廃道日記(Riding・Report)
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萬世大路は穴だらけ。 |
廃道日記 51-2 2022旧国道13号線「晩秋の萬世大路」
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そこは 「復活の旧道」 これ程多様な価値観がある この世の中で、 一本の廃道が、 多くの人々に愛され 無償で整備され、 現在も生き続けている。 ノスタルジーで片付けられない、 苦労と現実があるだろう 廃道整備。 今日、 その恩恵を受けにゆく。 |
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ご使用上の注意! このデータは、 あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。 走行距離は主にバイクで測定し、 旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。 また、掲載される内容は大変危険です。 当サイト掲載内容によるいかなる被害も、 当方は保証致しません。 |
「久し振りだな。栗子」 |
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「トツゲキっ!!」沼は5〜6m程で、あとは泥?。 |
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岩盤の両端に覆水脈があるのか。 荒相当の水量が出ていた痕があり、 ここが栗子沼の水源か? |
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h左側、水路が造られている。 本来隧道も両脇には排水路が設けられている。が、写真左側は埋っている。 |
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流出した土砂、ここから先はちゃんと コンクリート床が見える。 |
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「南側境界柱」初撮影の隧道南壁面に埋め込まれる境界柱 設置日不明ながら“県”の文字が旧仮名なので昭和9年の改修時では?。 「北側境界柱」前回はこの北側で満足してしまった(笑。 上の「境界」の文字下から支柱中央に界を示す縦線が刻まれる。 |
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「崩壊地点に到達」トレッキングの彼が5度目の合流。 早速閉塞点に登り始めるあづさ2号氏。 振り返ると御神体の氏子の氏名の置石が並ぶが、もう読めない。 |
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始めてバイクで到達したへなり氏を始め 2〜3人の芳名がある。 |
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ライトに照らされる当HPの奉納絵馬。 他の氏子さんの奉納絵馬(笑。 「いいアングル」遠く光る福島抗口、約3.5mの高さから俯瞰 するトンネルの全体像、目前の厚さ10cmの割れ落ちた内壁。 圧倒的な存在感で圧する栗子山の岩塊と差し込まれる支保工の補強材。 |
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最初の山を越える(笑。 大きな内壁の破片がケルンのごとく 起立する第一栗子深山? 大量の補強材が散乱している。 |
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「圧力変型する内壁」 岩盤一杯に接する内壁と写真右側の内部崩壊で変型膨張した内壁 内壁と岩盤の間に差し込まれた支保工の丸太が散乱する。 「第二栗子深山?」 正面に見える巨大な内壁の欠片が印象的。写真左側の壁も変型破損している。 「凄まじい破壊の美学」 手前こそコンクリート瓦解だがその裏は全部土砂である。 |
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第一深山と第二深山の間には栗子渓谷。 70年分の埃がだけが堆積する。 あづさ氏は某氏の穴を探し始める。 |
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第二栗子深山の頂上に…。 |
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「更なる深淵の穴がある」 実は天井に向かっての急坂である。 「岩盤の狭間の土砂が崩落してる」 彼は身長170くらい、その穴の深さ! 恐ろしい程の土砂が流れ落ちて、頂上は平場になっている。 「天井の上に赤いのが支保工」 それも直径40cm以上の梁が、粉々に粉砕されている。 |
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保支工の丸太とコウモリ。仲良く冬眠中。 これが「ココウモリ」 鍾乳石の僅かな出っ張りに吊り下がる。 |
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「コウモリがぶら下がってるフック何!?!」 ココウモリ撮ってる時は夢中で、家に帰って気が付いた。何の金物!?。 |
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「何時から刺さってるのか?」 というかコレ一本で何をする気で?。 |
強力なサーチライトを浴びても微動だにしない。 |
「さあ、帰ろうか」改めてマジマジと内壁を観察するあづさ2号氏。 「目的は達成」CRF250のハイビームの照射範囲の広さ!。 |
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置石注意!!。さあ、戻ろう。 |
