廃道日記(Riding・Report)



古の鉄路は、震災を克服したか?





廃道日記38-2「再訪、原町森林鉄道"新田川線" 





 原町森林鉄道。

福島県において
最大規模と謳われる森林鉄道は
かつての御森を切り開き、
明治・大正・昭和と
関東圏に木材を送り込んだ。

ただ、
この新田川線だけは
発電利水の為に建設され、
後に鉱山会社に
利用されてゆく。

原町森林鉄道の路線中
最も高規格な路線、新田川線。

原発災害後、
初めて入り込む
「林鉄の楽園」は
まだ生きているのか?




「ダメだ!これを越えちゃダメダメだ!ドツボにハマるぞ!」
 
そう思いつつもそそくさと再び土木ライダーは通り道を作り始める。
 大石の上にある細かな(と言ってもオトナの拳大)石や倒木を遥か下界の新田川に落として一本の道を再生してゆくのが楽しい。
 
最早べつな脳内物質がレミングの大量自殺宜しく、明らかに間違った方向へと道を踏み外していた。
「これを越えたら後戻りできねぇなぁ・・」



「ダーー!!」ヤベーーーー
ヤバイヤバイ矢場いヤバイヤバイやばやば!


 しかし心の叫び?とは裏腹にKLXは見るからにおもむろに僅かな踏み跡にフロントタイヤを乗せ上げた!続いてリア・・・
「うわっ!」
冷や汗を掻いた・・・。

 大岩に乗り上げる瞬間、リアがスリップしてそのままバイクが落ちかかる
 足を滑らせて30cmほど落ちる、止まる。見上げると結構デカいガリーの様だ。
下を覗き込むと、まさに川底まで一直線だ!4〜50Mはあるかな?
「止まった」


思わず覗き込む足下の風景。「標高高っ!!!!」

何とか突破!!!。もう、思考回路が停止してます。


ここから跨がって、再び前進開始!
こりない<俺。
 
いやはや、ホント冷や汗をかいた。
ゆっくりと体を起こしてバイクが岩に引っ掛かっているか確認して、挟まった足を引き抜きその場から距離を取って、
まずは写真を撮る。(そこかよ)
その状況にすっかりはまり込んだMRは、この時点で目的と手段が逆転していた。
 #1)すなわち
”手段の為に目的を忘れる”という状況である。



「微妙に邪魔な倒木」うわぁ、楽しそうナ路面状況。




倒木を潜り、崩落した岩場を
乗り越えてゆく。


要するに
「これが最高にHiってヤツかぁ〜!(子安武人の声で)という状態である。明らかにこの時点で撤退すれば良いものを、何故行けると思うのかは・・・(#1)に戻る、かつエンドレス)

 KLXは大石の上ではあったが、その先のルート上のもう一つの岩が衝撃で動いて谷底に身代わりに成ってくれていたのだ。
「作り直しだ」
 何とかその場にバイクを倒して置いて撮影すると、三度その先のルートを人力で作る。もうここだけで15分以上滞在してるな。
「とにかくココを抜けなければ、Uターンも出来ない」(←完全に思考回路が麻痺してるな<俺)
ゆっくりと僅かな下りの岩上を押して、無事KLXはガリー区間を突破する。



うわぁ!まただ。でもさっきよりマシだが。


 「でもリア落っことした」転がっている石か木に
持って行かれそうになる。



おお、まるでトロッコが走って
来そうだ。



そしてまた凸区間へ。
山が低くなったんじゃなくて道が登っているのだ。


少し下り始める。
動力車入線なので多少の登り下りがあるのか?。

 そしてその先にも難解な場所が現れた。恐らくギリギリTTRが突破したそこは、軌道痕の路盤一杯に、しかもさっきより距離が長くに落石が盛られていたのだ。
 
しかし既に精神的高揚感に蝕まれていたMRは下見の後、そのままトツゲキ!。
 
案の定浮き石にリアを取られて崖下へ?という所で停まる。幸いリアタイヤは草の下の林鉄の石垣に辛うじて掛かっている。そこでほんのちょっとだけアクセルを開けるとKLXは何事無く岩の上に復帰する。
 復帰したものの、そこから動けなくなってしまう。リアが上がったと同時に今度はフロントタイヤが落ちてしまい、これを力ずくで押し上げる。
 しかるに、MRはほぼ自爆的にこの崩落箇所を見事乗り越え、前進していくのであった。

