廃道日記(Riding・Report)



まさか喜多方・・・か?。




廃道日記 43 一人でも!「秋の廃"洞"祭り」

平成の幕開けと共に
廃道となった国道が在る。
それが、
昭和最後のダート国道、
121号線


それは
鬼県令と恐れられた男の

「罠」
県議会は傀儡と成り下がり、
民衆は道化となった明治最初の自由民権。
天秤に用いられたのは、
「会津三方道路」と言われた、
道路整備事業。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


 
底冷えする寒さで目が覚めた。
 体を起こして見回すと、外の風景が見えない。慌ててメガネをかけると、室内の内側に曇りが発生して、周りが見えないのだった。
 寝袋から這い出して運転席に座り直す。
トイレだ!が、しまった、靴はスライドドアのステップの上だ。面倒なので裸足でエンジンを掛ける。前が見えないと内側から曇りを取るのにタオルで拭いても取れない。
「凍ってんのか?マジかよ」
外は氷点下なのかよ!
いかん!このままでは人類以下になってしまふ! 明け方の喜多方の空、酔っ払いの頭上には、星一つ煌めく。

 プロローグ(現状) 1

 仕事柄相変わらす、休みが突然やってくる。
 予定が立たないので誰も誘えないMRである。そんな事を嘆いてもネガなので相変わらず目標を立てて単独行動とする。



Q極のQ道大峠 2013年以降はこの鉄壁のゲートに守られる。

堅く南京錠で締められる門。

 さて今回は、と言うか今回も未踏の峠を幾つか考えて居たが、直前に雪の予報が発生したので、取り敢えず第一目標の南会津オート3輪撮影はまたしても保留した。某峠に4年越しの今年も断念、このままではドアが保たないかも?カタチが在るうちに拝みたいと思う今日この頃だ。
 と言う訳で残った所を行こうと思って
舞ちゃん(言わずと知れた愛車エブリィ)圭子ちゃん(無論KLX125)を積む。11月中は喜多方道の駅のキャンプ場も使えた筈だとキャンプ用品も積んでおく。


 

通行止めを示す道路情報案内板。
平成4年8月9日の新大峠道路開通をもって通行止めに成る。



ちょっとマテ?


マテ待て!?。
ワイヤー外されてんぞ!オイ?


え?ツーセロで行かないのかだって?
 タイヤ無いんだよロースト君は。
 
今年はJB23ジムニーのスタッドレス買うので余裕無いんだよ。
 
最悪寒かったら車中泊という手が使える方が良いと判断したし、やはり旧道アタは小型車の方がいいので、ここはKLX君だろう。秋にM64履いて、今8分山くらいとイイ感じだ。
 今回は会津三方道路中、最もメジャーで旧道が残ってる(筈)の国道49号柳津周辺、阿賀野川沿いを目指した。
 え?何で喜多方道の駅なんだって?
家出るのが午後からになったからである。つまり実質1日半しか時間はない。柳津のキャンプ場は営業が怪しいので取り敢えず大峠を見て、歯が立たなかったらすぐさま柳津に移動して、まあ最悪道の駅で車中泊か?とプランを組んだ。
 そう
「大峠」
 
 鬼県令三島通庸が造りしカタチが道路なだけの空の要塞、かつて国道の名を借りた鉱山道路だった旧国道121号線である。
 3度チャレンジして2度通過しているが、
2013年に喜多方側に難攻不落の強化ゲートが出現すると、パッタリと通過情報が途絶える。
 今回は強化ゲートを越える秘策を積んでMRは自宅を後にした。




おお、実に10年振りに通過する田付川&眼鏡橋。
竣工昭和42年12月、三代目も既に半世紀が経過した。


 マジか?大峠。 2

 スタッドレスタイヤに履き替えた舞ちゃんなので高速の恩恵が余り無いが、まあゴーストップなくイケるのでヨシとしよう。4シーズン目のスタッドレスなので本当はもっと労りたいのだが致し方無い。
 そんなこんなで午後2時にはゲート前に辿り着く。予定の場所にクルマや他の障害物もなくクルマのリアゲートを突っ込めそうだ。
念の為侵入位置を確認すべくクルマを降りて見ると、
「うおおお、ヤられている!」



「警笛鳴らせ」が熱く焼けている。
81あるヘアピン、その第一ヘアピンが見える。
あれから10年だものなぁ。



「道に天誅的倒木アリ!!」。
さすが現役期間104年を誇る大峠、揺るぎもしない。


何と言う事でしょう?
 
