廃道日記(Riding・Report)
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12年の時を越え、再び再会する。 |
廃道日記 24「けやき橋と欅橋」〜R115旧"橋"区間〜
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橋の上にニコ改を置く。 目前には、現行の国道115号線の路肩擁壁が 漫然と起ちはだかって居た。 天に届くと錯覚しそうな高さの壁は 高さ凡そ5m。 橋を渡った古道は、その壁に 我が身を刷り込んでいった。 状況から考えれば、 このまま国道は左折しつつ川の北側の 峻険な崖際をへつる様に登ると思われた。 そしてその旧道は、 昭和47年に現在の道路に上書きされている と思われた。 |
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橋のお題は!間違った変換がタイムリーなので"生"。 |
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橋の補修工事だそうだ。 橋桁の位置に吊り足場が組んである。 「けやき橋」昭和47年3月竣工。 平〜郡山間が国道49号線に昇格し、その国道名を そのまま頂いたのだが・・・? |
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晩秋11月、木漏れ日の旧街道。 暑い日が続いたせいか、なんだか木々は随分イキオイがある。 木陰の隙間からパズルの様に旧道が見える。 冬12月、冬枯れの旧街道。 画面上3カ所の排水溝が判るだろうか?下流(写真左端)は路肩もろとも排水溝が流失している。 |
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南側銘板。欄干は林道でも見られる高欄タイプ。 取り敢えず下に行ってみよう。 |
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玉野の2連ヘアピン。実質的な峠越えのハイライトで区割り的にもここから相馬市である。 画面左の矢印位置が旧道入口だ。つーかヘアピンの手前までは明治新道か?。 |
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それは即ち、 「橋の先の道は何処にいったのか?」 という単純で漠然とした疑問である。 |
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矢印の地点。普通なら気にも止めない所に旧道の入口がある。 |
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ゲートのチェーンは何時からあるんだろう? 電柱も旧道直進。 10m足らずでもう現国道から見えない。 大量の土砂が平坦だったハヅの路面に大きく起伏を付けている。 お昼に真上から太陽に照りつけられる旧道。 非常に狭く見えるが実は4m道路(笑 現 けやき橋の下を潜る。 昭和47年に換線を受けるまで未舗装だったようだ。 薮を抜け、倒木を越えてゆく。 |
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旧道のお手本!(笑w 何もかもが素晴らしい。 直ぐにキタよ!戦前のコンクリート橋だ。 |
何が書いてあるか判らなくなった 白い杭がある。 |
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東から登って来た当時の明治県道は玉野川をクランク状に渡っていたのだろうか?。 南北に渡された橋の南側コーナーの手前は擦れ違いを考慮して待避所も兼ねる。 |
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北東側の親柱、南東側はピンぼけ(爆 北西側の親柱。 美しく廃れてゆく。 |
南西側の親柱は消失。 橋桁の石工は、まるでお城の城壁の様だ。 |
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「旧旧橋の橋台か?」 「マジ!?」こりゃ、薮が引けないと絶対判らんわ。 橋脚は2本かな? 手前の石も橋台に見えるが・・・こっちは石かな?。 |
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橋は何処へも繋がらない。 |
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威 風 堂 々 |
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橋台に近づいて・・・断念。(核爆 |
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幾つの命を渡した橋だろう。 今は森の一部となって・・・これも一つのコロニーなんだろうか? |
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今日はもう時間です。とっとと帰ります。 疑問はまた後日、と言うコトで・・・・ |
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三度目の正直となるか?。 写真は福島から相馬に向かって撮影。カメラ位置から橋の方向が東ですね。 改めて写真で見ると、けやき橋工事用の空き地にしちゃデカすぎません? けやき橋の真ん中辺りから福島方面を撮影。 写真右の白い杭はお馴染み「県行造林」標柱だ。左の矢印は旧道の「欅橋」である。 工事事務所のスーパーハウスが大体2.3m位なので、正面右(北)側の落石防止擁壁は20mを越える。 |
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本当に"突然"と形容したくなる駒止。 現 けやき橋の橋台部分から唐突に盛り上がった所に4個だけある。 |
パーキングスペースの看板脇から撮影する広大な荒れ地。単なるボタ山、土捨て場かと思ったが。 |
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橋から見つけた駒止はここにある。 俯瞰の写真に写る「県行造林」標柱。 手前は「福島県」の官地票杭。 |
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空き地一番奥の擁壁に登り撮影。 この擁壁だけでも高さ3mはある。擁壁の足下には例の官地杭がある。 これが旧道と新道の合流点なのでは? いや実際、ボタ山になってるけどね。八木沢峠旧道みたいに(笑w しかし、明治、大正、昭和とまともに書かれた地図が無いとは・・・? |
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さほど傾斜もないので、 ロープ一本で容易に降りれる。 まるで騙し絵の様だ。 「ねえ、ちょっとカノジョ〜」 「ワタシノコト?」 フ、古い、古過ぎる・・・・。 |
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本当に在るなんて・・・。 |
廃道日記 24-2「けやき橋と欅橋」〜R115旧"橋"区間〜
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橋の上にニコ改を置く。 目前には、現行の国道115号線の路肩を成す擁壁が漫然と起ちはだかって居た。 天に届くと錯覚しそうな高さの壁は高さ凡そ5m。 橋を渡った古道は、その壁に我が身を刷り込んでいった。 状況から考えれば、 このまま国道は左折しつつ川の北側の峻険な崖際をへつる様に登ると思われた。 そしてその旧道は、昭和47年に現在の道路に上書きされていると思われた。 |
コンクリート一体の方丈式?現場で型組して一体打設したのかな? 丸い穴の空いたユーモラスなコンクリート欄干が大変良い。 |
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現在の橋を建設するには橋台も含めて1年以上かかると思われる。じゃ、その間は通行止めだったのか?工事用迂回路があるのではないか? |
東口南側の銘板「昭和九年六月竣工」とある。 橋名を「どうきりばし」という。 西側の銘板には感じで「胴切橋」と書いてある。 中々の達筆だ。 |
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胴切橋。 「時局匡救事業」で玉野地区まで改修されているなら、欅橋も昭和7〜9年製ではないだろうか? これは良い宿題だな? |
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地名に「胴切」はなく、隣の現国道には 「坂下橋」という銘板が付く。 |
欅橋に関する些末な列記。
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