廃道日記(Riding・Report)



まさかここで車中泊とはな。




廃道日記 51 2022旧国道13号線「晩秋の萬世大路

そこは
「復活の旧道」

これ程多様な価値観がある
この世の中で、
一本の廃道が、
多くの人々に愛され
無償で整備され、
現在も生き続けている。

ノスタルジーで片付けられない、
苦労と現実があるだろう
廃道整備。

今日、
その恩恵を受けにゆく。






ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走った
ルートの覚え書きです。
走行距離は主に
バイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。
また、
掲載される内容は大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
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 プロローグ 001-「13年目の再訪」。 1

 
最近すっかりオヤジ体質と成り果てたMRは、朝が遅い体質になってしまった。
 仕事だろうが遊びだろうが
(特にアソビ)時間より早めに起きてしまう小学生体質で、ワクワクが止まらず寝そびれても、目覚ましより先に閃く様に起きるのが通例であった。
 しかし怪我や病気をきっかけに、その閃きは徐々に失せていた。

 その為、前夜の内にKLX125をトランポして現場に急行、車中泊で朝方出発と言うスタイルがここ数年の傾向であった。夜間の東北の地方道は北海道道並みに移動時間がストレスなく短縮出来るからだ。
「では、集合は道の駅ふくしま、朝7時で」
 連絡を受けたMRは週末迷わずバイクをエヴに積み込んだ。家から45分、会社から5分の道の駅でふくしまで、無条件に車中泊を決めたのだった。
 年度末で忙しいのも在るが、本当に起きれる自信が無い(爆。
でも高湯で温泉に入ったら道の駅まで往復1時間半も掛かったんだが(笑
メールしたら相棒は飯坂温泉に泊まった様だ。いい温泉だから養生して下さいと思いつつ、バイクを下ろして寝るMRであった。まさかこんな近間で車中泊とは、自分でも驚く所業だ。
 
 こうして今回も盟友「あづさ2号氏」と共に2009年以来の栗子(山)隧道福島側坑口及び崩落現場を目指す2人である。当然、おまけも用意してある。
 道の駅ふくしまで無事合流した2人は近くコンビニで昼食を買うと、慣れた道のりの中野新道をバイクで登ってゆく、今日は贅沢三昧の探索に成る筈だが、さてどうなるか?



「参上、廃道*一部廃線のバイク乗り」


「トツゲキっっっ!?!」て、フツーの道じゃん?。


 002-「光のスピードで、歩く?」 2

 晩秋11月の萬世大路。
 国道沿いは既に紅葉も終わりに近づき、ここから登って行くごとに冬の足音すら聞こえて来る様だ。2台のバイクは国道13号東栗子トンネルの福島県北側にある現東北縦貫道栗子トンネルの排気口を横目に登って行く。
 ここで改めて紹介しよう(と逝っても2人だけだが)
 
交互に写真を撮りつつ先頭が変わるが今は私MRが先頭、車両はいつものKLX125、このDTMの管理者です。後方から来る真紅のCRF250はお馴染みあづさ2号氏、北海道から沖縄まで廃線と廃道に魅入られた筋金入りの鉄マニアと言うべきか?YouTubeで「八島廃路」を配信中。
 
その彼が長年執着しているのがこの萬世大路である。
 
まあ確かにこの道に思いを寄せる人々は多い。歴史に彩られた経緯と道路隧道として当時最長の860mの峰越隧道、推進役となった破天荒な県令(現在の県知事)三島通庸の存在、昭和の改修と廃道後の歩みなど、その魅力は尽きない。



直ぐに三叉路に到達
写真左の広い空間がかつての旧13号線である。


色鮮やかな晩秋の萬世大路
道路上に木が生えているが、写真左側の木の奥に昭和改修の石垣が在る。



意気揚々と登るCRF250。


道が修繕されてるな。
荒れてて好いンんだけどね、この辺?

 
2月のスノートレッキングなら旧飯坂スキー場のリフト跡に残るワイヤーを観ながら方角を決め、地形を見ながら余り落差のないルートを踏み跡を見ながら登るのだが、今日はフツーに旧スキー場内の管理道路?を登ってゆく。
 まあまあフォレスターなんかが余裕で上がる山道だ、2台のオフバイクには問題ない道である。大平集落辺りまでなら往復50は行ったかな?
 それにしても福島側の万世大路保存会の皆さん、もう道路整備はこの辺で良いですよ。
 多少荒れてて四駆じゃないと登れないくらいが丁度いいです(笑。