●極めて自然に
 その先は、再び至福の林鉄路盤が続いていた。
 凹区間にはあの3段の路肩が現れて枯れ沢を跨ぎ、凸区間には大小の掘り割りとともに空中回廊が続いていた。
堤に架かっていた木橋はもう限界とも言える虫食いだ。
 
だが三度、土塊に路盤が塞がれた。といっても法面から零れ落ちた礫が降り積もった所で、右手の直角に落ち込んだ崖を考えなければ、簡単な土木ライダーで逝けるだろう。
「だろうけどねぇ」
 スタンドでバイクを起ててメーター内の時間を見ると発電所からトツゲキしてもう1時間を越たか?と言う所だ。クルマで林道に突入してからでも2時間近い。当然、帰るにも同じ時間が掛かる訳だ。



「キタコレ」これだ!これが路線跡だ!



「2009年の2連橋」一連の堤に二つの木造橋。
最初の橋にはゲートのように倒木だった。
(Photo:2009.3)


一応、主桁はコンクリらしいが?

虫食い穴だらけ
ですよ!奥さん!

 
今でも十分お馬鹿な状況であるが、流石に滑落や遭難はマズい(って今頃かよ<俺)
ここは無理して行かずに、歩いて様子を見に行く事とした。

 まだ諦めていないのは前回TTRで来た時に、確かこの先の凹区間で断念したと思ったからだ。せめて前回と同等に・・・と考えたものの、震災以降の未整備は想像を絶する荒廃をMRに突き付けていたのだ。
 今のところ橋がギリギリ健在なので渡れるが、何処か橋落ちしてれば、その時点で終了である。



「うわぁ……」大丈夫か?



「2009年の橋、二つ目」
コンパネ部分が見事に食い込まれているワケだ。(Photo:2009.3)



またもや埋まる軌道路盤。厳しい!

 路肩に残った路盤も、前回には無い土砂崩れや異常出水で塞がれている区間がかなり増えた印象だ。
「何処までが大丈夫なんだ?」
と言うか、普通ならとっくにダメな状況を、ほぼイキオイと実力(ジツリキ)で無理繰り来ただけであるが。

そして、この先は本当にダメダメだったのだ。



「さらに厳しい!!!」まずいな?これは……。


バイクをここに置いて、
歩き始める。


 その後もあちこちで路盤が崩れ、埋まり、自然に回帰しようとする作用が大きく働いていた。
 
先に行けば逝く程限界を感じる。
 このまま人の手が入らなければ、消滅してしまう!そんな物理的限界を、一度は歩道として余命を与えられた道が自ら指し示していた。でも、まだなんとかKLXなら越えられそうだ。
 まるで一縷の望みを繋ぐかの様な、無駄な情熱がその先へと足を運ばせる。
オフロードブーツで重くなった足が、時折岩に引っ掛かりながら、その先へと歩いて行く。



「流されている」前回は無かった路盤崩潰、と言うか土石流?


「行けなくは無い」無いけど道としては末期的だ。



「同じ場所の2009年」
そうか!当時既にこの有り様だったんだな。(Photo:2009.3)



「ここはまだ生きている」まだ行けそうだが……?。


この辺までは大丈夫。


この看板には見覚えが在る。
確実にここまでは来た事が在る。



夏場はモーレツな薮に違いない。
ん?先!何か変だぞ?

