廃道日記(Riding・Report)



卒塔婆峠検証セヨ。




振り出しに戻る。

廃道日記 28-4 検証「Revenge! 卒塔婆峠」

13人の落ち武者が
村人に狩られてしまった山
「クビカケの森」。


 2011.4月。


老夫婦にはゲート内でお会いしたにも拘らず、特にお叱りを受ける事無く
お話を伺えたのは幸運だった。


その話から
卒塔婆峠のポイントは5つ。





ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



 明治12年に信夫郡瀬ノ上村起点から伊達郡保原村と掛田村を経て相馬郡中村に繋がるルートとされ、同年をもって縣道2等線に仮指定をしている相馬中村街道。
 明治9年に着任した某鬼県令は 明治18年、相馬中村街道は県庁から分岐する渡利、大波
(里道から改良を持って)経由の路線に再び換線した。この決定は当時信夫郡の名士を自認していた保原・川俣の郡長や三役を唸らせ、彼等は県道指定を外れた後も旧道に改良を加え続け、縣に是正を求めていた。
 長い争乱の末、結局縣道は大正8年に縣道福島中村線として渡利、大波経由のルートが再度申請された。
 
再三揉めた縣道指定、決着が付いたのが大正9年と言うから県と信夫郡は35年も綱引きがあったと思われる。しかもきっかけとなった当時の県令三島閣下も明治21年に死去していたのだ。


参考文献一覧

著者、編纂

製作、発行年

福島縣道路改盤沿革概要

福島県

福島県 昭和3年

塩の道を行く

朝日新聞福島支局 編

歴史春秋社 昭和60年

「歴史の道」
 相馬街道(奥州西街道)中村ー本宮

福島県教育委員会

福島県教育委員会
 平成17年10月

 そしてあの日、杉林から境界ルートにスイッチする瞬間が林道との交差点と思われた所は、ついに見付けられなかったのである。

今回のルートは、TouringMapple2012.3版に一部掲載(点線表記、部分的に表記なし)。



 パラノイア。

 
頂いたGPSのログから、ウオッ地図やグーグルに落とし込んで見ると、我々は見事なまでに破線上のルートを走り、卒塔婆峠を通過していた。
 最終局面の新駅近くの三角点601が街道と林道の分岐であるが唯一ここでミスルートがあり、我々はY字路を道也右折してしまい、林道から新駅に到達している。
 あのT字路らしきところが、街道と林道の三叉路である可能性は十分にある。
ここまでは良しとしよう。

 問題点があからさまなだけに、この三叉路については新駅側から入れば自ずと解るだろう、ここはそれでいい。


今回のルートマップ。玉野から中村(新田川)まで、全長は結構ある。
1)ルートは道をロスト。
今回も2)のB)区間の卒塔婆峠付近。
オレンジの線は2011年探査時の通過ルート。

 
道の生い立ち、と言うか進化として、新規開設が在ると思う。

 通行量、通行種別に道は改良、深化を繰り返し、やがて飽和して新規道路、あるいはバイパスとして新しく生まれ変わる物だ。
 だが指定を剥奪されたこの街道は縣道に移行する事すら許されず、縣指定の伐採道として認可される。
 戦前/戦中にこれが認可された事は想像に難く無い。
 江戸時代に相馬藩が領民を飢饉から救う為に作られた「御山」を、"大日本帝国の御為に切れ"という事が林道延伸の目的なのである。
 その習いで行けば、トラックを使っての大規模な森林開発に昔の街道の立地条件は不利で、現代になると当然に車道中心の営林展開を前提に新たに林道が開削されるのも、一つの摂理と言えよう。
 そんな事を前提に、話を昨年に戻そう。
 2011.4月。老夫婦にはゲート内でお会いしたにも拘らず、特にお叱りを受ける事無くお話を伺えたのは幸運だった。
 そのお話から卒塔婆峠のポイントは5つ。
1)「卒塔婆峠までは(たぶん)通行可能」である事。
2)旧街道と後年開削の林道は「(卒塔婆)峠の先で合流する」事。
3) 卒塔婆峠は街道の最も高い通過点ではなく、少し下がった所にある事。目印は祠。
4)合流後は完全な山道であり、バイクの通行は困難を極める事。
5) 旧街道は道が崩れて徒歩以外では通れない所が数カ所ある事。