 なんて思ってたらやっと三叉路で旧国道に合流、ここから旧本線を二ツ小屋隧道に登ってゆきます。
 
大分森に侵食されてますが、スキー場の2mそこそこという道幅からいきなり6mクラスの幅広の道です。



「いい秋空だよな」青空も眩しい、やっぱり映える。

振り返ると、百四十年続く道。

「鳳駕駐蹕乃蹟」の石碑と山神様
かつて明治天皇が休んだ場所だが、元の明治道床にも建っていた。




さっそく詣出にゆくあづさ2号(笑。
 二つの大ヘアピンを介して片スパン500m以上の直線には山側に明治、昭和の石垣が真っ直ぐに並んでさながら自然公園の花壇の様。
 木漏れ日の中を進んで行くと何気に切り通しの様な右コーナー。
「二ツ小屋隧道」である。チンタラ走ってるのにメチャクチャ到着が早いのは、やはり道路整備のしすぎだな(笑
 いつ見ても何を並べてもメチャカッコいいのがこの隧道である。



明治の道床は2段の石積みの高さで現道から2mほど高い。
さらにその上に明治の二ツ小屋隧道開削時から鎮座する山神様が祀られる。



ハッキリ言おう
「何時天井落ちてもおかしくないぞ?」

 003-工事中につき。 3

 扁額、ピラスター、要石、帯石、その配置バランスは昭和ヒトケタ改修にも関わらず、この道を明治の初めに最初に企画、貫通させた某県令の気迫が漲る様で、しかし木漏れ日に揺れる隧道はその熱気を密かに石垣の回廊に封じ込め、時間の流れのままに時来訪者にその香りをお裾分けしている。
 
初めて戦前の隧道をこの「二ツ小屋隧道」で体験すると、これが基準となってしまう程に美しい坑口であろう。
 一通り気の向くままに撮影した2人は、ここ10年以上いつまで経っても腐って落ちてこないもはや天井と同化して久しい配線跡の木を眺めていると、
後から何とステップワゴンが登ってきた。



「右側、天井崩落アリ」
いやいや、もはや崩落というか瓦解だよ、コレ。


ライトに照らされる驚愕の内部構造。


「またデカくなってる」二つ小屋大滝も冬枯れ。


足下に深く堆積した土は、
保存会が撤去済み(笑。

真ん中のコンクリ抜けるのもあと僅か?

 MRより少し若い感じの、軽装な登山ルックに身を包んだ男が1人降りてきて、写真を撮り始めた。軽く会釈する。
「この先はオートバイで行けるんですか?」
という質問に始まって情報交換となる。この先大平部落で旧道の路肩が欠損して車はそこまでとか、二ツ小屋隧道を抜けて最初の橋である鳥川橋の手前の穴が塞がれているか判らない、などを話す。
 
一通り雑談すると、彼は車をここに置いて行ける所まで歩いて行くと言う。
 我々は一足先に走り出すが隧道内でああだこうだと写真を撮りながら話していると徒歩の彼が追い付いてきて動力車の恩恵はほとんど無い(笑。
 
鳥川の流れに沿って旧道を下り始める。



「この部分は覆いと言えるのかな?」
そもそも土被りが少ないのに完全に流出してしまったので
これで崩れ無いのは流石国道と言うべきなのか?。



「最大高さ3mを超える両翼」
この隧道は風が抜ける。東西での気温差も大きく抜けると木々は冬枯れとなる


「抗口ポータルの裏は沼?」
翼壁は流水で破損している。内壁の崩壊もポータル内側からの湿気が原因か?。




作業お疲れ様です。萬世大路保存会の皆様。

「鳥川橋」道の真ん中にあった橋台の大穴は塞がれていた、流石だ。

「倒れない川上側の欄干」
道路側は道路そのものが支えになって倒れない。


川下側は鳥川に転落。
川上側からの強風に柱だけでは耐えられない。

 
緩やかに左に曲がり鳥川と平行になる頃、何だか左手の山裾で土砂をダンプに積んでいるおじさんの軍団に出会した。
 彼らが〇〇工業・・もとい
福島県側の萬世大路保存会の皆様である。
 
あの青いナンバー無しのタイタンダンプは冬に二ツ小屋隧道を車庫に保管されている奴だ。バックホーも真冬は旧道沿いに雪に埋設されてる奴である。お互い軽く会釈しながら通り過ぎる。
 天気のいい11月、冬が来る前にどこか路盤補修をしているのだろうか?でも最近どこか崩れてた話は聞かないな?2〜3年前にプリウスミサイルが沢に着弾した話ぐらいだ(爆、都会だけじゃ無いんだなぁ〜と思い返す。



