次の林道に進む。

林道日記(OFF-ROAD・DIARY)


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。


 このContentsは、適当に増殖します。


林道日記(OFF-ROAD・DIARY)081-4

昨年、一度アップした林道。
スミマセン、昨年光回線に換えたときに本体がハングアップ。データが消失した日記です。
バックアップがないので、まるきり書き直し。
多分、前と違うこと書いてます。あしからず。





源平森林道入口に向う。
眼下には飯坂温泉から十綱橋東側の里山が広がる。棚段の桃畑だ!

平沢林道 終点

源平森林道/起点側                大舟地区/出入口

前回、源平森林道の起点&ゲート。
正面の林道には表示が無いので、違う林道カモ・・・?
桃畑を上がってくると、写真右手の大舟地区からココに出る。



前回、源平森林道の起点&ゲート。


●ロングダートの中核林道は金網電流デスマッチ林道。

 
半田山は戦前までその名を轟かせた日本三大銀山の一つである。(読み飛ばし可)
 大同年間(807年)開山の半田銀山は兵庫県の生野銀山、島根の石見金山と並び、日本三大銀山と呼ばれ、明治期には信夫郡の経済の中心と言える存在だった。銀の他には金・鉛・亜鉛も産出し、昭和初期に最盛期を迎える。電気回路の「ハンダ(錫と鉛の合金)付け」の語源ともいわれ、銀山の代名詞であった事が伺える。
 しかし、昭和25年(1950年)には早くも閉山、その長い歴史を終わっている。
 当時、鉱山の稼働や精錬にはエネルギーとして大量の木材が必要であり、半田山の林道郡はその現材料調達の為に開削、発達して現在に至っていると思われる。


トラロープに仕切られた道は老人ホームの裏庭に通じる私道らしい・・。

 今回の板橋・源平森林道はその開発が飯坂温泉の山間部に達していた事が考えられる。戦後、鉱山開発の為に計画や開削された林道は無駄にされる事無く、当時のパルプ産業の為の苗床となっていったのではないかと思われる。それ程広大な面積に林道が点在しているのだ。


マンホールには電電公社のマーク!、
ここにもNT○の陰謀が!。


なんだここは?
林道ではない様だが・・・?。


おおっ!半田山が見える。


藤倉ダムの南側、一番奥の谷の上がココだよ?


TouringMapple2013.3版に一部表記。広域マップルには実線/点線表記されている。

林道平沢大舟線(仮)
 
区間総延長:3.1km(未舗装)
概要
 平沢大舟林道(仮)は、例によって林道の現場には林道の名称を示す物が無いため、便宜上このHPで名づけた林道名である。
 飯坂温泉の奥座敷、穴原温泉から摺上川ダムに繋がる国道399号線沿いの途中に起点の在る板橋
林道に始まり、支線芳ヶ沢線を経由して源平森林道に接続。源平森林道は飯坂町大舟地内で平沢大舟林道(仮)に合流、そのまま東に降りると、桑折町平沢区内が起点の平沢林道終点に合流する。
 半田山林道群は半田山の山肌の北側に当る林道日記028/北口林道と小畑林道(現県営乳牛放牧場)線。
 半田山の中央から南の谷にある藤倉ダムを要する林道日記036/産ヶ沢林道とある。
 この藤倉ダムは昭和40年竣工なので、当初は沢の上流で今回の板橋または源平森林道に接続していた物と推測される。

危険、さわるな!
遂に始まる林道金網デスマッチ!。



下を眺めるが藤倉ダムは視認出来ない(笑w。


なんだ?何言ってんだ?


