廃道日記(Riding・Report)



標識の"楽園"へ。



廃道日記 27
旧県道386号二本松岳温泉線と二本松裏街道。


僕の生まれた所は、
やがて道路になり、
そして
廃道の入口となっていた。


そこには、
未だ定まらない羅針盤と共に、
「通行止め」
の看板が立っていた。


そこが、僕の"生"地。



ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。




ここが「福島県道386号 岳温泉線 旧(廃)道区間」
分岐点だ。

 プロローグ

 小学生の頃、冬休みになると岳の親戚の家にやっかいになって、スキーを楽しんだ。
 最初の一回だけ母親にバスの乗り方を教わって初めてバスに乗り、あとは自分一人で乗って親戚の家まで行った。
 伯母の旦那様は旅館の板前頭。その為?か、朝食はトーストとブレンドコーヒーと洒落ていたのを香りと共に思い出す。
 バスの窓際からは雪と落石フェンスの間にそびえる岩肌や洞穴が不気味だった。
その旧道が、今は廃道となっている。

 昭和54年、阿武隈川の支流の一つである原瀬川に福島県が農業灌漑用水源として建設したのが
岳ダムである。
 この重力式ダムの完成に伴い、現在の位置に移動したのが県道386号岳温泉線である。
 それまでの原瀬川区間は明治期の開削に改良を加えた物であった為、特に岳温泉までの登りラスト1.5Kmが峻険で、
当時から転落事故の絶えない”険道”区間であった。

 古くから湯治場として、また二本松裏街道(間道)として栄えたこの道は、明治になって当時の鬼県令の温泉遊女好きが功を奏してか?早くに道路改良を受けた道の一つらしい。
 皆さん存知の様に明治道の改修路はかなりの難物であり、現在の幹線道路とは一線を画する”ほぼ林道”な道なのである。
 過去紹介した国道121号大峠福島県道12号八木沢峠など、
今では許可不能な設計の道路ばかりなのだ。

 原瀬川の南斜面に張り付く様に開削されたこの明治道区間は、ダム完成後はその管理道として、また景観を生かした遊歩道として閉鎖後も歩道として通行出来た筈だが、
気が付くと何時頃の事か通行止めも久しい廃道状態で放置プレイだった事に昨年気が付いていた。
 そして今年春、雪解けままならぬうちにスタート、ゴール地点のゲート通過の確認を行ない、この日に決行したのだ。



バイパスとも言える現
県道の下を潜る。


原瀬川の北側を川と寄り添って進む。


交通事故慰霊碑がある。建植昭和37年。


分岐路がある。旧県道は通なり左へ。
右はダムへの管理道路。


キタ!

うわ、既に貫禄の佇まいだ。



今回のルートは
TouringMapple2012.3版に一部掲載(部分的に表記なし)。



参考文献一覧
著者、編纂 製作、発行年
福島縣道路改盤沿革概要 福島県 福島県 昭和3年
歴史の道「二本松街道」 福島県教育委員会 編纂 福島県 平成17年10月
改訂「安達太良山」
  〜信仰と温泉のあしどり〜
木村完三 著 平成元年12月



 東から突入。 2

 
道路上の雪は完全に消えていた。
 僅かに、橋の下や名も無い沢の奥に白い物が見えるが、今日明日の定めだろう。
 霧が晴れても、沢沿いの気温はかなり低い、良い感じだ。

 原瀬川を渡る所で、新旧の道は袂を分ける。いかにも現代的に高速コーナーとなってRの橋を渡って対岸の山の中腹に到達するバイパスに対して、旧道は相変わらす川沿いをそのまま登って行く。



既に塗装すら飛んだ「車両通行止め」
看板。何時からだろう?。


向かって左が河川名、「はらせがわ」と
銘打たれている。


右の銘板が「もみぢばし」
”ぢ”が味を出してる。


 川面と道路の高低差はおおよそ5mだろうか?バイパスの下を潜り、昭和37年の交通事故慰霊碑を横目に過ぎると、道はY字に別れる。道なりに左に進むと、やっと旧道は原瀬川の対岸に行く様だ。
 渡る橋の袂に「車輛通行止」「この先崖崩れ」などの標識が名を連ねる。
なのに、
張られたチェーンは完全にやる気が無い。
「紅葉橋(もみぢばし)か・・・」


橋の前後は道幅が広い。
橋の架橋後に道路環境が変化した証だ。
バスなどの大型車はこの橋を交互通行出来ない。


おお、いい感じだ。この標識は?


