廃道日記(Riding・Report)



朝日に照らされる紅葉警戒標識




廃道日記 49 旧国道289号線「紅葉のしどき越え」


それは
「廃道の宝箱」

予告なく始まる開演のベル、
間違う事なき国道仕様の標識。
余す事無く紅葉が彩られ、
濃縮された道の生い立ち、
その片鱗が鏤められる。

探索者の知識と経験が、
閃きと共に推論を導きだす。

ああ、
今日も愉しき旧国道へ。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走った
ルートの覚え書きです。
走行距離は主に
バイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。
また、
掲載される内容は大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
当方は保証致しません。



 プロローグ。 1

 ダムに到着したのは。間も無く深夜0時になる所であった。
 ダムサイドに向かう小さなトンネルは、夕方6時に閉鎖されていて、取り敢えず地図に沿ってその先にあるダム公園に向かう。明日は土曜でダムカード取得は出来る筈だがそんな時間に戻れるかは不明だ。
 公園の入口は丁度
国道284号線四時トンネルの左側を緩やかに登る側道で、登っていくとダムを一望すると思われる高台に出た。
 勿論、ダム公園側は閉鎖されていたが十分な道幅もあり、
ここで一夜を明かしたりしても支障は無いだろうと判断した。
 道自体はダム建設時の工事道路と思われる6m道路で、公園の先は管理道路の様で簡単な閉鎖がされていたが歩行者は問題なく歩ける道の様だ。



「これがQR289だというのか」


「何だあれは!?!」

暗いし、高台のせいか割と強風が吹いて時折車が揺れる。風向きに駐車位置を直し、後は朝になってからでいいや、とそのまま寝てしまった。

 例によってKLX125をエヴリィで持ち込み、この日はこの川部町のしどきダムに車をデポし、仏具山から目兼林道周辺を走る予定だった。

 目覚めると朝日に光る紅葉が美しい。もう終盤の筈だが今日一日くらいはMRの眼を楽しませてくれそうだ。
 朝食を用意しながらバイクを下ろし、食べながら地図を見てルートを考える。



「なんだこれは?!」↑棚倉、ダム専用道路
一般車両通行禁止?ペンキの赤が飛んで下の白文字が出て来た?



「あれ?」この道「これ繋がってねえか?ええ?マジで?」 ダム湖畔になる山から登る朝日を拝みつつコーヒーを呑んで装備に着替える。7時にダム管理棟ゲートが開くのを待ってバイクで出かけてトイレを済まし、再び公園に戻ると装備の最終チェックと車の施錠をして出発。
 まさか!予定外の廃道探査、事前調査なしが始まった。



一般車通行止め、確かに危ない。
「人、これを廃道の宝箱という」

 廃道の宝箱 2

 6m幅から突然3mに継ぎ変わる舗装路。深夜に見るとオカルトがかっていたが朝は紅葉に溢れ、なかなかに眩しい。いわゆるコの字型のガードとさらに通行禁止の看板に合わせたゲートとバーによる封鎖が追加されている。




「左側、管理道路が見えません!!」
いやいや、薮とかそういう問題じゃ無いんだよな、コレ。


道が無え。良く見ると管理道路の残骸が見える。


明るい日の出に背を向け西に向かう。
明るいマイナー何て無いのだ。


道が少し広くなる。
なのにその分薮が広がる。

ヘアピン部分がそっくり
崩落してい
るぞ。


 だが、どうやら好き者の為に脇を開けてくれていそうだ。
「失礼しまーす」
と一声かけてトツゲキする。
 いやいや舗装路なんで微塵の疑いもなくスルスルと入って行く。
 いや、スゲー綺麗。
神様がいるのなら礼ぐらい言ってもいいくらい綺麗だ。
 晩秋のしどきで紅葉見物ができるとは!進んでゆくといきなり道の核心に迫る標識が忽然と姿を現す。
「何だ?あの青いの?」



朝日に照らされる紅葉と警戒標識。


「夜明けの四時ダム」いい朝、いい紅葉だ。


「巨大なコンクリート壁」ダム施設がある。


「交互通行待避所?」にしては無用に広くね?。


「ぐはっ」むちゃくちゃ綺麗じゃないですか!奥さん。


この辺は5m程で道幅が広い。
ちょっと雑草とか倒木とかあるけど。

 パイプ径200ミリはある主柱は国道仕様か?左方向は“棚倉町”の表示がある大型の青看板である。
しかし
右方向は“ダム管理道路・一般車通行禁止”と、おそらく当時は赤く書かれていたようだが?
 そして
警戒標識”徐行”いやこの道幅で飛ばす奴なんかいねえよ。
 どちらの道も同じような幅で、同じ程度に荒れている。

