廃道日記(Riding・Report)


「怖いもの見たさ」という言葉がある。
人智を寄せ付けぬ崩れゆく美しさという物は確かに感じる事があるし、
ファインダー越しに切り取られた情景に心奪われる事もある。
崩壊という極めて普通の出来事が非日常的なまでに美しく見える。
厳しい自然の摂理、
その無限ループから急速にこぼれ落ちた瞬間、
まさに「散り際」と呼ぶに相応しい有終の美を感じる事は、ある。
怖い事だが、確かにあるのだ。
ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)001

先に申し述べて置くが、今回のお話はもともと単独の予定である。

林道日記の過程に置いて、是が非にバイクで通過したいとおもったのがこの国見県境に存在する県道107号線山崎峠と、もはや崩壊寸前ともいえる七里沢隧道なのだ。今世紀に入り宮城側の県道表記が撤去(正確な時期は判らないが)され、普通林道伊達沢線のみの表記となった。一
昨年発行分の地図から少しずつ掲載がされなくなっている幻の県道である。
と、数人の友人に話した所、ふぉるく氏が手を挙げたので、一旦Web企画としたが、風邪のため欠席が確定し、ちがうタイトルでのレポートでお届けする事となったのである。


ネット上で見る限り徒歩や山チャリによる踏破(最新は「山さいがねが」ヨッキれん氏、同年3月・苦労してます)は報告があるが、オートバイによる単独通過は2002年にリンク先の「ORR」へなり氏のみと思われる。8年前とはいえ車で走破してるのはおいら達だけかな?と思いつつ、実は96年から98年頃のエンデューロや四輪駆動車ブームのなかでバックオフや四駆雑誌に紹介され、すでにその存在はマニア御用達になっていた経緯がある。
面白いのが同時期に紹介されたとうがい森林道(茂庭園林道派生路、途中から七が塾スキー場に抜ける伐採道である)同様、現在ではほぼ廃道となっている事であろうか?。

とうがい森は伐採道だが、こちらは一級県道で格が違う!それがどうしてこんな廃道に?


 単独なので
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前日に入念な準備を行った。
 ボックスは迷ったが、結局装着した。高さはあがるが天候をものともしない点がいいし、リア周りに頑丈な手掛かりは欲しい。
 積み込んだのは太さ8mmの20mトラックロープとシングル滑車、タイダウンベルト2本、鋸、キッチンばさみである。最後に迷ってスコップを積んだ。巻き上げのためのハンドジャッキも考えたが、重量面から割愛した。   バイクにスコップを積む事は初めて、と言うか普通フルサイズのスコップを
Touringに積む人はいないだろう。しかし、間違いなく土砂崩れによるのり面崩壊部分があるはずで、土木工事の可能性はぬぐえない。滑車とロープがあれば最悪吊り下げによる通過も考えられるし、引く力も半分で済む。
最後に一般的工具と外傷用医療セット。

 さて、当日は曇りの天気。午前中は白石バイパスから赤井畑にぬける他の林道探査を行う。
標高500m前後にもかかわらず濃い霧に包まれ、気温が低い。午後からの廃道探査ににはもってこいではないだろうか?
 この寒さで攻撃性のある虫類の動きは、ある程度抑制されよう。昔、岩手の岩洞湖でスズメバチにたかられたことがあるが、道成にしか進めないバイクでは直進で飛んでくるスズメバチにたちまち追いつかれてしまう(爆)

 午後1時、旧道化した県道42号線を赤井畑地内に入ると、和菓子屋のとなりに七里沢の由来を記す史跡看板がある。このT字路入口に、最初の通行止めを示す看板がある。
 ちなみに旧道化した国道113号線も表記が外され、パイプだけが天を睨んでいた。舗装路を登ってゆくと、ざっと300m足らずで林道となり、先程と同じ通行止め標識が出ている。

今回のルートはTouringMapple2005.3版に路線のみ掲載(林道表記なし)県道107号線は福島県のみ普通県道としての掲載。
 

旧県道12号線側入口。白石側。

車庫と七里沢の由来を記す看板がある。

七が宿からだと和菓子屋の方が目立つ。

道路の状態を示す標識には「通行止め」の文字。

民家が途切れると、
県道は
その素顔を見せ始める。


なだらかに続く里道も
やがて…?


 走り始めて5分
2

と立たずに、わらびの里の標識と、その侵入を拒むガードレールが聳えるY字路に到着する。
 しかしここは、まず左(北)隣の石母田峠にバイクを進め、距離と写真のチェック。先月あった伊達沢林道の杉の木の多重倒壊部分は、営林署による撤去も終わり無事通過が出来る事が確認された。前に来たときもジムニーで引いて撤去できそうだったが、魔素の濃い杉花粉のため、素直に反転した経緯がある。



現在のY字路。直進が県道107号線、左が伊達沢林道(石母田峠)である。


1997年当時のY字路。
標識はそのままだがガードレールはなく、簡易のバリケードがある。


1998年にもう一度通過している。前年度と同じ状況であった。



 
午後1時半、振り出しに戻りいよいよ宮城県側から突入する。
 どちらから突入するかも迷ったが、隧道を過ぎればずっと左側斜面となる宮城側にした。これはセルモーターのないバイクが右足キックのため軸足を左(山側)にするのがベターと思えたからである。廃道区間全ルートの8割が山側左手となる。
 ガードレールと標識の間には2〜3台のバイクと、恐らくは山チャリの轍がある。






二つ目は右手が壁となっているため、
逃げ場がない。実質道幅1mという所か?