何じゃいコレは? 林道脇に延々と設置される金網の正体とは?。


枝道に電撃ゲートが在る。これが対野猿用強羅電撃絶対防衛線だ。
ちなみに桃畑側から入るとこうなる


電撃ゲートは横に開く。写真右側にあるブレーカーにて電気を遮断した後、
ゲートを開ける。
通ったら必ず元通りに閉めて、電流を流す事。



ブレーカースイッチ。コレを操作しようとする
野猿が目撃されているらしい。


ゲート自体は農業用ビニール紐で縛ってあるだけの簡単設計。

 そしてこの林道は藤倉ダム南側の尾根を延々と走る林道なのである。取り敢えずドコに出るのか判らないのでこのまま往ってみる事にする。

では、往ってみよう。
 始めて走った時のルートが、概要で書き込んだ状況なので、割と何も考えずに源平森林道からそのままつながりで突入した。

 この道、ちょっと大まかな地図だと道が載っていない。よく見ると町界の線の裏に実は書いてあったり無かったりとまるで忍者の様な林道である。
  源平森からどの程度の距離かは不明だが、林道の路盤下にNTTの地下ケーブルが埋設されているので、もともとNTTの管理林道の可能性も捨てきれないが。そんな訳で現地には林道名の表記が無いのかもしれない。

 そんな尾根伝いの林道の北側に半田山が見えてくる。iPadminiを見ればその下は藤倉ダムのダム湖が始まる南尾根と現在地が確認出来る。
「藤倉ダム上空に到達!」
 その直後、軽く右(南)に曲がった下り坂の先に、身の毛のよだつ事象が立ち塞がった。
「何じゃこりゃ!!」
延々続く金網と、その支柱の上には4条程の高圧電線をまぶした電線が繋がれているのだ!。
「金網に触るな」「感電注意」との看板があるではないか?
コレが飯坂地区、果樹園謹製「対野猿電流防護フェンス」である。まさに"強羅絶対防衛線"!。


一時的に電撃フェンスから離れ、少し登る。
こちら側は雑木林だ。


緩やかに右(北)に曲がり急激に下りは荒れ始める。
林道から北側(写真左側)は水源涵養区域だ。


二つ目のゲート。写真左側が林道、右がゲートと桃畑。


電流!アクション!接触転倒即感電!


バイクで接触や転倒は感電を意味する! これがっ!
「電流フェンス攻撃だっ!!」果樹園側は都合2箇所にゲート付きの出入り口があった。と言う事は「林道は猿の惑星側」という事になるな?通行の際は野良猿の飛び出しや集団移動、集団暴行にお気をつけ下さい。

「防獣用フェンス」って言われてもピンと来ないよねぇ。猿も林道の通行はノープロブレム?


果樹園地帯を抜けて、林道は尾根沿いを東に向う。


水捌けが悪いのか?
泥濘の路面が散見出来る。



微妙な馬の背。震災時に崩れたが最近補修した様だ?


 桃畑区間を抜けた後も、林道は尾根沿いを下り続ける。実を言えば、この林道は我らが入って来た南西側が最も高い標高の525m程で、平沢林道の終点(この林道の起点)は400mを切っていた。
 源平森から入ると延々の下りとなる訳だ。その中で、どう見ても左右の路肩が崩落した微妙に危険な馬ノ背辺りからは林道の状況が悪くなる。
 平たく言えば、使われた形跡が薄まるのだ。ダブルトラック、路肩から溢れて道に覆い被さる雑草・・・。
途中に在る枝道に至っては、完全に放置プレイなのだが、地図を見るとほぼダムの本体南側に達する様な気がする。気がするだけだが・・・?


ほぼ放置プレイの枝道、ダムの直上に在るので、或は工事用林道かも知れないが詳細は不明(笑!。

 分岐を過ぎると突然に三叉路にぶつかる。地図を見る限りは双方繋がっているし見た所通行量は左折ヘアピンなのだが、より近いのが右折なので道なり直進してゆく。

 さらに再び別な林道?に三叉路合流する。いまのは連絡林道という所か?
再び荒れた林道を下ると、またしても三叉路に飛び出た。
ここに
「平沢林道 終点」の標柱が立っていたのだ。
「終点?終点だと!!」
 こうして、平沢林道に合流したこの接続林道の名前は、ついぞ現地では判らないのであった。


暫く使われなかったせいか?
雑草が深い。



ダムの丁度真上辺りか?
写真左(北)側に枝道が在る。ゲートは無い。


ヘアピンの分岐!直進かな?


