林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。



このContentsは、適当に増殖します。

黒鴨林道(愛染峠)

朝日連峰の登山口にある林道。

愛染峠(あいぜんとうげ)とは何とたおやかな響きの峠名なのだろう。
愛機DT125Rは朝日鉱泉からその峠を目指した。
・・・・が、辿り付くことは出来なかった。



「いざ、愛染峠へ」

林道日記(Riding・Report)Ym-412




●観光道路の夢破れ・・・
本来の生業を取り戻した道。


 無限に広がる大森林地帯・・・その日、鳥海山から朝日スーパー林道を経由し帰ろうと思ったMRは、東北2輪車ツーリングマップ上に一つの峠を見つけた。それは朝日鉱泉の奥まった先にある林道の様だった。
 マップを見る限り抜けられそうで、しかもかなりの距離がある未知の林道だった。
 月山新道を朝日スーパー林道に入らず、山形県道27号大江西川線を登り、トンネルを潜らずに地蔵峠に出る。
地蔵峠から望む朝日連峰は見渡す限りの大森林地帯だったと記憶している。
 地蔵峠から分岐し、山毛欅峠(ぶなとうげ)を越えると、道は途中から舗装となり、朝日川を渡る県道の分岐点に辿り着いた。
 朝日鉱泉の表記と共に当時の二輪マップにない峠名が目に付いた。
「愛染峠?」
 林道に入って直ぐに朝日鉱泉までは荒れたダートで、良くこんな所に道を通したものだと思った程のルートだった。今思えばそれは森林鉄道の道床の様にも見えた。
 既に時計は3時を過ぎていたので、鉱泉に入らず先を急ぐが、無情にもその先には通行止めの標識が立っていた。
 諦めきれずにそれを無視して進む。
 見通しの良い岬のような尾根先にまたゲートがあり、その先は路肩の側溝を残して道が跡形もなくなっていた。
 遠くその先には何故か重機が居た。
「反対側から来れるのだろうか?」
夕日を背にMRは来た道を戻っていった。

パーペキに錆びた名称板。辛うじて「黒鴨」の文字が判別出来る。
 
TouringMapple2008.3版に林道表記。峠名アリ。広域マップルにも全線表記。
●林道黒鴨線
 林道総延長17.3Km
    未舗装区間:16.1Km
    舗装区間 :1.2Km
概要
 黒鴨林道は白鷹町の奥端にある黒鴨の部落から朝日連峰の登山基地であり秘湯と言われる朝日鉱泉に連なる林道である。このうち、黒鴨から町境までを黒鴨林道、町境から朝日町朝日鉱泉までを西五百川(にしいもがわ)林道という。
 黒鴨林道は戦後の登山ブームを背景に白鷹町が朝日町とともに登山口までの便宜を図る為に作られた、いわば登山観光林道である。
 しかし、朝日山系の極めて峻険な地形にへつる様に作られた林道は大変もろく、作っては崩れるを繰り返す難事業となった。
 経線の変更、沢越えの地盤改良、強固な岩盤の掘削、そして出来上がった林道の保守管理と修繕・・・。
 黒鴨林道は企画から実に20数年を経た昭和46年頃にようやく朝日側の新五百川林道と合流・完成し、県境の峠を「愛染峠」と命名したのだ。


「表登山口」と誇らしげに彫られた石柱。
2m程の高さがある。


路肩の雑草は部落の方が奉仕なさっている。
林道の脇を流れる用水路と美しく速い流れが、
林道の熾烈な環境を彷彿とさせる。


入口から直ぐにダートが始まる。


最初の3Km程は直線主体のハイスピードコースだ。無論登山道なので、対向車には要注意である。

カーブミラーが比較的急なコーナーである事を知らせている。


緩やかなS字の途中に林道用のキロポストが建っていた。
黒鴨の起点から2Kmを指している。



 だが、かつての登山客の足は公共交通機関からマイカーへと変化し、林道延長の長い黒鴨を避けて、登山客はより近い朝日鉱泉から登山するようになり、愛染峠からの縦走登山はマイナールートとなっていた。
 また、黒鴨林道はその経線から度々土砂崩れによる通行止めに陥った。年によっては冬季封鎖を含めわずか2〜3ヶ月、あるいは通年通行止めという年もあったという。
「越えるに行けぬ愛染峠」とはさる先輩ライダーの弁である。

  山形の営林署お約束の距離標柱がある。だいたい7Kmくらいまで(つまり7本?)在ったと記憶している。

「では、逝きますか」
 黒鴨の部落に入る直前に林道の入口がある。てっきり部落の最奥に林道があると思ったMRは拍子抜けである。
 林道入口左手には恐らく林道開削初期の昭和20年代からあるだろう林道表示板が真っ赤に錆びて建っている。
 もう殆ど文字の判別すら出来ないが辛うじてタイトルの「黒鴨」が判別出来た。
 左側には誇らしげに「朝日岳登山口」の石柱が建ち、その彫り文字に地元の期待が滲み出ていた。


沢でも何でもない糊面が崩れ、路肩が堕ちている?
サバイブな区間の始まりか?