現場は沢水が流れ落ちる場所となり、軟弱な路面状態。泥濘の先は豪華倒木越え付き!


 突入後わずか100m程の間隔で2箇所の路盤崩落箇所、事実上の車止めである。足下の泥濘も深い。
 特に奥の崩落は決定的で、状況から残りの部分も時間の問題である。山側が切り立った山塊なので逃げ場が無いのが致命的だ。残り1mの道幅が命綱である。
 S字にうねる崩落現場を越えると杉林の一直線だ。しかし100m先の右コーナーには横一文字に道路を塞ぐ杉の木が2本見える。
うむぅ、突入5分でもう腹一杯である。
 杉の木は太さ40センチ程度、高さ1mの所で道をふさぐが、幸い左手の杉林が通行可能だ。バイクを置いて先の確認のため歩くと、視界に輝くばかりの新緑に包まれた闇黒の殿堂が目に飛び込んできた。


←キターーー!


新緑に包まれた闇黒の洞門。







しばし立ち尽くす。竣工は昭和28年。

七里沢隧道である。「まだ
通れる!」
直感した。
急いでバイクを抗口に
走り寄せる。
8年振りの再会である。

ああ、
最後にここを
通過した
のは、
我がクラブの
パジェロJトップ3号機であろうか?


 目前の状況からは考えられない。
 切り通しは一段高く左右からの土砂崩れに埋まり、遅い春を謳歌する新緑に浸食されつつある。扁額のない打ちっ放しのコンクリートは苔むし、徐々に木の根が食い込まれてゆく。倒れかかった杉の木の奥に、向こう側の明かりが見える。

 まだ閉塞はしていない様だ、しかしその大きさは随分小さい。歩って抗口にルート確認すると、手前のガードレールからアクセス可能だ。
 巨大な水溜まりの坑内に響き渡るウシガエルの鳴き声は、投げ込んだ石つぶてに一瞬消え、ぶり返す。
 入口直後の泥濘は8センチ位だろうか?水面から15センチ程度の深さで突破可能と判断した。距離は最初のコンクリート部分で30m程度だ。


漏水による崩壊が始まっている。


扁額などの一切の装飾は
ない。
宮城県道のなかでも
最古の隧道と思われる。



 突入すると、思ったより浅い感じがするがフロントの接地感は無い。
 中央部の素堀区間に辿り着く。どう見ても途中で工事を投げ出したような妙に細い鉄骨のアーチ状の部分と落石や浸食によって剥がれ落ちかけている木製スパンドレイルは、さながら悪魔の手招きにも見える。

「どうしてこんな構造なんだろう?」
 当初アーチ部分は完工すればコンクリートの下地になるものと考えていたが、実際見ると明らかに一回り小さいのだ。中央部が元々の大きさで開口部のコンクリート部分が改装後の姿なのか?謎は深まるばかりだが、ここで思考が中断した。

福島側の出口が小さい。思った以上に小さいのだ。

バイクを置いて出口を確認するとやはり崩れていた。アーカイブで見る以上に崩れたのだ。いまや福島側抗口はその扁額のない形状故に上から落ちてきた土砂に埋まろうとしていた。というか、上の部分の崩れやすい部分は、ほぼ崩れ去ってしまったようです。



本来の道路高さと思われる、路肩を水平に貫く
コンクリート。



アーチ部分は崩落した岩塊のため道幅がなくなり、
ここでもジムニーの様な軽四の進入を防いでいる。


そして
アーチが終わると完全素堀区間。一体どういう理由で放置されてるのか?。
実物を見ると下地にしてもヤハだ。アーチと岩の間には板。 

これは?どこかで見た事あるぞ?。


実際、福島側の抗口は損傷が激しい。
コンクリ薄い〜。


 バイクの置いてある隧道内部からだと、実に1m以上の落差があり、辛うじて岩の間にバイクの抜けられそうなポイントがある。
落ちてくる岩がない事を確認し、脱出!


植物に遮られ、抗口が殆ど見えない。周りの崩れも予想以上に激しい。
何時倒れたのだろうか?ガードレールは。

冬と言う事もあるが、植物もなく抗口がよく見える。周りの崩れもなく、
パジェロが十分通行可能な1997年当時の福島側抗口。



その2に進む。


 
第2関門突破である。振り返ると抗口は、もはや熊のねぐらの様な小ささである。バイクがないと大きさの感覚を失いそうだ。
この出口はトンネルを出て左の直角コーナーで広さがあり、ちょっとした撮影and休憩ポイントである。しかし左手を見た瞬間唖然とする。
「県道なのに道がない」というか、「ここに県道を示すヘキサなんか建ってると、絵になるんだけどな〜」と思う程荒れ果てた獣道があるばかりである。ま、予想通りだがここに来て天気が好転し何やら暖かくなった気がする。

そして、目前には獣道と化した険道!。

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