どうやら本線はヘアピンで下る様だ!あっちのほうが通行量が多い?
地図で確認し、
ここはヘアピンに沿って(画面右奥へ)Uターンして下る。



水源涵養林の標柱が在る。水を貯える大切な森だ。

 MRはこのまま平沢林道に終点から突入するのであった。

調査日(13/7/23)の状況:
 路面状況は良。この状況から、未だ周辺林道の全貌は定かではない仕様です。
 平沢山オフロードコースについては割愛します。周辺林道も近いうちに探査したいと思います
 さて、林道自体は全長の3割程が舗装路ですが、この日は起点の確認ができませんでした。間違っていたら再々アップの可能性アリですが、取り敢えずウプします。


そのまま、荒れた林道を下る。


何か建ってる?!。アレに見えるは・・・?


おおっ!こんな所に林道標柱が!
いよいよ林道名が解るか!。


良く見たら変形十字路!


 終点の現場を見た感じでは、ここ数年は何もなく、放置プレイが継続している杉の植林地という状態です。
 枝道はありますが、本道と平沢山に向う道以外は殆ど通行量が在りません。僅かにT63みたいなエンデューロタイヤとジムニーの純正タイヤ、そして軽トラの足跡があるのみ。
 どうやら、ご同業社以外には最近訪れる人も居ない林道の様です。
 あと、町内は安全運転でお願い致しますね。高齢者の飛び出し?注意です。



林道平沢線、終点・・・終点?
終点なのか?。

このContentsは、適当に増殖します。
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)081-5



完全無欠の舗装ヘアピンが終点付近、桑折町を一望する


●半田山林道群の最西端にあるロングダートの始まり。

 平沢山と言えば、このHPを見ている皆様も良く知っている「平沢オフロードパーク」が麓にある山である。また今時の歴史ファン、廃城ファンに知られる西山城跡がある山脈でもある。
 一見繋がらない話しかと思いきや、そもそもこの城を最初に築城した武将達の思惑は平沢山から産出する瑪瑙(メノウ)と思われる。最初の西山城を引き継いだのは伊達氏、と言えば伊達政宗と思い当たるが、Wikiによれば、
”伝承によれば、1189年(文治5年)の奥州合戦の戦功によって、伊達郡を与えられた常陸入道念西が居を構えたと言われている。


西山城西館跡、入口とある史跡石柱。


終点のみ確認(爆w 道路との整合性がない標柱だな(笑w。
本当に間違いないのか?
(不安)


また、応永年間(1400年頃)に伊達政宗が鎌倉公方に背いて立て籠もった赤舘もこの西山城と言われている。”
と言う事だ。伊達家は西山城を巡ってどんな経緯を残したかは、この際Wikiのページに解説を譲ろう。

 さて、戦国武将達がここに城を構えた訳は、瑪瑙は古来から神事に使われる石であり、お守りとして重宝されていた石である。武将達がゲンを担ぎ、戦費を賄う為に瑪瑙を押さえた場所と言えるかもしれない。
 平山鉱山は戦後まで瑪瑙採掘を続けていたが、採算が合わずに現在は廃坑となっている。
 その平沢山の廃坑跡が、現在のオフロードパークなのである。

 そして林道平沢大舟線(仮)は西山のほぼ真南で平沢林道の終点と合流したのである。半田山と共に
平沢鉱山の名残を残して林道は無数の枝道を内包していたのだ。

TouringMapple2013.3版に一部表記。広域マップルには実線/点線表記されている。

平沢林道
 
部分計測区間:1.6km
       (地籍三角点まで)
 未舗装区間:1.3km
概要
 平沢集会場の裏辺りが起点の平沢林道は、平沢山の麓で幾つかの林道に分岐接続しつつ終了する林道である。
 そもそも、これが昔からの道ではなく、瑪瑙の鉱山道跡を後の半田山資材部辺りが林道化整備し、閉山とともに廃道化した道を藤沼ダム建設の折に再林道化したものと推測するのだが・・・さて?
 とにかく本線であるに関わらずまるで接続枝道?いやいやハブ林道?の様な林道なのである。

