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廃道日記(Riding・Report)


どんな物にも「さだめ」というものがある。
生まれて、生きて、歳老いて、散ってゆく事。
そんな事象をファインダー越しに切り撮ってゆく。
廃道を歩くとはそんな行為だ。
人それぞれ、どんな理由であれ、自然の驚異に人間が対抗する力を結集する。
その、尊さ、はかないまでの美しさ
しかしそれとて永遠ではなく、自然は人智を越えて荒れ狂う。
ここも、そんな処である。


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)002-3


 私が最初に大峠隧道山形側抗口に立ったのは実に15年以上も前の事、1993年頃の夏の事である。国道121号線は山形側がダートの国道と聞いて見に行ったのだ。アシは新車の92'XLR250Baja。やがて隧道を越えるとそこは金網越しの鉱山だった。金網の外に国道の看板があり、金網には全面通行止めの看板が、既に何年もそこにあるかの様にぶら下がっている。確かに、情報道りフェンスの先の国道はダートだった。
しかしそこは既に国道では無かったのだ。
難攻不落の空の要塞。それが初めて見た大峠の感想であった。


 既に、ROAD-WebのSunnyPanda様の情報から防雪フェンスの湾曲倒壊があり、リンク先の「山さいがねが」ヨッキれん様からは「オートバイによる単独通過は困難」という三下り半を突き付けられてしまっていた。

意気込んでは見たものの さて、どうしたものか?

 ゲートについては調べが付いていたのだが、やはり気になる。もし、喜多方側から突入し開閉方法が異なりゲートが開けられない場合、
事態は最悪となる。
そう、
倒壊した鉄骨を往復する事となるのだ。まさに究極の最悪
そうして
単独で日没になんてなれば「俺は熊の餌食だ」
 自分で言うもなんだが、これでも医療カウンセラーのお姉さんから「ぷちフォアグラ」の称号を頂いたMRである。
 熊のヤツにも冬眠前の晩餐に「霜降りの良いごちそう」となってしまうだろう。
マジやばい(死語)。

 そうして決行を決めた日、くしくもリンク先の「ORR」へなり様が突然
大峠公開に踏み切ったのだった。



目測幅40センチ。こいつは総ての4輪車両を隔絶する「絶対防衛線」である。
通称「大峠バイクゲージ」


 崩壊した山形側
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 鉱山の逆Y字路を過ぎると目前にほぼテトラポットと思われるコンクリート塊が2個並んで置いてある。
これが、廃道2輪界を震撼させる超兵器!「大峠バイクゲージ」である。

 約40センチの隙間をには既にバイクや自転車の轍が刻み込まれ、既に幾多のチャレンジャーがここを通過した事を物語るが、取り敢えず記念撮影する。その先にはもう一つY字路があり、右に下るのが旧国道121号線、左に登るのが鉱山の作業道である。
 前回の鉱山もそうだが、このルートも実に興味深い。なぜなら目と鼻の先に高圧送電線があるからだ。当然保線管理のための道路が在る筈なのだが、勿論道幅などは期待できない。だが希に場所によってはオートバイで十分通行可能な場合があるからだ。と、言いつつ走ってたら突然階段でバイクごと落ちたりもするので、十分注意は必要だが。

 さて、そっちは後日突撃するとして、まずは下見だ。Y字を右に下る。車幅は十分あるが場所によってはシングルトラックだったりして通れる所は限られている。情報通り、峠から垣間見た赤い防雪塀は割と順当に列んでそうだったが、間近には敗残兵の隊列の如く頭がふらついて列んでいた。老朽化に伴う痛みは相当な物だろう。何と言ってもこの現象の原因はこの1000m級の標高とともに積雪する大雪だ、6mは積もると言われる重量はtonを越えるだろうし、かかる期間も4ヶ月はあるだろうし。

 しかし、鉱山のレポに生まれた疑問から「これは本当に(国道のための)防雪フェンスだろうか?」
 
つまり
「これは
本当は(鉱山のための)落石防止工事塀ではないだろうか?」と思うのだ。
 
勿論前提として道路が国から県に移管されているという話ではあるが、このような高原道路の防雪フェンスにし

鉱山のY字からバイクゲージを望む。


目測3.5mの防雪フェンス。
本当に「防雪フェンス」なのかい?


