次の林道に進む。

廃道日記(Riding・Report)




それは、古い地図にある一つの記号から始まった。
「温泉がある」

(
1990年、人文社 福島県広域道路地図より

大峠の山頂付近にある「八谷鉱山」には、その下に小さく温泉マークが入っていたのだ。
当然、それも今回の目標になる。はたして、オマケ企画となるか?
そして、鉱山の管理道路は、まだ生きているのか?


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


((ああ、地図は入れない主義だったのに・・・・。)

キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)002-2


 下見で突入した大峠隧道を抜けると、妙にハッキリとした米沢田沢が見て取れた。
 そう、
 すっきりしているのは
鉱山の立ち入り禁止フェンスが無いせい。
 公式の閉山日がはっきりしないが、昭和62年前後(この辺が自分の記憶とかみ合わない、平成まで操業していた?)八谷鉱山は採掘を止め、最低限の処理施設を残して閉山する。露天掘りの鉱床から採掘した蝋石などは国道脇から吊られたワイヤーで空中を走り、トロッコなどによって運び出されたと思われるが、既にほとんどの施設は撤去されている。


(2004年版 旺文社
  県別マップル福島県広域道路地図より)
また、八谷沢ぞいの坑道からは金・銀・銅・鉛などが生産されていた。
 当時持ち歩いた古い地図には、温泉と共に点線の路が存在する。
 沢沿いに尾根分けされた点線は採掘場所を抜け、大峠隧道に辿り着き交差してゆく。よくあるシチュエーションだ。
 こう言ってはいささか反感を買うかも知れないが、所詮私は一介のツーリストである。勿論、その道路に関する歴史的事象にはおおいに興味を引かれるが、要は通過が総てであって現実には現場でそれが叶う事なら、必ずしも旧道である必要性はない。
 そういう意味でこの鉱山は実に重要な開拓ルートである。
通れれば別に関所破りという狼藉を働かなくて済む。勿論それに越した事はない。

ダメならやむを得ずという大義名分?も成り立つ。バイクで通過は悲願であるが、それ以上に警察沙汰はごめんである。
 結果、いままで入れた場所により堅固なゲートが出来て入れなくなるのも考え物だ。自己責任とはいえ、後から来る同好の者の楽しみまで奪う必要はないのである。

 大好きな峠の風景を煙草を吸いつつ取り留めなく景色を眺め、考えをまとめるとヘルメットを被りキック一発エンジンを起動させる。
しかし、実際には……。



Q極のQ国道大峠。121番台で平成4まで砂利引きの国道は、実在する。



眼下に広がる無限の廃道?。(そんなわけないだろ?>俺)


今回のルートはTouringMapple2005.3版に未掲載。(林道表記なし)国道121号線大峠は不通区間としての掲載。

 下見の暴走

 ダート国道は左手(西側)の尾根をゆっくりと標高を落としてゆく。少なくとも徒歩やチャリで通過が確認されているルートだ、急ぐ事はない。
 むしろ問題は鉱山の管理道路だ。こちらはそのような報告もなく現在売られている地図には、既に点線すら途切れているものもある。
 一体どうなっているのか?
先程国道から見た限りでは砂防ダムの様な施設が出来ている様だ、普通に考えればコンクリートなどの建設機材は当然米沢田沢側から荷揚げしているわけで、いわゆる管理道路として道があるのが当たり前である。
 峠から見るとタコ足のようにうねるコーナーをまさに転がるように下ってゆく。
 先ほど国道から見たコンクリートの壁のような物・・堰き止められた泥水が右手に見えて、それが直感的に砂防ダムの導入部分である、と思った。
 地図を見ると道路(写真)右手(東側)の川が天狗沢の源流である。鉱山管理道路は国道121号と天狗沢にエスコートされて相変わらず斜度15%はあるかという急坂を駆け下りてゆく。舗装は所々破綻し、穴をあけ、新たなる崩壊の序曲を軽い音で奏でる。


ダァンッン!
 凄い音と共に、路肩のアスファルトが崩れリアタイアが落ちて、フレームボトムにしたたかな衝撃が走る。

ビビった・・・。
 デジカメ片手に走っていて、カメラを落としそうになる。その直後、土砂崩れとも任意の砂防止めとも、ジャンピングスポットともとれる部分に乗り上げる。完全に道路を塞いでいる。やはり人為的なのだろうか?これは?


