廃道とは、
歴史の縮図である。



それはつまり
「我々は
何処から来て、
何処に
向かうのか?」
に尽きる。


ツアーレポの前に前回のログを読むのが"吉"です。

●リファレンス
 その問題は、当日の夜には既に存在していた。
それは、案内した方も受けた側も、現場で疑問に思っていた様だ。

 場所は大久原、既に廃村となって久しい部落であり 3.11以降はその南側の山尾根から南が、準避難区域に指定された所である。当日の参加者にもかつて大久原部落を通過した覚えのある人は居たが、MR同様にその部落がいつ頃無人になったのかは判らなかった。

大久原へのアクセスは、林道以外に無い。

Photo Album
(09'/11'/13'ver混在)


"横川林道"09'撮影。工事看板のある方が本線で、林道はここで横川を渡り、
終始 川の北側の山道を辿ってゆく。この風景は現在(13')も変化なし。
09'ver


 元々「相馬藩の御森」と呼ばれ、水源確保の為に森の木々を伐採する事を相馬藩が禁じた事に始まるこの地域の森の保存が、太平洋戦争の戦時資材調達と戦後のエネルギー問題から伐採され、パルプ業の原材料としての大規模な杉の造林になるのは戦後の高度経済成長期の入る前夜の事であり、大久原地区もこれにあわせて誕生したものと思われた。
 同じ山脈の北側にある
新宿の部落はもともと旧相馬中村街道で、瞬きの様な期間ではあるが明治時代には懸道二等線にも仮定された街道沿いだ。




"九十九折れ"林道は一時川を離れてヘアピンで高度を上げる。
09'ver


 同じ尾根をかつては大久原から尾根を超えて真野川、はやま楜の大倉集落へ抜ける道があった事から、元々は江戸期相馬中村街道の「間道」として古くから道があったと推測された。
 
しかし、この道が"流行った"訳ではない。
 それは在る民話の影響が否定できない。
 そう、かつて戦国時代に農民が敵意のない印として森に迷い込んだ落ち武者の首を取って晒したという「クビカケの森」の影響だろうか?



"ヘアピンの先に分岐点"KLXの在る方が横川林道本線。
前回は大久原からここに出て来たが、これは本線では無い
。我々は右へ。
13'ver


 もっとも、森の位置はおおよそ卒塔婆峠から大久原地区と真野川にかけてと言うコトなので、この道がそうだ!と言う訳ではない。

 となれば、今は消滅した古道と、昭和初期の車道林道(実際に林道となるのは戦後以降と思われるが)のどちらか本道通過が可能の筈である。

●記憶は混濁の果てに。

 
当日は昨年とほぼ同じ面子が、まったく懲りずに集結した。
 軽い挨拶の後、早速今日の行程を協議すると、まずは昨年と変えて
東側からの逆侵入を試みる事となった。
 そして時間にあわせて、
卒塔婆峠も前回と逆走し、本ルートではなく裏ルートで周るか、または今だ未通過の軽井沢〜東玉野の部分(俗に言うA区間)を探査するか?時間判断という事に落ち着いた。
 話のそぶりからグループ長老のS老師には心当たりがあるようだ。
 また、同じく逆侵入を試みた事があるMRも、既に見当が付いていた。


小さな丘を越える。ここはかつての酪農場。牛か豚かは知らないけど、養鶏かも?
09'ver


S字の道、酪農場を突っ切るとT字路。
09'には林道の工事中だった?
ここが白谷地区、部落の最西端。
09'ver


これが大久原へのメインルート??
工事看板には「白谷地区、災害復旧工事」とある。
09'ver


 MRはコンビニにいるうちにiPadminiを起動させ、行く所を拡大縮小して地図データをバッファに貯めておく。

 まずは延々と、現国道115号線を相馬方面に向かう。
 晴れてナラシ運転の終わったKLX125が先陣を切って走る。会津五桜ツアーで7千回転を回したら排気音が五月蝿くなってしまったが、
気にしない(爆!
 続いて、S老師のセロー、S選手のセローとおぉじい氏の計3台の新旧セロー225が連なる。殿はRMX250のT師匠が勤める。


民家の裏を捜索中?
イヤイヤ、単なる迷子でしょ?



