ここに八木沢峠の全てがある。

廃道日記(Riding・Report)



子供の昔、父の運転するJ53で相馬や原町に海釣りに連れて行ってもらった。
古い記憶で路線名はよくわからない。

ただ、
峠を一直線に貫く一本の切り通しはまだ工事中で、
偉く廻りくどいつづら折れの道はもうもうと前を走る車の土煙に包まれていた。
父に開けていた窓を閉めろと言われ、外を見ると・・・

「あ、橋だ」
窓を覗き込むと、青空に大きい腕を上げた大きなクレーン車が
橋桁を吊り上げていた。


後日、アタック後に写真を見ていハタと気が付いた。

あの第一分断点、経線を考えると、
「あれは八木沢橋なのだろうか?記憶に埋もれた風景を手繰り寄せる。

すべては繋がり、時代とともに旺盛を迎え、消えてゆく交通文化。

いま、その道をTTRが走り抜ける。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
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キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)017-3
 

 昭和27年(1952年)に公布/施行された現在の道路法。
同時に施行された道路法施行法では、大正旧道路法によって認定された府県道の路線を、そのまま現行道路法に基づいて認定し
「都道府県道の路線とみなす」事になった為、暫くの間、旧道路法時代の路線と混在・存続する事となった。
 この27年の施行は、あくまで後日談的に見れば施行というより選定に近く、要するに
「国ではこの路線を国道や県道に指定するけど、県や市町村はそれでいいかい?」とするモノと考えられる。

 その後、昭和29年(1954)に「主要地方道の第1次指定」が行われ、各都道府県はこの告示に基づき路線沿線の市町村に「これでいいスか?」という認定確認を行い、整理をした後に国に上申している。
 これが現行道路法に基づく
「最初の都道府県道認定」である(ただし、これ以前に認定された路線も若干存在する)。さらにその後、一般都道府県道についても路線の整理が行われ、現行道路法に基づいて認定が行われた。

 これによって、現行道路法による路線認定は、大まかに「主要地方道」と「一般都道府県道」の2段階に分けて行われる事となるのだ。 

 今回の原町川俣線は、主要地方道第一次指定(実質的県道指定)。
昭和29年(1954)1月29日 建設省告示第16号「原町川俣線」となる。
 明治期に街道から幹線され、大正期に現在の旧道ルートに落ち着いたと思われる県道12号線。昭和46年から51年までの間に現在のルートに幹線される前の旧道。
今、20年振りに動力車の通行を赦してくれるのだろうか?
そして、
「あの風景は」何処で何を見たのだろうか・・・?

今回のルートは
TouringMapple2008.1版に道路のみ一部掲載(部分的に道路表記なし)。




参考文献一覧


著者、編纂

製作、発行

川俣村史及び川俣町史

川俣町

川俣町教育委員会/著作・発行

原町市史

原町市

原町市教育委員会/著作・発行



写真分類
09’3月来訪は黄色でコメント。車両はTTR-250R/91'改
08'12月来訪時はオレンジ色でコメント、車両はJA-11V 660ジムニー。



おそらく営林関係者が建てたであろう木製支柱の後には、ガードレールの支柱が建つ。
路上に見える白い瓦礫は・・・何故か
(産廃カヨ・・)


 定石! 8

 峠の発生を考えれば、その道筋は容易に想像が出来よう。
 しかもここには現道と旧道がすでにある。あとは繋がりを考えれば良い訳だ、
パズルならもう出来上がったも同然である。
 というか、上真野川に掛かる現道の沢見橋の下に古い橋があるのは、K12企画の調査時に既に確認済みだったので、あとは実際バイクを持ち込んで何処に出るか?その経線は?という確認作業である。
 少なくとも旧道は定石通りに上真野川にそって粛々と続いている筈なのだ。

 もっとも、地図上では
完全に抹消されており、それがどのような経線で何処に行き当たるかは判らない。

 
この日、改めて TT-Rを旧道に滑り込ませた。



高さ6m程度の岩盤掘削。写真奥が昭和コンクリート擁壁
あの「原町森林鉄道」の技術がここにも見て取れる
この垂直さ・・・。


 バス停で言えばまさに地名通りといえる字「坂下」から旧道に分岐する。丁度原町側からだと登坂斜線の真ん中辺りから道路右手に降りてゆく道が旧道だ。
 土場と思われる広場の奥に、川に沿って道が続いている。上真野川を挟んで現道は南の尾根を、旧道は北側の斜面を登ってゆく。


 名もない橋梁群。 9

「・・・高い、しかも直角」
 原町森林鉄道の技術とも言える垂直に落とされた岩盤の法面の下、上真野川との間に旧県道12号線は幅4mの路面を未だに確保していた。
 垂直の法面はざっと6mはあるだろうか?惚れ惚れする程の開削である。

 川とともに曲がる先は赤土にコンクリートの擁壁を従えて、ざっと7〜80m程の直線が見通せた。

 一部に家電製品の不法投棄も見受けられるが、基本的に営林関係者以外は入っていない様だ。
 直線の最後はコンクリート橋なのだが、まず判らないだろう。足下が突然コンクリートとなって初めて橋と気がつく程、冬でも深い路肩の薮で気がつかない。


心地よい冬の日当たりにほのぼのと進む。


コンクリデツカ?ナゼ?