いつの間にか路肩に側溝がある(笑w。


これがホントの
谷に向かって一直線!?。


谷は幾重もの修正補修を受けて、ツギハギだ!。
土石流の巣なんだろうなぁ・・・?


「ふ・・深い!」。
行けども逝けども続く尾根筋。何時になったら道路下の沢と同じ高さになるのだろう?


 部落が杉林の合間に見える2〜3Kmの間は林道も直線を主体に登ってゆく。話で聞く峻険さとは裏腹にまるで森林鉄道のような緩やかな勾配とコーナーで、登りと言えどバイクならグイグイ登って行ける。


営林署は実に勤勉だ。壊れても流されても側溝を作り直す。


ちょっとだけ下って、直ぐまた登り出す。
路肩の側溝が溢れ、谷側の路肩を弱体化させる。



地図にも載らないような小さな沢を、幾つもの暗橋で越えてゆく。
「これらはすべて土石流の源かも・・」考えるだに恐ろしい。


 道幅も十分で轍も少なく、これならビッグオフで飛ばせそうだ。いやいや、ロードバイクでも行けちゃうかも?なんて考えていると、いきなり路面が赤土まみれで路肩を示す杭の列とお決まりのトラロープが視線を遮る。
 どうやらこの辺から黒鴨林道の実力が見れそうだ。


古い橋がある。「しらたまはし」


昭和34年10月竣工。開削から10数年で半分も出来てないのか?この林道は?。(イヤイヤ、2代目鴨?)

 いよいよ山岳林道の様相を呈した黒鴨林道は、路面の荒れや傾斜も小刻みに変化する本性を現し始めた。


反対側の尾根が見えた頃から林道は明るくなる。


と、同時に行き先を探すようにウネウネと蛇行を繰り返し、直線が極端に少なくなる。


段々ウネウネが上下にも現れ始める。
(アップダウンと言え>俺)。


「白玉橋」は戦後の橋らしい佇まいを見せる。
こんな山の中にこんな立派な橋を造るとは・・・当時の県道並だよ。


 西側の法面は急で、しかも突然緑に穴が見える所は小さな沢や鉄砲水の跡である。雨あがりは恐ろしい林道と言えるだろう。


基本的な防水機能ももちろん持っているが、危険個所が余りに多いのだろうか?
 MRはかつて不忘山林道で台風通過直後に、突然法面の何も無いところから土石流が吹き出し、ジムニーが巻き込まれそうになったことがある。

 路面は常に古い路盤と真新しい砂利であり、その砂利も一般的な採石ではなく林道の所々にある崩れた法面の片付けた残土置き場のような所から持ってきたものだ。常時ブルドーザーが置き去りのようである。
 おかげで真新しく轢かれた砂利の中には拳大の石が混じってたりする。


緑に覆われて判らないが、法面は不調法な崖のままである。


勾配は一定ではなく、アップダウンの幅も
深くなってゆく。



ついに暗橋でもなく沈下橋の如き沢渡りとなる。
実は常に水の流れる部分には川茂が繁殖し、実に滑りやすい(爆!


 さらに登ってゆくと、ついに暗橋すら破壊されてしまうのか?沢流れはスリバチの如き全面コンクリート舗装となり沢の路肩ごとコンクリ化されてしまうのだった。
 清水と呼ぶに相応しい美しい波紋を残してニコTは愛染峠を目指してゆく。
 しかし路面は裏腹に、相変わらず泥と採石を交互に繰り返してゆく。つーか、その距離がどんどん細かく縮まっていくんですが・・・?
逝けそうだ、この林道。

「なんだ?これ」
走っていて気が付いたのが西側の法面から約1.5m程の所に、路肩に沿って石垣のようなものが見えたのだ。
バイクを降りてよく見てみる。
玉石は規則正しく、思ったより深く並べているようだ?
何だろう?
「かつての登山道か!?」
 これが旧道という確証は全くないので、単なるMRの夢想である。


そろそろ峠か・・・?。
部分補強に流れ降りた土砂が更に滑りやすい。


流された路面を現場調達の採石で埋める。
しかしその上にまた濁流が押し寄せ、ヌタヌタになる。


え!?今走ってきた林道でスか!?・・
標高あるじゃん!


