Kawasaki ZXR750 Model1989
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I M P R E S S I O N


  Round-1「当時いんぷれっしょん」



このバイクには当時の私の寸評が数多く残っているマシンである。
しかし、その末期が語られた事はない。
また、川崎のマシン作りに対するスタンスが変わる歴史的転換点に起つモデルであるのも確かな事である。2ストローク全盛のGPから撤退し、長らくストリートモデルのみの販売だった川崎が、その自慢のインライン4技術をもって再びレース界に降臨する、それは更なる技術の進化(深化)を推し進め、やがて他社と一線を画するモデルの登場となる。
今、貴方が乗っているZZRやZXシリーズのまさに源流とも言えるマシン。その当時のインプレッション(1989.6~1991.11)をお届けしよう。



History

知らない方の為に一応解説を入れよう。

1989年2月、川崎は満を持してZXR750を発売した。
先の87年に車両編成の頂点もGPZ1000RXからZX-10に交代している。
この2台は、その後巻き起こるスーパースポーツモデルの川崎流原点となるモデルである。世界最速を標榜して止まない川崎は世紀末に向けてトップモデルの世代交代を敢行、カワサキ初のアルミ製フレームに新設計の直列4気筒エンジンを組み、時速280km/hを叩き出すスーパーツアラー「ZX-10」。
そして、川崎レーシングマシンの基本となる「ZXR-750」。
このZXRがそれまでの川崎のマシンと決定的に違うのはKR250以来のレーシングレプリカである点に尽きる。KR250の時代には市販マシンに調教し直すことが難しかったが、そこは10年の間に川崎も丸くなり、お得意の水冷直列4気筒エンジンということも手伝って、実に乗り易いマシンになっていた。
スズキGSX-R750/1100を発端にホンダVFR&CBR750、ヤマハFZR750/1000と当時最後発の大型レプリカマシンであるZXRは流石に他社のモデルを研究しており、強大なパワーとスピードをトルクに変換してくれるバックトルクリミッター(K-BATL)を750cc川崎車として初搭載、当時TopModelのZX-10より高剛性と言われた川崎初の750cc専用アルミ(e-Box)フレーム、どー見てもロボコンの腕にしか見えないエアダクト(K-CAS)とそれまでの川崎には無いテイストであった。因みにK-CASは4型(92’)からラムエア化(K-RAS)される。ヤマハの同システムと近似されるが、川崎のそれは特に超高速ゾーンにおいて自らの車速で高密度な酸素を充填するもので、特に超高速域でヤマハの同システムを凌駕していると思われる。レプリカらしくメーターなどは撤去も容易でHeadLightを外して別売りのゼッケンプレートを装着すればストックでサーキットで走らせる事すら可能であり、次の年にでる90’ではミッションもカセットTypeとなる。
しかも特筆すべきは、川崎はそんなレーシーマシンながらリアシートをあえてシングルシート化せず積載が容易なフラットタイプのリアシートと車載フックを用意した事だろう。ダブルサイドバックを多用する僕としては大変使い勝手の良い形状であり、防風性の高いフロントカウルと共に、川崎らしいストリートユース対応に頭が下がる次第だった。また兄貴分ともいえるZX-10譲りの高い安定性とダートから雪道までこなす耐候性能はレプリカの範疇を越えた魅力が存在する、ストリート最強を標榜する紛れもない川崎魂がそこにあるのだ。


Illustration by 瀬波京介
瀬波さんのHPへ

北海道に2回、九州に1回、東北・信州を幾度となく走り、最終的な走行距離は5万キロを走破したZXR750。
その歴史はクラブ隆盛の歴史であると同時に、僕のツーリング人生の明暗をともに歩んできた盟友といえよう。




インプレッション13〜5000Km
(1989.6初典)


