廃道日記(Riding・Report)



萬世大路は穴だらけ。




廃道日記 51-2 2022旧国道13号線「晩秋の萬世大路

そこは
「復活の旧道」

これ程多様な価値観がある
この世の中で、
一本の廃道が、
多くの人々に愛され
無償で整備され、
現在も生き続けている。

ノスタルジーで片付けられない、
苦労と現実があるだろう
廃道整備。

今日、
その恩恵を受けにゆく。






ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走った
ルートの覚え書きです。
走行距離は主に
バイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。
また、
掲載される内容は大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
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「久し振りだな。栗子」


 005-核心部へ。 5

 洞内の栗湖は前と違って浅く綺麗で、差し込む昼間の太陽光が乱反射して洞内の天井に光の波を見せる、まるでプラネタリウムだ。
 11月とはいえ春の暖かさを感じる晩秋の陽気だが、道内から漂うのは明らかに冷気だ、5℃程度の気温差があるだろう。水底のコンクリート床の割れ目もよく見える透明度もあるが、水棲動物は居なさそうだな。
 天井を見上げ、
これが波紋か!とか言ってるバヤイじゃない。
 例によってダウントリム10度ぐらいで急速潜航する。前回はTTR-Reidの車軸まで潜って、しかもすぐエンストしたが今回はタイヤリムが潜る程度、深さは半分以下だろう。
 道内に響き渡るKLXのDELTA-バレル4のエキゾーストが完全な場違いなのだが、少し騒がしい方が安心する。



「トツゲキっ!!」沼は5〜6m程で、あとは泥?。


岩盤の両端に覆水脈があるのか。
荒相当の水量が出ていた痕があり、
ここが栗子沼の水源か?


 何せこの先、心臓が鷲掴みされる光景が待っているのだから。
 再上陸を果たすまでの距離も短い、振り返るとトレッキングの彼が対岸からこちらを眺めている。合図して先に進む。
 まずは一ケ所天井の崩落がかなり進んでいて路盤の半分近くを流出した土砂が占拠していた。良く見ると恐らく保存会の対応策だろう?路肩に土が積まれ、簡易水路の役目をしている。
 
県境を探すのだ。前回進行方向北側の壁にある昭和9年ごろ建植の福島・山形県境を刻む石碑は確認し、写真に収めたが南側は未確認だったのだ。



h
左側、水路が造られている
本来隧道も両脇には排水路が設けられている。が、写真左側は埋っている。


流出した土砂、ここから先はちゃんと
コンクリート床が見える。



 
ハイビームも届かぬ暗闇の中を、微速前進で左右の壁に沿って進む2台。
「あった!」
「反対側もある!」

よしよし、やっと廃道に来た感が出てきたぞ(笑
 撮影してさらに進む、と隧道の道床はサミットを越え、下り勾配となる。すると2台のLEDヘッドライトが巨大な岩塊を照らし出す。




「南側境界柱」初撮影の隧道南壁面に埋め込まれる境界柱
設置日不明ながら“県”の文字が旧仮名なので昭和9年の改修時では?



「北側境界柱」前回はこの北側で満足してしまった(笑。
上の「境界」の文字下から支柱中央に界を示す縦線が刻まれる。



 手前に散らかる小石まで行かずに停車しハイビームで全体像を描き出す。
「おおおおぉぉ」
 
閉塞点に到達、動力車で来れるのはここまでだ。



「崩壊地点に到達」トレッキングの彼が5度目の合流。
早速閉塞点に登り始めるあづさ2号氏。


振り返ると御神体の氏子の氏名の置石が並ぶが、もう読めない。


始めてバイクで到達したへなり氏を始め
2〜3人の芳名がある。

 
 撮影しつつ、手前の小石に気をつけて歩く。既に原型を留めていないが、置石で到達者の書置きがなされているのだ。バイクでの初到達と言えば、2002年のORR管理人のへなり氏だろう。置石も彼が最初だ。彼の功績、その土木ライダー振りは(その功罪はともかく)もっと語られるべきだと思うのだが。
 その他、大勢の個人やグループが到達記念の品をこの岩塊に献上している。
「14年振りだな、元気してたか?」