ガードの直ぐ裏にあった旧道由来のワイヤーガードが、何者かに拠ってワイヤーがキレイに外されているではないか。


このコーナーの奧には明治16年から
各地の道路に設置された物がある。



すなわち、一等水準点だ。


「倒れてから2年くらいか?」



「て、いうか既にタイヤの跡があるぞ!」
 というか、あの30年ぐらい外された事の無い太いワイヤーをよくもまあ外したな。俺でもやらないぞ?
まあいい。
 
ここはこの状況をお借りして行ける所まで行ってみよう。

 旧道から見え難い所にクルマを戻して圭子ちゃんを降ろすと素早くモトパンに着替えて出撃した。後に
この駐車位置故の悲劇が起こる事など、判ろう筈も無い。
 
何故ならば、既にMRの心は山頂の大峠隧道に達していたからだ。 



 
この造林は手入れされている。


その袂には懐かしい国道時代のキロポスト。


どんどん登る。一般ではもう見る事の出来ないワイヤー式のガードレール。
これ程の数が見れるのは、もう大峠だけだろうな。


ヘアピンと高低差 下から数えて13番目、キリが無い。
ここにも一等水準点がある。



「色が在る!!」
西向きの日陰という場所故か!



ざっと50年モノだろうか?。
納品(備品管理シール)はインクが飛んで真っ白。。


この補助標識は判らない?。
東に恐らくは次の村まで何キロ?みたいな誘導板。

 抜ける様な青空のもと、KLXのエキゾーストがこだました。
 
多分記憶の限り喜多方ルートは来訪二桁に達したと思うが、相変わらずの廃れ具合である。 
 眼鏡橋を渡って直ぐに川側路盤陥没、次の国土地理院基準点ヘアピンを曲がるとこの状況で2年は経過してるかな?という巨大な倒木を潜る。
 ロングスパンのヘアピンを回り、相変わらず人を楽しませる事が好きだなぁ、閣下は。と思いつつ登って行く。
そしてその違和感に気が付いた。
「綺麗過ぎる」
 歴とした廃道なのだが、あのゲートの鍵を持っている者、つまり管理者その他がキチンとしていると言う事だろう。
 恐らく、喜多方市と営林署と地元部落の区長さんは持ってるだろう。
 大峠越え高圧線がある東北電力?さんは作業時に
鍵を借りるクチだろうか?



地名に在る「大曲」をターン!。
手前が15番ヘアピン、右上の奥は16番ヘアピン。
この辺から路肩に白いモノが見え始める。



「対岸から見る15.16番
ヘアピン」。
樹氷が美しい、流石にモトパンとアンダーのヒートテックだけでは寒いな。



うおおお?。
改修しても7〜8年でこのとおり。

 そう言う業者さんらが、トラックの入る必要最小限の道路管理、イヤこの場合は道路奉仕を行って現在に至っているのだろう。
 そして通過困難な状況には喜多方市の然るべき課が、道路補修を行っているに違いない。
 実際に震災前の2008年に通過した際に工事していた個所の路肩はキレイに作り治され、仕上がりから10年、震災から8年からの時を経てまた路盤陥 没や液状化を起こしていた。
 



ここは前回のアタ時に工事改修してた所だ。


 今回はさらにその後に路肩が欠損し、恐らくは今年に竣工したばかりという工事個所もあった。
 
つまり、旧道/閉鎖されたこの道だが今でも最低限の道路管理を去れている訳だ。
まだまだ生きるぞ!この道路。


10m程掘り下げ基礎打ちして
暗渠排水式に造った筈なのに。



直ぐ上の18番ヘアピンにはポッカリと吸水口が!

