廃道日記(Riding・Report)
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二本松藩謹製の"古道"へ。 |
廃道日記 27-2
旧県道386号二本松岳温泉線と"間道"二本松街道。 |
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僕の生まれた所は、 やがて道路になり、 そして 廃道の入口となっていた。 そこには、 未だ定まらない羅針盤と共に、 「通行止め」 の看板が立っていた。 そこが、僕の"生"地。 |
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ご使用上の注意! このデータは、 あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。 走行距離は主にバイクで測定し、 旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。 また、掲載される内容は大変危険です。 当サイト掲載内容によるいかなる被害も、 当方は保証致しません。 |
第二部 |
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さる展望台よりあだたら山を望む。 |
すっかり整備された展望台。昔は酷いダートだったが、今は立派な舗装だ(笑w 「本当の空にたたずむ"乳首山"」 子供の頃から安達太良山をそう教えられたが、大人になって口にするのはちょっと恥ずかしい気がする。 それにしても、なで肩だよな? |
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実はこの時点(旧道を走って町中に入ってきたルート上で既に)3つ在る謎の一つをたまたま確認していた。小さな温泉街なので、大体想像が付く。 |
展望台の東南側にルートがある。 最初は間違って歩道ルートかと思ったが・・?。 この倒木のあるボトルネックな所から 上の写真までの20mくらいが歩道ぽい。 それまでの間はほぼ車道。 だって営林署が道広げた林道だというのだ。 立て看板の在る位置が実はT字路。 そして街道の岳手前の峠でもある。 峠を過ぎて東(二本松方面)に進む。 道はゆっくり下り坂になる。 |
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ホワイトバランス狂ってるぞ、オイ?。この標識は?。 |
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「ここは旧二本松街道立石」 ここが江戸時代の街道?QQ道か!。 |
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氏子世話人(?)が来て次々とのぼり旗を立ててゆく。明後日がお祭りなのだそうだ。 鏡ヶ池にある遊歩道案内板。「岳温泉古道」の表記が中央に! 夕日石の付近がここ迄の最大標高で、江戸道は池に降りて行く。 |
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3)立石様は江戸期のずっと前から在るらしいこと。 |
「コリハ、キュウキュウドウ、デスカ?」(笑w。
幾多の旅人が腰を下ろして休んだで在ろう石。 コーナーの真ん中にあるんだが。 いいね!これは綺麗だ。 |
急角度ヘアピンが続く。バイクから降りれません。(泣w |
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ちょっとだけ楽になった。 でも降りれない、スタンドが立たない。 |
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味わい深い道の成り立ち 撮影の為に後ろに下がれる場所は、ここ位だよ。(笑w |
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倒木祭り開催中の中、何かの管理小屋がある。 怖いので中は見ない(爆! ここから軽虎の道幅がある。 |
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国道459が近づいて来る。丁度この下が「立石」のバス亭。 |
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雑木林と植林地を交互に繰り返しながら 下ってゆく。 |
往時の佇まいを見せる。 |
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最後の下りかな・・? 国道との間隔が詰まり、合流の気運が高まる。 現国道459号に収束!!。いい道でした、堪能した。 |
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あ、在るよ!道が・・・?。国道と交差するようにQQ街道はあるが、 何処にも繋がらない陸の孤島となっていた。 で、何処で原瀬川を渡って下の毘沙門堂部落にでるのか? |
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戸街道跡は、その落差がざっと3mほど、考えるに部落は原瀬川の北側、この街道の位置は南側である。 |
深沢橋。特筆のないコンクリート橋だ。 昭和40年代に各地で造られた農道/林道橋。 |
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のどかな田園風景だが・・・「ワンダフルエンゼルア〜イ!千里眼んモード!」。 すると、街道の残骸らしき道筋が現れたんだがな?どれも胡散臭い。 |
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畑の一本道は多分本命。軽虎サイズでも小さめ。 道のように見えるが実はフェイントという罠。 |
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強者共が夢の跡。季語が"新緑"だけどね。無言で佇む石塔群。 |
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畑の一本道が順当すぎたので、山の地形に沿った 川沿いを散策してみる。 すると、街道と同じ斜面上から下る道を見つける。 |
山際から川岸へ回り込むコーナーは三叉路?。 |
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黄色い矢印の方向、何だか ばちゃんと原瀬川に出る(爆 対岸の築堤と高さも幅も同じ様だ、つまり・・? |
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とすれば、ここから深沢橋までは?。 後年に造られた農道と言うことになるかな? |
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これも昭和30年代なのかな?。 年表から考えれば30年は温泉街の舗装化と 言うことで集客効果を上げるべくアクセスライン を直すのは当然とも言えるが・・? |
最初の開発から約250年後の江戸末期である文政7年(1824)、温泉街の直上とも言うべき鉄山の山腹が大規模に流失する山津波が発生し、温泉街は一瞬のうちに壊滅する。 |
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旧道は短いながらも楽しい道だ。 鉄塔管理道を好む人なら十分走れるが、 ここはやはり歴史の道、景色を楽しみつつゆっくり降りて欲しい。登攀禁止! |
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石垣は戦前?駒止は戦後?。 手前はカーブミラーの支柱残骸。 余りに狭い県道は安全補助設備も谷に追いやる? |
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第二部 終。
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