ソレハ橋ダカラデツなかなか凝った意匠の橋だが・・銘板が無い。


「橋かよ、おい」
 
見ればちゃんと欄干があり親柱も4つある。しかし銘版は全て剥ぎ取られており橋名も竣工年月日も不明だ。
 何より、北側を走る現道には相当する橋といえば、進入した第三分断点で上真野川を跨いでいる坂下橋だ。

「一応、旧坂下橋と云う事で」誰に確認するともなく呟いた。
 この橋を渡ると道はY字路となる。定石なら上真野川とともに遡る右だ。写真を撮るとTTRに跨がり杉林に入ってゆく。


冬でも藪に包まれる橋。奥に現県道12号のカーブ。


「県道と同じ幅の林道?」
つーか、この時代の旧道では「これが普通」なんじゃねーのかな?。


 
県道は群生したあじさいに占拠されていた様で、枯れ尾花となった花がハンドルに接触し砂の様に崩れ落ちてゆく。
 道路には南側の斜面から大量の水が流れ込んで深い轍を作っていた。
 ハマるとTTRと云えど腹打ちする深さもある。慎重に横断するがやはりハンドルを取られる。
 道路右手となった川と共にゆるやかな左コーナーを抜けると再び道路は直線となり、路面には日の光が差し込んで来た。

「だ〜〜!!!!」
 遠く正面に見える赤い橋が沢見橋である。手元に諸元が無いが、かなり大きな補強入りワーレントラス橋だ。
 そこに辿り着く為には、手前に倒壊している杉を超えて逝かなければならない。

 念入りに倒木越えの先には土砂崩れによる泥濘地も連続していて、廃道らしさに拍車を掛けていた。
 取り敢えず何本か倒れていた木を除去する。何年も前に倒れて片付けされていない木は腐り、容易に折れてくれるが、ここ2〜3ヶ月で倒れたらしい木はまだ生きていて、これは止む無く乗り越える事とした。

「どりゃぁ!!!」

12月に踏んで置いたんだがなぁ。

 昨年末の反省から本来の小型タンクに改装したTTRはダブルライトをものともせずに軽々とフロントを持ち上げる。


「さっきの橋だ」
けっこう高いのね?5m位?。


林道なんかと比べるまでもなく、
なるべく直線化する努力が認められる。


倒木タ〜イム!


これが旧沢見橋。
雪が無ければ、視覚的な道幅が掴めないほどにプランター化している。



 しかし、進入角を誤り幹の太い方にリアが掛かってしまい、うまく着地出来ずに横倒しとなる所を左足一本で支えて止まる。

「あ、アブねぇ・・・」

 幸いリアタイアは倒木を超えていたので体制を起こし、泥濘地を押して突破する。目前には巨大なコンクリートの橋台と散乱したゴミがあった。
「缶コーヒーとか、まあ判る(いや、やっぱ判りたく無い)んだけど・・・」

捨てるなよ!クルマの座席はよ!

 
夏場は恐らく緑の壁であろう橋下の薮を突破すると、古びた橋が架かっていた。

あ、でも雪があっても「橋」と解らないや、これじゃ(爆。


約3ヶ月後、雪が消えると橋の判別が掴めない。


微妙に違う欄干の形状。マニアックだ。
残念ながら銘板は無い。


「美しい・・・!」
欄干の形状に大正ロマンのかほりを残す「旧沢見橋(仮)」、
そのはるか上から上真野川を旧橋もろとも見下ろす現県道12号線の「沢見橋」。



「あれま・・・!」旧道は既に土場と化していた・・・。


「これが旧沢見橋か?」
 
この県道を設計した方はなかなかの凝り性なのか?欄干のあるコンクリート橋のデザインは少しずつ違うようだ。
 「沢見」と言うからには当時は渓流美が素晴らしいものだったのだろう。
 渓流まで降りて橋の全景を納める。
 今時の図面をコピーしたかのような橋とはまるでイメージが違う。