コーナーの半分が沢落ち・・・。


途中で引っ張られ
基礎が浮き上がる
ワイヤーガード・・・。

 さらに上の19番ヘアピン。
新造されてる!


 そんなこんなでMRは電力の小屋が在る分岐路まで辿り着いた。
 
 積雪と共に。

 泰次郎岩と呼ばれていたヘアピン周辺の路肩からチラチラと白い物が散見される。
今期初の積雪である。
 
吐く息がいつの間にか白い。仰ぐ空も何時しか半分が雪雲っぽい。



「キタ!電力保安林道分岐」
写真左が電力管理道路、右がQ国道121号線。


 
電力道を過ぎて、少し下るが。


国道は相変わらず蛇行しまくり!!!。
積雪の中、道は勿論急激に登って行く。


見覚えがある!?!



「寒いな」
 ゲート前では全然気にならなかったのだが、ここにきて標高が上がる以上に気温が下がって来ている様だ。
 アンダーにヒートテックを履いていても寒い。
失敗した、オーバーパンツが必要だったか?と思ったが、もう遅い様だ。
 最後の崖っぷちは西に視界が開け、この時
初めて電力の小屋に続く管理道路を目撃した。



「新しいコンクリート路肩だ」
ここも前回、ヘアピンの上の道が路盤崩壊した所、道路半分が下に落ちた。


新しいのは見せかけで、復旧後、ふたたび欠損していた。
下から34番目のヘアピン上。



あまり高低差も無くゆるやかなカーブがだらだら続く林間区間。
だんだん路肩の雪が増えて行く。みな、
大量の落ち葉の上に積もっている。


「初めて目撃したぞ!」
 写真中央の白い箱が通称「電力避難小屋」
 手前の白い帯がそれに続く連絡道のラスト区間、すげえ崖っプチ。



 10年以上かよって初めてなのは、単純に小屋と管理道路の周りが伐採されてハゲ山の呈だったからだが、感動した。と同時に
「これならバイクで上がれんじゃねえ?」とも思った。
 しかし時間がないので直ぐに諦めるMR、iPadの時計は既に3時を過ぎている、危険な状態である。
 ゲートが閉まっているデフォは既に関係者に周知済と思われ、故に訪れる人など居ないだろう。


「あれが峠越えの高圧線!」
 昔の大峠索道沿いに造られたらしい。


福島側ヘアピンコーナーもついに40番台!
道もスパート掛けて来るぜよ。


 
 
しかも見る限り一部階段があるな?あの角度で。
「ん〜、滑ったら即死だな、アレ」なんつったってハゲ山で木が無いから、何処までも転げ落ちそうだし。
 結論が出た所でカーブを曲がると、目前には白銀の世界が待ち構えていた。
「キター」
もはや懐かしいな?この文章的フレーズ。
 
ぎっしりと敷き詰まった紅葉の分厚い(大体10センチ前後)に軽く淡い雪が3センチくらいかな?これでフロントブレーキは使用不能確定だな。
 これもまた有名な超ショートストロークヘアピンの多重攻撃を積雪まじりで受ける。
流石閣下、最後まで楽をさせてくれない。


「これは古い」まるで砂防ダムのような
路肩補強。


おそらくは103の文字が打たれたキロポスト。



 
独特の分厚い紅葉を蹴散らす紙細工の様な音が聞こえて来て、嬉しい。
そして直線。
 その先の山に青空が戻り、
それより若干廃れた青い標識が見えた。
「おおおお、まだ健在かっ!」
 
日陰は積雪7センチくらいか?
50年来そそり立つ伝説の青看、未だ健在とは!
道路案内板もまだ健在、嬉しい限りである。
勿論表示は「通行止め」
 
こうでなくては!写真を撮っていよいよ大峠隧道へ・・・!