鉄塔が路肩に建つ。一級国道に建てる訳は無い筈だが。遠く鉱山道も見える。

ては構造がヤハな気がする。
 鋼材が貧弱すぎないだろうか?高さ4m近いフェンスと1mくらいのフェンスが同じ太さ・厚さの鋼材を使うだろうか?
 一部にはきちんと土留めコンクリートを組み、防雪フェンスを付けているが、
大半のフェンスは唐突に地面から生えていて、ただ穴を掘ってH鋼を差し込み、コンクリートを流し込んだみたいである。通常ならアンカーを埋めて鉄筋鉄骨コンクリート造だろう?ここは本当に1級(旧?)国道なのか?ますます猜疑心が頭をもたげる。
 そして、鉱山に付き物の空中ケーブルによる採石上げの鉄塔があるのだ。
 情報に依ればダンプに採石を降ろすホッパー塔もこの先の国道上にあるという。どう考えても官地に無許可で建てられる物ではない。まして採石の荷積みを道路上で出来るわけがない。
 やがてバイクは最初の倒壊地点に到達した。この日は装備も満載なのでここでターンする。



ここでUターン。もうちょっと逝けそうだったが、「まあ道路は逃げないよ。」
当日はそう思っていた。
後日、部落の方からお話を伺うまでは。


今回のルートはTouringMapple2005.3版に路線のみ掲載(林道表記なし)国道121号線大峠は不通区間としての掲載。

 いざ、米沢  8 

さて、
 
今回もかなりの問題を孕んでいるので、準備は念入りに行った。
 一番の問題は第二ゲートであるが第一ゲートと同じ基準なら既に準備は万端・問題はない。
 次は鉄骨の乗り越えだ。幸い乗り越えるべき鉄骨がそのままアンカーと成るので十分牽引可能である。会社からハンドジャッキと1t吊りバンドを借り出した。車用の物より軽量コンパクトなのがいい。12m/m20mの2ton用トラックロープ・2連滑車・シャックルとまるでジムニーの装備を移植したも同然である。
 大峠はどんな表情をMRに見せてくれるのだろうか?

バイパスを挟んで反対側にも旧道はある。でもそれはジャングル〜。
少なくとも走れそうにはない。


 当日はかなり迷ったが、結局米沢側から突入した。やはりゲートが気にかかるし、事前情報が正しければ尚嬉しい。いざ、米沢へ!

南側親柱は頭が削られている、何故。
昭和13年竣工、御年67歳?。

 国道121号線バイパスを米沢から左折し旧国道に入ってゆく。パイパス普洞沢2号橋の下に旧普洞沢橋がある。
 竣工昭和13年というから、戦後の大改修前に掛け替えられていると考えられた。
(追記;昭和12年に時局匡救事業として道路改良を受けている。書類には明記が無いが、豪雪の為竣工が次年度にずれた可能性がある。)
 
積雪は3mを越える冬、鉱石を運んだダンプカーを長年通してきたと考えれば、ものごっつい耐久力である。
 ちなみに明治の旧普洞沢橋はさらに奥(上流)にあったようであり、ほぼ獣道ながらも現在の橋の上流側両端には道らしきものが現存する。

当日の装備。左上から・・
カッパ/通常車載工具
1t引ハンドウインチ/フック/ループバンド
バンド/タイダウンベルト/ゴム板
フロントスタンド/クレ556/針金ガムテープ
バイスプライヤー/追加ドライバー
飲料水/20mロープ/皮軍手
写真外に鋸・滑車・デジカメ。
何しに逝くんだか?


国道にある入口。
普洞沢2号橋と3号橋の間にある。


バイパスの下を抉るように行くべし、逝くべし!



旧道普洞沢橋。



Q極のQ国道大峠。新旧の橋が同じ空を眺める。
ここに橋梁技術の深化を観る。



ど根性大根に勝るツタ攻撃に沈没寸前の親柱。
 さて、逝くぞー!
鉱山前から通行止めの第一ゲートは楽々スルー。飛び出たところでエンストしてしまい、再起動。前進を開始する。晩秋の旧国道はまず大量の杉の枝落ちでおいらを歓迎してくれる。うねる道路をストレートに走り、ゆるやかな右をぬけるといきなり新道のような補修区間がある。