 登り向かって右銘板が橋名、左が河川名である。残念ながら欄干に竣工年月日は確認出来なかった。が、昭和29年の第一次県道指定から在るのかも知れない。
 先程の慰霊碑建立が昭和37年、二次指定が39年と成り、僅かに誤差がある様だ。そう言えば、紅葉橋と言うバス停が在った気もするな?。
 橋幅は当時の路線バス1台が余裕を持って通行出来る程度の幅であり、これは大型車の対面通行は不可といえる狭さだ。
 下り側の銘板も真っ赤に錆びているが、平仮名で同じ事が彫ってある。
 愛機269改は、何事無く先に進み、橋を渡ってゆく。クランク状に橋で川を越えるそのすぐ先に味わい深い標識が在る。
「警笛ならせ」である。
青い!
恐ろしく色が残っている。区間終了標識は焼き入りだが。
 実は手前の橋を渡る時に気づいていたが、標識の裏側が塗装されているのだ。昭和50年代にアルミ化される前の鉄系の標識だろうか?アルマイト処理ではなくメラミン焼き付け塗装なのだろう。そこがまたいい。

 橋の袂にはおそらく伐採道と思われる急な登りの道が在るが、送電鉄塔の管理道路と見まごう細さだ。
「ここ、江戸時代もこの路線だったのかな?」
ふと考えた。
 会津に向かう二本松街道と言えばDTM常連の方々に有名なのが
「楊枝峠」であるが、実は岳温泉から安達太良山を越えて沼尻温泉(旧沼尻鉱山跡)に出る登山道も、かつて二本松街道(二本松裏街道/間道)と言われたのだ。因みに江戸期の沼尻(沼ノ平)と言えば、二本松藩と会津藩の間で湯垢(湯ノ花)採取を巡る領有権争いがあり、幕府が調停した経緯がある。
 二本松藩は他にも安達太良山の馬場平周辺に採取場所を持ち、この古道は観光道路であると共に、当時「薬」として高価な湯ノ花の積み卸しルートとしても栄えた事になるのだ。


スゴイぞ日本の工業製品!素晴らしい!。


「コォレハ、キュウキュウドウ、デスカ?」
売られてますが(笑w。


原瀬川に沿って真っ直ぐに登ってゆく舗装路。苔むして滑るんだな、これが。



おおっと、ヘアピンだ。上に道が見える。



びっしりとスギに覆われた路面、上下左右も杉林。
花粉症ならドン引きする光景だ。
 楽園?

 
原瀬川の対岸に渡ったとはいえ、標高差の変わらぬまま道と川は平行に西に進む。 そして、そのどん詰まりからお約束とも言える戦後謹製の湾曲回廊が始まる。
 この2連大ヘアピンから始まる1Kmを切る距離で高低差100mを一気に詰め、現在の岳ダムの管理棟まで一気呵成に登るのである。


ヘアピンの第二ターンまでは杉林が深く、間伐が間に合わないのか?ビッシリとアスファルトに杉の枝が折れ落ち、花粉症にも優しい?杉の絨毯と化していた。



味わい深い錆び具合(笑w 1回のターンで5m前後を上げている。 

更に第二ターン。の黄色い縞模様はカーブミラー。


イン側は崩れた土砂と落ち葉が織りなすバームクーヘン。植林地帯を離脱する。

コーナーの中段には「スリップ注意」の標識が醸されていた。

 直線距離で20m程の斜面を目一杯使って一気に10m近く標高を上げてゆく。イン側の最大斜度は10%をゆうに越えているだろう。
 流石、戦後間もなくの設計、「無理繰り」と言う言葉が実によく似合う。
 上の段の広ーいヘアピンで撮影の為に停車する。



