そこは、
地図にさえ置き去られた道。

もはや
当時の様子を知る人も術もなく、
地元の人すら、
ここが県の管轄する道路である事を
忘れ去られた道。

目的の鉱脈も今は失せ
廃道となった山道とトンネルだけが
僅かな残滓を留める道である。






ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。

また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



今年は残雪が多い。最初に突入した鳥取林道は御覧の通りである。
一部に「喜びの踊り」をする人も居るがナ。





2012春の廃道&林道Tour

 プロローグ 1

宮城/福島県道107号線。
 福島側に接する国見町の県境に存在するこの山崎峠は永年通行止めであり、県境通過は隣り尾根を抜ける普通林道伊達沢線が使われる。もう地元の方すら使わない通行止め県道に、かつて鉱山がありそれ故に県道に指定され、隧道まである何ていう事を知る人も少なくなった事だろう。
 2005年春、MRは単身このルートを宮城から遡上し、命からがら山崎峠を突破。
これが当ページの新コンテンツとも言える「廃道日記」の第一回レポートなのだ。
 初めての出会いから、もう23年になろうか?という古い友人の様な県道107号線。
前回、来訪のお誘いを頂いたKimiさんから再び連絡を頂いた折り、その言葉に心が揺れた。
「心配なんですよ、震災以来」
その気持ちは良く解った。
 自分も、愛すべき万世大路の隧道が心配だった。まあ、栗子隧道は既に閉塞しているので、二ツ小屋隧道が落盤していないかとハラハラしたものだ。
驚くべき事に二ツ小屋は殆ど破綻もなく、この1年数々の深度5クラスの地震に堪え続けている。
これはスゴい事ではないだろうか?
流石に国の威信を掛けた一大プロジェクトである。
「七里沢隧道か・・・」
 その一方で竣工年昭和28年のこの隧道は、
果たしてこれが「竣工」と呼べるかも怪しい風情のまま、現在に至っている。
 少なくとも、震災以前までは、だが。

 あれから1年、既に半落盤状態、
ORRへなり氏曰く「洞内B29爆撃状態」の同隧道が、果たして一連の震度5クラスの地震に耐え続けていられるのだろうか?
とにかく、行くしか無い。
その心配は、MRも同じだ。

アレは、DTMの"原点"なのだから。

今回のルートはTouringMapple2012.3版に掲載(林道表記なし)県別マップルには県道107号線が普通に掲載。


そしてまたまた今回も宮城県側に移動する。県道46号白石国見線から回り込む。


 出撃! 2

 当日は、ゆったりと10時頃の集合となった。
 集合場所の国見まで行くには、極地専用タイヤを履いたTTR269改では、キツいものがあった。時間が掛かる距離は、もはや拷問に近い。

 集合場所でぼーっとしつつ、携帯で掲示板を見ると、どうやらおぉじぃさんが出撃したようだ、と思ったら、聞き慣れたセローのやや軽い排気音が聞こえて来た。
「お早うございますぅ」
 にこやかな笑顔だ。何となくイヤな予感がした。
「こっち(の携帯)にSクンから"今行くから待ってて"という連絡が」
「なんだ?隧道とか幽霊とかキライって言われてたんだけど」
どうやら、一人で行くのはダメらしい。なんだそりゃ?
 まあいいや。あの、
げに恐ろしい爆撃隧道、篤と味わってもらうしかあるまいな。

 今回の発起人とも言うべき、Kimiさん登場。DT125Rには、DF125と同じアイリスオーヤマ製BOXが誂えてあった。
「いやもう、手放せないですね」
 その気持ちもよく解るぞ、日常生活ではこの上なく重宝するコストパフォーマンス溢れる逸品だもの。
 俺は最近、
廃道アタの為に外しているのだが。



下戸沢の部落から六角交差点へ。
国道113号線を一時白石方面に戻る。


通行止めを予告する看板。


沢中の橋を渡る。決別の時は近い。


キマシタ!
林道と県道はここで別れる。正面の瀕死の道路が県道。
沢沿いに路盤が降りてゆくのが林道である。


 
スモーカー二人が早速発煙筒を炊いていると、お馴染みの排気音と共にSクンが到着。
「間に合ったぁ〜、イヤもう、焦りましたよ」
メンツが揃った所で出撃となった。

 取り敢えず、ダートに入りたいので林道鳥川線に向かうべく、県道46号線を峠の万蔵稲荷まで駆け上がる。
 ここも震災でヘアピンの一部が路肩欠損、現在も復旧工事で片側交互通行の箇所がある。
 いつ頭文字Dに登場してもおかしくない極狭つづら折れのヘアピンを駆け上がってゆく。

