photo:2011.11)


3年目にしてようやく貫通」を
喜ぶ、の図
(笑い。

 貫通。

 予測通りに二人と2台は草原の様な土場にいきなり放り出された。「うおぉ!」
 腰まで在る雑草に路盤が確認出来ない、先頭のおぉじい氏の長年の勘が道を嗅ぎ分けてゆく。
 広々とした草原と化した土場の出口はかなりの荒れで、2台は山側に逃げる。先頭から僅かに軸線を外した、その刹那!
「ガァン!」
 セローが飛び越えられる岩をKLX125は引っ掛ける。が、転倒せずに立て直せるのは、やっぱり車格の小さい故?

「出た〜〜!」思わずガッツポーズ!



あの橋を渡る?バイクで?。一撃で転倒しそうだが・・・(笑w


 取り敢えず休憩がてら、出口付近にある東京電力の管理道案内板に沿って歩いてみる。
 6月と言う事ですでに小径は薮に埋もれ始めていたが、それでも道の形は見て取れた。
 結論から言えば、やはりこの管理道に絡んだ道の跡が、かつての街道であろう。今、貫通した道は後年の林道?いや伐採道と思われる。

 地図にある街道は、この土場を通らず、小さな隣の尾根から直接先程の街道三叉路に出るとされるが、少なくとも上の峠にその痕跡は発見出来ていない。この鉄塔道も3カ所の分岐?と思われそうなのが在るが、もう完全に薮に捕われ、扉を開ける事も出来なかった。

橋は写真右下にある。正面が本道だ。
この点検道が街道かは未確認。


「ココを行くには、まず草刈り機だな」
「しかもココかどうかも判らない」
「だよね〜」
「まあ、ルートは確保したので、通り抜けだけは可能になりましたが」
時計は既に10時半を自己申告していた。

 ループダウン。
 
11時。取り敢えず東玉野へのルートを確定した二人は、三度あの土場に戻って来た。エスケープルートが確定した今、あとはA区間の残りの部分である旧街道(仮定懸道)部分を確認しよう。だが、新緑の旧街道はまさに"萌えに萌えて"僅かな痕跡を見せるその道を覆い尽くしていた。
「放射能値も高いだろうなァ」
「放射能より霧を何とかしてくれ」



例の変形三叉路まで再び進撃・・・というより
溺れてますね、時間無いのに。


 ちゅーか「霧よりこの薮をどうにかしてくれ」
 明らかに、単独で例の変形三叉路までのルートは時間がかかっている。
 
そしてそこから先は、まさに緑の地獄だった。
 
これほど峻烈な、劇的とも言える・・・いやいや、きっと毎年こうなのだ。幾多の冬と春を終えて、道はこうして自然に帰ってゆく、かつての相馬中村街道も例外ではなく、やがて森に帰ってゆくのだ。深い深い霧の森に・・・。


いよいよ密生して来た。



6月では遅すぎた。街道として現存するのは、もうこの区間だけか?
まあ、取り敢えず先のルートで林道経由卒塔婆には行けるが。

 
蒸し暑い。ノコギリを振るう時間が増え、前進ままならない。
もう全身汗だくである。
「キリが無いよぉ!」
 
バイクに戻るにも足が重い。
 旧街道を1時間近くヤブ漕ぎして・・
GPSを見ると、ちょうど街道最後の峠付近、もう頂上の筈だ。時計はもうすぐお昼だ。
 
先頭でナタを振るうおぉじぃ氏の手が止まった。
 視線の先で道は登るのを止めていた。
「でも、ここからの薮は半端ねーですよ、コレ」
「・・時間も時間だし、今日は引上げます?」
「・・・ですねぇ」
 こうしてオヤジ達は今回も体力も
時間も限界の為、やむなく旧街道を後にして帰宅することにしたのだった。




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