さてはて、逝ってみますか。
 源平森林道からのまさに地続きで入った平沢大舟林道(仮)に引き続き繋がる平沢林道。目前には「平沢林道 終点」の記名も真新しい林道標柱が建っている。
 
今回は終点から逆走と言う訳だ。出て来た十字路も、地図では三叉路となって、正面に見える伐採道らしき窪地は記載がない。取り敢えずここは道なりに降りて行く。


間違いない?(爆。
さあ、起点探しだ!逝くぜェ!。


早速分岐、取り敢えず道なりに画面右方向へ。


いかにも杉の植林地と言う佇まいの林道。
植林20年目位かな?。
路面状況は良く滑る泥濘、土が黒いナ?。


森林の合間は光が差し込み、雑草どもが光合成したくて生い茂る。


おっと三叉路、大きなヘアピン。
この辺から平沢鉱山の外苑に当る林道である。だが、林道標柱はない。



 すると、杉林の先に広い林道が現れた。丁度ヘアピンの所で、地図を見ると広い道は平沢山の上の方に向う様だ。取り敢えずココを下る事とする。
道路左となる北側が平沢鉱山の跡地で、現「平沢オフロードコース」の筈である。(未見ですが・・・)
 林道は右に左にとうねって下って行くが、山側(北側)に向って幾つかの枝道が在った。複数の鉱山道が在るのだろうが、通じているかは定かではない。
 
そしてここで、ついに舗装路が現れた。
 起点と思われる平沢の集会所まで跡僅かの筈だ。
 森から飛び出ると「平沢調整池」という池が地下に在る桑折町水道局の管理地と西山城「西館跡」の史跡石柱が立っていた。丁度ココも三角点となっていたのだ。MRはバイクを降りると、眼下には広がる桑折町があった。


桑折町の水道設備である。まあ当然、立入り禁止だわなぁ。城の跡に水瓶か。


振り返ると。
来た道の方が枝道の様だ。


遂に舗装が現れる。
ダート天国の終点、
いや起点か!。


そして麓に降りて来た。このまま、平沢の集会場裏へ。

 
 この直ぐ北隣の沢が産ヶ沢である。半田山は沢を挟んですぐ隣の山である。
 
取り敢えず一度戻って、源平森林道の奥に在る林道を探ってみよう。

調査日(13/7/23)の状況:
 路面状況は良。実はここまで走ってオフロードパークまで往ってません(爆
 林道自体はまさにノーマル&スタンダード。今回は逆走でしたが、平沢部落から登れば、まさに裏山気分でロングダートにバリケード無しで入って行けます。
 ただ、猿にはご注意を!
電撃フェンスが無言のままに野猿の強烈さをアピールしてます。
 なんせ桃を盗るのに帯電バリケードに木を倒して渡る様な、中禅寺湖の猿並みに度胸と知恵の在る奴らなので、夜間に猿の軍団の襲撃を受けるやも知れません。お気をつけ下さい
(笑w。

 写真に在る地籍図根三角点は、明治17年頃に作成された旧陸軍参謀本部(現国土地理院)が日本を測量した測点を修正測量し、地籍(その土地が何の何処に帰属し、現在誰が管理者/所有者であるかを法的に確認した三角点)と理解しています。
 因に戦後地籍調査が始まりましたが現在でも国土の凡そ6割が未調査という気の遠くなる様な行政調査です。
(大震災の影響でさらに十数年は伸びただろうな、多分)
 今回の西山城の様な行政の管理地で地籍調査が終わった所に建ててある様ですね。国から市町村に移管されている為に三角点の表記建植はその仕様が様々らしいです。


改めて史跡石柱と三角点杭。


「地籍図根三角点」
多分、桑折町が"西山城の境界確認"の為に
測量した三角点と思われる。


アレに見えるは、桑折町・・お疲れさま、さ!戻るか。



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