廃道日記(Riding・Report)


令和3年2月 数年来の大雪…と地震。



廃道日記 47 真冬の万世大路「二ツ小屋の氷柱を観る」2

コロナ渦、再三の地震。
人の行く末を憂れう今。


万世大路にゆく。

この遺構には、
人間の熱き情熱と努力、
何かを成し得る為の
一つの方法論がある。


それにもまして
大自然の摂理が、何かを語る。





ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走った
ルートの覚え書きです。
走行距離は主に
バイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。
また、
掲載される内容は大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
当方は保証致しません。



 「キター!二ッ小屋隧道
福島側抗口!」
元気してたかい?キミ。

 二ッ小屋隧道到着!50分程で登って来た。先程のご夫婦は30分程で来たと言う。
 最後に抜かれたスノーシューの兄さんにはご夫婦も抜かれた様なので彼は30分切ってる訳か?早い速い。
 次は俺もアルミカンジキ買おう。時間もだが何よりラクそうだ。
 皆さん、荷物は入口に置いて入洞してる様だな。これから帰る方々と挨拶を交わし、MRもリュックを下ろしてカメラと一脚、i Padを持って洞内に入った。



「去年とまるで違う!!」
イヤイヤ、去年が違い過ぎただけじゃ?これが通例。


「何本も建ってる」
つーか、流石に漏水個所だらけだよ、三島閣下。
特に巻立ての所がな。



「足下まで凍結してる」スパイクで良かった。
薄ぅーく水が滴っていて、よく滑るんだなこれが!。



福島抗口へ振り返って撮影。「綺麗だ!!」


 氷の世界 4


驚いた事に洞内は割と明るい。
 この隧道は都合3回壁の厚さが変わる。昭和9年に現在の形になって以来、天井や壁の補修でコンクリート巻き建てを厚くしてるのだ。当然弱いから補強してるので、
つまりそれはそこが漏水箇所であり氷柱の建つ?部分だ。
 またその巻建ての廻りからの漏水も数多い。水が流れると言う事は岩盤と天井コンクリートの隙間がどんどん広くなり、更に水が溜まり、地震やコンクリートの老朽化で出来た隙間から水が飛び出る。
 
冬に氷点下20℃まで下がるであろう洞内で天井からの氷柱が成長して、柱の様に、またカーテンの様に成長して、やがて道床に出来た氷筍と合体して完成する。
 地形的にも米沢からの谷風が洞内に吹き込み米沢側抗口に壁の様に堆積してこれが洞内の気温を一定に下げたまま補完されるのだろう。

 一つひとつが実に不思議な形で氷結していて
全く見飽きる事がない。



「転生したらスライム状の
氷だった件について」



「凄いな」あまりの美しさ荘厳さに、撮影を忘れて見入ってしまう。


「地震で倒壊したのか?」
今年は氷そのものがめちゃ太いんですけど。



令和2年1月(昨年)はバイクで来れて柱は一本もなかった。




「巻き立ての薄い所で崩れている」
2個所ほどあるが、ちゃんとロードコーンで仕切られていた。


珍しいなタイタン4tダンプ、
普通保存会所有車の車庫になってる。


ここも倒壊している。
地震ではなく、少し前に倒れた様だ。



米沢側の巻立ては割と健在。

ダンプから米沢抗口を見る。


 福島抗口から一番近いアイスピラーまで50mは奥だが、中はやっぱりマジ寒い、でもそれすら忘れてシャッターを切るのが楽しくて仕方ない。
 昨日の地震で氷柱
は2本ほど倒壊してジェンガ状態だった。
 俺の頭よりデカい氷がゴロンと無造作に落ちている。
「もっと小さいカケラを持ち帰ってオンザロックで日本酒もいいなあ」
とか思ったが、昭和の拡幅工事中に冬は現場も豪雪で隔離され、食糧難になった作業員が隧道内で巨大ナメクジを取って焼いて食べた逸話を思い出し、やめた(爆!