鉱山側のルートは舗装と砂利が交互に現れる。


実際には基本舗装で砂利は流されて来たり舗装が壊れたりで散乱している。

人為的ともとれる土盛り。



いよいよ舗装部分が途切れる。地図上はこの辺に鉱山マークが!
まあ、ここに必ず、というわけではなかろうが。
写真前方の山肌に旧国道121号線を望む。既に凄い高度差だ。



 やがて右手(東側)に鉱山の詰め所跡と思われる建物が見えてくる。そこそこ荒れてるが、酷く壊れた程ではない。建物前には車4〜5台が止められる広場があり木桟やらワイヤーなどの切れ端が転がっている。(わあ、写真がねえ!撮った筈なのに!)汗)

 
道路は緩やかに左に曲がってゆき、消えてしまった・・・?
え?ええ道路がない。汗)
 道路は緩やかに消えてしまった・・?



文章中の「ゆるやかな左コーナー」はバイク上方にある道路部分。かつて露天掘りだった鉱山の作業場(鉱床?)と思われるここで、道路は途切れてしまった。


旧国道121号線と鉱山のY字路に立つ。既に日は傾き、日暮れが近づく。
ってゆーか、先のゲートに村人?がいるわい。



 消えたと書いたが、先ほどの砂防ダムに出る道があるだけで、下流には道路がない。いや、正確には水路によって道路は分断されていたのだ。しかも普通のコンクリート製ではなくダムの工事現場に見られるような仮設の蛇腹状の水路である。水路は逆台形型なので口が広く、底は1mを切る程だが開口は2m近い、深さは1mちょっと。どう考えても橋が無ければ渡れない。崖下の沢から取水した水路は、見渡す限り橋など無く、歩って下見しても対岸に道路は見あたらない。
 つまり、大峠喜多方区間はこの最標高の砂防ダム保全のみを中心に存在している?と言うことになる。

 米沢からの探索。
 そして?
4

 上がああいった状況なので、一旦アプローチを変え、米沢側からも捜索してみた。
 廃業している鉱山には入れるかどうかは微妙と思っていたが実際逝ってみると難なくスルー。まずは道なりに平八沢を遡ってゆく。
 一部の地図にもある「沈殿沼」とともに鉱山の施設が道路の左右に現れる。状況から見て赤水の処理施設か何かなのだろうか?
採取されていた鉱石がろう石という以外知識を持ち合わせないおいらとしては、イマイチ施設の意味がわからない。
 やがて平八沢を跨ぐコンクリート製の橋を渡る。頭上20m程度の所に、おそらく今でも鉱山からの廃水を汲み上げているのであろう鋼鉄製の送水管がそそり立つ。


現在は産業廃棄物処理のみで操業。

特に封鎖もなく鉱山に入れるのは何故?。


が、入ってゆくとまだ稼働する施設がある。



現在でも稼働中と思われる送水管。後日、土曜日に訪れた際には管理関係者も確認している。





昭和33年10月とある竣工日。比較的若い橋だが御年47歳。

 
沢を挟んでS字となる林道を駆け上がり、道はこのあと急速に高度を上げてゆく。すると妙に真新しく、やたら短い路肩補修のコンクリートが現れる。
 最初は鉱山で直したのかと思っていたが、管理表記が米沢市扱いなのだ。成る程、まずこの林道自体がもはや鉱山の私物ではなく、米沢市道であること。