さて、どちらに行こう?
 やまやまGPSを見ながら少なくとも棚倉方面に出てもしどきトンネルの横に出る事はなさげだ。
 やはりダム管理道路とやらをダム沿いに遡って行ったほうが良かろう、侵入禁止だけどな(笑。
 自ずと、どちらが国道394号の旧線なのか自ずと判るだろう。



「ひでぶっ!」紅葉最盛期ですよ、奥さん。




警戒標識二連掛け。道幅が揺らぐQ国道。

 簡易ゲートの隙間を潜って左へ、道は全線舗装のままで道幅も同じだ。暫く進むと湖に降りる分岐路が見えて来るが、これも地震のせいなのか?道はズタズタに引き裂かれ、一部は路盤が湖に崩落していた。
 湖岸に宙吊りとなったガードレールが淋しい。

 分岐された本線?側の路肩もコンクリート擁壁が欠損しアスファルト路面が波打って沈下しているが、陥没までには至らない。



 
もはや屋外紅葉展示場。法面の旧い感じもいい。


また警告標識だ。歩道化してるのに
標識が回収されないのは素晴らしい。


 そして時代はまちまちながらダム側にはずっとガードレールが付いて来ている。
 取り敢えず本線にKLXを進めると時折乾いた反響音、一部舗装の下の砂や砂利が抜けているようだ。
 半島の根元をぐるりと回る形で分岐路を過ぎると、今度は紅葉のターンだ。太平洋の朝日に照らされた燃えるような木々が待ち受けていた。

 標識の殿堂? 3

「おぉ、綺麗だ」
 
11月頭に七ヶ岳を走り晩秋感を味わってきたのにその月末でまた味わうとはな。(笑
 あっちじゃもう初雪も過ぎたと言うのに。そう思いつつシャッターを切る。鏡のように照り返された朝日が周りの紅葉をより引き立たせる良光を散乱させている。



「たわばっ」朽ちかけた警戒標識と紅葉、た、タマラン。


「福島県」素晴らしい。

 ダムの源流領域に達するとそこに巨大なコンクリート壁があった。工事時代の索道のアンカーだろうか?かなりデカい、横5m高さ3mくらいか?ハンガー(ワイヤーなどを取り付けるフック)が無いので別な施設跡かも知れない。
 急に川が細く迫り上がってきて道はたちまち沢沿いの舗装林道の出立となる。沢になると視界は狭まり今度は鬱蒼とした森の中に舞台を変える、道は緩やかな登りだ、
「なんだこりゃ」
 
いや勿論不法投棄なんだが、小さなジャングルジムが捨ててあった。
 対象年齢3歳程度の屋内で組み立てる奴だ。





「警戒標識だらけだな、この道」
もう法面のコンクリートが限界っぽいよ、マジで。


「ん?なんだこりゃ」


まるで露天売り(笑。


「202」キロポスト。
起点の新潟から202Kmなのだろう。

俺がガキの頃にも居たな、これ持ってる奴。だが並べ方が素敵だ、まるで売物のようにガードレールに飾ってあるのだ。
 そして少し広いここも待避所。ここまで3〜4ヶ所あった。
 割と川に沿って真っ直ぐ進んでいたこの道もいよいよ変化を見せ、道は杉林の造林区間に突入する。と、始めて表れたコンクリート吹き付けの法面に落石防止ネットというやっと国道らしい設備と共に見慣れた黄色い三角柱が表れる。
「キロポストだ!!」
 
国道の起点からの距離を“202”と示すこのアイテムの出現は、この狭い道が確実に国道のであった証拠だ。青看板以来の疑問が一つ解消した。
 そして暫く暗い杉林の道を
倒木を避けつつ少し蛇行しながら進むと、最後に唐突に広場?に躍り出る。
 見た目には東西から来た道がここで不用意に合流した感じだ。
 
そして、ここまでほぼ登りのままである。

 
今までの待避所とは明らかに違う広場の奥にその理由があった、ここは水源なのだ。道路から7m程山奥に登る階段の上にでフェンスに囲まれた井戸と一体となった小さなポンプ室があった。
 
道路に明るさが帰ってきた。やまやまGPSを見ると現四時トンネルの出口上の辺りで地名も小室となる。
 しかし山一つ越えて、こちら側は既に紅葉も散って初冬の雰囲気だ。