 今回、MRはフロントにダンロップM51を投入、リアにリファインしたTR-011ツーリストとの初組み合わせとなる。その挙動も楽しみだ。
 実に12年振りでモ前後ともT63じゃ無いタイヤセットとなる。
 今年1年、取り敢えずアタック用としてこのパターンで行く他に、今後入れ替えるT63も含めた組み合わせで走る事となるだろう。やっと2ホイール態勢が確立した訳だ。

 そんなこんなで峠から北西に曲がって鳥川林道に突入!山崎峠経由七里沢西抗口を目指す。
 ところが500m程で早速積雪攻撃を受ける事となり、あえなく大敗、止む無く前回同様に七里沢東抗口に向かう事となる。


[終点]。いつの間に?。


「逝くか〜」
まず、おぉじぃさんのセローが残雪に轍を刻む。


「うりゃっ!」KimiさんのDT125Rの甲高い2stサウンドが響き渡る。


 心配停止? 3

「生きてるかな?」
「心肺停止もあり得るからなぁ」
 滝沢林道との分岐は相変わらずのガードレール分断状態で、お約束とも言える除雪雪置き場であったが、その雪も大分溶けているようだ。
 一向に森林の除染が進まないであろう事が窺える。

 聞く所に因ると、福島県と違って宮城県と聞いただけで、公的費用はおろか倒電への被害請求もままならないという話?
酷いものである。



スルスルと残雪を越えるSクン&XR250R。


おちゃらけに余裕すら感じるSクン。
隧道見て泣くなよ!


「先を見て来ましょう」
 先遣隊が進路確認で歩き出す。その足下に初めて見る物が建っていた。
「終点?」
そう、終点。元県道の廃道区間の終点には間違い無いが、何故今頃?一体誰が?と考えれば、まあ道路管理者の宮城県だろうな?多分。
「それにしても、今更だよねぇ・・?」
 先の沢渡り区間はさらなる泥流も収まり、倒木の具合も良く何とか突破できそう。その先の路肩欠損もバイク幅がほぼそのまま残っていた。
 所々残雪が在るが、さほどの深さではない。早速バイクで突入を開始し、4台とも難なく突破する。

 少々石が散乱する路面を確かめる様に走ると、先に着いた皆さんがヘルメットを脱いでタバコに手を掛けた所だった。
コーナーを曲がって視線の先を追う、
「おおおおおおおおぉ・・!」
参加者全員が息を呑んで見詰めていた。


二つの土石流区間も難なく突破する。


残雪と落石に埋もれる県道。
「これで黄色い県道線とはな?」



七里沢隧道、存命確認。


脅威の爆撃隧道、七里沢隧道は健在だった。
「見た目は変わらないですねぇ」
「出口(福島側)さ、前に見た時より小さくない?」
「ん、そうかも・・?」

 抗口に目立った変化は見られない。しかし、抗口から中を除くと
その異変に気が付いた。
 側壁の段差が地震で大きくズレている。
 中央付近のいわゆる「爆撃コース」付近の破壊が前より酷くなっている気がする。


取り敢えずどのくらい深いのだろう?。


「トツゲキ!!」画面右にあるコンクリート製の桁が傾いている。


 存命 4

 揃って列んでいた鉄骨アーチの基礎が前回よりさらに破損していた。
「逝けるかな?」
「大丈夫だと思いますけど、真ん中(爆撃コース)辺りは解りませんね」
「入口の水たまり、深いかもしれませんね」
まあ、行くしか無いだろうが・・・。
「と言う訳でジャンケンしましょう」


