廃道日記(Riding・Report)
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昭和7年9月竣工 この橋も御年91歳。 |
廃道日記 48 万世大路2021「春の米沢抗口」
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コロナ渦、再三の地震。 人の行く末を憂れう今。 万世大路にゆく。 この遺構には、 人間の熱き情熱と努力、 何かを成し得る為の 一つの方法論がある。 |
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ご使用上の注意! このデータは、 あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。 走行距離は主にバイクで測定し、 旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。 また、掲載される内容は大変危険です。 当サイト掲載内容によるいかなる被害も、 当方は保証致しません。 |
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採石場までの道が舗装化されている!。 ここ数年の間か?真新しい舗装路が続く。 「万世大路はこちら」 |
現在の萬世大路は、私らが到達した時とは大きく環境が変わっている。 |
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Photo:2007 砂塵巻き上げて。 |
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「萬世大路入山記帳所」砕石事務所がそのまま記帳所。 なんだろう?案内毎に字面が違うぞ?(個人的には萬世→明治/万世→昭和戦前) |
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採石場最下段を反復運動するホイルローダーを躱して前進。 すると上の段は砕石の加工選別の 工場群がある。 振り返ると懐かしい橋が見える。 あれが旧道の入口だ。 |
「“この先廃道”表記が消えてる!」 |
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「橋のお名前が見えません!!」 いやいや、観光地じゃねえんだから。何だよこの情報量。 |
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昭和7年9月竣工。 まだ銘板が残ってるなんてね。 「瀧岩上橋」いい味だ。 |
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Photo:2007 当時は送水パイプが仕付けてあった。 |
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「初夏に行くのは初めてだな」標高551mの橋が本当の出発点だ。 |
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万世大路「滝の沢」奥の二本杉の所に 石碑も見える。11年前は完全に薮だったが、 これが明治道なのか? こっちは昭和9年のバイパスと成る。 ここからもう水が流れ落ちる音が凄い。 |
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すぐ先に、万世大路「明治ノ泉」の表柱。 天皇が飲んだ水なんだろうが、今は無い。 |
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おおっ、ヘアピンが駐車場の様では無いか。 |
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上の滝から採石場で使われる水を汲んでいるのだ。 その水しぶきが虹となって夏の装いを見せる。 |
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令和3年6月、これがチェーン封鎖である。 そしてこれがその立て札。 |
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「オノエヤナギ」最初の1Km程に花や樹木の名前 が明記された札が何本も路肩に立っている。 すっかり広く整えられた古道に、 明治の呼び名が札が建つ。 |
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七曲り、一のむすり!!! え?驚きの広さだ。 んん? 見た事ある風景に道標。 |
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「これより栗子陏道まで3.5Km」 標高600m。俺が知ってる万世じゃねぇ。 「七曲がり 二のむすり」 周りは綺麗に草刈りされて。 |
Photo:2007 当時からこの辺はマシな方。 |
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やおら広い!七曲り、二のむすり!!!。 昭和9年の改修工事の際には標準幅6m、ヘアピン部は大型車の離合を考慮して、 8〜9mに広げてある。それを再現してあるのか。 福島側と同様の全長500m大スパンの6m道路が一閃する! これが「長坂」 |
案内標柱が在る。「長坂」 |
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七曲り、三のむすり!!!。 |
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「七曲がりの呼吸、三のむすり!」 (番組間違えてるぞ>俺) |
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この水路(写真右奥にほぼ水平にある)が、先程下で見た 工場の水を賄っているのだ。 |
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栗子随道まであと3.0Km 水路の横にコーナー名。 |
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↑この札に書いてある七曲り、五のむすり!!!。 |
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おお、休み石が誂えてある。 何と風流な(笑 |
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七曲り、六のむすり!!!。 (外側に排水用の側溝がユンボによって掘り込まれている) |
栗子随道まであと2.5Km |
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「七曲り、七のむすり!」の立て札を失念!!!。 そしてこのヘアピンの撮影地点には……。 |
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栗子森歩道!!!、凄い虫食い。 コレは多分、保安林表示板!!!。 |
Photo:2007 14年前は新品だった様だが。 |
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大ヘアピンゾーン「むすり」が終わって S字コーナー群へ。 実は前の写真から点定撮影!恐ろしく広いダートがウネウネと横たわる。 おお、これが本来の暗橋の道幅!!!。 前回この道幅の五分の一しか無かったぞ!つーか最初橋だと判らなかったよ。 |
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それにしても 余りいいコンクリートには見えないな! |
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No-047「氷柱を見に行く」 |