 この内、幾つかのお話は、話が前後しつつも、ほぼ証言通りの展開だったと思う。
 峠の通行可、その峠の祠は実はピークの手前で一段低い、峠の通過後は道が不鮮明、道の欠損,復元化。

問題は只一つ。2)の「峠の先で街道と林道は連絡する」という事だ。
 昨年この言葉に触発されて卒塔婆峠を望む所から道をロスト、街道か伐採道か?という小径を確認する。
 当初はこれが未通過の街道かと色めき立っていたが、今回実際に街道側を走破すると、似た雰囲気の所は存在したが、
ハッキリここだと言う確証を感じる事が出来なかった。
 老夫婦の思い違いなのだろうか?
或いは罠?
(どんな罠やねん>俺)


Revengeの検証 10

 
嵐の様なGWが過ぎ去って、あの日に比べて曇りがちな空のもと、同じ集合場所には1台のセローが既に到着していた。
「お早うございます」(お 
 今日の検証にはおぉじぃ氏に同行をお願いし、彼も快諾してくれたのだ。
と言うより、彼もこの件に関しては興味津々と言った具合であるのだ。
 しかし、MRのほうは少々憂鬱である。何故なら既に前回の「Revenge!〜」でジモティからのお話に偽りアリの疑惑が浮上したまま、今日の今日までぶら下がった訳だから、そらうっとうしいのも当然なのだ。
「今日で総ての決着を着けようか?」(M
「例の新駅区間は」(お


軽井沢林道にある某支線。
背徳の峠への入口。
(Photo:2011.4)


昨年の4月3日の映像なので、まだ冬枯れのまま、。
検証当日は既にここも薮の状態であった。
(Photo:2011.4)


街道側に勝るとも劣らない雰囲気。
見通しの効く早春や晩秋は特によいぞ。
(Photo:2011.4)


車はここまで。
昨年、ジモティらはこの三叉路で車庫入れして部落に戻った。写真左から直進となる左コーナーで、
カメラ側が枝道である。
(Photo:2011.4)

「ん〜?どうしよ?」(M(笑w
2台の"ヤマ"派は、セブンを後にした。

 あっという間に不思議な世界、手前で空気圧を少々下げて、軽井沢林道から例の枝林道の入口にて突入した。
 この周辺は昨年春にレポ済み撮影済みなので、今回は撮影しないでおく。
実際には編集の今になって、「やっぱ、何枚か撮って置くんだった、ゼ!」と言うくらい画面に差がでて、少々ガックリ来たりしている訳だが、まあ仕方あるまい。
 それにしても、道が荒れているのには心が痛い思いだ。
 今年に入っては恐らく1台の車の通過は無い。昨年在った老夫婦も避難したのだろうか?
 全く、「原子力災害」には困った物で、放射能がある限り、この林道も放置され続けるのだろうか?


写真が判りづらいが、伐採道と枝分かれする
と言っても道幅自体はほぼ同じ、通行量での主線、副線とする。
(Photo:2011.4)

 そして、道を塞ぐ大きな倒木。
 春先に強風に倒され。そのまま放置された樹木だが、それでも生きているのか?所々に新芽も見える。
「本当に誰も入っていないですね」(お
「前人未踏だな、多分今年初入りだ」(M

 ここで早くも倒木越えに失敗し、転倒を喫するMR。それに対して逸る事無く倒木を越えるおぉじぃ氏。ううむ、矢張り巧い。
 もうすぐ7月と言う時期にこんな枝道に入るのは初めて、荒れ放題だが、林道本体の破綻に繋がる地形変化は見受けられない。大丈夫、逝けそうだ。