ライトに照らされる当HPの奉納絵馬。


他の氏子さんの奉納絵馬(笑。


「いいアングル」遠く光る福島抗口、約3.5mの高さから俯瞰
するトンネルの全体像、目前の
厚さ10cmの割れ落ちた内壁
圧倒的な存在感で圧する栗子山の岩塊差し込まれる支保工の補強材


最初の山を越える(笑。
大きな内壁の破片がケルンのごとく
起立する第一栗子深山?
大量の補強材が散乱している。



MRも献上したプレートを確認する、
 あの嵐の1日が今日は嘘のようだ。そのまま見上げると底抜けの天井に向かって山がそびえ立つ、ここからはいよいよ登山である。
 山を二つ越える短いながらも地底の登山、もう待ちきれずにあづさがザクザクと登り始めている。
やる気あるなぁ、そんなに人の掘った穴が見たいか?
 LEDライトに人影が映って、なんとトレッキングの彼がここまで入ってきていた。おおう5回も追い付かれた訳だよ。
「凄い・・」
 
まあ事前情報なしに初見では、地球の心臓を見上げる様な禍々しさすら感じるよな。




「圧力変型する内壁」
岩盤一杯に接する内壁と写真右側の内部崩壊で変型膨張した内壁
内壁と岩盤の間に差し込まれた支保工の丸太が散乱する。



「第二栗子深山?」
正面に見える巨大な内壁の欠片が印象的。写真左側の壁も変型破損している。


「凄まじい破壊の美学」
手前こそコンクリート瓦解だがその裏は全部土砂である。


何処に行くんですか?という問いに、ふた山越えて完全閉塞点までゆく、と答えると目を丸くされる。既にあづさが最初の峠を越える所だ。こちらもライトで下からあずさの足元を照らしてフォローする。
 最初の峠を登ると目前に僅かに残された道床と、次の崩落が見下ろせる。
 何故か下り側はコンクリート塊が多いな?と、目前に見える薄〜い巻き建てと丸太の木片。圧壊を免れた隧道の天井断面である。
「厚さ10センチくらいか?」なんか練り込まれてる粗骨材(いわゆる砂利や砂)が自宅の壁の補修かよ?というレベルでとても国が関与する造作とは思えない。
 コンクリ分みんな鍾乳化して漏れ出ちゃったんじゃ無いだろか?



第一深山と第二深山の間には栗子渓谷。
70年分の埃がだけが堆積する。
あづさ氏は某氏の穴を探し始める。



第二栗子深山の頂上に…。

 
支保工は恐らくオイル漬け(または防腐剤塗装材)の杉なんだろうが、太さ30センチぐらいの梁が岩塊で引き千切られていた。
 
崩落は昭和47年と言われるので半世紀は空気に露出しているのだが殆ど腐っていないし、シロアリなんかにもヤラれていない。不思議というか凄い。
 中間区間の残存天井は6〜7mだが破片の散らかる道床は空きが2mぐらいか?
すぐさま次の岩塊に取り付くあづさ2号。
 割と急な坂道は高低差3mくらいだろうか?互いにライトを照らし合いながら写真を撮りつつ再び登ってゆく。
 この山を登ると、
地に臥した巨人の背中のような崩落した岩盤がトンネルの屋根である内壁の上に馬の背のように横たわっていた。



「更なる深淵の穴がある」
実は天井に向かっての急坂である。


「岩盤の狭間の土砂が崩落してる」
彼は身長170くらい、その穴の深さ!
恐ろしい程の土砂が流れ落ちて、頂上は平場になっている。


「天井の上に赤いのが支保工」
それも直径40cm以上の梁が、粉々に粉砕されている。


保支工の丸太とコウモリ。仲良く冬眠中。


これが「ココウモリ」
鍾乳石の僅かな出っ張りに吊り下がる

 ゴツゴツした岩盤ゆえに男の背中っぽくてイマイチではあるが、ここは初めて見る光景である。
見上げると奈落の底から夜のアビスを見上げる様な錯覚に襲われる。ここは激しく閉所恐怖を煽られた。

 あづさが左によって例の穴を探し出す。好きだなぁ、お前。
「多分コレですね、閉塞してるな?これは」光が見えん、風もないと落胆する声が世紀末の道内に響く。
 いやいやあれは「廃道神」の個人的荒行だから、と言うか空いてたらお前行く気だったのか?