ツーリングユースを主軸とした僕はGPX750をご所望したのだが、すでに新車販売を終了していた。バイク屋のご主人から新型車の試乗車が空いていると言われ、届いたのがZXR750である。
因みに嘘か真か?納車の際の走行距離は13Kmである。
個人的にはレプリカのデュアルライトは個性がなく嫌い(89’当時)である。また川崎車にしては薄っぺらに見えるフロントカウルやメーターまわりの処理も嫌いだった。レーシーと言えば聞こえはいいが、第一印象は「高い金を払って買うのにフロント周りは貧相」なイメージだったし、それは今でも思う事である。
もちろんそれは、川崎のスポーツツアラーという概念に埋没していた為でもある訳だが、当時川重ファンの僕には、おおよそ比較という物の見方に一定の距離を置いていた時期でもあった。
納車から3ヶ月目の7月某日、下見の為一人北に向かう。
朝3時、二本松の自宅を出発。例によって生憎の小雨だが回復する天気予報を信じてジャケット1枚で走り出す。カウル自体の風貌効果は高い。時速60Km/hも出すとヘルメットのシールド上からとシューズのつま先横が僅かに濡れる程度。好みではないとはいえ60/55ハロゲンのデュアルライトは圧倒的に明るい、下手な普通車以上である。
エンジンをかけて10分ほど、アイドリングが安定したところで自主的60Km/h制限を解除、オービスを過ぎてスルスルと加速する。6速2000rpmから4000、スピードメータは苦もなく3桁を超えるが、流れる風景の雰囲気は変わらす、安定感は逆に増した気すらする。しかしこの辺はまだGENTLEなイメージであまり川崎らしくない。固定式レーダー・オービスが稼働と思われる一部地区以外は快適に3桁で国道4号を北上する。
4500rpmのあたりから、それまで気にならない排気音がはじめて囁き始めると、既に3桁なのに猛然とダッシュを初め、750らしい図太い排気音がハスキーなフォルセットに変わる頃、メーター読み限界速度近くの右手ワープ加速を体感できる。まさにワープ!250ccからいきなり乗り換えた僕には目が付いていけない程である。
大佛橋(おさらぎばし)の平和通り交差点から仙台六丁の目交差点まで60分で通過、250ccの体感で言えば80Km/hで走った様な感覚でも、実際には一時倍近いスピードで走行していた。結果古川を2時間後の5時頃通過する。
国道を4号から47号に移し、鳴子から鬼首に向かう国道108号線に進路を取る。山岳ワインディングに入ってもその安定性に変わりなく、狭く急な上り坂も難なく登る。気になるのは橋の繋ぎにある段差などで図太いリアタイアのピッチングだけ、高剛性のe-boxフレームの為か「リアタイアだけが弾んでいる」ようだ。比較的高めのステップは必要以上にバンクアングルを稼ぎ、体感性のなさとハンドリングの素性の良さもあって性能より先に恐怖でマシンを引き起こしてしまう。
社格としてもそうだが、それまでの川崎BIG-MACHINEとしてはGPX750に次ぐ小ささであり、GPXよりレーシーに振ったせいか下の回転は割とスピードの乗りが穏やかで若干トルクも細い気がする。しかし上はやたらパワフルだ。どうしよう?こいつレッドゾーンが12000rpmなのに7000回転で15おKm/h出る!
使い勝手は悪くない。があのクールエアインテイクはダメ!ハンドル・スイッチが見えにくく、オマケにアッパーカウルから振動ではずれたりする。これは勿論カウル側の品質も悪いので。この手のレプリカカウルはオプションとして販売し、標準はGPX750のようなカウルとメーターを付けてほしい。(そしたらレプリカの意味無いよなあ)
総じてこの乗り馴染みのよさはやっぱり川崎である。町乗りでリッター/21~23Km、ツーリングだと27Kmも走るのも嬉しい誤算だ。最初こそ少々戸惑ったが買って良かったと言えるマシンだ。



インプレッション5000〜10000Km
(1989.11初典)