展望台も兼ねた待避場・・・?普通に”林”に成りつつありますが、廃。


 
路肩をよく見ると、白いガードレールの外側に丸パイプで繋いだ古いガードレールがあり、さらにその外側に山岳林道でお馴染みの「駒止め」と呼ばれるコンクリートのガイドが存在したのだ。
 都合三回は大規模な補修拡幅が行なわれたのだろうか?。

 恐らくはバス等の大型車の退避スペースとして作られた広大なヘアピンも、今ではプランター状態に木が生い茂っている。
 今の規格なら間違い無く2段になるであろうコンクリート吹き付けの岩肌は、あの大峠の様に剥落を開始して、それを栄養分に木が生い茂る。



むむ、これは!
この石垣は、駒止は?


一番下の石垣は、恐らく戦前のモノではないだろうか?
「最初の駒止」も多分そう。


この広い道幅は、改良に継ぐ改良で、
山側の糊面を削り取っていった結果なのだろう。



おおっと、こんな所でゾロ目だぁ。 騙されてはイケない。
実はブラス2万6千なのだ。(爆!


穏やかな道が続く。


標識発見!この写真だけで解ったら凄い。


 その日陰の所に、また
「スリップ注意」の標識が緑色の藻に醸されて建っている。
 その状況から、どうも夏場は標識にツタが絡まり葉を茂らせ、それが日陰となって藻の繁殖を促進しているかの様だ。
 谷沿いの湿り気の少ない高原の風や、崖側は比較的日当りが良く、結果相乗効果で植物に遮られても湿度の低い状態の筈だが?実に興味深い事例だな。
 さらに進むと緩やかな右コーナーは暗橋で沢を越え、直後に左の直角コーナーというトリッキーな所に出くわす。
 手前の暗橋の入口から約10m先の直角コーナーの出口の高低差はざっと1mだろうか?
 ステップの低いアメリカンなら直角コーナーの入口で「ガリッ!」とステップを擦る所だろう。


「スリップ注意」
今はすっかり乾いているが、緑の「苔」の繁殖跡がある。


素晴らしい眺めだな!!。こちらの暗渠は石垣がキチンと組まれたもの。
昭和37年以降の2次指定前後の石垣と思われるが・・・?



 
ここにも「スリップ注意」の標識が上下に付いている。切り返しの途中で谷側に路面がスラントしているのが堪らない。
 現役当時は事故のメッカだったろうに。
暗橋は昭和後期だろうか?
 先程の石垣とは比べちゃイケナイ程に整然と並べられているのが印象的だ。
 また醸し出す雰囲気も道路土木という勢いを感じる。加えてこの無謀とも言える道路設計。
 しかも、切り返しを始める刹那にドライバーに飛び込んでくる標識は
「警笛ならせ」だ。
 当時のバワー(重)ステアリングでそんなヒマがあるのだろうか?


実際正面から見た標識のピクトは「警笛鳴らせ」
鳴らせるモノなら鳴らして見ろ!
と言うくらいの道だが。


あ、ファンタ・・・。


バスかな?トラックかな?
流石に面板は無かった。(爆


最後の意地を見せるカーブミラー。


プレートが残っていた?


あ、瓶ファンタ・・・。
懐かしい。
昭和40〜50年代の瓶だ。


 269改を直角コーナーの出口に移動し、コーナーの奥から撮影すると、足下に懐かしい「ファンタ500ml」瓶を見付ける。
散乱する古いデザインのファンタの250ml缶もみな、昭和50年代の物だ。
 きっと熱狂的ファンタグレープのファンが残したのだろう。
 他にも、恐らくは事故ったトラックかバスの鼻先に付ける様な電飾看板?のカバー枠が落ちていた。
妙にシャンとしてるが、何時からここに居住しているのだろう?
「おお、、、」
 
最後の抵抗を誇示するかの様に残った湾曲ガラスの破片を抱えるカーブミラーには、製造会社のラベルが残っていた。
「安全反射鏡
 道路開発株式会社
 東京都墨田区横川4-10-11 本社TEL~ 
 大阪営業所 福岡営業所」
 
 
この地に建植されて30余年、よくぞ残った物である。

 
そして
更に先に進むと、
車輛通行止めの真意を
見る事となる。




いよいよダムが見えてきた!それにしても、いい廃れ具合だな。
ここにも「旧」「旧旧」駒止がある。


うお、これか?通行止めの犯人!!。
後日、道路は原瀬川に向かって陥没していた。




成る程、それで警笛鳴らせなのか!!。違うだろ<俺?