 切り通しも崩れ4〜50センチの崩れた岩で埋まっている、その上を歩く。
振り向くと平野が遠い。
そして凹凸を三つ程越えた所で、最悪の区間が現れてしまった。
「鉄砲水だ」
 片桟橋は奥に新たな沢が出来た様で出口付近が流されていた。

 起点側の入口も土砂と倒木で押し流され、岩盤が露出していたが通れそうか?。足を乗せた週間スポンジのような感覚に慌てて足を引く。



「その先もヤバい!!!!」



「岩が増えて道が底上げされてる」
豪雨の時はここが川になるのだ。(Photo:2009.3)


「さらにその先!」
おお、懐かしい写真だな。濁流は何処から来たのか?。(Photo:2009.3)


どうやらここを濁流が降りて来てる」
何か甲子林道でこんな風景見たなぁ。(Photo:2009.3)

「おわたぁ!(終わった、の意)」
現状この状況で、この先が無事である訳が無い。
時間も時間だし、ここで撤退すべきだ。




誰かが切った跡が在る。釣り人か?



あっというまに元に戻る。
2時間で1Km来てねぇよ、これ。


あの標識には見覚えがある、
ここ迄来たか。潮時だな。



 イヤイヤ、片桟橋はバイクでイケない。コンクリートこそ無事だが、下がゴッソリ抜けて桟橋が滑り台になる可能性が高そうだ。
「大体、単管パイプで組まれた仮設足場のような歩道に、何が期待できるのか?」
 その先も路盤に礫が堆積している。
 これを歩いて乗り越え小さな凸区間の切り通しを抜けると、
ついに路盤と法面は完全に一体化して、そこには踏み跡すら完全に消えていた。
  何処まで来たかはもう知りたくも無いが、前回より随分手前で撤退なのか?(この時点で実は良く解らなくなっている>俺)



「脱出しましょ!」仮設とは言え一度踏み跡がつけば、
後は何とかしてしまう。
恐怖心さえ無ければ、な。


戻り足、下の部落が見えて来た。

●生還
 勿論手に汗握る展開では在ったが、やはり撤退のスピードは何故か早い。
 大体、往路の7割前後の時間で現状復帰出来たのだった。
草々にKLX125をクルマに押し込み、帰宅準備を始める。
 空き時間は午前中という時間制約の中で、健闘した部類だろう。だがしかし、それ以上に
原子力災害に伴う森林除染の困難さが際立った道だった。

 この水が発電用ではなく飲料や農業用だとまた違うし、発電用としてもこの区間沿い(起点〜助常間?)に重要施設が無ければ、巡視路の整備なんて何時に成るか?いやいや
放棄されてしまうのではないか?と、帰り道すがらに思った通りガリー区間でKLX125を落としそうになりながら、漠然と考えていた。



「生還!」最後の難関を越えて。

 
 勿論道の直接的打撃は最近の集中豪雨やゲリラ豪雨なんだろうけど、
管理する人間が長時間滞在出来ない放射能の数値だと、もはや道の整備は不可能ではないか?とすら考えられた。
 あの堤にある木橋は、今年の冬には落橋しそうだ。少なくとも人間が渡るのは自殺行為だろう。その先の片桟橋は流失してなくなってしまうかも知れない。
 ヨッキれん氏がくじ氏と越えた原町森林鉄新田川線の起点区間は、いま、
最後の刻を迎えようとしているのかも知れない。





廃道日記38-3「原町森林鉄道"新田川線"2009 



「あの日見た、あの場所へ」
(ここからの写真は全て2009.3 撮影)


 原町森林鉄道。

福島県において最大規模と謳われる森林鉄道はかつての御森を切り開き、
明治・大正・昭和と関東圏に木材を送り込んだ。

ただ、
この新田川線だけは発電利水の為に建設され、後に鉱山会社に利用されてゆく。

原町森林鉄道の路線中最も高規格な路線、新田川線。

原発災害後、
初めて入り込む「林鉄の楽園」は
まだ生きているのか?




「既にバイクで越えた跡」
当時、この時点では虎タイヤとEDタイヤ。


成る程、昭和54年に営林の為林道の
改修工事をしたのか?