このインプレッションを書いている頃、90’ZXR750の情報が入ってきた、新形状のフレーム、カセットTypeのミッション、倒立フロントサスの採用。洗練されつつ、より高効率で戦闘的になった。とはいえ、基本スペックにさして変わりはないようだ。お色直しするくらいなら、輸出仕様でも販売すりゃいいのに。
昨年11月最後の連休ということもあり友人と連れだって岩手、宮古までツーリングに出る。お供はGPX250・TZR250R(後方排気)福島を朝5時に出発、まずは国道4号を北上する。水沢から陸前高田に抜ける国道343号線を右折、2桁国道並みの質と幅を持つ高原道路(注90年当時)の様な道路である。このようなニュートラルな路面ではZXRは非常にナチュラルな回頭性を持つ。まるで跨った丸太をひっくり返すような感じでアウト・イン・アウトのラインのクリップを通過する瞬間スロットルを開けると、マシンは面白いくらい加速して想定ラインを駆け抜ける。でもそのプロセスはナイーブで、ちょっとしたオーバーアクションがコーナー出口の想定ラインを狂わせるシビアさもある。車格差もあるが3台連ねて走らせると250のTZRらに比べて同じギャップを越えてもTZRは車体全体をリバウンドをさせるがZXR750はリアタイヤのみのピッチングで収まってしまう。
しかし北上山地の終盤である太平洋側のタイトコーナーに入ると後車との距離が詰まってくる。こういうコーナーが連続する小さな峠道では、さすがにナナハンの車重とパワーを持て余し気味だ。下りは特に切り返しのテンポがズレ始めるとなかなか修正も出来ない。考えても見れば一関から重量230Kgの車重を1時間以上振り回しているのだ。結局この日、お昼に陸前高田、午後2時半には浄土浜(宮古)を望む展望台でタバコをくゆらす事となる。休憩時間を差し引いても高速なしで6時間半到着と言う事だ。しかも途中、月山(重茂半島)の展望台まで登っている。(ちなみに当時は林道で、ZXRで初めて走ったダートということになる。連れ合いから非難された事は言うまでもない。)
こうして初年度12月のシーズンオフまでに1万キロを走破、前後の純正(ブリジストン)タイヤ交換で前後合計5万6千円也という事になってしまった。またその直前のタイヤ2分山でシャシダイに乗せて計測してみたところ99.5馬力を記録!メーカー規制77馬力(注89年当時)ってナニ?という怪物振りをみせてくれた。
さて今年(90’当時)はどんな顔を僕に見せてくれるのだろう?






インプレッション10000〜15000Km
(1990.11初典)


昨年末に交換したタイアに続いて1万キロでオイル交換、川崎純正OILT4とはいえ3.5Lも入るオイル交換で8280円も掛かってZXR750は復活した。タイヤはBS/F:120/70VR17/58H、R:170/60VR17/72H、履いた直後の滑る事!ちょっとした交差点でもフラフラである。初期の当たりが出て使える様になるのは500Km辺りからで、センターの溝が無くなってスリップサイン出が7500Km位、つまり実質6000Kmが実用範囲である。車検に通らないものの8000Km位まではグリップ感がやや残るが9000kmになると雨の日に白線を踏んだだけでスリップを起こしてしまう。いかにバックトルクリミッター装着車でもタイアにグリップが無ければ無意味だ。車体は簡単に横を向いてしまう。
タイヤを交換して一発目のツーリングはGWに行く北海道ツーリング、金もないのにと相成りました。(しかもけっこう無謀な試みだ)
COURSEのバックを3ヶフル装備のZXRに跨るのは至難の業。「こんなの転ばしたら起きあがれねーな」と思っていた矢先、砂利の上で押して体勢を崩してしまった!
 自分の方にのしかかるZXR!あまりの重量に踏ん張る足ごと滑ってゆくぅ〜「パタッ」カナシイ北海道初日でした、いとあはれ。
フェリーの中では3寸角(9センチ)の角材による車止めと2本の12mmワイヤーで固定されたZXRがのたうつ。一昼夜の後、恐るべき船酔いをヘルメットに押し込んで北海道は苫小牧の大地を走り出す。片側3車線はありそうなだだっ広いコンクリート製のやや荒れた国道を一路帯広に向かって走り出す。市街地に出ても、まるで大排気量だけの為にあるような4車線道路を快調に飛ばしてゆく。横に長い風景はスピード感を麻痺させるが、ホントにここは軽自動車やニーハンなんかじゃ来たくないと、心底思ってしまった。先行型道路行政の成せる技なのか、中・高速コーナーの多い山岳道路は路側帯が広く、ZXRはまさに水を得た魚の様に、しかも大型車とは思えないほどコマネズミのように走り回る。好きこそモノの上手なれ、と言う訳でないが、3日目あたりから抜群にコーナーワークが速くなる。疲れもあるのか?無駄なアクションが少なくなって、より核心的な重心移動とブレーキングが出来るからだ。ある意味ずっとサーキットに寝泊まりしてセッティングしてるかのようだ。一体感とでも言おうか?この乗り始めの時期に長丁場のツーリングを決めたのは実に幸運だったかもしれない。
また、この4発エンジンは気温(5月の北海道は寒い!)や高度差に殆ど左右される事のないエンジンであることも、付け加えておこう。



