廃道日記(Riding・Report)



これが現在の右QR289と左迂回路




廃道日記 49-2 旧国道289号線「紅葉のしどき越え」


それは
「廃道の宝箱」

予告なく始まる開演のベル、
間違う事なき国道仕様の標識。
余す事無く紅葉が彩られ、
濃縮された道の生い立ち、
その片鱗が鏤められる。

探索者の知識と経験が、
閃きと共に推論を導きだす。

ああ、
今日も愉しき旧国道へ。





ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走った
ルートの覚え書きです。
走行距離は主に
バイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。
また、
掲載される内容は大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
当方は保証致しません。



 奇跡の残照。 5.2

 そう思って左に降りず、そのまま旧道を直進する。
そして少し降った所から始まる竹林の区間はついに川が氾濫し道路上が濁流に埋まった状況となる。その被りは15センチ程度で、既に普通ダンプなどが走ったダブルトラックになっていた。
 しかも氾濫被害ながら今もどこからともなく水が流れ込んで、泥がヌメる。
 そして次の竹林を通過を越えると、
少々小振りながら驚くべき奇跡の、かつこの道を象徴するアイテムが登場した。



「はうあっ!!!!」


「国内最小の高速案内、現る!?!?」
1.2M位の正方形の面板、吊り下げ式で?まさに県道レベル。


「なんでここにある?高速道路誘導看板!」少し、いや大分汚れているが、
「常磐自動車道”JOBAN EXPWY”」
「15 いわき勿来”iwaki-Nakoso”↑6Km」


「この立地環境に!?!」
お供は通行止め看板と迂回路案内板
と来たもんだ。
高さは6Mぐらい(看板下で4.5Mを確保)

間違いない!(どっかの探検隊番組みたいだな>オイ)
 
ちょっと小さいが現NEXCO東日本の建てた案内サインだろう。ていうかこんな小振りな高速道路案内は初めて見た気がする、この形状に限っては。

 その時は全く意味不明だったが、取り敢えず写真に収めて前進する。
 まあ旧国道なのは確実なのだが、いつ頃に建植されたのだろうか?



「これは?!」地図は四時トンネル開通後の看板だろう。
下の「通行止め」は先程の所か。
というかこの路線
「市道辺栗四時ダム線」と言うのか?


「現在地の三叉路!!」
KLX125側がQR289本線、下の道が地図に言う「迂回路」。
県道→国道→市道と僅か5年で変遷する数奇な運命。




墓も神社も揃う国道?。


次の部落に向かう。紅葉も終盤だな?。


「皇紀二千六百年記念」碑。
神武天皇即位記念で昭和15年に、
政府主催で天皇神格化、神道の普及を目的に催され、全国11万の神社で大祭が行われた。
その記念碑、これも一種の戦争遺構か?



 これも四時トンネル起工が昭和62年に始まり、接続する橋梁と共に5年後の平成4年に開通している。
 
これを大前提として
「この5年間に使われた迂回路だったここに建植された」のだろう。
 おそらく迂回路となって直ぐの昭和61年か62年の建埴だ。
 5年間の暫定国道とはいえ、この通成では普通車以上の大型車は通行禁止、高さを確保する必要がない為、この高さに造られたのだろう、まさに「レア物」じゃな。



朝日に照らされる「三島国道」並みの荒々しい線形と紅葉


これは防火用水。民家が無いので
山火事用か?でも地図には民家アリだな?。


 合流、そして 6

 道は標識前の神社?で二手に分かれる、この時点では山に登る右が旧国道289号線である。
直進というか荒れた左の道が迂回路という事になる。
 だが実は現場にはあの地図以外に確認出来る材料が無かった。手持ちの地図はいずれも不正確であり道の記載事体が無く、故にこの時点では”おそらく”である。
 
先ほど流出してた接続道路の可能性も捨てきれない。



「最後まで魅せます!」紅葉、真っ赤に燃えてますよ。


警戒標識もない峠道。
道幅が揺らぐQ国道、その足下には?


「この道は県の物」
でも200番台ラストだぞ?




今度は高速左墓場コーナー(笑。


 そしてこれまで何となーーく四時川に並走してたこの道が、ダイナミックに道幅も5mに模様替えして登り始める。
 こまめで急な鬼コーナーを登ると、最終コーナーは部落奥の墓地から緩やかに道幅6mのストレートで隣の高松部落を抜けてゆく。この中途半端な改良され加減が、いかにも県道上がりの国道の本領である。
 トンネルから先の大字は田人真南大平、その下の小字が今通ってきた高松だ。
 丘の上にある高松部落は小さく、すぐに道は下に転じて銭口部落に変わる。



 
高松の部落内は幅6m道路だ。
すっかり中央線も側道線も消えて旧国道らしい感じもいい。


「おお、昔の国道サイズだ」
実用のスペース狭い?昭和40年代に多い歩道のない6m幅のコンクリート橋。


中山橋。これは20年ぐらい放置されてるな?


昭和49年3月竣工。


正式には「学校 幼稚園 保育所あり」
警戒標識と紅葉コラボも初冬の香りか。


「落石注意」でも逃げ場なし。


「ん?キタかな」

 
旧道にはやや廃れた橋が掛かっていた。かつての分校跡と川沿いに発電所がある、四時川の支流を古く高いコンクリート橋で越える中山橋である。
 全長は20mくらい、道幅は6m程で、現在の規格より一回り狭く、全体的に細く感じる。これは歩行者分の幅が無い為だろう。
 欄干は一昔前の県道などで見られたコンクリート柱に丸い鉄パイプを通すタイプだ。戦後昭和40〜50年代の地方路線に良くあるタイプである。
 計画は県道時代と思われるが昭和45年には国道昇格されているので、国道規格の橋だろう。
 
橋が跨ぐのは四時川の支流(地図に名前が見当たらない)だ。眼下南側には新旧の発電所建屋が俯瞰できる。
 川の合流点に開けた平場という感じだ。小学校の分校?があった筈だが見当たらない。校庭っぽい空き地はあるな?撮影して前進、ラストスパートだな。
「お、学校注意」いやいや、名称違うだろ>俺。
  この橋を過ぎると道は登りに転じるがそこに極めて鋭角な三叉路があり、これが分校への出入り口なのだろう。
そしてここから500m足らずで現国道に復帰するのだった。



「現国道に合流」青看板は田人大橋(写真奥)の看板
成る程、小学校が在った為にその手前に迂回路を設置したのか?。