一通り探すが、やはり民家側には無い?もう一度取水口に向かう。


S字ヘアピンで高度を稼いでゆく。
浜通りは冬でも積雪が少なく、全面凍結の阿武隈山系を通れれば、バイクで冬遊ぶには最適と思うが・・・。
11'ver


 昨年のラスト、胡桃沢(くるみざわ)地区の北ノ入横川線と横川林道の三叉路が始まりである。ここで各人がGPSのスイッチを入れる。
 横川林道は読んで名の如く横川に沿って西に遡上する林道で、途中に廃棄された酪農場を通る三叉路があるが、
横川林道は左手の横川に降りてゆく道だ。
 
この横川林道の末端の崖から前回は降りてきた。(爆
 我々は酪農場経由で隣の白谷地区の一番奥に合流する。

  S老師が前に来た際には、この民家の裏山から入ったと言うのであるが、思い当たらない。
 一方MRはこの最終民家のある三叉路から林道を西に2Km前後入った所にある浄水施設まで遡った事があったが、その日はジムニーだった為、水道施設立入り禁止の看板から後退したのだった。
 取り敢えず、MRが逝った所まで遡り、さらにバイクの機動性を生かして浄水施設まで到達する。
 ここ迄のルート、S老師が辺りを見渡すが どうやら覚えが無い様だ。T師匠と数年前に走ったというが、T師匠の記憶もおぼろげである。


ここが災害現場。写真右の山が崩れたが、この林道の被災は10’なので震災以前である。
11'ver


災害現場のすぐ先に右に登る道がある。
Movie by T



道?確かに道だけど・・・


相変わらずの造林林道なんだな?これが・・・。


さらに二股に分かれる。T師匠のみ更に険しい右の登りへ。
Movie by T


道?イヤ、これは斜面だ。


 再びS老師の証言をもとに民家まで戻り周辺の山林をググるが決定的なモノは無く、再び水道施設の林道に戻ってきた。
 師曰く「山袖の南側を上ってゆく道」はその水源林道の法面に沿ってゆるやかに高度を稼ぐ道が確かに確認された。

 見た目は明らかに伐採道なのだが、取り敢えず道が上ってゆく。途中二股に分かれるが、比較的緩やかな方を選択して登ると、それでも相当高度を稼いで下に在る筈の水源林道が見えなくなる。

 既に歩くのすら難しい幅の「斜面(道の前後、左右が傾斜してる)」でKLXが最初に倒木に引っ掛かって登坂不能に陥る。
 ある程度勢いが付けられる所ならまだしも、出だしのトルクが必要な場合は小排気量の辛さが出てしまう。
 まあ、先攻のS選手とおぉじぃ氏が辛うじて上がる所だし。

 その先、なんと別ルートで一足先に上がっていったT師匠が
(てゆうか、そこ法面の頂点の崖っぷちなんだが・・・)S選手らとともに、この先がすぐ峠で、そこから道が北西に消えてゆく・・・という先遣隊の報告を受けてS老師がそれはチガウ!と一言。
 各自がGPSを取り出しルートを検索するが、確かに違う様だ。地図に載る道は、この尾根はここで越えない様だ。

 消去法的に、最初に行った水源林道の奥が最も可能性があるとして、ここを戻ってもう一度突入したのだった。つーか戻るのも苦労だけど。
 そして再び水源地、
そこは、岩盤から流れ落ちる滝に、ほぼ無理矢理橋を架けた取水口だった。