「素晴らしい・・・」
 真っ赤な現沢見橋とのコントラストもグッドだ。
 再び道路に戻り、これから行く方向に視線を戻すと、前方に何やら積み上げてある。

中央の材木は無論だが、実は画面右の桟木が渡して在る部分も深いV字溝になっている。


日当たりの良い山の南東面。植物の育成には十分だが・・・。
「コォレハ、ミチ デェツカ!!」。


もはや「決壊した沢」状態の路面。
県道12号は最後も、やはり只では通してくれない。


 第三のつづら折れ。 10

「材木か」
 近づいて見ると、一体いつ頃積み上げたのかと首を傾げる状態だ。
 バタ材という地面に下敷きする端材は道路に流れ込んで来た大量の土砂に埋まってしまっている。
 しかも二山ある材木は道路の真ん中にあり再び左側となった上真野川の路肩はV字渓谷となってバイクの通過を赦さない。
 MRは仕方なく材木と山側の間、法面にバイクを乗り上げこれを突破する。
 道路を破壊し続ける流水は上から深い轍を伴って流れて来ていた。


う、うわ〜!マジデツカ・・!。



「あった! ヘアピンだ!!」最大有効幅は8m近いヘアピンの懐。


 さらに進むと道路は川に寸断されていた。道路右手(北側)の法面から流れ込んだ形跡がある。思わず視線を上げると・・・

「あった!ここで標高を稼いでいたんだ」
 
目前には恐らく4連と思われる連続ヘアピンがガードレールの支柱だけを目印に延々と繋がっていたのだ。
・・・・・・・・
 て、いうか、この大量の水が流れた跡は上の段のカーブから流れて来ている様で、既に上も崩れた跡があった。道路を横切った水の大半は決壊した路肩から道路左手(南側)の上真野川に真っ直ぐ流れ込んでいる。
 土石流の様な大量の土砂共々水が流れた跡だ。
 道路に出来た枯れ沢を渡ると、滝とともに川は急激に標高を上げて来る。行き場を失った道路はいきなりUターンを初めて、これが4連と思われるヘアピンの始まりなのだ。
「広いな」
 そう、上の区間と同じ手法で、旧道はここから本当の八木沢峠と云える部分に突入してゆくのだ。反転するともう一つ沢越えが待っていた。だが、これは先ほどのヘアピンの7m程手前である。
 上流を見ると上のターンに暗橋があり、其処から流れた様だ。恐らく路肩には排水路があったのだろうが、旧道後の急速な廃道化でたちまち詰まって埋まったのだろう。



「イタイ!」バラ系の植物か?まるで「対人地雷」だ!。


 しかし、次のコーナーでその予想は脆くも崩れさって終うのである。

「何だ・・・これは!!」
 目前にある
長く高い水路は、U字側溝は!なんと現県道12号線から続いていたのだ。

 今超えた暗橋の源も現県道からの配水管なのである。

「旧道を壊し続けているのは今の県道なのか・・・」
 
そしてここで旧道は途切れていた。


路肩の側溝は土砂や大量の落ち葉で埋まり、

 正確には現県道の路肩となってしまったのである。
 歩けばもうちょっと道も在りそうだったが、密集した木と迫りくる路盤補強のコンクリートの隙間は全く無い。
 その現道の基礎に登って写真撮影すると、いかにこのヘアピンが巨大だったかが判る。


上の道路下には暗橋。その橋も抉られたかのような・・?。


「ナンデツカ?コリハ・・?」



旧道は新県道の路肩補強の前に消え去る・・・。
「終了ぉォぉぉ!!」



 水路は広いコーナーをほぼ分断して作られていて、下から「崩れている」と思った所は水路用のコンクリートの末端部分だったのだ。

「終了・・・だな」
 振り返るときれいに新沢見橋が見えた。どうやら橋の架け替えを目撃したのはこちらの方では?
 そう思いつつバイクを無理繰り反転させると、来た道を戻っていった。

●福島県道12号 川俣原町線
 「八木沢峠区間」
区間総延長:C区間 約0.9Km
      全線未舗装
調査日:08/12or 09/3の状況:

 路面状態は不良。(爆
 バッキバキの廃道です。C区間は完全激ヤブ放置状態です。
 単独での走行は生命の危機に繋がります。ここを見るだけにして、現地では大人しく現県道12号を走った方が身の為でしょう。
 

墓標のように建つガードレール柱・・・
路肩の様子では最後まで砂利引きだった路面が
想像出来る。



一体何処に出てくるのだろう?と探すと・・・あった!!ガードレールだ。
第3・第4ターンは現県道の補強として埋められ、旧道は合流点のみ僅かに残っていた。(笑w



と、見せかけて・・おまけ