これはいかにも国道仕様の落石防護フェンス。
早く旧道が観てみたい。


鉱山入口。鉱山の途中には八谷沢林道もある。


米沢側第一ゲート。もともとここにはゲートがあったらしい柱がある。




ジモティの自治会が実際に道路を守っている。しかしそれは第二ゲートまでの約4Km程である。

 かなり大きく崩れたようで、しかも漏水対策も万全かと思われる構造である。ガードレールから下を覗くとそこは小樽川の砂防ダムの真上に道が在ることが判る。100mからの落差は垂直に見える。

旧ゲート柱に12m/mのワイヤーが掛けられる。
この写真があれば、説明は不要だろう。



春じゃなくて本当ぉ〜によかった。



改修された旧国道。
国道維持出張所は確かに今でも道路管理をしているようだ。少なくともここまでは。




廃坑の谷を挟んで対尾根にある八谷沢林道から崩落部分を望む。

 改修区間を過ぎコーナーを曲がるとまた元の道幅にリサイズする。この一連の区間はまるでタイムスリップ体感道路と化し、さながら走って見れる昭和道路土木工学の初期と末期の体験学習道路である。

 管理者なき国道   9
 喜多方側同様、ガードレールが外されることなく放置されている。おそらくは昭和40年代から50年代に掛けて、順次設置された物だろう、例によってあちこちに接触事故であろう傷跡が発端で、経年劣化で焼き付け塗装の剥離化を起こしている。
 場所によってはまるで蛇の脱皮の如くぺりぺりと剥がれてゆく。20年は経過しているだろう。
 橋を目認する。
例のゲートかと思ったが「滝ノ上橋」と橋名があった。デザインは下の普洞沢橋と同様だ。竣工は昭和14年11月、普洞沢より1年後の竣工である。


今は使われない字を使う瀧ノ上橋。


丸1年後の竣工月。

落ち葉の散乱する林道に戻る


山形側と喜多方側の決定的な違い。
それは湿気だ!
部分的に漏水崩壊する喜多方側。
舗装区間全域が山陰となって湿気が抜けない山形側。
そんな感じがする。



瀧の上橋も路面は舗装されていた。

橋を越えると何となく道幅が一段と狭まった感じがする、気のせいかな?



なんと!おにぎりじゃないですか!ゴチになります。
ここには、上下線両方に国道表記が存在する。
しかも、上下を通行する車同士が離合しながら観ることは出来ない道幅の狭さ。
きっと設置した人は、じっくり国道通過をかみ締めてほしかったのでは?




割とシャンとしている標識。
文字フィルムの剥がれ具合から15年物と勝手に鑑定。

 山に木を伐採し道路を造ると、そこが風の通り道となる。沢沿いに方向を変えるようなコーナーではその強烈な風によって落ち葉が吹き飛ばされ、快適なコーナリグが実現する。ほんの一時だけどね。




また路面崩落。写真にないけど確か6箇所目。


おーし、これならいいぞぉ。
一瞬の快楽。



「次は、明治百年造林記念碑前〜」なんてバス亭があったりして?


でた!新「猿の軍団」みんな元気してたかい?
さて、問題です。
写真には何匹の猿が写っているでしょう?正解者にはステキな記念品を進呈!
(いや、ウチのステッカーだけどね)。


来ましたね大猿倉橋。この道中、最大の沢


かなり古いゲート。錆びて崩れ落ちる。
反対側の柱も錆びて落ちる。


12m/mのワイヤーで止められている。


そして、目前には更に道幅が狭まる国道が。

 
滑りやすい路面をそろそろと登っていくと、S字コーナーから連動したヘアピンコーナーの外側の空き地に何か記念碑が建っている。「明治百年造林記念碑」とあるが具体的な内容が判らない。何と逝っても碑の裏にある説明文は達筆すぎて、一介の人間には読めるシロモノではなかった。写真に撮ろうにも裏はすぐ崖である。しかも、長年の風雪に耐えかね、この碑が土台ごと崖側に倒れ始めている。
後から調べるべく、正面の写真を撮って次に進む。
 次の小さい尾根を反復すると、でた!猿の軍団である。夏には八谷鉱山の入口周辺で出くわした一群だろう。子連れの猿が1組居た。相変わらず、と言うか、夏の時以上に警戒した声を上げている。まあ、この時期に人こないものなぁ。「すいません、通らせて貰います。何故か猿に頭を下げて通るおいら。「達者でな」たちまち道路にいた猿たちが土手から木に登ってゆく。
その先には・・
橋とゲート!
 