「ここに倒木だよ」良い感じに倒木セクション、ヤられてるけど>俺。


 前回行った最終土場までには小さな峠が都合三つある筈だ。まるでその中間点と言える所に最初の倒木があった。
 ここを過ぎると下り坂のボトムから峠への登りに転ずる道也左に分岐があった。しかし薮に埋もれて消えるその枝道は、ここ数年行った足跡等は確認出来ない。
「取り敢えず(支線本道)先に行きましょう」(M 
 本線となる軽井沢林道はまだそれ程感じなかったが、この卒塔婆に向かう
(と言われている)林道の荒れ方はほぼ放置プレイと言えるだろう。二つ目のピークは難なく通過、まあ殆ど薮だが、やはり道路は薄い。
 次の谷は路肩が欠損していた筈だが日当りの良さも手伝って薮が濃く、路肩の確認が出来ないので慎重に法面側を通過する。
 そして3つ目のピークに登る掘り割りの真ん中で倒木!
 自然にスロットルを上げフロントアップの態勢だが坂下から乗り越えるには少々高かった。
「おおう!」(M

 上り坂の上に倒木。フロントタイヤを上げたところで転倒つーか引っかかって倒れる、が正しいか?車体が倒木の上で倒れているので、すかさず押してこれを越える。
「越える気になるんか?アノタイミングで普通?」(お
「あづい〜〜、あら、ミッションペダルが捻れちまった」(M
おぉじぃ氏からモンキースパナを借りて、これを力任せに直す。


新緑と呼ぶには妖しい憂いを感じるのは、
梅雨場ならではという所か?


昨年の春先にはハッキリ判る
路肩の崩れ。
(Photo:2011.4)


朝露に濡れた倒木は実に良く滑る。
ナカナカにコワい、おぉじぃ氏も慎重だ。



加減を窺う。すばらしいセクションと化した林道区間。


 
7月目前の梅雨時期なのだが、曇天模様の妙に蒸し暑い日だ。
 汗だくで二人、倒木を越えて3つ目のピークに到達。ヘルメットを脱ぐのも忘れて、かつての分岐と思わしき窪地から道路左手の森に入って行く。
「おおっ、コレですね」(お
「どうです?江戸時代の街道と考えると、いい線でしょう?」
(M
「う〜んン」(お

 ザクザクと落葉の絨毯を踏みしめ,古道を歩く。ひとしきり散策し、地形の成り立ちを見たおぉじぃ氏はぽつりと言った。
「それにしても、合流するには近過ぎませんか?あの渡河位置からこの林道までは結構ありま

無事突破、ほっとする。
いよいよ、最後の峠に向かう。


したよね」(お
「ん、でもこの林道は尾根伝いに北北東に向かってますから、殆ど真東にいく旧道とは地図上卒塔婆で合流となります」(M
「家でGPSログ見れば一発なんですけどね」(お
「この道は先日
(GW)は通っていない?」(Mバイクに戻りつつ、確認する。
「通っていない、地形的にもこの道、もしくは近くを通った感じがしない」(お 結論、ここはかつての伐採道だ。
「了解です、この林道の末端まで逝きましょう」(M
この伐採道、先程の分岐から来るのではないか?と言う予想を立てた。そのうち行ってみよう。
今日の所は、まず卒塔婆だ。



おおっ!卒塔婆とおぼしき三角点688が見えた!


問題の三叉路。写真右奥にすぐ・・・・



コレだ。問題の廃道区間、しかしおぉじぃ氏の見立ては・・・・?。
(Photo:2011.4)


Y字路をさらに東へ、終点土場は目の前だ。が、。
(Photo:2011.4)

その足下は
既に余命がなさそう↓
(Photo:2011.4)


 境界の擬定。 11

 2台は、現在の林道末端とも言える土場に到着した。
 ここは卒塔婆に連なる山脈の南隣の尾根である。南に拓けた林道は荒れるに任せ、
林道末端の手前には大崩落がある。
 この土場、実は末端とは言い難い。
土場を囲む薮の東側にはもう一つの大崩落を伴って道は続いているからだ。
MRは躊躇無くその薮に突っ込んで、その先に在る分岐を左に折れると、かつての林道から薄暗い伐採道に入り込む。
 前回のRevenge!でのログから、旧街道に沿って部落単位で植林をしたことが解っている。





「確かに車道はあっちですね」(お ここでも、同じ現象が見て取れた。境界に沿って車が入れない登山道のような道が続いている。
「あの山が三角点688mの山で、その南側が卒塔婆峠です」(M





