廃道日記(Riding・Report)


「怖いもの見たさ」という言葉がある。
人智を寄せ付けぬ崩れゆく美しさという物は確かに感じる事があるし、
ファインダー越しに切り取られた情景に心奪われる事もある。
崩壊という極めて普通の出来事が非日常的なまでに美しく見える。
厳しい自然の摂理、
その無限ループから急速にこぼれ落ちた瞬間、
まさに「散り際」と呼ぶに相応しい有終の美を感じる事は、ある。
怖い事だが、確かにあるのだ。
ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)001-2


 第3ラウンドである。

 
もはや道幅もあやうい県道を南進すると、間もなく倒木に遭遇、ギリギリ潜れそうだと前進すると折れた枝に右のミラーを引っかけ、割ってしまう。早速ミラーを外し、手持ちのコンビニの袋に封印する。さらにもう一本潜る。
 さらにもう1本!こいつは低い!バイクを降りてギアを1速半クラッチでバイクを倒してすり抜ける、というよりほぼ転倒状態でぬける。

比較的楽な倒木。
倒木は最終的に15本を数えた。

 
簡単に書いているがいずれも太さ4〜50センチ・長さ12〜3mはあろう杉の木である。殆どが根本から倒壊し、道路を谷方向に倒れている。春先の重い雪をもたらした台風の様な低気圧は強風も伴っていたため、例年になくどの山にも根元から倒木が多い。
 道路を挟んでバイクが潜る位置は大体根元から4〜5mの所なので根の部分では太さ80センチはあろう。
いやな予感がした。人力やバイク程度で動く図体ではない。
 さらに路盤崩壊が2箇所ほどあり、道幅が1/3ほど消失していた。
ハンドルに藤のツタが絡まりバイクが止まる。キッチンばさみを取り出し、ツタを切り落としたら反動で反対側に転ける。
 耳元をクマバチが飛び抜けてゆく。独特の重い羽音にどきっとする。
 スコップの可能性が指摘される崖崩れ部分は、さらなる土砂崩れによって道路上の土砂を押し流し、逆に通行が容易になっていた。
こりゃあ行けるのか?
 さらにもう一本は無事飛び越す。へなりさんが苦戦したと思われる倒木はチェーンソーで切られていた。
突入後2Km位は来たか?時計は1時間を過ぎている。
 だがしかし程なく予感は的中した。

県道107号線の真実!
最低限の枝を撤去し、突き進む。


崩落地点あり!最小幅は1m程度。


県道上に8年前からある土石流あと。
堆積した土砂が逆にしっかりとしていた。
当時は福島側の車止めだった。


おかげでスコップは使わずに済んだが?


 本日8本目の倒木は完全にルートを塞ぐ。谷側に接地した幹を越えるしかないが角度がきつい。思い切ってアタックしたら、見事にリアが横滑り谷に向かって一直線…?
「終わったな…?」
 結果は転倒で済んだがリアタイヤは木を越えた処で宙に浮いている。下敷きになった体を車体と地面から引きはがし、混乱した思考を統一するよりはやくガソリン漏れに気付き慌てて車体を起こす。当然谷に滑り出すバイクを体で支えつつ、ボックスからタイダウンベルトを出して直ぐ脇に直立する別の木に縛り付ける。落ちない。
 手を離して一服と思いつつ、山火事が怖いのでやめる。少々ガソリン臭い。こういう時ポリタンクは要注意だ。
 既に全身汗だくである。
 もう一本タイダウンでハンドルを引っ張りバイクを立てると、フロント側の邪魔な枝や他の細い木を鋸で切って通路を造り、人力のみでバイクを押し出す。無事脱出!



県道107号線の恐怖!中に浮いたリアタイヤをタイダウンベルトで吊して留めている。
あぶね〜〜!


 背中のパソコンは大丈夫だろうか?
2本同時の倒壊は、やむなく鋸で切り落とし、無事通過。流石に時間がかかった、時計は4時を指している。
いいのかな?切っちゃってと思いつつ、既に営林署の方が撤去のため何本も切ってるので、大丈夫だろう?(ホントか?おい)でもまあ、谷に落ちるよりはええやろ。
 さらに2本をくぐり抜けて沢に抜けるY字路に到着。このY字路の解説は後に回して、ここから福島側の通行止めガードまでは1Km程の筈だ。
しかしそこは険道の意地か?最後に先程の谷落ち杉をもう一本用意してくれていた。
 今度はタイダウンで引けるような木が谷側にない。どうする?俺。
 やにわにスコップを手に掛けると土手から倒壊した木の根と共に掘り出された赤土をスコップで道路上に積み上げる。約30センチを土砂でカバーし、念のため散乱した枝を引き込んで赤土にタイヤが潜らない様にする。脚で踏み固める。
 アタックするが手前の泥濘で勢いを止められフロントタイアを越えた所でStop!エンジンガードをしたたか打ち付け、エンジンが止まる。
さて、どうする?
 引き込んだ枝を押しのけ、リアタイヤが積み上げた赤土にめり込んでいる。車体をわざと山側に倒し、取り敢えずエンジンを丸太から引き剥がすと、幹に沿って車体が谷に滑ってゆく!あわてて車体を起こすと、勢い余って谷側に倒れそうになる。
 キャリアのハンドルに右手が届き、間一髪食い止めた。が、動けない。
静まりかえったかに思えた我が耳に、鳥の鳴き声と、崖下の沢の音が聞こえてくる。落ち着け落ち着け。
 エンジンが倒木の枝に引っかかって居るのを確認し、改めて慎重に山側へ引き起こした。起った、あぶね〜。
ゆっくりと車体を支えつつ車体後ろに回り込み、慎重に水平を読みながら思い切ってリアタイヤを押し上げ、脱出!
 最後まで当たりまくりの険道である。まあ、廃道と判って来てるんだから、ある意味ディープインパクト並に順当ではあるが。

時計は5時、裏側から見る福島県側の通行止めガードレールが妙に輝いて見える。写真を撮って無事通過!