「間違い無くかつての国道」
絶え間なく改良や換線を受けているので、キロポスト設置時の距離だろうな。


暗い杉林をウネウネと抜けて行く。
「待避所アリ」表示は林道レベル。



おおう!車ならアウチだな。

 宝箱の正体は?。 4

 ここまでの感想を言えば、
「ここは国道に昇格前の旧県道跡で、跡で国道昇格した旧道ではないか?」という予想だ。

 後日調べてみると、
田中角栄の鶴の一声で国道289号線となったのが昭和45年。
 しどきダム建設に伴うの国道付け替え工事として
四時トンネル起工が昭和62年に始まり、接続する橋梁と共に5年後の平成4年に開通している。

と、言うことは
「この5年間だけ国道289号線の迂回路として、この管理道路が使われた」のでは無いだろうか?
 さて、後日談はともかくKLXは再び西進を再会すると、その先のお墓のある三叉路で道がスゴい事になっていた。



唐突に広い!しどき越え終了か?!。
写真左のフェンスは共同井戸と水源ポンプ室。


おう!ここも車ならアウチだな。KLX125は何ごとなく通過。


写真には写さなかったが、斜面はお墓が
数十基建っている。
お墓前広場


 今来た道は当然ダム高さに併せて作られているが、本来の国道289号線はもっと標高の下に通っている。
 この三叉路からあり得ない急ヘアピンで下の旧道に接続する緊急迂回路的接続道があったのだが、
「あったのだが・・・無くなってる」道も途中から、跡形も無かった。
 道路上には進入を防ぐH鋼架台付きのガードレールが置いてあったがスカスカに入れる。そして道路には、これが行政が書いたのか?と思えるようなビニール袋入りの紙書きに、
「被災道路に付き通行止め」とか書いてある*写真を失念




「まるで電飾サインのようだ」 刻々と変わる光と影の共演。
しかしその向かい側には・・・。


「完全道路封鎖」 バイパスに出る道は川と共に流出、跡形も無い。


そろそろ間伐が必要かな?
タテに長い道路風景。


「お墓?」国道上にお墓が在る。


「故海軍機関二等兵日野冨蔵碑」
忠魂碑扱いだと帝国在郷軍人会から援助金が
出たのだろうか?



「201キロポスト」
これで起点新潟は間違いなさそうだ。

 極めて簡易なロードコーンで崖手前で通行封鎖と言う驚くべき実情だった。
 
なぜこんな?多分被災は近年の事なのだろう。近年はこれで十分な程に交通量が無いのだ。
 もっとはっきり言えば、周辺部落の年3回の墓参りと年1回程度の井戸管理ぐらいしか人通りが無いのである。
 来訪時はトンネルの竣工時を見てなかったので判らなかったが、30年近く前に国道として使われなくなった道である。
だが待てよ、新造の橋梁があるので、トンネルとともに工事期間は使われてない可能性が高い。
 そう思って左に降りず、そのまま旧道を直進する。
 そして少し降った所から始まる竹林の区間は
ついに川が氾濫し道路上が濁流に埋まった状況となる。
 その被りは15センチ程度で、既に普通ダンプなどが走ったダブルトラックになっていた。



「キロポストそこかよ」
国道敷地に食い込んでお墓が在る。
公図はどうなってるんだろう?


 ここを直進すると再び森の中、今度は雑木林だが。足下の舗装路の上に土が堆積している?川の氾濫?山からの流水?と、唐突に墓が表れる。
え?「国道にお墓だと」まあ正確には国道に隣接する敷地約一坪程の空き地に堂々と墓石が据えられているのだ。
 
あまりの近接さ故にお参りは国道上で行われるがな(笑
「あり得ない」ただただ絶句としか言い様が無い。
しかも「キロポストも併設」いやいやキロポストの位置からすればお墓は国道に突出してるな?80センチぐらい。
 多分、街道筋に建てる記念碑扱いで個人が建てた墓だと思われる。
 県道や国道指定は後からなので誰も公図を替えられないのかも。



お墓併設の狭い国道を抜けると三叉路に出た。
豪華神社付きだよ。道路に水没の跡が生々しい。


はたして旧道の向かう先は?


 土手側の山はこの家系の持山かもしれない。いずれにしても昭和末期まで国道上に墓が在るのだ、公道上に墓があるのは林鉄跡の林道以外では初めてかもだ。
 この区間、氾濫被害ながら
今もどこからともなく水が流れ込んで、最後は泥がヌメる。ラスト何故か竹林を越えると三度道が広がる。

 認定継ぎはぎ国道。 5

三叉路が現れる。
 これは地図にある真っ直ぐ新道に出る橋があるルートで地図にも記載がある。この道も当時国道として使われた可能性がないでもないが橋を渡った対岸のバイパスが何時共用開始になったかに因るだろう。あくまで仮の迂回路の筈だ。
 振り返ると少々小振りながら驚くべき奇跡の、 かつこの道を象徴するアイテムが登場した。