3人が愛機と共に次々とコースインしてゆく。



隧道中央部の「爆撃コース」画面右のコンクリート基礎が動いて
その上のパイプが不揃いになっている。


写真奥の爆撃コース崩落地点は垂れ下がる木片が不気味だ。
耳を澄ますと
「キィ〜」と洞内を吹き抜ける風に揺れてる音が響く。


「またイキナリですね」
「負けた人、先頭でお願いね」
「やだなぁ」
笑ってるぞ、顔。一番最初に負ける気か?Kimiさん?
 と言う訳で順番が決まり、突入開始した。
トップバッターはSクン。
「大丈夫っス!」と元気よく突入。実際走らせてみると、宮城抗口側の水たまりは余り深く無く、爆撃部分が落石と泥濘でハンドルが取られる様だ。
「んん?思ったより高い!」
 SクンのXR250Rが出口で大きく登り上がる。やはり崩れている様だ。
 続いて、おぉじぃさん、kimiさんの順に突入してゆく。最後にMR、初めて来た時の興奮が懐かしく感じる。

 宮城側の抗口、最初の水たまりはちゃんと底でグリップしている。むしろ水際に泥が堆積し、コンクリートの覆いが消えて素堀区間に出た頃から路面状況が暗転する。


出口が嵩上げされている。


[「落盤だ!」震災による地盤の損傷は確実に迫っていた。


 中央の爆撃回廊は更に疲弊し、追加の落石や漏水も伴って板がウエハースの様になって腐っている。丸い鉄骨パイプにビスの様な物で留まっている訳だが、そのビスもパイプもボソボソに腐っている。

  回廊中央の落石はそのままに、少し盛り上がっている所を見ると地震で土砂が落ちて来たのだろう。
 その先の路面は乾いている。
真上から水が滴り落ち、ヘルメットを叩いたので、気持ちが悪くなって一気に外に出る。
 出口は矢張り崩れていた。抗口の真上が落盤、土砂で前より50センチ程路盤が嵩揚げされていた。石ばかりで安定しないのでTTR269改はそのまま放置し、写真を撮る。



なんだこりゃ?標識だと?
そういやヨッキさんが書いてたな。


「高さ制限2.5m」の標識。殆ど判別出来ない、MRは今回初めて見つけました。
表示向きが逆ですが、何か?



「心配した程ではなくて良かった」
「潰れて無くて良かった、全国的にこんな中途半端な隧道は無いですからね」
「まあ、潰れていたら裏ルートを行くだけですし」
裏ルートがあんのかよ、ヲイ?こんな所で?

 そして、普通林道へ 5

 結局、ドキドキしたのはこの隧道周辺までだった。
 隧道出口に、
表示向きが180度変わった「高さ制限2,5m」の標識を見付けたくらいで、雪解け直ぐと言う事も在って旧道の路面は拍子抜けする程にフラット&スムース。


あれま?
こんなに障害物のない山崎峠
初めてだよ。


さながら
”過去の落石”と言う感じだな?。


でもたまに
「人より大きな落石」もあります。


ここも一度車を通してから崩れた感じだ。


ここも落石と言うより地滑りだろうか?
少しづつ溜まった?と言う感じだ。


 廃道とは思えない程だな?と思ったら、うっすらと軽虎のダブルトラック痕があり、その上に落石その他が散らばって、結果として二輪車のみに通過を許していた。恐らく昨年秋には一度営林関係者が通行しているのだろう。



落石がなければ十分軽虎は通れる。


 林の茂りが薄く、県道内は明るかった。それ故に残雪も泥濘も少なく、むしろ走り易かった程だ。これまでの通過事例で車で通過出来た次に走り易い山崎峠と言って過言ではない、と思う。(フュージョンは流石に無理)



そして、鉱山Y字路に。しかし、そこに鉱山が存在したことすら知らない。
(Pohto;2009)


上の分岐からあの土石流の倒木地点を眺める。
二年経ってもまだマディ?



 忌まわしきセカンドアタックの際の鉱山道スタック部分も問題なさそうだった。まあ行き止まりなんだがナ。(爆
 念の為Sクンが下見するが、まだ泥濘クサいようだ。

 鉱山分岐を過ぎるといよいよ峠は目前。その手前200m程で沢水が道路に溢れていたが、走りづらいものの難なく通過、
無事バリケードを抜けて県境山崎峠に到達する。

一休みがてら次の行動予定を決める。
するとおぉじぃさんが県境で一言。
「ココ、練習コースなんですよ」



段々残雪が増えて来た気がする。


県道未ダ越冬中也。ダブルトラックの幅が広い、大型車か重機が入ったのか?。


 まさに峠の県境界線を北に沿って擂鉢状の道が立ち上がっていた。
 コースと聞くとSクンが目の色変えて挑むがヒルクライム出来ない。
 手前の残雪もそうだが、路面が滑る上に圧倒的に助走が足りないのだ。
 本来の助走位置には大量の伐採された木材が積み重ねられていた。
止む無く諦める。


