廃道日記(Riding・Report)
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まさかここで車中泊とはな。 |
廃道日記 51 2022旧国道13号線「晩秋の萬世大路」
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そこは 「復活の旧道」 これ程多様な価値観がある この世の中で、 一本の廃道が、 多くの人々に愛され 無償で整備され、 現在も生き続けている。 ノスタルジーで片付けられない、 苦労と現実があるだろう 廃道整備。 今日、 その恩恵を受けにゆく。 |
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ご使用上の注意! このデータは、 あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。 走行距離は主にバイクで測定し、 旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。 また、掲載される内容は大変危険です。 当サイト掲載内容によるいかなる被害も、 当方は保証致しません。 |
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「参上、廃道*一部廃線のバイク乗り」 「トツゲキっっっ!?!」て、フツーの道じゃん?。 |
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直ぐに三叉路に到達。 写真左の広い空間がかつての旧13号線である。 色鮮やかな晩秋の萬世大路。 道路上に木が生えているが、写真左側の木の奥に昭和改修の石垣が在る。 |
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意気揚々と登るCRF250。 道が修繕されてるな。 荒れてて好いンんだけどね、この辺? |
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「いい秋空だよな」青空も眩しい、やっぱり映える。 振り返ると、百四十年続く道。 「鳳駕駐蹕乃蹟」の石碑と山神様 かつて明治天皇が休んだ場所だが、元の明治道床にも建っていた。 |
さっそく詣出にゆくあづさ2号(笑。 |
二つの大ヘアピンを介して片スパン500m以上の直線には山側に明治、昭和の石垣が真っ直ぐに並んでさながら自然公園の花壇の様。 |
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明治の道床は2段の石積みの高さで現道から2mほど高い。 さらにその上に明治の二ツ小屋隧道開削時から鎮座する山神様が祀られる。 |
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ハッキリ言おう 「何時天井落ちてもおかしくないぞ?」 |
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「右側、天井崩落アリ」 いやいや、もはや崩落というか瓦解だよ、コレ。 ライトに照らされる驚愕の内部構造。 「またデカくなってる」二つ小屋大滝も冬枯れ。 |
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足下に深く堆積した土は、 保存会が撤去済み(笑。 真ん中のコンクリ抜けるのもあと僅か? |
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「この部分は覆いと言えるのかな?」 そもそも土被りが少ないのに完全に流出してしまったので これで崩れ無いのは流石国道と言うべきなのか?。 「最大高さ3mを超える両翼」 この隧道は風が抜ける。東西での気温差も大きく抜けると木々は冬枯れとなる。 「抗口ポータルの裏は沼?」 翼壁は流水で破損している。内壁の崩壊もポータル内側からの湿気が原因か?。 |
作業お疲れ様です。萬世大路保存会の皆様。 「鳥川橋」道の真ん中にあった橋台の大穴は塞がれていた、流石だ。 「倒れない川上側の欄干」 道路側は道路そのものが支えになって倒れない。 |
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川下側は鳥川に転落。 川上側からの強風に柱だけでは耐えられない。 |
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「失われた銘板」親柱の風化も激しく、4枚の銘板の行方も不明。 |
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まあ上流側も風前の灯なんだが。 コンクリ配筋がスゲ−荒い。 |
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「震災後に看板が更新されている」 戦後の高度成長期に大企業に供与されて、今に続いている。 |
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日本製紙謹製。 パルプ業全盛期に資材調達の為に使われたが、 輸入材に転換されて割と放置気味である。 |
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「大平の峠を越える」流石ダンプ道、路盤しっかりしてる。 |
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「ここで何してる!!」旧大平集落。 |
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「30cmが2m道路で復活してる!?!」 流石だな保存会、4m道路敷の半分を路肩補強に使ってる。 「大平橋橋台脇の欠損」次はここの補修だろう。 既にここにあった雑木は撤去されてる。 |
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上流右側。 |
上流左側。 |
「しっぽアリ」 どっから拾ってくんだよ、アンタ。 |
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秋晴れの栗子越え。空が広いな。 それにしても鳥川橋に比べ大平橋は損傷が殆ど無いよな。 文献によれば鳥川橋と二つ小屋の改修時には資金難に陥り、 使用期限の過ぎた物や加湿した劣悪なコンクリートが使われたという。 大平橋はいい資材だったんだろうな。 |
そろそろ間伐が必要かな? 高低差もあってタテに長い道路風景。 |
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文献通りに立派な「抗甲橋」。 昭和改修の遺構のうち比較的潤沢な資金で造られ、竣工に漕ぎ着けたのは 栗子隧道、抗甲橋、大平橋と、新沢橋の基礎工事部分と思われる。 「万世昭和改修区間中、最も頑丈で欠損無い遺構」 上部構造である親柱、欄干、橋本体は勿論、橋台から接続道路に至る凡てが現存。 「威風堂々」大平橋より少し小さいがそれを感じられない。 |
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基礎部分の平場はかつての旧道敷き? |
写真に収まる牧歌的な廃道の風景に、昔苦労した寄らば切るみたいなこの世の終わりのような風情は何処にもない、 |
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抗甲橋を通過。ここまで道幅4mを維持している。 ヘアピン区間に突入!滑谷沢の源流の路肩が欠損していた。 |
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「川の擁壁がブチ抜けている」 流出した道路の断面から、ここの部分が盛り土らしいコトが伺える。 明治期のヘアピンはもっと多かった筈。 旧抗甲橋はもっと上で沢越えしてるので、 沢沿いに今の倍のコーナーがあった筈なのだが? |
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「この高低差」 昭和改修時の最も急な2連ヘアピン。 福島、米沢双方でもここ程の急勾配は無い。 上のヘアピンから見た下の段のあづさ2号。 ヘアピンのスパンは15m程。駆け登るCRF250。 下の段との落差。 今の国道の道路法政では絶対無理だろうな?。 |
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三島亡き後も三島線形アリ。 改修時にはまだ生きてたな、閣下(笑。 |
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「すっかり整備されてるなぁ」 枝払いされ幅員4mに確保されたヘアピンの先。 「見えた、栗子隧道」直線の先に巨大な穴が現れる。 |
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「栗湖が栗子沼になってる(笑!」 ブルで排水したと聞いたが。この水はどこから???。 「道隧子栗」もう拝むしかない。 肌荒れが激しくなって来たな。 |
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No-050「万世大路 春の米沢抗口2021」 |
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