廃道日記(Riding・Report)



朝からカツ丼?・・廃洞は?。



廃道日記 43 一人でも!「秋の廃"洞"祭り」2

県令の鶴の一声で
降って湧いた国道が在る。
それが、
現国道49号線、
藤峠


それは
鬼県令と恐れられた男の

「罠」
県議会は傀儡と成り下がり、
民衆は道化となった明治最初の自由民権。
天秤に用いられたのは、
「会津三方道路」と言われた、
道路整備事業。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


 
 不運 5

 
思った以上に幸運に導かれたと浮かれていたいたのもつかの間、まるで等価交換の様に襲いかかる不運の連続。
 喜多方道の駅に併設されるキャンプ場は11月は開いていると聞いた覚えが在ったが、
実際には11月の16日に終了していたのだ。
「せっかくテントと焚火道具持って来たのに・・・」
本当に運が悪い、これでこの類いは本当の「お荷物」になってしまった。
 仕方なく道の駅の一番奥に陣取り、バイクを降ろして車中泊の準備を始める。既に時計は6時を回り、途中で買い込んだ夕飯の準備をしながら缶チューハイで独り乾杯を洒落込む。
 周りには2台程の車中泊者が居たが、ガスストーブやミニテーブルを出してメシを喰ってるのは勿論俺だけである。
中々に寒いが、
焚き出したご飯とおでんが素晴らしく美味しい。
 フライパンで厚切りベーコンを焼いて頬張ると既に2本目のチューハイを空けていた。
食事が終わると軽くお湯で食器を洗い、テーブルとバイクごとビニールカバーを掛けて支度を始める。
「さ、温泉おんせん」
 露天風呂で冷えきった体を温め「すっきりホカホカ」になると、瞼が重いな。
 アイスクリームを食べつつブラタモリ「旭川」を全部見てしまう頃には閉館の音楽が館内に流れていた。
こうして、初日を糾える縄の如く幸せと絶望に苛まれて眠るMRであった。



Q国道49号七折峠 
ここでRGγ400試乗したんだよなぁ……懐かしい。。



「藤」それは因縁の部落。

 朝方余りの寒さにトイレに起きた後は、少し窓を開けてエンジンを掛けで暖房を入れながらつい二度寝してしまい、ハタと起きた時には既に時計は7時を過ぎていた。
「朝ラーもいいけど、コメが食べたいな」
 取り敢えず持ち出した各装備を早急に収納し、圭子ちゃんを車内に納めて出発。
ほぼ何も考えずに「まこと食堂」に向う。



"藤"村のメインストリート。
明治17年に架かる初代「藤橋」を渡るとすぐこの直線になる。
(正確には昭和2年の二代目のルート上)

クランクを過ぎて交差点、藤峠は直進。
写真右が国道49号線、左が柳津町(国道252号線)。


因みにこのメインストリートは県道151号線。
この交差点で県道は左折する。

 この日の朝8時のまこと食堂は僅かに並んでる人が4名程度?開店時間が確か6時だった(勿論店内も駐車場も満杯だった)からざっくり30人ぐらいを2時間で消化した様である。
 
前回煮込みカツ丼を食べたので今回はソースカツ丼をご相伴に与る。 解っちゃいたが相変わらずラーメンどんぶりで来る中華スープを持て余すが勿論完食。
 
「コレで昼が遅くなっても大丈夫だ。」満足すると舞ちゃんを県道21号線に滑り込ませる。



おお、右手に登って行く国道49号線。
ゆっくりと逝く旧国道49号線。


「道に凄い高低差アリ!!」。
高低差と言うより土木規模が違い過ぎるな、コレは。




片桟橋?いえいえ普通にでしょう。

 
塩川から会津盆地縦断コースである農免道路にアクセス、広域農道から49号七曲峠に到達する。
 新しい七曲トンネルは通らず、旧道から峠越えする。この峠にはまだ住民が住んでおり、それ故旧道は今でも通過が可能だ。
 廃墟の見本市と化した峠のラブホを眺めつつ越える。
 坂下インターを越えて阿賀野川を越えると、
舞台はいよいよ最初にして最大の峠二つがある。現行国道49号線を挟んで南の藤峠と北の束松峠である。