 国道の皮を被った
 「廃道」
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 橋の名は「大猿倉橋」意匠は似ているが違うデザインの欄干が付いたコンクリート橋である。その欄干にワイヤーを通し固定されるゲートは下の第一ゲートと同じ作りだ。お〜し。
 第二ゲート予定通りクリアーする。
実はここに11月まで遅らせた理由もある。11月末に電力関係者が冬ごもりのための保線管理で入るというものであった。普通に考えれば、既に第一ゲートで車両は入ってこないのだ、自分達が動きやすい様に第二ゲートは・・?作戦は成功と観て良いだろうか?確信はないが、結果オーライと言うことで(爆笑)。





アーカイブで見る限り、2001年からここに鎮座するであろう大木。
僅かに路肩に道が残る。その下は、小さな橋だ。



更にその先には、道路に堆積した土砂。高さはコンクリートガードを越える。
自分の目に捉えられないモノでも、機械の目は捕まえていた。


 
ゲートを越えると、そこは既に国道ではなかった。
山側の路肩に降り積もっているのは、土砂ではない。剥がれた吹きつけコンクリートである。幅は1mほど、降り積もった高さは40センチ近い。そして倒木である。身回り70センチはあろうかという大木が、恐らくこの小さな沢の増水で根っこごと崩れたのだろう。ぼぼ道路を塞ぐ形で横たわっている。2001年頃にはすでにここにあったらしい。ここには小さな暗橋も架かる。その名も「小猿倉澤」きっと水源が同じなのであろう。しかし余程の難工事だったのか?崖側にしかない欄干にある銘板はエッチングの鉄製?である。他の橋がみな御影石のようなモノにペンキ書きなのに、国道121号大峠旧道中最も贅沢な銘板である。
そしてさらにその先には目を覆いたくなる様な土石流の名残りがあった。思わずまたバイクを止め写真撮影する。その瞬間
何かが谷に降りて逝ったのだ。



すげえ!エッチングパーツだ!お宝モノだぜ!

熊?(鼻が出ていた様な・・・??)Y(゚_゚)Y」
 正直、ビビリまくりである。思わずならすクラクションのホンダ純正の頼りない響が、峠に吸い込まれる。崖下に感じた気配は消えた。思わずデジカメを見返すが、僅か1インチの液晶画面で何が判ろう。夜にパソコンで見て、改めて感動する。画面左上に写っていたのはカモシカのメスである。
「うむう、確かに鼻は出ている」
ビビリモードながら目の前の土砂を乗り越える、その高さはアスファルトから50センチを越えている。
普通なら余裕のよっちゃんだが、確認が取れない野獣の目撃後では本気で怖いです。(何故急にですマス調?)
 その沢と崖崩れ区間を過ぎて、一息つく。冷静になって、ふと気が付いた。
 三島は福島側であれだけのつづら折れの道路をまさに「気まま」に創った訳だが、山形側は雰囲気が違う。例えば、福島側なら崖を削って強引に直線にしたり、無理矢理ヘアピンを用いて高度を稼いだりする場所が山形側には少なく、割と地形なりに道路を造っていると言う事だ。先ほどの小猿倉澤はまさに崖っぷちだが、他は差ほどでもない。いや、それでも並の道路から比べれば遙かに険しい事は無論であるが、なんか”らしくない”のである。



電力と関連企業の連名による道路封鎖。約10m程の真上は高圧電線である。
でも伐採しなくても高さに余裕があるような?。単に道路の保全管理だろうか?



何を伐採しどれを撤去しようとしたのか?
それとも、明日以降の作業予定場所なのか?
ほぼ、手つかずにも見える。

旧国道121号線がおいらの為に用意してくれたトラップ。畜生、泣けるぜ!