 寸止メ

 
前方のアスファルトが波打っている。
路肩が、落ち掛かっていた。もう大分前に、だろう。
 ここで崩れは留り、そして安定したのだろう。一昨年の中山峠程ではないが、まあ通行止めになるであろうレベルだ。通行止めの看板の傷み具合からして、もう10年以上はこのままだろう。
 割れ目から見れば山側はモロ岩盤、一種の表層雪崩みたいなものだろうか?
「なんだこりゃ?」



「警笛鳴らせ」も実に色合いがいい。
足下に斜めっているのは、多分バス停の看板の柱。


アスファルト薄っ!今時の駐車場程度の厚さしか無いように見える。


 その、3〜40cm落ちた路肩のガードレールに目が止まった。支える支柱が「四角い」のである。これまで見た事の無い柱だ。
 色も仕様規格も同じなので同一のガードレールが組み込まれているが、興味深い。
 先程の会社が用立てた物か?関西ではよくあるのだろうか?誰か教えて下さい。
 ここには、見事に残った「警笛鳴らせ」と恐らくはバス停だろうか?柱のみが虚しく立ちつくしていた。
 地名からバス停は「立岩かな?」
 そして、僅かな直線の終わりには、昭和57年完成の
「岳ダム」が迫って来る。危険区間の続きの直線は、そのままアスファルトに皺が因っている。



これが普通のガードレール支柱・・・。


これが四角いニュータイプ?
それほど便利ではないのだ、ララァ。


そしてますます狭くなる道幅。
コンクリート製の落石防止フェンスが更に道を狭くする。いよいよ最狭区間に突入か?。


「幅員減少」かと思ったら「落石注意」
だった。「福島県」の文字が柱にある。


「スリップ注意」
ホントにコーナー毎に一枚あるな?。


ガードレールの次は・・?
いつ頃の駒止なんだよ?コレ。


戦前の道が残っているのか?


後ろ向きだが「落石注意」
原町林鉄のお株を奪う、見事に垂直の法面。


おお、こんな道なのに
ガードレールだ!。



 「スリップ注意」の標識に笑みを浮かべつつ、269改はさらに進む。
 山側に後付けの落石フェンスが現れた。この廃道区間が現役だったその末期に作られたと記憶しているが、何時かは定かではない。
 しかし、金属密閉されたフェンスの支柱が膨張し、コンクリートが剥がれ落ちる様を見た。




ここでやっと2本目の「落石注意」標識を見るが、今となっては全部のコーナーに付ける勢いだ。
 ここから最後の足掻きの様に道幅がさらに狭く、当時の定期バス最大の難関となる。余りの狭さにカーブミラーなんか道路の外に設置されている。その下は真っ逆さまにダムの滝壺部分である。
 昭和40年代とおぼしきコンクリート製のガードが道幅を更に狭く感じさせる。加えて嵩揚げされて後打ちされるアスファルトの為にコンクリートガードの内側は10センチ程高くなっている。

その先はゲートだ。



現場で直接打設されたと思われるコンクリート欄干。
その下も・え?下の石垣は戦後の物かーー・・?。




目前に岳ダムが大きく見えてくる。道路はもうバスの幅分しかない。

 凱旋・・? 5

 突破するとその先の掘り割りが土砂崩れを起こしていた、が道幅に助けられ、車の通行が可能そうであった。
 その前に、ダム公園をしばし堪能する。
 そうして、楽園の閲覧に終わりが来た。愛機269改は、つつがなく通行止めのロープを突破し、岳ダム管理事務所から咎められる事も無く現道の分岐点に到達した。