 しかしこの林道の前身は間違いなく登山道だろうしトンネル工事のような先進道があっても不思議ではない。
 それ程の崖にこの林道は穿たれているのだ。
 すっかり隣の尾根より標高が上がった林道だが、相変わらず小刻みにアップダウンしつつ北東に向かっていた。
メータは突入後約16Kmを指しているが、この日は軽トラ1台を目撃しただけだ。そして漸く舗装がキターと思った直後、ニコTはY字路に躍り出た。
「なんだこりゃ!?」
 自宅で調べると、これはあの悪名高い大規模林道の残骸であるらしかった。


交互通行を意識してか?
定期的に路肩の広い部分がある。



路肩に刻まれた石の列。かつての登山道の名残りでは?
などなどなどなど妄想は続く(核爆。



 ところがこの林道の顛末は聖書ツーリングマップルに記載が無く、この大規模林道のY字路を峠の分岐と誤解したままに、たまたま後追いしてきたRMX250Rクンに間違えて道を教えてしまう。


RMX250君。この後、只ならぬ事態に陥るのだが、この時はまだ元気一杯に白煙をふりまいていた。(気付よ>俺)

 そんな間に今度は朝日側からBMW-GS1150の方が現れ位置を教えてくれた。そこで初めて、またしても聖書の偽りが発覚してしまう。
 幸い、大規模林道はわずか500m程度で道が途切れていて、戻ってきた
RMX250クンに再度教える事が出来たのだった。
 分岐の路肩には工事年を記した標柱があった。「平成13年か・・・確かに大規模林道の盛んな頃かも?」
 対費用効果が疑問視されて地元から反対でもされたのか?わずか200m足らずの舗装路には何の表示もなかった。どこに抜ける林道だったのか?

その後も路面の石の列は何度か現れた。
しかしこういう新規の土木工事で消え失せてしまう。


二つの小さな川が林道上で合流する。
「ある意味、迷惑だなぁ」


「おお、コンクリートの駒止だ」 (出てくるのが遅すぎねーか?)。


 GSさんのご教授宜しく、分岐から僅か1分程で舗装は途切れ、2段になった広場とY字路、そして林道開削記念碑が青空の下に建っていた。
開削記念碑の所にはアマチュア無線局が建っていて、世界の声をワッチしていた。

関東ナンバーのGSさん。こんな所までGPSで来るんだから凄いよな。助かったけど。


平成12年に林道は前線に渡って補修を受けている様だ。
全長が19.1Km、幅4mとある。
まさに基幹林道の仕様だ。
一応、林道開削の顛末を簡単に記した記念碑の全文を掲載しておこう。

黒鴨林道完成記念
戦後疲弊困憊の中に郷土の復興を如何になすべきか、
この時に当り敢えて廣大奥地林を開発し、延いて朝日連峰観光に寄與せんとする、まさに遠大百年の計と云うべきであった、
この林道は旧鮎貝村長土屋栄吉氏の
高邁なる識見を中心とし先達諸氏の一致協力の下、永年に亘る不撓不屈努力の結晶として完成した、


側溝から溢れる水が道路を濡らす。
何度目の渡河だろうか?。


いよいよ目の前が開けて来た
「愛染峠か?」。


アスファルト舗装だ!
「何故!?」


「!?!、ココハドコデスカ?」
あまりの展開に、道を間違えたかと思いマスタm(~~;)m。


即ち着工以来星霜茲に二十一ヶ年、この間幾多の変遷を経つヽ凡ゆる困難を克服し、遂に所期路線の開通を見るに至った、今朝日嶽の英峰を目のあたりに先輩諸氏の偉業を景仰し郷土の飛躍的振興を祈念してやまないものである
昭和四十六年十月
財団法人 鮎貝自彊会

 
写真を撮っていると無線の人に話しかけられ、色々お聞きする事が出来た。
 ここで初めて、先ほどの舗装路が挫折した大規模林道である事、この広場の奥に「愛染峠」命名の元である愛染明王がある事。
 ここで黒鴨林道が終点と成り、下りは西五百川林道に成る事などが判ったのだった。(調べて逝けよ>俺)

「なんじゃこりゃ?」
何でこんな山奥にリッパな舗装が?。


ここが愛染峠の朝日岳登山道入口(写真左)中央が林道本道で黒鴨林道の終点。
左が開削記念碑と愛染明王の祠がある広場である



調査日(09/8/16)の状況:
 総じて飛ばしやすく快適で極めて危険な林道です。名も無い無数の沢は時折道路に水を氾濫させ、ライダーを悩ませます。
 補修は常時入るようですが、今イチな修繕でかえって走り辛くなる場面もあります。すれ違う車も少ない為、何があっても他人は当てに出来ません。
 出来れば役場やネットなどで通過が可能か確認してからの方が好いかもしれません。迂回路らしい道はないので、抜けられないと随分な遠回りが待っています。
 成り立ち故に登山客も居ます。対向車に十分注意し、シーズン中はワラビやキノコ取りで、いきなり茂みから道路に飛び出すGBにも対応出来るスピードでの通行を、お願い致します。


これが
黒鴨林道開削記念碑
記念碑の横、広場の先にはさらにピストン林道が
1本あったが、今回は割愛した。



「そして、西五百川林道へ」なんで舗装なんだよ・・・(><;)。