 006-越冬注意。 6

 興奮冷めやらぬ誰かの掘った穴を確定し、その成果に一応満足しながら戻って行く2人。
 見上げるとトレッキングの彼が向かうべき山の頂に立っていた。
 何かカメラで撮影している?
「冬眠中のコウモリか?」




コウモリがぶら下がってるフック何!?!」
ココウモリ撮ってる時は夢中で、家に帰って気が付いた。何の金物!?


 
そう言えば全然飛んで無いな。居るんだけど。
 洞内の温度は
恐らく5℃ぐらいだろう。こういうココウモリ系は、主食となる羽虫などが活動する気温10℃前後からが活動環境であろう、例え外であってももう寒くて飛行できないのでは?
 
そんな彼らの弱みに付け込んで、突然3人ともココウモリ撮影会に参加となる。まあ普段なら得意技の反響定位でその先の予測行動まで見透かされ接近する事など殆ど不可能だが、流石に冬眠に伴う低体温症でどれほど接近しても凍り付くように動かないのだ。


「何時から刺さってるのか?」
というかコレ一本で何をする気で?。
 強力なサーチライトを浴びても微動だにしない。
 そもそも道床を歩いていてグノアも殆ど見られないので少数が暮らしてるだけなのだろう。
 
なんせカメラのズームがせせり出して当たりそうなミクロ近距離でも動かないのだ。まさに撮りホーダイである。
 でもまあ「ウィルスのデパート」なんて渾名のあるぐらいだ。自重しつつ夢中になって撮影する。ひとしきり気の済むまで撮影すると、再び山を登ってバイクのエキゾーストが響く道内に戻って行く。



「さあ、帰ろうか」改めてマジマジと内壁を観察するあづさ2号氏。


「目的は達成」CRF250のハイビームの照射範囲の広さ!。


置石注意!!。さあ、戻ろう。

 トレッキングの彼に、
「僕1人じゃこんな所まで来ませんでした、ありがとうございます」と礼を言われても困るが、この地底探検を堪能してくれたのなら幸いだ。
 置石を蹴飛ばさない様に注意してバイクに戻る。向きを変え坑口を見定めると既にトレッキングの彼は洞内から脱出してるぞ?早ええ。
「気が向いたらまた来るぜ」



またな!!。このぐらいの荒れ具合で丁度いいと思う参道




帰り道を戻る。


横に長い風景になる。

 振り返って岩塊に別れを思い、地上へ向かう往路となる。
 地上へ出ても遺構があるごとに振り返って撮影する2人は一向にペースが上がらない(爆!しかも自爆。
 トレッキングの彼に追い付いたのは鳥川橋手前の改修ヘアピンのアプローチだった。例の土取り場で保存会のダンプがガッツリ土砂を積んで山奥に向かう所をすれ違う。
 
全く頭が上がらないねぇ、大滝根村に足を向けて寝られないよ。 でももうこれ以上整備しなくていいよ、保存会の皆さん。


 007-新沢橋渡レ。 7

 二つ小屋隧道でトレッキングの彼と別れをつげ、大幅に時間の空いた穴を埋めるべく、我々はスキー場跡の三叉路を直進しそのまま昭和改修の七曲ヘアピン群と新沢橋を見に行く事とした。



分岐点まで戻る。
暫く通行止だったが今回はバリケードが撤去されている。



「前回のバリケード」
通行止の理由や道の解説が掲示してあった。(Photo/2016)