市道八谷沢林道線。ここは米沢市の林道だ。

さらに市道にしなければいけない何かがこの奥にあるのだ。それは勿論砂防ダムではない。もとは国の物だが、今は市に管理が移管されたと見るべきだろう。うむう、いやが応にも期待が高まる。
 そして、左手(東側)を流れる平八沢の支流となる天狗沢の合流地点に辿り着く。
 天狗沢を跨ぐコンクリート製の天狗澤橋は既に欄干がボロボロで、鉄筋が露出している状態。親柱も折れて銘板の上半分がない。下だけ読めば○十三年十一月とある。先の橋より確実に古く、痛み具合から旧道の普洞沢橋同様昭和13年製かも知れない。実に御年67歳である。


この豪雪地帯で橋が残る事自体素晴らしいの一言。3mを越える大雪は橋にとっては大きな負担だろう。

 
天狗沢を跨ぐコンクリート製の天狗澤橋の袂はT字路になっている。撮影と確認の為にバイクを止め、マップルを広げるがマクロすぎて判らない。時間に制限のある今日は、後日地図持参で改めてアタックと言う事で一時撤退することとした。

おい、延長2.146Kmって?
この林道はマラソンコースか?。



親柱には平八澤橋とある。


なんだこりゃ?。

かなりご高齢の天狗澤橋を渡ると・・・。


ガードパイプが2本ささる欄干。戦前の橋としても保存状態は悪い。

橋を渡るとT字路となる。右手(西側)の天狗沢に沿って大峠に向かう鉱山の道路がある。


ブナの森。それは公共施設の証?。


三つ又に別れた巨木が植林された
若い杉林の中に鎮座する。


いったいどれ程の時間が流れているのか。朽ちている様に見えて若い枝に僅かに緑が染みている
消滅と再生は同時進行なのだろうか?ここに宇宙の縮図がある。



トトロの木を過ぎると川岸に近づいて視界が開ける。かつではダンプでこの道路は賑わったのだろうか。


沢には幾つもの砂防ダムがある。


落差は2m程度だが、
妙に新しいのが気に入らない。



広場の様な物が見えてきた。まさに方向だけは大峠隧道?


天狗沢の最上部、といっても車がいける部分までである。ここからは徒歩である。


道路と沢は一緒に登っていたらしいが、上流に砂防ダムが出来て道路は寸断されていた。


少なくとも地図無しで鉱山をうろつくのは危険と感じたからだ。バイクをターンさせ、間際に林道標柱を取り忘れた事に気づき写真を撮って退散する。
 これが後日、問題となる事は言うまでもない。

 探索の追加と結末。

 2回目の探索は子連れとなってしまった。従ってアシはジムニーである。上記の天狗沢林道に突入する。
 2Kほどの杉林の終わりに、朽ち果てたカツラの巨木が鎮座する。直径はジムニーの車幅より広いだろうか?我が子が思わず「トトロの木だ〜」とはしゃいでいる。
 沢沿いの天狗沢林道は最近にもブルドーザーが入っているらしく、諸に、無限軌道の轍が残っていた。あまりにルーミーな林道の状況は、ますます自分の予想が当たりそうでいや〜な感じだが、子連れという面からはあまり危険な探査でない方が良い。
 途中、広い河原で車を河原におろし、子供とお弁当を広げて食べる。その先には年が60前後の若々しい老夫婦が山形恒例の芋に会をしていた。
1)ジモティに聞け!の鉄則に従い、声を掛ける。
 相手は牛肉を頬張りながらMRの求める答えを知っていた。
「鉱山へのルート?」
「もう道はない。砂防ダムと河川工事でなくなってしまった。いまは遊歩道しかないよ」

がーーん!
おじいちゃんは「何しに逝くんだ!」という疑いのまなざしでおいらに声を掛ける。
いかねーよ、(今日?は<心の叫び)
2)「温泉?」
 おそるおそる聞いてみる。すると意外な答えが返ってきた。
「俺が若い頃この鉱山に通った頃は温泉があった」らしいのである。このじいさん農家でもあり元鉱山夫でもあったらしい。
「爺ちゃんの若い頃って、何時」
「二十年前くらい」
「まだあるんですか?」
「ない」
終ぅ了ぉーーーーーーーーー!(T^T)