「うん、あの松の木に見覚えがある、つーことは街道はここからさらに北側と言う訳だ」(お
「最初、さっきの林道との切り

目をRevengeの時に通過した気がしてたんですけどね」(M
二人は今抜けて来た分岐点まで戻って考察してみた。


土場からさらに薮へ。
(Photo:2011.4)


この薮、実は幅2mの林道である。
(Photo:2011.4)


さらに植林境界から道幅1mの伐採道へ。
(Photo:2011.4)


山脈の東端から隣りの尾根にゆく。道は一時北に進路替え。
(Photo:2011.4)


コーナーから三角点688m! やはり、あれがそうなんだ。
(Photo:2011.4)

「順番も似てるよね」(お
「いやいや、違いますよ。でもこれ、林道は先まで続いていますね」(M

分岐から林道に戻るとかつての道は雑木林に戻り、大人の腕の太さ程の木々が春を謳歌していた。木の太さから、道が放棄されて10年位だろうか?
「ジモティの言う通り、卒塔婆峠の真下まで道はあるようだけど」(M
「いやいや、これは行けないでしょいう」(お
「ですよね」(M




あれが卒塔婆峠、その祠の場所だ。あの辺で街道と合流なのでは?
(Photo:2011.4)

 とすれば選択肢は無い。二つ目のピーク下の分岐が、あるいは卒塔婆に繋がる路地の可能性も棄て切れないが・・・?
 何と行っても目の前に卒塔婆峠が見えるここが重要だろう。
「戻ります?」(お
「折角来たんだから、この伐採道を行きましょう」(M

 小型軽量のセローが先頭に、伐採道に改めて突入してみる。
 最初、ゆっくりと降下した道は鳥瞰的には大きな楕円を描く右コーナーという道筋だった。拡大すると荒れるドットの様に実際の行程は上下左右に曲がっていたが、明らかに卒塔婆峠とその尾根筋に向かってある筈の街道に向けて、楕円の半分程から道は急速に登り初めてた。
 相変わらず道の左手(北側/玉野側)は一大植林地帯であり、右手の南相馬側は雑木林である
 唐突に急坂になった伐採道の登り上げ寸前に、クランクを伴った松の木と間伐材が放置された様な所で先頭のセローが引っかかる。その隙間を269がサラリと抜けて登り上がる。負けじとセローも登りあがる。
「なんか感じ良い道だよね」(M
「街道の旧道よりこっちの道のほうが好みだな」(お

 午前中の光が雑木林を通して心地よい木漏れ日を作り出していた。登り上げた先の直線は見通しも良く,お陰で次にやって来る難問が目に見えて確認できた。
 それは、
「笹薮」。身の丈は子供の背丈程も在るだろう鬱蒼とした薮である。そして薮が始まる直前に道は再び下りに転ずる。
そして先頭のセローが止まり、おぉじぃ氏が声を上げた。



左(霊山玉野)、右(南相馬)。
同じ管轄ながら森林組合の考え一つで植生が違う。


道自体は直線なんだけど。
上り坂の頂点にある倒木を避けて、脇から顔をだすのはおぉじぃ氏ならでは。



「これだな、この前の街道は?」(お


これが三叉路?! 色分けしないと道と解らない。
撮影位置は旧街道側(西)から卒塔婆峠へアオリ(東)右上(南側)から林道からの連絡道。


卒塔婆側から! 右が旧街道、写真正面が連絡道となる。
現場では土地感が働かないとまず判らない。
・・・・スイマセン、この2枚は帰りに撮影してます、バイク逆向きです、廃。

 解 決。 12

 それは、胸まで浸かる熊笹の三叉路だった。支線というか伐採道側から合流出来たからこそここが三叉路と解るだけで、前回の通過時には全く解らない。老師も師匠達も、絶対に解ろう筈がない!確信に近いひらめきがあった。
 実際、バイクを置いて街道側からは全く合流点は解らない。皆目見当すら付かない見事なまでのブラインド効果だった。
 だが、全く見当が付かない訳ではない。GW以降に恐らく森林組合がちゃんとリボンを進路に付けている。三方にキチンとリボンが付いているのだ。コレがあれば多分老師らも気が付いたか


どう見てもただのヤブなのに・・・?