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またな!!。このぐらいの荒れ具合で丁度いいと思う参道。 |
帰り道を戻る。 横に長い風景になる。 |
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分岐点まで戻る。 暫く通行止だったが今回はバリケードが撤去されている。 |
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「前回のバリケード」 通行止の理由や道の解説が掲示してあった。(Photo/2016) |
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保存会謹製の万世大路の概要案内。 (Photo/2016) 「この先300m地点の沢部暗橋が陥没(崩落)しており自動車の通行は出来ません」 イヤイヤ、直ぐここで泥でスタックするから。 (Photo/2016) |
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「ところがぎっちょん」 ダンプや重機を通す為に砂利が撒かれて、泥濘なんか何所にも無い。 |
紅葉もたけなわ? ヨコに長い道路風景は極彩色で彩られる。 |
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崩落した暗橋区間。 1mくらいの堀の様な感じだが、いわゆる荒れ沢で現役当時からよく流されたらしい。 (Photo/2016) |
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「治ってる」2022は更に川上側に広くなっていたが大体こんな感じ。 この暗橋も道幅4〜6mはあった筈だが、当時の写真などは無い。(Photo/2016) |
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「紅葉が素晴らしい」いいね、戦前の道も。 |
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明治期のヘアピンはもっと小さくて 多かった筈。 実際、ヘアピンのインの更に内側に道があるのだ。 |
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「これが七曲坂」文献によれば線形を大きく変えた為、 現在のルートは明治ルートに上書きというか、ほぼ被って造られている。 |
「誰か走ってるのか?」 流石に6mではないが慶虎幅に道が開けてる? 気がする。 |
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「福島市を前方に見る」ガードレールとか無い。 昭和40年まで現役だから在る筈なんだが、意図的に撤去したのか?。 「正面は西栗子トンネル方向」 道は一旦写真右に振って左にターン、左下に道が見える。 三度福島方面。標高が確実に下がっている。 併せて紅葉の残存率が上がって来て、綺麗だ。 |
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ヘアピン最終コーナーを通過! この時期薮が引けると、眼下に現行の国道13号線が見え始める。 |
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「新沢橋に到達」道の左にあるのが「殉職慰霊碑」。 (Photo/2016) |
殉職慰霊碑。 かつて二ツ小屋には交番が在り真冬に囚人を探して遭難した警官の慰霊碑。(Photo/2016) |
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「写真撮り忘れてる」多分造ったばかりの新しい道が造られていた。 (Photo/2016) |
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「なんだこれ!?」直線の先に巨大な穴が現れる。 「ちょっと大きくね?!」鉄筋の網が荒いしそれ自体細い。 つーか木が!桟木も入ってるぞ! |
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高欄(手摺)は戦後当時のガードレール仕様。 戦後と言っても昭和20年後半から30年前半の角形支柱タイプだ。 素晴らしい紅葉 橋には欄干があるが、それ以外の道路にはガードレール等の転落防止施設は無い。 |
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これがかつての参道。 2019年以降の台風などで崩落したとされ、 現在は無い。(Photo/2016) |
まあ、この先福島側は旧道が新道に吸収されてしまうので、車が通航する事は無いだろうし、新道から土手を登って旧道を歩くハイカーだけ気を付ければ良いので塞がってれば何でも良かったのかも知れないが、やっぱ雑な対応だよね。 |
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旧道の下の現道にある電光表示板及び 気候観測所を見下ろす。 |
この橋は昭和改修の福島側の起点であり、先述した七曲坂を含む栗子隧道までの約13Kmが基本幅員標準6mの転圧砂利舗装(いや舗装じゃねえし)仕様で作られている。例えば先ほどのオサ沢の暗渠も実は手前こそ少し崩れてしまったが沢の奥に向かってかつての道路敷であり上流側に向かって約7m程の道幅があった筈なのだ。上流側の暗渠は既に流されMRは見た事もない。 |
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現道に復帰する!堪能しました、晩秋の古道。 |
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終 劇 。
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