旧道は一応直進です。
三叉路を直進つーか写真右が旧国道49号線。これがだよ?
どう見ても舗装林道ですね。



「入山禁止」「車両通行止予告」。
「不法投棄禁止」必殺の三点禁止看板がある。



200m先工事中。道幅も舗装も何ら替わらず。


地形を無視した現国道と、
地形線通りにコーナーで稼ぐ旧道。



道の真ん中に埋設配管。

 謀略と誠実の峠へ。 6

 
江戸末期、阿賀野川には船渡の渡しと共に柳津側に片門宿。船渡(渡し)、天屋、本名、束松峠、野沢宿と宿場が続き束松峠を抜けて柳津に向って行った。このうち天屋/本名の2つは前後の本宿に対して「間の宿(あいのしゅく)」と呼ばれた。
 
風土記には無いが、渡し船と束松峠によって天候に因る逗留が増える傾向に在る為だと推測する。
 
宿場はたいそう賑わったそうだが、明治15年、時の県令三島通庸は束松峠の険しい山塊を避けて間道であった藤峠を新たな街道に換線し、新たな馬車道を開鑿した。世に言う「会津三方道路」である。
 藤の部落から何処かエヴリィのデポ地と公園などを地域の案内板で探すが無い。国道の橋桁辺りも只今工事中でアテが外れてる。仕方なく恐らくは通行止めであろう旧道を遡る事とした。
 
ところがこれが、この日曜の朝は部落の道路清掃日だったらしく、旧道には草刈り機を積んだ軽虎で溢れていた。
 誰も居ない所とさらに遡ると農道との三叉路に
「この先電気配線埋設工事のため通行止め」の看板に大きく「旧工中」のマグネットが張られて看板が在るが華麗にスルーする。
 道は大きくなった現在の国道49号線の脇をヨチヨチ歩きのヨーギラスの様な足取りで付いて行く。



「溜め池の先に駐車禁止?」


何故ココが駐車禁止なのか?

 やがてカーブの先で工事現場に当たるが道路中央に埋設中らしい配管工事は連休にあわせて一時埋め戻し処理されて、問題なく通行が出来た。
「ううむ、デポ地がねえなあ」
 小さなため池の脇に回転可能な空きスペースがあり駐車する。一連の流れで、今の時刻は9時半を回ってしまった。ふと気が付くとやまやまナビに標準点のマーク?クルマを降りると確かに
旧一等水準点の標柱を確認する



水準点前に路駐をキメ込むナゼナラバ???




中央の円柱の上に半円球。
東西南北に方位柱が組まれる。



その後ろに標識が立つ。


ん?なんだあれ。

昨日から水準点見るな〜とか思いつつ、出撃準備。用意を整えて出発する頃には10時を過ぎていた。
「オイオイ(笑w、マジかよ。」
 コーナーでまるで気が付かなかったが、配管工事のパッチワークと共に向う先の旧道はその先砂利道で、明らかに明暗を分けるチェーンがかかり、しっかりと施錠してあった。
 
なんだ、結局一番奥まで来てしまったのか?俺。
 つー事は、次の旧一等水準点が現行の藤トンネル西坑口付近に在る筈なので旧道区間約4Kmがここからという事に成るな?とGPSを見ながら気を引き締めて、まずはゲートを路肩から順当にスルーする。
 ダート区間は電源埋設工事の後で驚く程に生まれ変わっていた。
「やっぱり昭和9年の改修通り(転圧砂利敷き)が基本だよなぁ」



ココから廃道

「問題ナク突入セリ」ちゃんとセオリー通りに路肩から華麗にスルー。


 旧道沿いに電柱や電線などのライフラインがそのまま残る事は数多い。恐らくここの旧道敷きもそうなのだろうな。と言う事は多少の荒れがあってもこのまま緩やかなダートでラクショーに抜けられるだろう。と、チンタラ流していたら大きな四角いマンホールを最後に突然その先がジャングルになってるじゃないか?
 そこは今の49号線の堤下20mくらいの所で、何と埋設配管は国道のコンクリート堤を遡っているではないか!
「何だよこの電気工事は?」
 配管に逃げられた旧道はここからガチの廃道へと先祖帰り?していたのだった。

 終わり逝く藤峠。 7

 昭和9年頃に他の街道と同様にクルマの通行が可能な様に改修を受けている筈の藤峠旧道。


チェーンすらデコイかよ?。
クルマのチェーンの代用品かよ。


 転圧砂利道!
これぞ再開発当時の明治国道の姿だ!