 顔を洗って休む。
 皆が滝の風情に見入る。
相馬藩が森を守ったのは、天保の飢饉の際に甚大な人的被害を出した為、飲料水を確保する目的だった。相馬ではそれ以来、飢饉に備えて各地に沼を作り、飲み水の為の沢を擁護して来たのだ。
"道は水源の為に作られた。"
 相馬の林道は原町とは違う進化をして来たのである、

 MRは、初めて踏み込んだ取水施設と一体化した橋に着目していた。相当の年季ながらちゃんとコンクリート製だ。



元の林道に戻って進む。
Movie by T



 福島県の水源指定標識が在る。
"路肩がヤバすぎて車は無理"ジムニーではやむなく撤退した。
11'ver




「これは・・・!?」


かつて銘板が存在下であろう窪み。
飾り気もない親柱が年代を物語る。


部落の名前はここから来たのか?
谷とは滝でもあるようだ。


「白い岩場を流れ落ちる白い滝」
囂々と流れ落ちる水音が、朝の相馬に春を告げている。


橋の上から先は、車両通行の痕が消失していた。


 欄干は鉄パイプが組み込まれ、抜かれた様子も無い事から戦後の造作と断定できた。
当然、現場で打設された物だが、岩盤に載せ上げる型枠の板目が時代を感じさせる。
 残念ながら親柱に銘板は無かった。銘板が在ったらしい窪みは月日の流れを感じさせる。この辺だと原町森林鉄道が車道化されたのが昭和37年なので、同時代か?それより数年前の竣工かもしれない。



現場では倒木や雑草で判りづらいが、改めて写真で見るとちゃんと車幅があるな。



 もう、誰も通った事が無い完全な廃道だろうか?車が転回する場所や幅は完全に削がれて微塵も無く、あの日ジムニーでトツゲキしなくて本当に良かったと胸を撫で下ろした。

●順当に"アタリ"?

 
今更ながら、林道は生物である。
 この場合、普通の舗装路なら「いきもの」であると読むが、林道や廃道の場合は「ナマモノ」と呼ぶのが現状を妥当に表現していると思う。月日が経った逆走の林道ほど荒廃で見分けが付かない物が無い。
 取水口の橋の先はまさにカオス!
 ここ数年は僅かに営林関係者が歩くだけという混沌状態で、林道走行の名を借りた林道整備に近い。枝を払い、倒木を退かして進む道のりは、ほぼ土木ライダーだ。
 やっと道らしき幅に進化し、
大きなS字コーナーで営林所の地図看板を初めて見て、この道が伐採道ではなく正規の開削林道だと思った。

 その先のヘアピンで停まった先頭のS老師が、
いまの看板のコーナーを前回林道を外れてダウンヒルした所だと言うが、看板がある!というだけで周囲の様子は別物に見える。
 後日写真と動画から見比べて、道路脇の大きな木が倒壊して道に倒れ込んで塞いでいる様に見えた。
 大きな木が無くなった事で空が明るく、前回と全く別なイメージを出している様だ。昨年広く感じたコーナーが今年狭いのは、むろん倒木のせいだろう・・・
やはりここか?。



基本、道幅1.5mである。
でも、皆さん速い、はやい?
Movie by T


写真左上の看板!昨年降りたところだ。
というS老師。
Movie by T


いよいよつづら折れ区間に突入か?


「分身の術」で素早く曲がるT師匠?。
途中の倒木も難なくスルー



山側の沢がほぼ鉄砲水?
バリバリ丸太が転がっています
Movie by T

しかし、
 
その手前のヘアピンから次の道形までのルートは、まるで違って見える。
 実際に今回は、その先では道をロストしかけたのだ。こういう時に6人総当たりの道探しは効率が良く、手早く道が見つかる。
 やがて道は、見た事のある風景に収斂されてゆく。