もしれない。
いやいや、
MRがGW当日に見落としているだけかもしれないな?
「これは解りませんね」(お
「ぜってーわかんねぇ!」
(M 二人とも興奮している。
「ここ、卒塔婆峠の手前ですよね」
(お
「多分、行ってみれば判んべ」
(M


道ドコ?!逝けるのかヨ既に車体より高い笹薮。
これも一種のマント群生と言う事なのか?。


 そして地獄の笹薮登りが始まった。バイクに跨がってスタンディングで登っているのに、目の前に熊笹の壁が何度も何度も出現する。
何という深い熊笹の薮だ!
出来の悪いアニメのバンクシーンの様だ。
ガツッ!足下が全く見えないのに倒木がある!
 この感触はGWにも覚えがあるぞ。そして笹薮の合間から見える峠の杉の木、その印象・・・間違い無い、
この峠は卒塔婆峠だ!
笹薮はピークまでガッツリと密生していた。


障壁の様な薮の先に・・・辿り着いた。



まるで扉が開く、いやいやフロントタイヤで扉を押し倒したかの様に、その異空間は唐突に現れた。
「やった、卒塔婆峠だ!」(M
すでに到着しヘルメットを脱いだおぉじぃ氏が満面の笑みで迎えてくれた。




「凄いスゴい!本当に、     
 卒塔婆峠に着いちゃったよ!」
(お


まるで民話の様だ。夏に向かってドンドンでかくなりそうなフキだ。

これで確定した。
 昨年春、林道の最終位置から見た東側正面の山が三角点623、その南側が卒塔婆峠、祠の位置である。
そして林道は(多分路盤崩落で通行不能になったと村人は知らないのだろうが)峠の手前約1.2Kmで廃道化。植林境界の伐採道を経て街道に合流するのである。
 これは同時に、卒塔婆峠に逝くだけなら難易度の違う二つのルート、幾つかの通過パターンが選択可能になった事を示している。
「セシウムがなけりゃぁねえ」(お 痛い所を付いてくれる。
 GWの線量は0.18mSv/h~0.22mSv/h、普通はまず足を運ばないだろう。


良く訳の判らないポーズなんだが(笑w。



連絡伐採道側から見た相馬中村街道。バイクは帰りなので西向き街道側。
僅かに別れる熊笹でここが道と判るだろうか?。

 私らは既に放射能に対する感覚が麻痺しているのだ。
 早速発煙筒を焚いて祝賀ムードのおぉじぃ氏。祠の周りには程々に育ったふきが独特の葉を広げ自生していた、祠の御神木は百日紅だろうか?枯れ掛かっているが独特の雰囲気を醸し出している。
「水場がありますね、ここ殆ど山頂なのに」(お
見ると祠の裏手3m程先の斜面に太さ20mm程の塩ビ管が刺し出され水が出ている。なんとコップもあるではないか?
何処から湧いて出ているんだろう?
「成る程、水が出るなら茶屋があってもおかしくはないな」(M まあ、飲もうとは思わないけどね。



街道と別れ、登り始める連絡伐採道。
登りは10%程度だが・・・。




街道側から見ると分岐から10m程で既に大分落差がある!。
ていうか、街道側からここに道が在るとは到底思わない!!



 
写真を撮りながら考察する。もう一度書籍を洗わなければ。
 帰りに、改めてあのY字路を確認する。卒塔婆から下って来てもこの濃い熊笹の為に路面を垣間みる事は敵わない。
 しかし、一度は我々が通ったせいか僅かにくぼみが出来て、バイク等が通り過ぎた事が判る。三叉路から林道に戻る窪地がわずかにあり、それを頼りに進んで行く。林間地帯に出た。
「ん?何処から来たんだ?」(M
  バイクを連絡道沿いに進めると、街道と思われる下の道はキチンと間伐が成された植林地帯に入っていた。


そう、ここは目の前の熊笹の薮を前に1台づつ態勢を建て直した所だ。

 杉の根元は黒々とした土が見え、先程の街道からガラリと変わる。おぉじぃ氏と二人、バイクから降りて街道を確認する。
「この薮の壁は見覚えがあります」(お
「ああ、T師匠とBS師匠が先行確認のため待ってた所だ」(M
 