山崎峠到達、不通区間突破。
今までで一番楽な廃道だったナ。
案の定貯木場になってるし。


「この〜〜〜ぉぉぉ!」

「ダメぽぉ〜〜」(笑w
やってみなよ!登れねーから!。


県境G線上のアリア?
道の写真左が宮城県、右が福島県。


 
そのコースのとなりに本来のルートであろう林道が北に向かって分岐していた。
「ここ、隣りの仁井田峠には出られないのですか?」
MRがおぉじぃさんに訪ねると、
「出られますねぇ、確か?」というお返事。
 残雪遊びがてらに隣りの峠に出て、藤田駅方面に出ようという事になった。普段はゲートにチェーンがあるのだが、伐採期間中と言う事で、チェーンは外されていたのだ。
「行きましょう」



そして師匠のアタ!。「ゴルァ〜〜!」しかし登れず(泣w。



セカンドトライ。時間的にはそろそろ"午後の部"という時間だが・・・?。


一度誰かが轍を刻めば、後は何とか通れる。

 道の解るおぉじぃさんを水先案内人に、Sクンを先頭にした4台は名も無い普通林道に突入したのだった。

 残雪&
 ウッドセクション!
6

 思ったより雪が残っていた。
5~600m程先の、北斜面には結構な深さと思われる残雪が在り。写真を撮りながら殿を進むMRが合流した頃には先頭のSクンがXRを雪から引っこ抜いた所だった。
「え、?ダメなの?」



「おお、走るはしるぅ〜」いいオヤジがハシャいで居ますが、何か?


3枚の写真の轍を見ると、1台通る毎に
土の色が付いてゆく。


 横を擦り抜けて269改を突っ込ませる!すると・・・・
"ウォロロロッロ〜”2速ハーフスロットル、時速18Km/hぐらいでズルズルと長さ8m、深さ20cm程の残雪を通り抜ける。
「ええ?マジぃ〜!」
 流石スタッドレスタイヤ以上の柔らかさを誇るツーリスト、よく雪を掻いてくれるのに掘らない。
 道が出来てしまえば、轍に沿って難なく進める。得意になって次はMRが先頭。しかし流石に深さ40cmに達する残雪は外がカチカチ中はサラサラで掘削停止。(爆



「土手際を狙え!」「イけぇ!」
よしよし、通過出来たぜ!。


スピードが落ちるとたちまち掘ってしまう。
こんな時はセローの非力を味わう。



 二番手のSさんが突っ込んで来る。
「土手沿いに上がれ!」
 道は片側が1m程度の山側法面。道路も山も残雪だが法面だけは赤い土が見え隠れしている。角度も浅い。
 ドンピシャでXR250Rは残雪を飛び越えてゆく。後続の2台もそれに続く。269改もバイクから降りて1速で押すと難なく脱出した。
しかし・・・
「これは深いですね」
 ざっと県境ごしに1Km程北上したヘアピンコーナーには1m近い残雪が、切り通しの法面と一体になって吹き溜まっていた。流石にここまでか?




マズい、残雪が深くなって来た。通過して解る非常事態。
てゆーか、学習能力皆無だろう>俺。



やっぱり学習効果は期待出来ない鴨。


ここまでか?だがしかし・・・


何か間違っている。
それが何か解るまで、走り続けるしか無いのか?
「イヤイヤ、単なる鈍感でしょう」。


「林の中をショートカットしましょう」
とおぉじぃさん。
Kimi さんが目を丸くする。
「ここ登るんですか?」
 その手があったか!しかし、土手を乗り越え、林をショートカットする先のコーナーも、さらに残雪が続いていた。
「ちょっと先を見て来ます」
 本当にこの森に住んでいるんじゃないだろうか?と疑う程におぉじぃさんが鉄の羚羊で勝って知ったる林を縫って登ってゆく。
「何者なんだ?あの人は」
「さるバイク店の"藪部"部員」