「失われた銘板」親柱の風化も激しく、4枚の銘板の行方も不明。


まあ上流側も風前の灯なんだが。
コンクリ配筋がスゲ−荒い。

 
鳥川橋に到達、件の橋台の穴は見事に修復されていた
流石玄人最初から職人(さすがくろうとハナからプロ)。
 朽ちた欄干の妙技を眺めながら、と言うことは補修先はその先か?
 ここでも写真を撮ってるウチにトレッキングの彼に追い付かれてしまう、足速いな!あの人。
 いや、単にウチらがグータラ進んでるだけだな(笑。
 
橋を渡ると道は上りに転じて保存会が完璧に新しく作り直したへアピンカーブに感動する。
 やはりダンプで土砂を運ぶなら最低この位の道は必要だよな。
 点定観測の峠を過ぎ道は再び下りに転ずる。
 
明らかにダンプが往復しているこの道の先は、旧大平集落である。



「震災後に看板が更新されている」
戦後の高度成長期に大企業に供与されて、今に続いている。


日本製紙謹製。
パルプ業全盛期に資材調達の為に使われたが、
輸入材に転換されて割と放置気味である。



 集落の入口から猛烈な泥濘!
 やはり工事現場はここか!流石のGEKOTA履きKLX125も止まったら動けなくなる深さだ。車とブルドーザーが置いてあるが人は居ない。
 さっきの青いタイタンダンプの運転手が自分で荷下ろしとブルでの均しをしているのだろう。

 後ではあづさ2号がこちらの轍を一本迂回しつつ、CRMの強烈パワーでグイグイ押してくる。




「大平の峠を越える」流石ダンプ道、路盤しっかりしてる。


「ここで何してる!!」旧大平集落。

「と、いうか一本橋が、無い!」
何と言うコトでしょう。
 
匠達は沢に崩落した側に自前で簡易な土留めを施し1m程路盤を山側に逸らしている。



「30cmが2m道路で復活してる!?!」
流石だな保存会、4m道路敷の半分を路肩補強に使ってる。


「大平橋橋台脇の欠損」次はここの補修だろう。
既にここにあった雑木は撤去されてる。



上流右側。


上流左側。


「しっぽアリ」
どっから拾ってくんだよ、アンタ

 
幅30センチ、長さ15m程の通称「一本橋」と呼ばれる築堤の突端に残った旧道を、元の半分となる2m道路にまで復旧させていたのです。
 たぶん許可を取ってあの山陰から土砂を採取してここに投下。路盤補強を経て今最終段階という所なのでしょう。
 
後続のあづさ2号も道路をガン見!



秋晴れの栗子越え。空が広いな。
それにしても鳥川橋に比べ大平橋は損傷が殆ど無いよな。


文献によれば鳥川橋と二つ小屋の改修時には資金難に陥り、
使用期限の過ぎた物や加湿した劣悪なコンクリートが使われたという。
大平橋はいい資材だったんだろうな。





そろそろ間伐が必要かな?
高低差もあってタテに長い道路風景。


  まあ彼も長年の懸案である一本橋消失の現道復帰劇に唖然と開いた口が塞がらない様子だな。
 かつて永らく旧道沿いの斜面を登ったジムニー軍団の足跡も上から均され、場所がよく分かりません。

 唯一、大平橋の橋台の土盛が欠けた所だけがそのままですが、先ほどの一本橋から比べれば全然小さな規模の土工なので、手前が完工してダンプや重機が入ればそんなに掛からないでしょう。凄えよ保存会。



文献通りに立派な「抗甲橋」
昭和改修の遺構のうち比較的潤沢な資金で造られ、竣工に漕ぎ着けたのは
栗子隧道、抗甲橋、大平橋と、新沢橋の基礎工事部分と思われる。



「万世昭和改修区間中、最も頑丈で欠損無い遺構」
上部構造である親柱、欄干、橋本体は勿論、橋台から接続道路に至る凡てが現存。


「威風堂々」大平橋より少し小さいがそれを感じられない。


 004-恐怖の廃道から正気の旧道へ。 4

 
11月だというのに秋晴れの青空の中、来た事が有る筈なのにまるで別の道に蘇って見える萬世大路。大平橋を渡り橋の向こうに見える旧道は、もう単なる山道だ。
 死霊の盆踊りとまで言われた過酷な風雪で踊る様に横に伸びた雑木も綺麗に刈り込まれ、普通車も入れる道幅が確保されている。
「こりゃあハイキングコースだよ」と二人頷きながら写真           に収めて次の抗甲橋に進んで行く。



基礎部分の平場はかつての旧道敷き?
 写真に収まる牧歌的な廃道の風景に、昔苦労した寄らば切るみたいなこの世の終わりのような風情は何処にもない、
 
そして抗甲橋。
 
写真を撮りながら雑談していると、
三度トレッキングの彼に追い付かれてしまう(大笑。
 ホントにしょうもないなぁ、何の為のバイクなんだよ、そりゃ車道なんだから動力車を通すのが筋ってモノなんだが。
 撮影しながら前回は全く確認出来てないのでここ数年で崩壊したのだ思いなおす。



抗甲橋を通過。ここまで道幅4mを維持している。


ヘアピン区間に突入!滑谷沢の源流の路肩が欠損していた


「川の擁壁がブチ抜けている」
流出した道路の断面から、ここの部分が盛り土らしいコトが伺える。


明治期のヘアピンはもっと多かった筈。
旧抗甲橋はもっと上で沢越えしてるので、
沢沿いに今の倍のコーナーがあった筈なのだが?


