廃道日記(Riding・Report)


令和3年2月 数10年来の静寂から目覚めた…後。



廃道日記 45 旧橋日記6 福島県道12号「旧不動瀧橋」2

突然、
発掘された昭和初期の
コンクリート橋。

分厚く
堆積した表土が剥がされ
87年降りに
橋がその全容を見せた。



道路整備事業の光と影。
連綿と続く道路整備事業。
江戸期の街道が
禁制の塩を運んだ時代から続く
新道と旧道の間を
まるでタイムリープの様に
僅かな時間にリンクした、
夢の時間。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走った
ルートの覚え書きです。
走行距離は主に
バイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。
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掲載される内容は大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
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黒いトンバック(2t用)が擁壁がわりに積まれ、
新しい仮設橋と仕上がり高さを合わせている。


 
序文(川俣線解説文を抜粋)
 国鉄川俣線は中通りを走る東北本線から松川駅で分岐・起点となり、飯野村を経由して12.2Km先の川俣に達する私鉄である。収益が文字通り軌道に乗れば路線延伸として川俣から浜通りの浪江までを計画、日本鉄道浪江駅に接続するという当時としては夢のような鉄道計画であった。
 だが、昭和の大恐慌は市町村に甚大な被害を与え、収益と採算性が望めなくなった川俣線は、昭和9年に川俣〜浪江間の路線延伸を諦め、省営バスへの転換を決める。川俣・浪江町と沿線10村及び福島県議会から鉄道省に鉄道からバスへの変更が提出・受理され、昭和13年に認可、変更されている。
 これには昭和7年から国が指導する形で全国の道路工事などの都市基盤整備事業を展開し、市町村や失業者を支援したのだ。
 いわゆる
国策「時局匡救土木事業」及び昭和10年度「農村その他応急土木事業」による4カ年計画である。
 つまり、
新たに鉄道を通すより現在ある街道を直した方が国から補助が出たのである。

 この省営バスへの転換とそれに伴う道路整備がその後の国道114号線への試金石となり、川俣〜原町線(現県道12号線)との決定的なアドバンテージとなるのだった。
 こうして、原町に向かう
「八木沢峠」は時代の波に乗り遅れてしまったのである。



現県道とのレベル差は60cm位?
異様に低いガードレールは頭が出ないな?


現行の不動滝橋を横目に覗くと……?


コンクリートの護岸が完全に流出 !!!
県道の埋設水路が引きちぎられ露出してるよ。


振り返れば「不動滝」橋を架ける選定眼には頭が下がる。



 2020年 5月。 5

 2020年5月4日、GW前に架設橋の設置は終了していて、アプローチの県道から一段下がっていた太古林道の導入部分が嵩上げされアスファルト舗装前の砂利敷きとなっていた。
 幅も広く山側が削られ対岸の上流側も整地が終わって、いつでも舗装工事が出来るところまで来ていた。
 
また現「不動滝橋」の橋台部分も片側交互通行となって既にアスファルトが引き剥がされていた。
 組み上げられた仮設橋は旧橋床面から約1m。それに合わせてアプローチも高さ調整され
太古林道の導入路は完全に県道のバイパスとして組み込まれていた。その砂利敷きの迂回路から不動尊の社脇の真新しい仮設の階段があり、上真野川の川べり迄降りてゆけた。
「コンクリート要壁が、無い」


・・・おおお?。


橋台の補強に2tトンバック?
土砂止めの為に組まれた波鉄板が溶接補強される。


親柱の上に半円状の飾り?。
上流側の欄干と仮設橋の間は約30センチ程。
点検通路か?




 4下流側は何故か平行じゃない?。
この橋台形なんかよ?




2020.7月片側交互通行、現状。道幅は十分だな。


「完全に基礎からやり直してる」
なる程、むしろクレーン車の為に道を塞いだのか。


 
 岩盤を削る勢いでほとばしった濁流は、川底から4m程の高さのあったコンクリート擁壁を現不動滝橋の橋台までの10m足らずを統べて押し流してしまっていた。
 これによって積み木崩しの要に上の県道上にヒビが入りいずれ崩壊する事となるのだろう。先に書いた通り被災地へのアクセスラインなので二次災害になる前に工事が決まったのも想像出来る。
 
現行の「不動滝橋」の下流側橋台の所におそらくは破壊された擁壁の残骸が流されていた。

 2020年 7月。 4

 2ヶ月近く時間が空いてしまっていた。
 久し振りに往ってみると
既に工事も始まり、仮設橋も運用を開始していた。
 
前回の点定観測の際に登り線(仮設橋側/福島方面)と下り線(相馬方面側)に分けて通行させるものだと思っていたが、実際には本線2車線を完全に封鎖し、橋上にクレーン車を配置してかなり抜本的かつ大規模な護岸再構築を行っていた。