 しかし、楽園にはオマケが在った。
 旧道入口にある食堂と付け替えられた道路から県道に合流する。



「落石の恐れあり」と書かれた看板。
昭和間もなくの道路には良くあるんだな、これが。


廃道区間突破!無論、そんなわけはない。



ダム公園がある。
本当に、只それだけの空間だが、寺崎さんが野宿しそうだ。

ほらな。


ダム管理道路と合流する最後の登り。

 当時と全く同じ位置に在るのは食堂の隣りの交番だけである。

 昭和40年台、高度成長期に日本が突入した頃は、海外旅行など夢のまた夢、まだ国内旅行が主流であった。
 この岳温泉も、昭和35年から50年代に掛けて、次々と旅館が建て替えられた。
 江戸時代から続く湯治温泉を観光温泉に作り替えていったのである。

「あんな所にも「スリップ注意」の標識が!!!」 
 現在は国道459号線の「ニコニコ橋」の橋台まで、旧道の跡は続いていた。
 この橋も道も、岳ダムの造営に伴い付け替えられた道で、旧二本松岳線はここで左折し、交番前に出るのである。当時は交番のグランドラインと県道の高さはほぼ同じであった。



改めて突破!。弛みきったロープは何事なくバイクを通した。



高低差はざっくり100mという所だろう。
名称が「旧県道二本松岳温泉線」とある。


ダム本体工事着手が昭和46年、
ダム竣工が昭和55年とある。9年掛かった訳だ。


 子供心に、バスの窓から見下ろす駐在所のお巡りさんに、強い印象があった。きっと当時の僕には世界の頂点に立つお巡りさんを見下ろせる唯一の窓だったのだろう。
 終わってみれば、僅か1..5Km足らずの廃道区間に、驚くほどの標識が置き去りに熟成されていた。
 種類は少な目だが、独特の世界観を堪能できた道であった。

 今回、霊の路盤崩壊以外に、交通を阻害する要素が皆無だったのは幸運であった。
 そして、出口には羅針盤を象ったテーブルセットがあった。

「ココが、生誕の地とはな」

 私はここで生まれた。
この道路上で。
 ここには当時、二階建ての建設会社の飯場があったのだ。

母は言う。

倉庫に住んでいた様なモノで、冬にはフトンにうっすらと雪が積もる事あったそうだ。


おお、まだ標識があるのか?

またまた
「スリップ注意」だよ?。



おお、更にこんな所に!。


振り返ると、もう一本のカモフラージュ!。


「幅員減少」がある。
昔はここから
最狭区間か?。


息も絶え絶えにある
「スリップ注意」

●旧県道386号線(廃道区間)
 (旧名:二本松岳温泉線)
廃道区間:紅葉橋〜岳温泉駐在所前
実走距離:1.45Km、全線"元"舗装。
 
 
調査日:12/3/21の状況:
 基本的に歩道扱いなのです。
ダム管理道側にはオリエンテーリングの表示なども見受けられますが、いくら旧道舗装路とはいえ放置プレイ続行中なので、藪掻きしながら通る人はいないでしょう。
実際、ダム下の公園まではいい感じではあります。
 
調査日:12/4/15の状況:
 やっぱり誰も入った形跡もないまま放置プレイ状態です。
 早春、晩秋以外は全然お勧めしないルートです。少なくとも夏は俺、行かない。

 路面状況は並、ただ木陰区間と落ち葉路面はバンバン滑ります。木陰区間は路面が苔むして、これがまたメチャ滑ります。
 この日は残雪を想定してTR-110ツーリストだったので割とマシでしたが、とにかく滑るのでお気をつけ下さい。
 ダム公園周辺の側溝から溢れ出ている水は温泉のようです。

 普通に走れば10分程度の道ですが、一応通行止めの遊歩道コースなので、歩行者が居ることを前提にお願い致します。



現県道459号線「ニコニコ橋」の橋台下に旧県道は吸い込まれて終了!


 道路で生まれ、道路に趣を得て、生きる。
その道路も何時しか廃道となり、必然の様にまた、趣く。

 通行止めの看板と何故か羅針盤が、私の行き先を指し示していたのかも知れない。



更なる、"古き道"を。





第一部 終。