●県道107号線「山崎峠」
区間総延長:17.7Km
A区間
(赤井畑〜わさびの里Y字路)
:区間長:1.5Km
     (未舗装1.1km)
B区間
(わらびの里〜山崎峠県境)
:区間長:4.3Km
     (全線廃道・通行止)
C区間
(山崎峠県境〜藤田駅踏み切り)
:区間長:11.9Km
     (未舗装8.2km)

調査日(05/4/24~5/15)の状況:
素直に隣の林道区間を走った方が身の為です。

どうしようもないので、切らせて頂きます!
ごめんなさい。


あぶね〜、大半はこんな感じで倒木を潜る。

あやしいY字路に到着。沢に下る道がある。


ここでスコップ投入〜!
ここも、この後沢にバイクを落としかける。


おおっ!あの白い輝きは!


無事、脱出!所要時間3時間半、区間距離わずか4.3Km?
歩った方が断然早い。




目前には、4月に見た福島県側県道表記!


4月には県道(林道?)沿いの果樹畑で遅咲きの桃の花を見る。




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廃道日記(Riding・Report)001-3
考  察
〜鉱山の隆盛と七里沢隧道の放棄〜



 宮城県によれば今後もこの険道を正式な県道にする予定はなく、宮城県側の隧道及び接続道路は崩壊及び閉塞を持ってその人生を終える事となりそうである。隣にある県道46号線(小坂峠)で代用は十分に果たせるし、今後、飛躍的に交通量が増える予定もないからだ。
 隧道の竣工は
「山形の廃道」様(http://www42.tok2.com/home/ht990/ )「全国隧道リスト」によると昭和28年である。当時、全長100m/幅3.2m(コンクリート改修部分の幅が記録されている。初期の素堀隧道の貫通・竣工は記録に無い。当然、中央アーチ部は幅2.5m程度しかない)の隧道を掘るのは大変な金額と労力を要したはずだ。因みに昭和11年の、宮城県内での地方費道路線認定(県道指定/準備)路線としては、ダントツに早く竣工している。これは昭和27年に一級国道4号/6号線が認定を受けた翌年に、隧道は竣工している事を意味する。(あの状態で、竣工というのも?)

4月の山崎峠。県境宮城県側に向けて建つ、だまし絵のような福島県表示。
接続する鳥取線には、まだ残雪があった。




 途中で放棄すると言う事は、これ以上の経済効果が得られないからに他ならない。
そこでクローズアップされるのは七里沢鉱山の存在である。紫水晶や銅(亜鉛という資料もある)を産出する鉱山の最盛期は戦前・戦中であり、戦時中は鉱物は総て軍需産業に転用されただろう。実は当時の鉱山の廃墟がまだ残っており、
「山口屋」様のサイト(http://www11.plala.or.jp/yamagutiya/index.html)「山口屋的お散歩帳」で見る事が出来る。例の山中から沢に降りるY字路のルートである。
面白いのは、この鉱山は独特のねじれ現象に徹頭徹尾振り回されたのだ、県境という立地条件故に。
 宮城県に在籍する鉱山「三安鉱山」は宮城の会社が運営し、主だった運営や労働者も宮城からが多かったようであるが、交通の地の利から掘り出した鉱石は福島に運び出され、東北本線藤田駅から各地に運ばれたのだ。

ここからは、全くの予想である。
 
宮城県としては、昭和27年の道路新法による国道113号線の認定・整備(実際には28年)と共に、鉱石を宮城側に降ろす計画を立てていたのでは無いだろうか?すでに主立った関係者は宮城から出ているのだ。一時は学校や映画館まであったと伝えられる鉱山である。地元に対するその経済効果は計り知れないだろう。自動車の普及を見越して、国道開発に連動した県道延伸と考えるとつじつまが合う。そう考えると、途中から抗口を広げようとした意図も判る気がするのだが。
 ただ、想定外だったのは七里沢鉱山の閉鎖である。理由は不明だが可能性があるのは、隧道の計画時期より思った以上に鉱脈が細かったのではないだろうか?大正から昭和の初めはは紫水晶の産地として有名だった鉱山だが、その後は水晶より銅を生産していたらしい。国内需要の大きさの割に七里沢鉱山の埋蔵量はなく、隧道は貫通したところで、鉱山ごと放棄されてしまったのではないだろうか?
 また、産出する鉱物の価値が下がって、鉱山経営が成り立たなくなった可能性もある。この周辺は三安鉱山以外でも幾つか掘っている(試掘)らしくて、その時期もバラバラなのである。因みに三安鉱山は戦時中に一度倒れていて、その当時でも千人程度の抗夫が働いていたらしい。国見からも出資があり、また倒れたという資料も、昭和18年と鉱山統制がかかるころで、国の指針で戦争に必要な鉱床以外は閉鎖に追い込まれているはずなのだ。(軍需産業などと書いておいて、紫水晶が何に加工されたか知らないんですけど、掘り出されてるのはやっぱ銅?)
 因みに、現時点では戦後に三安鉱山が再起したのか?最終的な鉱山の放棄時期などについては、文献を見つける事が出来なかった。

パジェロのような比較的大型の車両が通過できたのは、97年当時でも本当に最後くらいだろう。考えるに、隧道が計画されて、当時のトラックより幅の大きいパジェロがこの隧道(幅)最大の通過車両だったかも知れない。




そして、人間の営みなどまるで無関係であるかの様に、隧道は緑の中に埋没してゆくのだ。


り始めて5分走り始めて5分

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