インプレッション15000〜20000Km
(1991.11初典)


91年春の陣でついに最長不倒燃費ともいえるリッター/31Kmを記録!ビキナーツーリングともなると、殆ど回さない、まさにトルクで走る状態である。今年はタイヤも銘柄を替えたので、そのせいだろうか?
今回のタイヤはミシュランマカダム    である。BSタイヤが割と短命(実質6000Kmが実用範囲である)なタイヤだったのにこのタイヤは特にフロントが1万キロも走る。BSより粘りのある性質なのか?当たりが出るのは50Kmも走り、一度ゴムに熱が行き渡ればオッケー!という感じである。そのくせ実質9000Km近くもグリップが続くのだ。因みに8000Kmでスリップサインが出ているので、センター部分などは溝が無くなってもグリップした感じが続く事となる。リアタイヤは流石に約100馬力のトルクを受けるせいかBSと変わらないが実質7000Km走行可能ということで、あの強大なグリップ力の上に前のタイヤを1000Km以上上回るグッドタイヤと言えるだろう。
また今回、知り合いのタイヤ店でタイヤのみを購入(正確には入れ替えバランスはサービス)し脱着は自分で行う事として、普通オートバイ店で掛かる費用を軽減する作戦を採った。実際にはバイク店とタイヤ店で言ってくる金額には1割近くの差があり、春の車検を考えるとこの際自分で出来る事はやってみようという事にしたのだ。今回、保険も入れての車検代は約12万(91年当時、自賠責保険料は現在の2,5倍程度、ブレーキパット込みです)
なんだよ4輪の軽自動車より高いじゃん!そういった意味でタイヤローテーションの一部を自分で負担する事で、年間5000円以上の金額差をツーリングに生かせるのは嬉しい事です。
エンジンは車検とタイヤで金が出てった為自分でランクを落として市販のカストロールGTXに交換、これがくせ者で良く回る抵抗感の少ないオイルだなあ〜と思っていたら、なんとバックトルクリミッターが殆ど効かなくなっているではあ〜りませんか?!気が付いたのが雨の下り坂という最悪の場面で、思わず泣きが入った程でした。
実用面では殆ど問題なく、タイヤノイズも少ない故にウォークマンが聞ける、相変わらず懐の深いマシンです。



エピローグ(使用記録)

DATA

保有期間 1989〜96(約8年7ヶ月?)

保有期間総走行距離 13〜51.000Km

メータ読み最高速度 時速220Km/h (●北道上り線●宮あだ●ら●A手前直線にて)

満タン式最長燃費 リッター29.7Km(91'春のロードツーリングで記録)

使用オイル 川崎純正T4(10w-40)

    3,000Km毎交換、E、6,000Km毎交換。

使用タイヤ ミシュランM23マカダム(F/R)

その他装備品 アマチュア無線機・ウォークマン



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