つまりこの片桟橋、昭和54年製?
2009年時点で築30年?。

昭和54年度保安林改良事業施行林


●2009年の残像
 MRが始めてこの起点区間に轍を刻んだのは2009年3月。
 先にも書いたが、実はその時点で軌道絽は既に相当のダメージを受けていたのだ。
 
そして、それを見て来たからこそ「撤退」を早期決断出来たとも言えるだろう。 それだけの悪路がこの先に存在していた訳だ。
「だったら無理して入るなよ!」
 お叱りは真にごもっともでございますが、これも性分「性」でございます故、御勘弁下さいな。

と言う事でここからは、前回は行った「今回のその先」を公開します。
実はHP化の際改めて写真を見比べた結果、前回TTR250は、今回KLX125を最初に落とし掛かったあのガリーまでしか行って無い事が判明。
したがってそれ以降の廃道写真は全て「徒歩による撮影」と思われる。
(って、忘れてるのかよ>俺)

 
じゃ、今回折り返した地点からさらに歩いて行こう。
 浅い掘り割りの区間は好い塩梅で倒木が在り手前の倒木を潜ると次は載り越えとなる。
 載越えの倒木の前に小さな丸太が詰められ恐らくエンデューロタイヤとおぼしきタイヤ痕がある。
 また虎タイヤの痕もあるので、
最低2台が入り込んでいた。
 最近では無いにしろ、昨年末から最近にかけて(つまり2008年秋から2009年春先まで)と推測した。
あの看板の先に、もう既にあの有名な壁が見えている。
 そう、
高さ30m近くはあろう垂直の法面である。



「さらにその先!」
路盤は一応土砂だな?線路なので傾斜調整の為高めに路肩をコンクリしたのか?。


ここにも木製電柱埋設のコンクリ塊が。

惚れ惚れするような絶壁君だが、スケールが桁違いに高い。
だがそこが問題では無い。
絶壁クンに連なる足下は
単管に足場板の仮設歩道仕様なのだ。2009年ではギシギシ言いつつも渡る事が出来たが、今は?



どうやらタイヤ痕がここにも!」
てゆーか、よくあの足場を越えたなぁ。当時はモーレツに感動したぞ。


路肩のコンクリートが終わると、再び凹区間に進んでゆく。


「うおお、倒木がトロッコに
見える!」
もはやビョーキだよ。

 2016年の今、他の橋の状況を考えれば無事であろうはずも無い。
ここを超えると凸区間に飛び出す。あの絶壁クンの真下はコンクリート要壁で路肩を固めた美しい路盤が表れる。
「高い!」
 凄まじいばかりの高さ、そこに道が在る事にしばし酔う。
 この区間は珍しく崖側路肩に15〜20センチ程のコンクリートが駒止宜しく連なっていた。

 道は再び安定して谷沿いを新田川と共に遡上してゆく。その一角には出だしの頃に見た木製電柱を入れたと思われる「穴の在る」コンクリート隗は鎮座していた。
 相変わらず山側は見事な絶壁、
ここでロッククライミングとかやったらモーレツだろうなぁ、とか思いつつ先を急ぐ。
 

何か新たなイベントが見える!。


 もう先のコーナーからトロッコが現れて来そうな雰囲気がたまらん!。
 そして、足下に在る倒木には今だしっかりとタイヤ痕がある。だがタイヤの銘柄迄は判別出来ない。



「何なんだ?この時代が進むごとにチープになるのは?」


「情けない程に低規格な惨状だな」
手前の堤が物凄い高規格で昭和ヒトケタに造っているのに、30年後は仮設足場かよ。

 
程なく前方に何か大きな、つーか長い物が見えて来た。
「片桟橋か!!」
 いやいや、近付くと手前に堤がある!今度は木橋ではなくコンクリート要壁で造られた暗橋というスタイルだ!。その先に片桟橋が接続している。
何とも飽きさせない展開だ!



片桟橋から振り返って堤を撮影、見事だ!