保存会謹製の万世大路の概要案内。
(Photo/2016)


「この先300m地点の沢部暗橋が陥没(崩落)しており自動車の通行は出来ません」
イヤイヤ、直ぐここで泥でスタックするから。
(Photo/2016)

 
 あづさ2号は最
強廃隧道に思い入れが強過ぎるせいか?ここから旧道を下った事が無いという。
 コロナ禍の間に、
新沢橋にかなり早い段階から穴があり、当時の道路管理者が「転落防止の為に板を打ちつけた」という出典不明の怪情報と実際の写真が添付された話が回って来ていた。
 
MRも4〜5回橋を渡っているが自分の写真と照らし合わせ、あの松が立っていた所が穴らしいと思われ、実際に松が枯れて根本から倒壊した際に穴が露出したらしい。
「見に行きましょう」
二つ返事で説得不要なあづさ2号を引きつれ、バリケードの無くなった旧道を降り始める。
 そういや、バリケードにまたオサ沢の暗渠が流されて改修中云々と書いてあった筈だが、直したな?保存会め。
 まあ、もっと大きな問題が有ったせいなのだが、その話はまた後で。



「ところがぎっちょん」
ダンプや重機を通す為に砂利が撒かれて、泥濘なんか何所にも無い。




紅葉もたけなわ?
ヨコに長い道路風景は極彩色で彩られる。



 そんな訳で降り始めた旧道に、かつてこーはくさんが呆れまくった
泥濘は殆ど無く、成る程路肩に水路がさり気なくなのか埋まってしまったのか?がありダンプを通す為に整備を受けた事が判る。
 案の定にオサ沢の暗渠は復活しており、ドラックなどが通過したタイヤ痕がまだ残っていた。
 本来ならここも一種のヘアピンに改修されていた筈だが、初期の暗橋の状態に写真などの資料も無く、当時どのような形状だったのかは不明なのだ。
 ボトルネックのオサ沢を過ぎると、
いよいよ七曲坂区間に入る。
 標準幅員6m、ヘアピン部最大7〜8mと言われる巨大なプランターはまだ晩秋の紅葉が散在して美しい。
 切り通しのヘアピンは流石に路盤が一部洗掘が深く軽トラででもハマればスタックという状況だが崖側のヘアピンは眼下に国道13号線を垣間見る紅葉の山麓を眺める事ができる。
 洗掘こそ深いが倒木の類は殆ど無いのはやはり保存会が撤去してるからだろうか?
秋や春先は決まって国有林主催の「倒木越え祭り」が随時開催される筈だが全く無い。



崩落した暗橋区間。
1mくらいの堀の様な感じだが、いわゆる荒れ沢で現役当時からよく流されたらしい。
(Photo/2016)


「治ってる」2022は更に川上側に広くなっていたが大体こんな感じ。
この暗橋も道幅4〜6mはあった筈だが、当時の写真などは無い。
(Photo/2016)



「紅葉が素晴らしい」いいね、戦前の道も。


明治期のヘアピンはもっと小さくて
多かった筈。
実際、ヘアピンのインの更に内側に道があるのだ。

 晩秋の萬世大路を堪能する最後のヘアピンを回ると、いよいよ目前に国道13号線を間近に眺める。
 
東北縦貫道新栗子トンネルが開通して以来、国道13号線の交通量は十分の一程度にまで減って、オイタするには環境が整って来ている。
 
13号と並行しながら降りて行くとあの記念碑に出迎えられた。



「これが七曲坂」文献によれば線形を大きく変えた為、
現在のルートは明治ルートに上書きというか、ほぼ被って造られている。





「誰か走ってるのか?」
流石に6mではないが慶虎幅に道が開けてる?
気がする。

008-旧道は穴だらけ。 8

 この碑は警察官の殉職碑で、かつて二つ小屋隧道近くには交番があり、ある冬に脱走した囚人を捜索した警官が発見した囚人ごと凍死する痛ましい事件があり、その慰霊碑として建植されたが戦後その交番も廃止され、殉職碑はこの地に移設されたのだ。
 慰霊碑に手を合わせ行き先を見ると、
ここからも萬世大路昭和改修最大の遺構である新沢橋がよく見える。