 後日、この方々にあの峠の走り方を教わる訳だが・・・。

 急に風と共に横殴りの雪が通り過ぎた。森の気温が急激に低下したのが体感できる。そう言えば今日は午後から天候が悪くなるという予報だった。
 この県境の山沿いだ、天候の変化は何処よりの速いだろう、どいやら潮時だ。偵察の羚羊が帰ってきた。
「解りました、隣の林道には出られませんが元に戻れます」



間違いに気づいて、尚、探し続ける。
「林道とは人生の縮図なのだよ。」
(この場合、地図を間違えた事は、敢えて言わない(爆)。


「やっぱりあっちです!」探し続ける、だからこそ道が答える。


それが、例え県境G線上のタイトロープダンスであっても。
て、ゆーか 素直に来た道戻れよ>俺我



取り敢えず楽しんだので岐路に付く。


本当はネ、まだまだ遊び足りないけど、
一人はイヤなので帰る。


 ナルホド、先の枝林道のチェーンが外してあったのは、既に本道を閉鎖していたからなのだ。これを僅かな路肩から抜ける。
「天候が変わったので、ここで解散と言うことで」
「了解です」
「また遊びましょう」

 時計は2時前、藤田駅の駅前に出る頃には、それぞれの家路に向かっていた。子供達に唐揚げの手土産を買って、家路に付くMRだった。


 エンドロール 7

「ここに山頂と言う意味では無い,石積があるんですよ」
 もともと国見は古くから県境の要衝として砦や防塁、お城などが築かれた地域だ。
 近くにあつかし山展望台などもあるが、古くは文治5年(1189)奥州合戦で最大の激戦場となったのが阿津賀志山であり、奥州平泉の藤原泰衡が源頼朝の率いる鎌倉軍を迎撃するために築かれた防塁などが国道沿い等にもある。

 指摘のあった石積みなど、よく見ると現在の国見〜白石の県境沿いに造られているのだ。
て、ゆーか・・・?
「県境の真上をそのまま突っ切る林間コースってば?」
 こんな道、良く見つけるものだと関心してしまう。
「こんなところばかり歩いて見つける男が居ましてね、BS君と言うんですがそのうち紹介しますよ」
 丁度山頂の石積みから右折?南東に向かって道はやがてコースですか?と見まごうような急坂になり、途中に窪みや松の木の根がのたうつ激坂となる。地図では直線だが本当にそのまま道があるとは、まさに「ケモノ道」

「ここ降りるんですか・・・」とkimiさん。
 無理もない、一般的林道主体のライダーにとっておぉじぃさんらのルーティングはその範疇を越えてトライアルに近い。こんなウッドセクションはまさにセロートライアルの独壇場だろう。
 なんとか下り坂から、先程の269改がスタックしたヘアピンまで文字通りストレートに戻ってこれた。
「大分寒くなってきたね」
「引き上げましょう」

  ここからは来た時の半分の時間で山崎峠に戻ってきた。
 そのまま峠を降りると、鳥取林道の合流点で山崎峠方面にはチェーンが掛かって通行止めだった。



「生きてて良かった、七里沢隧道」
イヤ、本当に。



「"不通"ではなく"普通"に成りつつ在る山崎峠」
を強く印象に残した2012ツアーだった、


●県道107号線「山崎峠」
 
区間総延長:17.7Km
A区間(赤井畑〜わさびの里Y字路) :区間長:1.5Km(未舗装1.1km)
B区間(わらびの里〜山崎峠県境)  :区間長:4.3Km(全線廃道・通行止)
C区間(山崎峠県境〜藤田駅踏み切り):区間長:11.9Km(未舗装8.2km)

調査日(12/03)の状況:
危険なのは宮城側の「終点」から土砂崩れ2カ所と七里沢隧道までの区間。震災後何らかの理由で福島側から隧道抗口近くまでは車を入れた轍が在り、基本道も広々と整備された様です。だがしかし、度重なる巨大余震や天候の急な激変で、折角の道がまた通行困難になった感じでした。バイクなら比較的楽に山崎峠から抗口までは通行可能。
車はモチロン未だ通行不能です。特に七里沢隧道の内部崩壊が通行を大変困難にしています。



次の旅日記にゆく。