次の林次の廃道日記へ。道に進。

廃道日記(Riding・Report)



石碑には
「道路に因って生まれ、
道路の為に消失した村」

と記されてあった。
三島にすら捨てられた
街道。

その名を「楊枝峠」という。




この石碑が無ければ、ここにかつて村があったなどと、誰が信じるだろうか?


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


このContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)009-2


楊枝峠の一つ手前の枝道に入る、


 そのウソ、ホント? 

 前回の日中廃Tourのラストで熊五郎さんが「中山宿側から入る時に一本道を間違えて手前から入ってしまった」と言っていた分岐がある。
 地図を見ながら最初に疑問に思ったのは、この枝道には沢が無い事だった。
 後日、現地に赴くと
「沢伝いに峠道はある」
のセオリーに相反する地形なのに電力がこれ見よがしに指示標柱を建てていた。
 試しに逝ってみると、磐越道を潜った所で道は五百川に当たって止まっていた。



前回の日中廃Tourのラストで熊五郎さんが
「中山宿側から入る時に一本道を間違えて手前から入ってしまった」と
言っていた分岐がここ。


磐梯熱海14のボックスを潜る・・・。


ぐる〜っと「C」の字に回り込むと、
正面には五百川と磐越道(下り線?)。

 改めて地図を見ると、複雑な回り込みで道は五百川沿いを国道方面に出る事が判明。実際に国道49号線に出るには磐越西線も渡る事になるだろう。


電力の案内だと思うが、意味の解る人が居たら教えてください。

 そう、その空き地から振り返ると、
確かに道の様な感じのルートが薄暗い植林の杉林に連なっていた。
隣に平行して走る三河林道の舗装路なら旧中山宿まで僅か2分くらいだろう。



おもむろに振り返ると・・・「あ!あれは・・・」


暗く長い下り坂が口を開けていた。
路面は荒れている。最近車が通った様子はない。


植林の合間から外の光がこぼれ落ちる。
そこは・・・沢。


 
意を決して、零度を薄暗い林道に滑り込ませた。長く険しい下り坂が続く。車幅こそ1.5mの林道だが、路面は甲子林道ソレ同じである。
 まあ、泥じゃないからもはや2分くらいのリアタイヤでもどうにかなるけど。 しばらく下ると、道は沢を横切っていた。沢はそのまま五百川に注いでいる。ここで初めて、10m以上あった筈の川との高低差が1m程度になっている事に気が付いた。


そこは沢、ちいさな沢が流れる。

 渡河すると道はクランク状にまた林に消えてゆく。
「やっぱり、間違いだったか?・・・」
 突然その場所に躍り出た。
沢ではなく川となった五百川である。
明るく見通しのきく下り坂の奥には目前の五百川に合流する小さな沢とそれを跨ぐ丸太の橋、かつての街道を示す馬頭観音であるではないか!。
「え?ここを渡るの?」ま・・マジですかぁ?
 
丸太の直前までは激坂、フロントタイヤを橋に架けた所でなんとかバイクから降りたが・・「どうやって乗ろう?」


「これはもしや“馬頭観音”」ここが街道なのか!?・・・。
つーか、ここは危険です。


マジ危険だよ!
丸太滑りすぎ!起てない・・・!


また小さな沢。前後の道は下がっているので、
ここが溢れると街道は川となる。

  ま、とにかく撮影だ!と思って
丸太に足をかけた瞬間に体はを舞った
 幸い、沢に落ちずに済んだが、橋の上はスケートリンクの様に滑るのだ。思わず蟹歩きで対岸に渡る。撮影するとまた蟹歩きで・・・バイクを押すしかない。
 自分もバイクも支えきれない程、簡単に滑ってしまうぅ〜(昇天w
多分、
万世の一本橋より恐ろしい橋だと思うが。

 ロスト、そして。  10

「世にも危険な丸太橋」を無事通過した。

 
とにかく疲れた。オフロードブーツをこれ程恨んだ事は無い。
「なんと恐ろしい橋だ!」
 土の方が数倍マシかも。掲示板で「初雪が一発降ったら・・」とかほざいていたが、発言を撤回し改めて言おう。
「雪の日に来たら絶対転落死する」
 
改めてマシンに跨り、川と共に南進する。



丸太の階段・・「土湯女沼の周回路以来だな」
写真位置で側溝には大量の枝で塞がり、水は道路に流れ込んでいるようだ。



川が氾濫する毎に路面がむしり取られてゆく。
写真右手にT字路となる。


さらに南に下りてゆく道は、
さながら“水無し川”・・・凄!