「福島市を前方に見る」ガードレールとか無い。
昭和40年まで現役だから在る筈なんだが、意図的に撤去したのか?。



「正面は西栗子トンネル方向」
道は一旦写真右に振って左にターン、左下に道が見える。


三度福島方面。標高が確実に下がっている。
併せて紅葉の残存率が上がって来て、綺麗だ。


 さて、豪雨で谷に崩落したと聞いた慰霊碑前の参道だが、振り返って見ると新たに軽トラ幅の道が出来上がっているではないか?
 元々参拝用に作られた山道程度の小径が崩れた訳だが、流石は保存会の皆様、やってくれるがまだ工事途中なのか?ものすごいのっぺりした急坂なんだが。
 さて、改めて新沢橋に例の案件を見に行こう
つーかもうあづさ2号は先行してるし。
 その新沢橋、目前の旧道に係るのは
3代目、昭和11年竣工のメラン式RC開腹アーチ構造の橋で、栗子隧道・二つ小屋隧道に続く第三の巨大遺構である。まあ大きさだけなら今通ってきた七曲坂のヘアピンの方が巨大なのだが、やはり隧道や橋は別格だ。
 
新沢の上流に向かって大正2代目、明治の初代旧橋跡と遡る。



ヘアピン最終コーナーを通過!
この時期薮が引けると、眼下に現行の国道13号線が見え始める。



 因みに明治は木橋で、橋長20mとあるので中間は木製橋脚と思われ、現在は石積みの鏡台だけで既に橋は流出しているとの事。これは上の抗甲橋、大平橋、鳥川橋も同様で明治の木橋は水面から2m程度の高さしかなく、よく鉄砲水などで流されたと言う。
あまりに流される為、大正末期に下流に新たに換線を受けて架けられたのが二代目だが、こちらは2スパンの木橋となり現在も中間のコンクリート橋脚が現存している。恐らく20年も使われていない大正橋はハイブリット?橋だったのだ。
 そしてこの3代目は大幅に下流に降りて、橋長42m、幅員6mの車道橋として作られていて、当時最大級の現場打ちコンクリート橋であろう。
 
昭和11年の竣工以来、昭和40年の共用終了までの29年間(割と短い)、欄干を除く橋本体は殆ど改修されないままであったと推測される。



「新沢橋に到達」道の左にあるのが「殉職慰霊碑」。
(Photo/2016)




殉職慰霊碑。
かつて二ツ小屋には交番が在り真冬に囚人を探して遭難した警官の慰霊碑。(Photo/2016)

 因みに欄干は高覧部分が鉄製であった為、戦時下に供出されたらしい(未確認)現在の欄干は戦後交換された当時市販のガードレールだ。
 
親柱の前に立つと大分御影石の外郭が崩れ、コンクリートの芯が剥ぎ出されている。
 この親柱は竣工当時のままとされているが写真資料が無く本当かどうか確認できない。
そして4本とも銘板は外されている。写真を撮ってバイクで前進すると、確かに穴は存在した。



「写真撮り忘れてる」多分造ったばかりの新しい道が造られていた。
(Photo/2016)


「いやいや、いくら何でもマズイでしょう」
本当に何も無くなっていた!


「なんだこれ!?」直線の先に巨大な穴が現れる。


「ちょっと大きくね?!」鉄筋の網が荒いしそれ自体細い。
つーか木が!桟木も入ってるぞ!


松は勿論、一緒にあった雑草とかコロニー?丸ごとすっかり無くなっている。
 せめて転落防止のガードとか無くちゃ、ホントに転落者が出るぞ!
 