「飽きさせない展開が続く」
その先にすぐ堤かよ!しかも長そうだ。


「でも山津波かよ!」その堤も土石流によって
打ち砕かれていた。破壊された線路の内側に新たに道路が在る。


「何事も無かったかのように静寂が戻る」


こんどはきっちり路肩の高さが同じだ。
良く見ると一部コンクリート舗装っポい。

「ちゅーか、この片桟橋恐えぇ!!!!!
 もう最初の一歩目からギシギシ言って、
既に所々が穴開き貫通してやがる!
 先ほどの絶壁クンの所の片桟橋は、ある意味キチンと単管パイプでやぐらを組んで梁を乗せて垂木を横に並べて足場板を張ってあったのだが、
ここは違う!
 足に当たる部分は、鉄筋コンクリート建てのマンションなんかで床打の天井コンクリート何かを支える伸縮式の仮設柱である。
ここはこの2009年時点でバイクの通行が出来ない!
 今はもう腐り落ちているのではないか?



「どうやらここも土砂崩れ」何処もこんな調子ならKLXラクショーなんだが。


この補強の対処法?営林にしろ巡視にしろ、

やはり軽虎通行が前提と見た。

●悶絶
 
差し出す足をよく考えながら何とか片桟橋を突破すると、例の如く凸区間に出る。
 さらにもう一連、木橋を要する堤が現れるが、こちらは林道整備前後に崩れたのだろうか?山側に明確に4輪の踏み痕を感じられた。

 またしても高いコンクリート要壁を足下に組んだコンクリート路盤が現れる。こんな山の中でこれ程のコンクリートをこの峻険な場所で打設していることにただただ感動する。
「本当に高規格な路線だったんだな、新田川線は」
それだけに、巡視路になってからの片桟橋は目を覆うばかりだ。
 まあ、あるだけマシと思わなければ。
 路肩の欠損を補う補強のコンクリート断面は、かつて在ったコンクリートの路肩が流失してしまった感が在る。



「あ!!!」
そしてその先の凹区間で、
それはイキナリやって来た。



「ああaあaaaa~!!!!」


どうやらコンクリート製の橋を一撃」
うはぁ!これで落ちない橋は無いな。


「線路は続くよその先も!」ここで撤退。
因に、この先は4輪通行の形跡が完全消失。



帰り道、この壮大な林鉄を見収める。リベンジを心に誓って。
「リベンジ失敗だったがな」実際は(泪w

 今思えば、KLX125なら山側から超えていたと思う。
と言うか越えるつもりでやって来たが、オドメーターから逆算すると大体0.78Kmほど。
正直1Km行かないことが大ショックだった。
 ここに至る迄も酷いが、やはり片桟橋区間はもはやバイクどころか人の通過も難儀だろう。
 無論2009年にTTR250では超えられない。最後のあの岩を越えるのも相当キツいが大きな岩の裏は絶壁クンだ。そこを下るに、当時のMRの技量を遥か14万8千光年程凌駕している。
 
ここを見届け、2009年のMRは撤退した。

 因に、帰り道に見ていたが例のタイヤ痕は種別不明ながら、
ここを越えてさらに奥に行ったようだ。
 世の中には想像を絶する人たちが居る、そう思ったMRであった。


 一連の出来事を地図に落とし込むとこんな感じ。
当時のGPSデータを喪失したことが残念。オドメーターもそんなに狂ってるとは思わないが。


●旧原町森林鉄道新田川線(石神発電所〜助常林道間)
区間総延長:約6Km(全線未舗装)
徒歩区間 :約1.5Km(たぶん?)
走行区間 :約0.78Km(1キロ以下でレポ上げるの初めてだよ)
概要
 山いが/ヨッキれん&くじ氏の来県は2006年5月。全長6Kmはそこから拝借した。
この区間は助常側からも入ってるが大崩落地点で撤退している。
 まあ仮に貫通の第一隧道が行けても第二、第三は閉塞確定なので、本当に「努力目標」と言うべき所なんだが、敗。
 鉱山への道は宿題。
 何故なら文献には
もっと西側にあり、索道で鉱石を新田川線に降ろした旨の記録があるからだ。これは某サイト掲示板に鉱山の踏破談があるので、記録と照合して信憑性は高いと思っている。


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