 さて、ここから二つのヘアピンを介して急速に隧道までの標高を稼ぐ萬世大路なんだか、ヘアピンの最初に現れる沢を隔てた昭和改修時の路肩の石垣で有るが、これが見事に路肩欠落していて、思わず写真に収める。
 この日の為に、念の為ヨッキれん氏の2012年頃のレポも見返していたがこの欠損は覚えがない。
 彼のレポを読み返していたのはヘアピンの周辺に
「旧杭甲橋」が在る事を確認する為だった。
 この橋は明治に作られ昭和改修時に換線とともに廃止された萬世大路最小の橋である。
 実際昭和新道は暗渠で沢を越えており、勿論現存する旧杭甲橋も橋本体は無く橋台しか残ってはいない。
 そもそも旧道は現行の杭甲橋の下を沢沿いに登っている筈で、福島側からのみ接近できる旧道があるらしいが、この日はついに発見に至らなかった。
 まあ後日談ではあるが、実は探す所を間違えていて、最終ヘアピンと栗子隧道までの間だったのだが(笑。
 晩秋に薮が落ちたら探しに行こう。




「この高低差」 昭和改修時の最も急な2連ヘアピン。


福島、米沢双方でもここ程の急勾配は無い。
上のヘアピンから見た下の段のあづさ2号。


ヘアピンのスパンは15m程。駆け登るCRF250。


下の段との落差。 今の国道の道路法政では絶対無理だろうな?。


三島亡き後も三島線形アリ。
改修時にはまだ生きてたな、閣下(笑。

 旧新沢橋大正旧道区間に次いで行くところが増えたな。
 そして流石にこの2連ヘアピン、普通の林道レベルでもアレ荒れでここに来て蛇行する洗堀と岩盤並みの路盤に区間最大の登り傾斜となる。
 冬にスノートレッキングで来るならこのヘアピンは直登なんだろうな?と思いつつ登り切る。
 長い直線を登って行く。前回は嵐の寒空だったので、秋空の栗子山は始めて見た。
 
そして視界が開け、御神体「栗子隧道」が現れた!
極めてフツーに。
 左コーナーの先から滝の流れる音がする。
この音は坑口左翼の水路から流れ落ちる水の音だ。
「均されているのに、栗湖が健在だ?」
後ろから来たあづさ2号も「トリカブトが無い」と一言。



「すっかり整備されてるなぁ」
枝払いされ幅員4mに確保されたヘアピンの先。


「見えた、栗子隧道直線の先に巨大な穴が現れる。


 そう、かつて坑口の広場には「トリカブトフローラル」と呼ばれる群生地であり、その種を知るものは二の足を踏んだという。
 最近の動画や言伝から
保存会が一度ブルを入れて坑口を均して水路を作り洞内の水を排水したと聞いたが、ここ数年でまた入口に土が流れ込み、湖を形成したようだ。
 それでも道は林道レベルで2009年の初来訪の時とは雲泥の差というか背景に坑口がなけりゃあの時のラスト谷越えは何だったんだ?と思う程に別な道だ。
「イヤイヤ、道としてはこれで普通なんだよな」
「もう廃道ではない、旧道だね」
まあ、意図して修復してるんだろうが、もうここまででいいよ保存会の皆さん。楽に来すぎだよこの道。
などと2人写真を撮りながら雑談していると
四度、トレッキングの彼に追い付かれてしまう(苦笑。そして立ち尽くす彼。
 その目前には重厚な翼壁、清冽なポータルに歴史を感じる要石と左書きの銘板、初めて御神体を拝む彼も流石にこの風情に感動している様だ。



「栗湖が栗子沼になってる(笑!」
ブルで排水したと聞いたが。この水はどこから???。


道隧子栗もう拝むしかない。 肌荒れが激しくなって来たな。


「じゃ、そろそろ行きますか」
「行きますか?」何処に?と彼に問いかけられると何故かハモる我ら2人。
「閉塞点まで、バイクで」




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No-049「晩秋のしどき越え」