そのアビスは直系1m近くもあり人は勿論、モンキーみたいな小型バイクも転落するな?。綺麗に片付けられすぎて保存会の匂いがするぞ。
「これは凄いな」「思ったより床の厚さが薄いぞ」
「鉄筋目が荒くね?」大のオジサンが2人しゃがんで橋に開いた穴を見る様はなかなかにシュールだろう。本当に下の新沢の流れが鮮烈に見えるよ、いや感動するね、これは。



高欄(手摺)は戦後当時のガードレール仕様。
戦後と言っても昭和20年後半から30年前半の角形支柱タイプだ。


素晴らしい紅葉 橋には欄干があるが、それ以外の道路にはガードレール等の転落防止施設は無い。


 
 
落ちた時期や原因は判らない、施工不良とも言えるがノーメンテなら経年劣化が正しいだろう。旧道化したとは言え道路維持出張所が巡回してるのも怪我人無く塞がれた事が物語ってるし、昭和47年の栗子隧道の閉塞を確認したのも出張所だ。
でも伝え聞く
厚手の板をコンクリート釘で打って止めたのだとすれば、応急措
                   置にしても酷過ぎる
(笑


これがかつての参道。
2019年以降の台風などで崩落したとされ、
現在は無い。
(Photo/2016)

 まあ、この先福島側は旧道が新道に吸収されてしまうので、車が通航する事は無いだろうし、新道から土手を登って旧道を歩くハイカーだけ気を付ければ良いので塞がってれば何でも良かったのかも知れないが、やっぱ雑な対応だよね。

009-物語は
  エンドロールへ。
9

 
渡った先の親柱も上部はほぼ瓦解していた。
 
前回来たのは震災後だから2016年辺り(廃道日記39、旧橋日記4)だと思うがここまで壊れてなかった筈だ。
 ちな、橋の袂は実は三叉路で右折が旧13号、80センチ程の段差を登ると旧道敷でこれが旧道本来の高さである。取り敢えずバイクで登って明治道路も眺めて置く。


旧道の下の現道にある電光表示板及び
気候観測所を見下ろす。

 この橋は昭和改修の福島側の起点であり、先述した七曲坂を含む栗子隧道までの約13Kmが基本幅員標準6mの転圧砂利舗装(いや舗装じゃねえし)仕様で作られている。例えば先ほどのオサ沢の暗渠も実は手前こそ少し崩れてしまったが沢の奥に向かってかつての道路敷であり上流側に向かって約7m程の道幅があった筈なのだ。上流側の暗渠は既に流されMRは見た事もない。
 保存会がオサ沢の暗渠を直したのは二つ小屋にある重機やダンプを使ってこの新沢橋の袂にある慰霊碑の参道を新たに造作する為だろう。



現道に復帰する!堪能しました、晩秋の古道。


 何故ならば使われてるトラックなどには全てナンバーが付いてないので公道走行が不可なのだ。
 そろそろお昼だ、脱出しようぜ。と慰霊碑前の小径?にバイクを進める。うーむ、やっぱ急だな?前の道より。
「ここ、降るんですか?」おうよ、重心を後ろに下げてゆっくり降るんだ、不用意にフロントブレーキかけるとバク転するから気をつけて、と答えて先に突っ込む。
 
登りでバク転するより遥かに気楽な滑り台だ。出足で少しフロントが浮くが難なく着地、現国道13号の待避スペースに降りたつ。すぐさま振り返ってあづさを撮影しようとバイクを降りるが既に降っていてシャッターチャンスを逃す。
 この退避場は長年国道維持出張所の資材置き場としてガードレールで完全封印されていたが昨年辺りに一部が開封され、同所の小型車が出入りしているのは確認済みである。勿論チェーン封鎖なども見られない、というか草ボーボーで通れるようにはまるで見えない。
 とは言え車が出入りしていた道は藪も低く、スタンディングで車道まで出て対向側のチェーン脱着所に到達、これで午前中の予定を全て消化した。
「いやぁ楽しかったですよ、道案内ありがとうございます」と改めて礼を言われても困るが、君がまだ見なかった萬世大路を喜んでくれたのなら幸いだよ。




終 劇 。
前の廃道日記へ。
No-049「晩秋のしどき越え」