 中央を過ぎ、米沢抗口に向かって歩いて行く。
 保存会が壁面の崩壊した所にあった瓦礫を撤去して、ロードコーンで仕切られている。
「流石元道路管理者、安全への気配りが行き届いている」
 そのうち壊れた壁も直してしまうんじゃないだろうか?この人達。

 途中、先日の地震で折れたのか?倒壊した柱かつららが散乱している。足で蹴ると動くのを見て、去年のバイクで来た時は暖冬で一本も柱が無かった事を思い出した。
 米沢側抗口近くの滝は健在で、勿論凍り付いていたが、まだ水が僅かに流れていた。
 足元はスケートリンクだ。ここにも青い2tトラックが避難していた。もはや車庫と言うべきか。



「吹き込みがハンパねぇ」特に今年は凄いな。


「二ッ小屋大滝(仮称)も凍結」
この状態でも水が流れております。


な、長靴だけで来てる老夫婦?」
なんだか色々凄すぎ、記念撮影してるが積雪も凄い。


「見に来る度に広がる穴」真冬はこうなるのか?
ドローンで上から見てみたい蟻地獄だな。



 米沢抗口。 5


 目前には高さ3m近い雪の壁が立ち塞がる。
 
向かって右側は雪庇となって抗口に掛かりそうだ。よく見ると1m程の所に段差があり、雪を巻く様に登る足跡が続いている。
 この時期でも
栗子山山頂を経てて栗子隧道を越える参拝者?がいる様なので、足跡は山形まで続いているのだろう。

 ここで何と長靴で来てる老夫婦が記念写真を撮っていたのは驚いた。70歳ぐらいのご夫婦でほぼ毎年見に来ているという強者だ。2人の撮影を縫う様にあちこち歩き、危険な雪庇に怯えながらも米沢側抗口をフレームに収める。




ちかい。銘板までやおら近いぞ。


 やはり、今年は雪が多い。


 吹込みも多く、埋もれる感がある米沢抗口。



令和2年1月(昨年)これが同じ真冬の栗子か?
というくらい雪が無い。




「そしてこの雪屁」翼壁にへばり付く厚さは1m以上か。



令和2年1月(昨年)、流石にバイクはここで打止め(笑。


「再び福島抗口へ」ゆっくりとこのひとときを味わう。



角度によって太陽光の反射が凄い。


何となく在庫が仙台辛味噌だったりする。
旨い。

 ひとしきり写真を撮るとまた懲りずに帰りも氷柱を撮って荷物まで戻って来るのだった。
「さて飯食って帰るか」
 リュックからガスとコンロを取り出し、ペットボトルの水をあたためる。
 先程の老夫婦が戻ってきて、あちらも立ったままオニギリを食べながらポットから熱いお湯を注いでカップ麺を作っている。何とも忙しいランチだ。
 沸いたお湯をカップ麺に注ぎヌードルタイマーを入れ、待ってる間にノンアルで一服。ウマいな、お外の麦酒味は。リュックからお箸、
を?
「しまった、箸が無え」
「箸、あるよ」つい出てしまった声に先ほどの老夫婦の旦那さんが返事を返す。
「え?」
「箸ならいっぱいあるよ」奥さんがリュックから箸を差し出した。
 ここはお礼を言って有り難く頂く事とする。
 
お湯を注いで一杯の至福を味わう。コンロ重くても持ってきて良かった、最高です。




保存会の補修記録が洞内に置いてあった。気合い入ってる。


まあ50年から放置プレイだったんだからがっつり溜まるわな。


洞内の土砂撤去はマジ助かりました。
その後も崩れ続けてるけど。


翼壁の側溝泥上げ。地味だけど超重要だよねぇ。

 保存会。 6

あっという間に平らげて、残りのノンアルを味わいつつ抗口に保存会が置いた写真パネルを見つけた。
 
それは、ここ4〜5年の萬世大路保存会の活動記録を写真パネルにして何だか無造作に置いてあるのだ。
その保存会の写真を見ると、なんだ
これ完全に自費道路補修工事の記録ではないか?つーか めちゃくちゃ補修してるんだけど。
 鳥川橋の先にあったヘアピンコーナーの作り替えは知ってたけど、土地は誰かの物なんだからこんなにして大丈夫なのかと心配してしまう程に元気に活動しているのだ。



ここ、鳥川橋の先、例のヘアピン?。


木杭と板で土留めを組んで土を入れたか。
ユンボで掘削と土入れできると大分楽だな。


でも斜面の杭打は大変だわ。タイタンダンプ無双!