嫌がらせにも見える斜めの倒木。キチンと間伐がなされない故の悲劇だが、
「除染と間伐、同時開催ですな」。


この沢は見覚えある。前回と違って、転倒(笑w
Movie by T


長い上り坂も前回は下り。ええ?ここまで来た?。
Movie by T


前回の休憩場所である横川源流部分。
ここまで来れば楽勝か?
Movie by T

ここは前回、そんなに荒れてなかった?
洗掘が生まれて、元気に育っている。
Movie by T


 それは営林境界・・あの道の左右で植生が雑木林と植林地とはっきり判る林道である。やがて現れる3つの沢越えが、その回答を確実なモノにしていった。
 最初の二つの沢は難易度があがり、スタックする事も出てくる。MRは双方転倒したが、脱出も用意で問題は無かった。
 
決定打となった前回休憩したところで、誰もが
"やはりここか"と呻いた
だろう。
 手前の長く急な坂と切り通しで既にピンと来ていた筈だ。
 こうして、ここ迄来れば、あと残っている危険部位は旧部落手前の路盤崩壊の所だろ?と察しがついたが、1年経って更に安定した法面越えは、総出のルート確保も手伝って難なく通過する。
 かつての部落内とおぼしき所を過ぎ、幾つか枝道を探索するが目立った成果も無く、一行は新宿部落に至る市道新宿線(仮)に合流、ここ迄来れば楽勝という所だ。この部落付近には路地が在りいくつか探ってみたが、何処かに繋がる様子も無く、このまま新宿部落に移動する事となった。



道のど真ん中に林が育っている。
よく見ると、ちゃんと普通車クラスの道幅があるじゃないか?



●微妙なアクシデントによる終了。
 市道新宿線(仮)はいつの間にか道を塞いでいた三本の倒木が撤去され、元の状態?に戻っていた。

 故に、道幅のある林道に出ると皆さんトバす飛ばす!面白がって付いて行ったらフカフカの赤土のコーナーでKLX初転倒、イヤイヤ初じゃないけど、沢越え辺りの転倒は立ちゴケにも通じるもの?であるが、この時はそれなりにスピードが乗っていたので、久々にバイクで転倒した気持ちになったのだ。

 足を出す暇も無いし転ぶ気もまるでしなかったケド。


部落の路地?を探索するが、何処に繋がるという訳でもなく、終了。

 その先、丁度新宿の部落の区割り付近で休憩するが、S老師のセローがおかしい?という。どうも回してないとフケないらしい。
 それでも普段通りに走れるので、何とかなるだろうという話だった。そしてもう一つ、休憩しているここが、新宿部落を通らずに直接仮定県道卒塔婆峠に抜ける近道という事だ。成る程、先程と同じで紙一重で道らしい道形に道の左右で植林杉と雑木林がきれいに分かれている。手元のマップ上では4~500m程で昨年のルートに合流できる筈だ。
取り敢えずS老師のセローの調子を見つつ、本来のルートである卒塔婆峠の合流点に向かう。
だが、目的地の付く迄の間に、セローは信じられない程に推力を失いつつあった。



という訳でおひらき!! 一服して帰りましょう。

 卒塔婆峠に向かう分岐に偵察に入ったMRとS選手を待つ間に、セローはアイドリングすらままならなくなって、止む無く撤退という事になった。
 そして、相談の結果、「本日はこれで終了」となったのだ。

●あとがき〜中間報告〜
 卒塔婆の件は「A区間」のレポに譲るとして、大久原の幹線林道はこれでほぼ掌握した事になり、卒塔婆峠とともに問題だった胡桃沢地区からの林道接続に一定の道筋が出来た。
(大久原はもともと林道=廃道化という扱いですm(_'_;)mあしからず)

 こうしてこの日は解散したが、次の週にはT師匠が改めて例の尾根沿いから直接入山、卒塔婆峠の本線に無事合流し、問題なく通過した。そして、多分新宿部落に降りるより、この尾根沿いの植林林道の方が早くアクセス出来るだろう。
 当日予定した残りも既に捜索済みなので、期待されたし。

                                 大久原編、








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