何処まで続く転圧砂利道。やがて正面に現行の国道49号線。


「ここから廃道」手前のマンホールまで!。


 奥に見える白い壁の上が現国道49号線。
手前の旧道のガードレールは円支柱なので昭和40年以降のものか?


 
電力の埋設工事の道はまさしく往時の雰囲気を醸し出す転圧砂利道となっていたが、四角いマンホールで送電パイプが右隣の高低差20mはあろうかという現国道49号線に現実逃避すると、旧道はこれまで通り(と言っては失礼だが)「素」形となって立ちはだかって居た。
「凄い宗旨替えだよな」
 
捨てられた道は元国道とは思えない程の荒廃であった。
 高さの折り合わない雑草と薮と笹に埋もれた歪みと錆にまみれたガードレールが、かつての旧道の証である。
 
1863年の仮定県道一等路線指定後、県令三島が1884年に整備した藤峠は本来の越後街道ではない
 
つづら折れのヘアピン区間は既にただの作業道レベルまで退化し、軽虎分のダブルトラック幅しか無い。
 昨日の大峠と違って標高差は100mもないので、そもそも過密なヘアピン攻撃になりはしない。
 
2往復程のヘアピンを抜けると、いかにも旧街道らしい松の木が植えられ、再び広さを取り戻した峠道は青空をバックに進んで行けた。


夏場はここから通行不能だな?


うお、これ束松の孫?。



ヘアピンを登る。道幅が5m近く在るな。


 
随分と路肩は欠損し、もはや一定の道幅を揃える事が出来ない様だが、薮の奥に潜む本来の道幅から察するに、この気持ちのよい里道は3〜5m程の道幅を有していた様だ。
 道はゆるゆると蛇行しつつ真っすぐに峠に向って登って行く。とても同じ人物が企画した道とは思えない。
「気でも狂ったのか?閣下」いやいや、車道を考えるならこれが正解だから、おかしいのは大峠の方だろ。
 やがて、堀の浅い鞍部が見えて来た。やれやれ、一時はどうなるかと思ったが何とか通過出来そうだ。


ヘアピンの後に峠に向かっての一直線。
大分雑草に侵蝕されてるが、道幅5mは
維持されてたようだ。


見えた!!藤峠!!……ん?

「ええ?えええええ?」
ぬかるみが深い。道幅5m全部が深い。

だが藤峠の正に峠に辿り着いたとたん、我が身の甘さを噛み締める事となった。
「流石、閣下の温情に痛み入ります、これは」
泥濘と腰まで在る熊笹と、もはやクルマどころか踏み跡すらない完全無欠の

「見ろ、道が笹薮の様だぞ……」。
廃道が鎮座していた。
どうやら、本当のガチはここからの様だ。



 
「見ろ、道……?どこだ?
笹薮のサミットを越えて右折した道は下り勾配に転じる。……


「見える訳ねぇだろ!ララァ!」
まあ、どう見ても只の薮斜面下だな。実は道幅5mが維持されてる。


 
 ダブルトラップ。 8

 
峠のサミットには2m程の浅い掘り割り以外に目立った遺構もなく、ただひたすらに水はけの悪くなってしまったかつての国道はただの泥沼となって大勢の熊笹とともにMRを出迎えてくれた。全く嬉しく無い歓迎である。
 撮影が終わると再びバイクに胯がり歓迎の笹薮にトツゲキする。豪雪地帯よろしく横に流れる灌木の様な木を足で蹴り押し込んでフロントタイヤを突っ込み、押し続けながらアクセルを空けてリアタイヤを食い込ませる、二足二輪の藪漕ぎは5m近い道幅一杯にルートを探しつつ前進してゆく。
 下りである事が助かる展開だが、ほんの数メートルも登りが在るとたちまち行き詰まると予測出来る。
 GPS上は間違いなく旧道上に居る、つーか地図上幅の広い林道の様な道がある筈だが実際にはどう見ても山肌をトラバースしてるかの風景だ。もう道ではない。