お疲れ様です。さすがの手際に感心します。


「旧道って今でも国有林の中に作られた国交省の管理地だよなあ」基本的には何十年単位で国から土地を借用または売却して貰って?るので使い終われば返却やさらに民間に売却とかするのだろうが、今はどうなってるのだろう?ノンアルが空になる時間だけ少し考えてみる。

 気が付くと箸を頂いた老夫婦がパッキングを済ませ下山するのにこちらに会釈した所だ、こちらも微笑みながら頭を下げ
「ありがとうございました」と世辞をいって見送る。
さて、MRも荷物をまとめて、下山しよう。




また来るよ、二ツ小屋。


 恐怖!帰り道。 7


 登山しない人間が言うのも何だが、よく下りは登り以上に体力を奪うという話を聞く。人もバイクも下りと言う勢いが付くと中々止まれないものだ。
 
しかしこの復路はそんな生易しいものではなかった。
「うわっ」
また崩れた。
 
もう積雪が完全に弛んで、体重を支えきれない。
登ってきた足跡もすべて崩れ、足が埋没して動けなくなる!かなりヤバくねえか?これ。
 
目前のルート上にある総ての踏み跡に「ハズレ」の表示が脳内に表示される。
 特に土手をショートカットする所は殺意すら感じる。

 案の定、ここを降りればあのパワーショベルが置いてあるヘアピンの所で無気味に軋んで埋没したら
その深さは腰に達した。

「おおぉ〜、ヤバい!」
案の定動けないし、もがくと沈む雪の蟻地獄となっている。ここ、深さ2mはあるんじゃね?


また晩秋にでも来よう。
もう歩きたく無い、次はおバイクで。


歩き難い、これはマズいな。

 腹に達した所で沈降が止まったのは背負ったリュックが沈み止めの役目を果たしたからだった。とっさにくるっと向きを換えてリュックをビーチ板代わりに倒れ込むとその割に沈まない。ズポッと足が抜ける感覚がありそのまま寝転んだ状態で足を伸ばすと、堅い岩に当たる感覚があって体が滑り出る。
そのまま2回転程転がって下に落ちて止まった。
「ぬ、抜けたぁ」
 落ちた旧道の上で雪まみれになって、なんとか立ち上がった。ウォーキングポールの差し込みが外れてしまった。良く見ると先端のゴムが紛失している。



帰りは恐い。冗談抜きで足下ズブズブ沈む、足おもっ


「足が重いぃ」
2回転がって全身汗まみれ、雪まみれ。


やっとここまで!


 その先にはかなり難儀してる先ほどの老夫婦、流石に長靴はダメだろう?
その先で旦那さんが雪で脱げた長靴を回収している。
 すいません、お先しますと頭を下げて追い抜いて行く。

 難儀な復路だが、皆笑っている。
 ここで、これから単独で二つ小屋に行く登山者とすれ違う。
「午前中は山形抗口を見てきました」カンジキで行けんのか!聞き返すと。
「二日前に友人がラッセルで道作ってくれたので」マジかよ。
「腰まで雪に埋もれますよ」
その後も何度かつっぷぐった
*方言(勢い良く埋ったの意)がどうにか高速の換気塔まで辿り着いた。
「う、ひゃああ」
 最後の最後で、出発の時に除雪車で除雪された地面まで1m以上の断がい絶壁が現れ、先人に習ってここを滑り降りる、しかも転ぶ(笑
 もう足がガクガクである。もはや日頃の運動がどうこうと言うレベルではなく、完全なオーバーワークである。
 相変わらず地に付かないスパイクでアスファルトを歩いてクルマに辿り着きリアゲートを開けると座って足も戸の装備を外すとそのまま荷室にごろんと倒れる。
「終わった!取り敢えず帰って来た」


 エピローグ。 8


 30分後、立ち上る湯気が軒先の青空に消えて行く箱庭の露天風呂でMRは背を伸ばしていた。
 あの後、まるで池にでも落ちたようなズブ濡れのズボンから靴まで交換したが、冷たく強張った足を暖めるべく今は「もにわの湯」に来ていた。
 まさかとは思ったが15分ぐらいであの老夫婦も無事下山し、ひとまず安心した所で温泉に来た訳だ。
 日曜にしては来客も少なく、今時の風景とも思えた。県外ナンバーの少なさがそれを物語る。
 ゆったりと湯舟に浸かりながら何となく思う。
「そうか、一日で二つ小屋も山形抗口も行けるのか」と。



最後は崖と舗装路。
無事下山!。




終劇。