 最後の紅葉に染まる雑木林で僅かに上るが、下りに転じた街道は再び杉林に。途中、恐らくは農業灌漑用の取水口であろうか?街道を幅50センチ程度の側溝が横切っていた。
問題はその状態と、先である。
 路面には横に丸太が敷かれ、大量に流れ出した水が土砂もろとも道路を押し流していた。路面はその先完全に河原となり、押し流されて来た大量の枝葉やゴミが散乱していた。
「ひでぇ・・・」
 慎重に、バイクを進めてゆく。
あまりの状況に、帰り登れない可能性が或る場合はバイクを停めて、登り口が確認出来てから降りるようにした。
 ゆるい左コーナーの出口で異変に気付いた。
「渡河だ」
 どうやら今の立ち位置の左にはかつての道のような部分もあるが、既に40センチ程度の段差となりルートの変更を許さなかった。
 助走区間があれば上がれそうだが河原と化した街道?(伐採道?)がそんな余裕を許さない。手前に大きな段差が確認出来ると、迷わずバイクを降りて歩った。道路のえぐれは恐らく50センチを越え、杉の木の本来の根本近くにバイクのハンドルをあてがうと、そのままバイクは起っている。
一体どれ程放置プレイを続行するとこうなるのだろう?

2度目のEndingRoll  11

 
人生には幾つかの大きなカベがあるという。
しかし、目前にあるのはカベではなく堤のようなものであった。
 バイクを降りて歩いて五百川を渡り、対岸のかつての伐採道らしき部分に出た。



ええ、沢ですとも!


そして本流の五百川に合流する!
「嬉しくない!<俺」


 五百川はまるでトンネルのような暗橋で潜っているが、抗口から反対側の光は見えない。堤の正体には予感があった。対岸から見ると先ほどの分岐はやはり上に出る道筋の様だ。また今居る対岸も上に登り堤の上に出そうであった。
どうする?しばし悩む。
 しかし、確実に安全とは言い難く、自分だけならともかく、他人を巻き込む大事故にならないと誰が言えよう?
見当が付いた所で撤収する事にした。そして、気付く。
「また、あの丸太を渡るのか・・・?」ウンザリした。

 その場で回転が出来ず、力任せに押してスタンドの建つ位置までバックし、車体を回した。驚いた事に、あれほど慎重に降りてきたにもかかわらず段差は強烈で、思った以上に戻りにも時間を浪費した。丸太橋も消耗を助長した。



零度君は堤の上にいた。

 中山宿に戻ると駅前で地図とにらめっこして位置を特定し、反対側の見当を付けた。

 堤の谷底から約45分後、零度君は堤の上にいた。中山峠に沈む夕日に向かって、一本の特別列車が会津若松に向かって逝った。

やはり堤は
磐越西線だったのだ。
線路沿いの街道は予想通りに線路際の田圃に向かって続き、眼下に先ほどの灌漑用水路が地面から覗く辺りで2m下の田圃に降りて終わる。 その線路の向こう側に
「立入禁止」の意味が書いてある警告看板らしきものがあった。



写真右手(方角で言えば北側)、丁度2本先の電柱辺りが街道の出口となる。
「立入禁止(またはそれに相当する)」警告板がある。


また丁度、列車が来てしまい、警告板の撮影は断念。
特急「あいづ」赤べこ号が通り抜ける。


そして、五百川は暗橋を越えて、
国道49号線に辿り着く。

 
あれが恐らく街道の末端なのだろう。
「強行したら、今の列車に鉢合わせしたかも・・?」
もしかして、川底を走らないとダメなのか?やっと納得?したMRは、国道49号線に合流し、帰路に就いた。

調査日(07/12/9)の状況:
 路面状況は泥濘、やはり下草が刈られている感じもするので営林所等の管理下にあると思われます
 幾つかある渡河はさほど深さはありませんが丸太橋は路面ミューが全くありませんでした。
線路への無断進入(横断)は犯罪です。



国道49号線手鞍付近。
この小さな脇道が、かつての街道筋であると認識する通行人など居ない。