 先程の平八沢沿いにかつて温泉(鉱泉?)があり、かつて鉱山夫のじいさんは入ったことがあるそうだ。それが昭和50年頃のロードマップにも掲載されていた訳なのだ。しかしその頃には既にお湯の出も良くなく、やがて昭和末期〜(平成?)廃坑と共に一切の痕跡を抹消された様だ。


道路側には鉄柵に囲われた玉石が積まれる。所々から漏水、9月の長い晴れ間の続く時期だったのに漏水とは?





国有林と鉱山の一部が整備され、新たな自然環境エリアとなっている。


 勿論そこは、山の本来の持ち主である国に返還されるためだろう。
 湯船だけでも、たとえ”ディア風呂”となっていても残っていて欲しいと思っていただけに残念である。
 失意ながらも、とにかく遊歩道を見るべく、再び子供を車に乗せ、出発。
途中、沢が一つ北西側から合流する。これが、大猿倉沢だ。
 5分ほどで先程の話にある広場に出た。大型ダンプが一発で回頭出来そうな広さがある。ここで沢は二つに分かれる。大峠方向(南側)へ檜原沢が延びるが、鉄骨と玉石で組んだ変わった石垣があり、この沢自体が非常に出水が多い事を予感させる。
 一方、西に向かう沢、これは天狗沢で、源流は大峠近くまで遡る。

 
流石にバイクで行くのは無理か?逆に最後でここまで出たら、多分渡る(爆

 この檜原沢にかかる遊歩道の橋は空き地から若干低い位置に架かっていた。先は階段だ。橋の幅は90センチ・差し渡し3m程度の木製で、バイクで突入しようものなら床を突き破ってバイクごと沢に転落しそうな脆弱な橋が架かっていた。
 ハッキリ言って、この橋を見て戦意を喪失してしまった。



杭口近くには建物の跡が?
こっちが温泉なのかな?


平八沢の奥Y字路の先には・・


温泉の先には鉱山があると聞いていたが。


手前の道路が陥没している。


かつての鉱山跡。杭口はコンクリで塞がれている。鉄板と聞いていたが、この先にもあるのか?


 そして選択肢は無くなった。
6

 
平八沢のT字路まで戻り、今度は平八郎沢を登ってゆく。すると三度平八沢を横切る形で道が交差し、広場に出た。ここが地図でも、じいさんも言っていた八谷温泉の跡である。
 しかし、当時の栄華も今はなく、ただ柔らかな風が、日の当たる谷川を抜け、日差しが空き地を照らすだけだった。因みに更に沢沿い1Km程先に鉄の扉に閉ざされた杭口が在るようだ。
 色々と想像を巡らせながら帰る途中、偶然鉄橋を見つけた。配水管と兼用の作りでレールのような鋼材が2条、草むらに消えてゆく。子供がしきりに渡りたがったが、危険と言い聞かせ、写真を撮って車に乗せた。レールは平八沢を登ってゆく。
 多分一人なら渡っていただろう鉄橋。ふとその時、閃光のように思い立った結論。

昔、フェンス越しに見た、分断された国道。
国道沿いの
鉱業施設群が、なぜ国道の上にあるのか?
国道が何故、
片側通行止めだったのか?
何故
沢沿いに鉱石運搬ルートがないのか?

鉱山は国道を使って鉱石を運び出していたのではないだろうか。

新道が出来てからは、許可を取って官地である国道に施設を造ったのではないか。
もしかしたら、
ワザと通行止めにしていたのではないだろうか?考え過ぎだろうか?
国道なのに?。
先ほどの老夫婦は既に山を下りたらしく、実際に聞いてみることは出来なかった。

謎が多い中、ただ一つ確定した項目がある。
結論、
大峠を越えるには本道を走るしか方法はない



草むらに消える2条のレールのようなもの・・・?その先には?