「103」だよね?。


「ラストの直線!」
「マイガ〜〜〜!!!!」


「再会」オカエリナサイ、10年振りの青看だ。

 
そこには半永久的に閉ざされた大峠隧道南坑口が静かに佇んでいたのだった。

 また遭う暇で。

 
隧道前にバリケードさらにその手前に何処からかトラッククレーンで運び込んだワイヤー型ガードレールの親柱?基礎ごと鎮座させたお手軽在る物でバリケードが施されていた。その上には初冠雪が8〜10センチぐらい。
「雪囲いかよ」
 やはり電力の管理車両が通るのだろう。一応板が撤去出来る状態で地面に打ち込んだH鋼に挟み込むカタチで設置されている。
 ざっくり7尺脚立で左右に人手で板を外し、さらに下に二人作業員が居て手渡しで板を降ろす。4人工で30分ぐらいかな?板10枚を外すのに。
 ガードレールの基礎は1mくらい、重さは1〜2tあるかな?登ってもびくともしない。


「ちゃんと通行案内板もある」
裏の差し換え板もある、字消えてるけど。


「何だあれは!」
「マジかよ…」

 すると、バリケードの隙間から隧道内が見えた。
「おお、貫通はしてる。空が見えるね」
 
しかしその坑口のカタチが変だ。
 
既に坑口の西側は崩壊が始まっていたので、状況はさらに進行しているのだろう。足元の湖もそのままの様だ。
 震災後間もなく、僅かにバイク通過の隙間を残していた
ホッパー塔の法面崩壊が進行して、徒歩のみの通過しか出来ないと聞き及んでいるが、定かではない。


「よし、貫通はしてる!」
例の仮設ゲートが北側に移動?。



その2に続く!


……なんかサ、現役時代のモルタルがすっかり落ちてね?
昭和42年頃にモルタル吹き付けされたらしいが。

「比べて見よう」昭和9年撮影、大峠隨道(福島の峠より転載)

 
風が吹くと揺れて見えるのは多分道路に堪る湧き水だろう。いわゆる大峠湖である。
「あれ?銘板がよく見えるぞ」
 視点が高いせいもあるが、それ以上に昭和40年代の道路改良工事の折に吹き付けられたモルタルや雑草が無く、まるで開通当初の様な立派な坑口にもどってるではないか?
「これは御影石かな?周
りの煉瓦の配置も判るぞ」
その模様は前に本から頂いた写真に良く似てる(いや、同じ物だから<俺)
暫し感動して、写真を撮っては眺める。
「さて、引き上げよう、また今度な」
 取り敢えず当初の目的は達成出来た!あとは暗くならないうちに事故無く帰るだけだ。
 再び雪雲に覆われ始めた大峠を下りて行くが、案の定下りは滑る。風通しの良いコーナーは既に薄氷が張っている。
寒い!



天井の継ぎ目は
洞内内壁全体に広がった様だ。


昭和九年竣工 道 隧 峠 大」
読める……私にも読めるぞ!ララァ。


門構えに組まれた額縁のセンターに銘板。
左右に刻まれた三つの菱形の紋様がくっきり矧ぎ出される。



アーチセンターに在る縦長のキーストーン(要石)、
アーチに併せて左右肩下がりに階段を描いて下がる跡が見て取れる。



 メーター読み20Kmくらいでも一物が縮み上がる程に寒いのだ。
 そんな訳で行きに1時間近く掛けた帰りは30分足らずで帰還した。

 
クルマは無事に何事も無く佇んでいた。
 鍵を開けザックを下ろし着替える。
 靴を履き替えると、積んである荷物を一時下ろしパレットに圭子ちゃんを積載する。
そのパレットを押し込むと奥でビニールが引っ掛かる。
 咄嗟に助手席側のスライドドアに移動する時、思いも寄らぬ悲劇が起こった!
足の裏に感じる妙に柔らかい異物感・・・差し出した足をとっさに引く!


GPS地図には山形側に「ろうせき」
の文字。




また今度な」


「ううおお!誰だこんな所で排泄しやがったのは!」
 こんな事を書くのもおこがましいが、犯人は間違いなく人類である。
 舞ちゃんの後ろは例の鉄骨ゲートから5mくらい。
道路からは完全に死角と成って見えない。
 ご丁寧にテッシュの上に落ち葉でカモフラージュされているではないか?
 近くの砂利道で靴に付いた運を落としながら憤慨するMRで在った。
「くそ===っ!」


関連ページ