「確かに旧道上に居る」
ほぼ、トンネル西抗口の真上に居る。


これが道ならば、な? 薮はついに腰上に

「間伐材が捨ててある!」
とことん徹底的に罠張るよなぁ、閣下は。


 徐々に深さを増す熊笹はついにKLXの全高を越え、サイドミラーより高い。バイクを降りて撮影するとほぼ熊笹に埋没している。
「笹峠の間違いじゃないのか?」
 もうこれ以上の事はないだろう完全廃道、木枯らしに乗って聞こえる国道49号線藤トンネルからの騒音が結構車種が判別出来そうな感じに聞こえて来た。そろそろトンネル西坑口上とGPSも語ってくれている。
 雑木林の奥にうっすらと出口側の道が見え始めた!
ようし!何とかなったか!
ガスッ!!!!
「うっ!何じゃこりゃ!!」流石鬼県令閣下、ここで更にトラップかよ!
 KLXが引っ掛かったのは1mくらいに切断された杉の木、太さはまちまちだが拳程度のものから大人の足の太さぐらいまでの木が、無造作に旧道上に捨てられていた。
「間伐材を捨ててったんだ。くそーっ」
 正確には右手の山側の斜面に大量の間伐材が捨てられ、その突端が旧道に溢れた感じだ。
 歩って確認すると5〜6m程の幅に枝や葉が散乱しているが、何とか片付けられそうだ。既に汗だくのジャケットを脱いで早速撤去作業開始。
 KLXが通過するまで30分以上かかる。時計は丁度お昼を指していた。
僅か2分前後で抜けるトンネルの上の旧道で既に2時間近く。。。。


「あれが出口側か!」
うっすらと道が見える。


おっ! 出た!!


よし!! 脱出成功!!! でも、妙にぬかるんでいるなぁ。

 
 ぎっしりと敷き詰まった紅葉の分厚い地面に足を撮られる。気を取り直して前進を開始すると直ぐに薮が晴れ、脱出に成功!スタンドを建てて写真を撮ろうとするが、路盤が軟弱で立てられない。
 木を引き込んでどうにか自立させ、振り返って写真を撮る。
 
どうみても薮の通行止めにしか見えない。それでも何とか通過した、エラいぞ<俺。
 そして再び落ち着いた視線で前方を見据えると、旧道と言うよりブル道に見える道の先は左に大きく折れて下り始め、恐らく3〜400m先くらいで現国道に合流する雰囲気を見せていた。


「ごってり引っ掛かってる」



その3に続く!


あかん路肩逝ってる!!! 奥の直角コーナーはレンコン畑。


国道49号「藤トンネル」西抗口を見る。


 やまやまGPSは、目前の左コーナーの内側に一等水準点がある事を示している。コーナーの外側は沢の感じが見て取れるので、恐らく大雨で旧道上に堆積した物をブルで避かせたのだろう。
「足下が軟弱なのもそのせいか?」
 取り敢えず水準点の写真を撮って現国道に合流だ!と思い立ちKLX125は前進を開始する。
 
勢い良く走り出すものの、アプローチのとたんにKLXのスピードが激減しのめり込んでエンストしそうになったので慌ててギアを落とし、2速全開。
マズい!
 
そんな所作の中、目に飛び込んで来たのはすり鉢状に均された法面と沼と化した旧道だった。
 足を出せばのめり込んで長靴が抜ける様なレンコン

この辺に基準点が在った筈だが
そもそも道路が無いわい。

畑だ!
「くそっ!やってくれるぜ三島ちゃん!」
トリプルトラップじゃねーかよぉ!
二輪二足でからくも泥濘区間を脱出する。
最初に勢いよく行かなかったら完全に捕まっていた、危なかった。
お陰で写真も撮れなかった、失念!




「無限軌道がお出迎え」下が先ほどの国道49号線。


 抜けた所でバイクを降りて、iPadmini4片手に来た道を戻る。4tダンプのダブルトラックが先ほどのレンコン畑で、本当に消えている。
 
そして地図が指す水準点の所には何も無い。道路すら削られて本来の場所は空中、リアルに何もなかった。これは恐らく一昨年の集中豪雨で道路ごと土石流で国道の藤トンネル西坑口に流れ落ちたのだろう。
 気を取り直すとバイクで合流地点まで移動、圭子ちゃんに付き纏っていた雑草や泥を落として、もう一つの峠に向った。
即ち「束松峠」にある「束松洞門」である。



「本線合流!!!!」参ったまいった。


「取り合えず草取りだな」
頑固で強固な笹竹などをホイールから取り去るのに10分ぐらい掛かる。




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