揺れない? 前後の基礎が効いてるな、
仮設橋の振動は旧橋にに響いていない。



良く見ると微妙な曲線だなぁ?
まあ仮設だし。


「微妙なS字コーナー」ですね(汗
油断なく入ってくバイク。


「その隙間10cm程」旧橋道床に荷重の掛かることは無い。


信号が変わると次々と仮設橋に入ってゆく

 
 
したがって仮設橋を使っての自動信号機による「片側交互通行」が行われていたのだ。
 擁壁崩壊側のアスファルトは既に剥がされ、地盤の補強をする為の掘削工事が行われようとしていた。
 そして日曜のけだるい午後に、工事現場入口のゲート前にツーセロを置いて撮影を始めた。
 前回の予想通りに、
鋼鉄の仮設橋は旧「不動澤橋」本体には1mmも荷重せずに、掘り出し後に改めて現場打ちしたコンクリート橋台にのみ、仮設されていた。


令和2年8月21日までが工事期間とある。
仮設橋の撤去もコミの工程かな?


鋪装も撤去して林道入口兼参道に戻ってる。


「前後に打設された橋台は埋め戻されている」
仮設橋の橋台は砂利の下に埋まっているのだろう。


「工事完了」見事に修復!。

角に擦り傷が出来た下流西側の親柱。


傾いでいる下流東側の親柱はそのまま 。


今回発掘される以前に
壊されたと思われる欄干部分。



 前後となる橋両端に厚さ5mmはあるだろう波鉄板を固定して、双方から土砂によってアプローチして高さを微調整してアスファルト鋪装している。
「お見事!」
 寸分の狂い無くトイ面で仮設道路は橋に呼び込まれる。
 片側交互通行の信号が変わると、何台かの車が吸い込まれるようにS字となった仮設橋で、写真を撮影しているMRの前を流れるように通過して行く。
 気が付くと静寂が破られ、また一定の時間間隔をおいて車やバイクの走行音が谷間にこだまする。
ひとしきり撮影してこの日は終了した。




 2021年 2月。 5

 エピローグ
あれから7ヶ月後の令和3年2月。
東京や大阪で変異コロナが出始めた頃に、MRは久し振りに旧不動滝橋にやってきた。
 
工程に仮設橋どころか旧橋の解体撤去も行われたかと心配していた(割には放置プレイだと思うぞ>俺)が、やはり仮設橋の撤去と現状復帰までが工事工程だったようだ。

 役目を終えた道はその始まりとは比べるも無く綺麗にもどされていた。
「パッと見にはね」
 仮設路盤は全て引き剥がされ、新たに挽かれた砂利は普段林道に使われるより高級?な県道用の砕石だ。
 道はなだらかに橋では無く太古林道ゲートに向かっていて分岐は無いが旧不動瀧橋へもなだらかな土手で並みのオフ車であれば難無く橋を渡る事が出来る。
 ただ、県道側は新たにガードレールが布設され、橋を渡って県道に合流はできない。
「おあ!」
親柱が一本無えぇ!
ヤられた!

 
当然これは撤去工事の際になんらかの理由で撤去したのだろう。
 取り敢えず撮影してると親柱の基部が異様に脆弱な事に気がついた。

 
まず設置面積が狭い。コンクリートの接着面積が少ない上になんと鉄筋がろくに見当たらないのだ。
 単独で自立し、欄干と繋がってもいない。対角の親柱も傾いでる事はこれが原因なのだろう。
 個人的には仮設橋撤去の際に何らかの事故で損傷して、安全上止む無く撤去したと信じたい。



で、今回始めて気が付いたんだ。
欄干の足下、橋の四方四ケ所に
排水溝がある。



排水溝があるその真下に迷う事無く
配管が突き出している(笑。
まさに「直管」



?あれ……?。


「親柱が喪失している!!!」


 この路線上、周辺にあるこれら4つの橋は、無名とはいえ貴重な交通文化遺産だと思うからだ。
 
 こうしてちょっと不注意も最後にあったが、旧不動瀧橋が90年振りに車を通すイベント?は無事終了した。
 このまま何事もなく、やがて夏草にまみれて旧橋は没して行くのだろう。
 昭和9年竣工と仮定して、竣工100年になったら静かにお祝してあげよう。
             おわり


工事用の階段が仮設じゃなくなってる……?。


まもなく竣工100年。撤去されなくて良かった。


参考文献
文献名
著 者
 原町町史 近代 通信交通  原町教育委員会 編纂
 川俣町史 近代  川俣町 編纂/著