まっすぐ出て来た気がしたが、直線に繋がる掘り割りにバイクの轍は見付けられない。
「これじゃない?」(お
 おぉじぃ氏が斜面のしたから捲り上がる複数のトレッドパターンを確認する。ここだ!
「ああ、間違い無いな、ここが街道からの上り道だ」(M
 ルートを確認して大満足の二人は、そのまま再び連絡道を戻り、例の林道から無事?戻ったのだった。



直角に曲がっている様だが実は鈍角。
斜面を斜めに登っているのだ。
回りもバラバラに轍がある。


DTMでは珍しいGPSデータ、卒塔婆峠周辺のデータマップです。


●旧相馬中村街道(部分)
 

@軽井沢林道             R115〜疑定林道入口        :1.9km
@軽井沢林道支線(旧掲載名:疑定林道) 疑定林道入口〜終点土場      :1.9km
@連絡伐採道             疑定林道終点土場〜卒塔婆峠旧道) :1.2Km
@疑定相馬中村街道          (街道/連絡伐採道三叉路〜卒塔婆峠) :1.1km
@区@区間総延長           (全線未舗装、実地走行可能区間)   :6.1km

調査日:11/4/3の状況:
 軽井沢林道の場合、通行は可能ですが原町営林署謹製のゲートのため、一般車両の通過は出来ません。林道自体は部落の森林組合が管理しています。
 現在、廃道区間は東日本大震災の影響で何時崩れるか解りません。何時でも避難出来る体勢で、被爆防護を必ず行いましょう。
 尾根南隣りの館岩村は計画避難地域です。政府公報や市町村HPで立入禁止の有無を確認して下さい。放射能の拡散状況を風向きと共にご確認の上、ご入山下さい。


調査日:12/6/17の状況:
 軽井沢林道は、相変わらず原町営林署謹製のゲートのため、一般車両の通過は出来ません。林道自体は部落の森林組合が管理しています。
ですが、今年は枝道などの伐採道は昨年からの放置プレイで大分荒れております。倒木などもそのままですので、危険を感じる場合は立ち入らないでお帰り下さい。
 伐採道はあくまで営林関係者が造林や間伐の為に張り捲らした管理林道です。通行の際は作業車優先で危険を感じたら迷わず森から出ましょう。
 現在、廃道区間は東日本大震災の影響で何時崩れるか解りません。何時でも避難出来る体勢で、被爆防護を必ず行いましょう。
 尾根南隣りの館岩村は計画避難地域です。政府公報や市町村HPで立入禁止の有無を確認して下さい。放射能の拡散状況を風向きと共にご確認の上、ご入山下さい。





廃道日記 28-5「Revenge-2!! 卒塔婆峠」

次 回 予 告


いいのかよ、何にも判ってないのに無謀な予告なぞ・・・。



次回のルートマップ



今回のルートは
TouringMapple2012.3版に一部掲載(点線表記、部分的に表記なし)。



突破出来ないので、休憩!(爆
奥が土場を挟んでの中村街道と思われるが、
猛烈な薮である。
(Photo:2011.4)


廃道にお決まりの鉄塔表記。
(Photo:2011.4)

始まりのエピローグ 8

 
おぉじぃ氏は言う。
 かつて東玉野の林道脇でBS老師が卒塔婆峠の玉野側入り口を探して、馬頭観音の裏山辺りを探索したと言う。
見付ける事は敵わなかったが、ロクに地図も見ないで、街道なぞ知らぬBS老師であるが、山師的カンは鋭い。

 
S老師は語る。
 かつてT師匠と共に東玉野に向けて軽井沢林道のある地点から真西へ、玉野に向けてみたものの、峠付近で道を見失い。山頂付近の鉄塔道まで辿り着く事叶わなかった、と。

 
昨年のMR。
 玉野側の鉄塔道と、その先の土場を確認した
MRだが、土場の先に道は無かった。




では、
この道は・・・?




一本の橋がある!オイオイ、人専用だろうが。

上は猛烈な薮!。
かつての土場は神様が人間に荒らされない様に
雑草達に貸してる様だ
バイクを置いて横道に逸れて登る?












・・・・・・・!?

2011卒塔婆峠
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