この周辺はデロデロ、ネトネト。
ガッちりと車体に、タイヤに泥がまとわりつく。


 
とりとめもなく考えながらバイクを前進させると、こんな表示と立入禁止のトラロープが目に飛び込んできた。 どうやら情報は正しかった様だ。電力なら道路管理者から鍵を借りてくるに違いない、という読みである。もっとも、ヨッキれんさんは10月に山チャリで通過してるので、その時点で在れば、情報も疑わしい訳だが。
 そしてここも無事スルー、オイラの敵じゃねーぜ!とばかりに前進する。確かに敵は別に居たのだ。
何げに写真を撮って前進しようと前に出て驚いた。
道がない。
 
慌てて2輪2足の急ブレーキング。
しかしびっしりと積もった落ち葉は容赦なく前輪を谷底へと誘う。
「停まった」
バイクを倒す形で停止。事なきを得る。  


 晩秋の廃道区間の恐ろしさ、落ち葉で路面状況が全くつかめないのだ。しかもここは、ご丁寧にアスファルトの上に泥混じりの水が流れ、それを落ち葉でカムフラージュしている。ブレーキの効きなんざどうでもいい状態である。
 しかも、停まってから動き出そうとしてもスリップして道路端に寄せられない。ナンかどうでも良い事でえらく体力を消耗してしまった。

 ここでバイクやクルマを転落させても保険金は出ないだろうな、と考える。
 元来例えば対人・対物・物損・車両の各保険に置いて、基本的には通行の制限のない道路が前提となっているのが普通であろう。ということは、今回の様なそもそも管理者が「通行止め」をしている道路に許可無く立ち入って事故にあっても保険は適用されないと言う事だ。
 いわゆる一般開放された林道がせいぜいで、通行禁止措置のされている道路で、管理者の許可にて通行する場合、例えば今回なら電力関係者などは、事故にあっても保険は適用されるだろうが、登山の様に社会的に認知された趣味ならともかく、廃道行は全くのマイナーだと思う。
 車両に限らず、生命保険すら下りるかどうかも怪しい。

 仕事柄、比較的許容範囲の広い保険に加入してはいるが、何かの時に適用されるかは、甚だ疑問である。
 そういった負の要因が常にまとわりつくのが廃道歩きである。



「これが国道だよ。」予備知識なしに写真だけみせられたら、貴方は納得しますか?


下の方と違って、風の通り道の筈なのに落ち葉が残る。それは湿っている為。
まもなくこの地にも、初雪の便りが届く。


コラボレーションと呼ぶにはあまりにも悲しい。
つーか、普通言わないよね。


おお、崩れちょるぜよ。

 
それでも尚、走る事を止めない(病めない?)いや、辞められないのである。この朽ち果てた道路にも、かつて栄華を極め、生き生きと躍動した人間達が居たことを思うと、進まずにはいられない。
 前進出来るところまでは、前進する。尾根道の連続写真を撮影しながら、廃れたガードレールを撮りながら進んでいた。

 すでに国道でも林道でも廃道でもなく、単なる山道と化してしまった旧国道121号線。
 
沢沿いのアスファルトにはまとわりつく様な腐葉土となった落ち葉が氾濫し、バイクの前進を妨げる。倒木があちこちに散乱し、そこで分解・醸造され・別なモノへと生成されてゆく。
 文明の残骸は悉く分子レベルで分解され、いつしか自然と一体になりつつある。取り込まれているのか?、あるべき元の姿に帰ってゆくのか?判らぬままにただただシャッターを切ってゆく。

そして、その瞬間は唐突にやってきた。



あ、

終ぅ了ぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜!
(×_×)




写真提供/オダロードリサーチ様
上の写真と見比べて欲しい。おそらくは一冬で残雪とともに倒壊した木の根っこがそのまま道路に落下したのだ。






 へなりさん宜しく中央突破するには石を10個ほど土砂共々撤去し、太さ10〜15センチはあろう枝を5〜6本切り落とさなければならない。それでも、あの太さ40センチ以上の本体はどうにもならない。エンジンチェーンソーが必要だな?
手持ちの鋸やジャッキ程度ではどうにもならない。
ざっと3人がかりで半日仕事と見積もったが、さて?
他に方法がないか?バイクを降りてうろつく。




めて5分

 思ったより道幅が広いので路肩から行けるか・・と思った瞬間、落ちた。
落っこちた。
ひょお〜〜(×_×)
 幸い、股下で停まったが、危うく一緒に心臓も停止してしまう所だった。
よかった、いきなりバイクで突っ込まなくて。
 
かくして本日は撤収と相成ったのだ。お楽しみはまた来年末と言うことで。(見通しは暗いが)

見上げるとかつては根を下ろしていたであろう山肌は裂け、巨大な根っこが天に突き出ていた。
まさに「根を上げていた」・・・?

 



いいのか?
そんなダジャレで終わって?



前の林道る。



前の林喜多方に戻る。る。