廃道日記(Riding・Report)


「栃窪検断で昼飯食えば、八木沢峠は夜になる」

[塩の道]といえば、検索すると「千石街道」となるが、

全国各地にそんな道がある。

八木沢峠も、かつて相馬藩が内々で塩田を製造した頃、

内陸の二本松藩や、遠く会津藩まで海産物と共に塩を運んだ道だ。

相馬を出荷した塩俵が最初に出会う険しい峠道、

それが八木沢峠である。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)016-4
 
 さて、掲示板に書き込まれたss氏による投稿。
お察しの通り、県道12号原町川俣線と県道267号大芦鹿島線との分岐にある小さな峠でありMRも八木沢を企画した頃から気にしていた区間である。



まあなんですか、
結果は解りきってはいたんですが、やっぱり見にいかなきゃね?
と言うコトで、
「GOだ!!」(BGM"Hiromi Go"[エキゾチックジャパン](古!))
今回のルートは、TouringMapple2008.1版に掲載なし。(そりゃそうだ)




参考文献一覧


著者、編纂

製作、発行

川俣村史及び川俣町史

川俣町

川俣町教育委員会/著作・発行

原町市史

原町市

原町市教育委員会/著作・発行





春は曙、うららかな春の朝に写真を撮りつつ林道眺めつつしてると、始発のバスが下って来る。
これがバラ坂峠(仮称)である。(仮称カヨ・・)


 バラ坂にて。 11

「廃道は、幾千万のォ 分かれ道ィ〜♪」(考えるだにイヤだな、ソレ)

 鼻歌まじりに、朝6時のその峠。
 これから気温は20度をこえるだろうという気象台の発表を肯定するかのような花曇りの朝だ。
 この県道分岐には「バラ坂」という地名がある。バス停もだ。
 ところが、住所は"大原字大芦"、峠ではなくこのお向かいの林道の名前も「バラ沢林道」(09'04現在林道工事中)である。
「どこから来た地名なんだよ?」
  アイヌ語でバラとは茨?原?
前者なら棘のある植物から?後者なら
「広い坂」という意味か?。
通行人も皆無で、MRの疑問は雄叫びと共に八木沢の山に散っていった。
さきゆく山桜のように。
(どんなやなねん?)

一応、当ページでは、
「バラ坂峠」と呼称させて
頂きます。
(核爆!もしかして自爆?
 さて、逝ってみますか。


バラ、しかもカタカナだからね。
アイヌ系の言葉か?バッカメキの例があるしネ。


近くにあるバラ沢林道。ゲート前にて。
(撮影08’11)


いきなりコレだよ・・・。ま、予想通りですがね。


 のっけからコレである。
 すでに道ではない。しかし鮮明に道幅が確保されており、旧道であることに疑いはない。無論、この時期以外に入る術もない。
 経線から見れば、丁度バラ坂のバス停裏に民家があり、その庭先(バス亭と民家の間)に在る幅3mの空間が旧道だ。バス停から見て奥の、上真野川に流れ込む支流には昭和戦後のコンクリート橋もいまだ現存している。
 旧道は原町に行くルートより川沿いに小高に抜ける方が楽で便利がよさそうな経線ではあるが、いまでこそ県道として舗装整備されている鹿島線も江戸末期から明治頃となれば険しい沢沿いのルートである事は想像に難くない。
 バラ坂峠を越えた所にある祠の事などを考慮すると、やはり安定した山道が正解と考える。

「 !!・・・ぐはぁ」

 倒木越えに失敗したTTRはMRもろとも道路の真ん中に生えた太さ18センチほどの木にその身を擦り寄せる。


官地である。何程廃れても官地なんである。

倒木に突撃>失敗(爆!。



「県行造林」
個人または組合などが管理する山林を、地権者に代わって県が営林している山林らしい。


「ならば道路も県が?県道だし?」
イヤイヤイヤ、単なる廃県道だから(爆。


 見事に挟まったMRがその間から脱出するのに5分を要した。(爆
 体勢を立て直したMRの目前にはまばゆい白木の票と、おぞましく深化した廃道が目に飛び込む。
「県行造林」と書かれた票はまだ新しく近年に建てられたモノと推測される。

 この先は既に倒木以外に山からの土石流が流れ込み、道床は相当に堆積した土砂で埋まっている。加えて木が生えて大きく、バイクの通行を阻害していた。
「つーか、普通は通行しねーから」
 己の性にツッ込みを入れつつ、目測穏やかそうな地点まで一気に走り抜ける。ようやくスタンドを建てた地点が限界点だった。
 道路は、
崖崩れと杉の多重倒木で完全に沈黙していた。
 こうして、切り通しにすら到着出来なかったのだ。

 来訪者アリ。 12

 
やむなく一度引き返したMRは現県道12号のバラ坂峠を登っていった。


おお、ガードレール跡だ。
基礎は1〜2m程の擁壁と一体化している。


OH! 生命力!
鉄を取り込んで地震に強い樹木になる?。



前進不能 ! 撤収 !! 。その距離入口から約600m。
道路は法面と一体化して一種のスリバチとなっている。
その先は杉が根っこもろとも倒壊していた。

キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)014-4.2



「高い・・広い・・・!」先程の旧道、法面に空いた旧道道床位置から撮影。
こちら(南側)からだと、峠のピークまであと1〜2m登る様だ。


 そしておもむろに切り通しでTTRを停めると、やにわに対岸の法面を登り詰めた。
 3車線化された切り通しは道路幅で約9m、切り通しの総幅である法面も含めるとざっと15m、深さは20mもあろうか?その法面の中段あたりに同じ高さでかつての道床が残っていた。察するに現道は旧道より約5〜6mは掘り下げられた様だ。いま喘いで来た南側の道床に登ると、対岸の切り通しまであと少しは登りだろう。


 問題は北側の経線である。
登ってみると、道路に見えたかの切り欠きは奥行きこそあるが道は繋がっていなかった。東側に向かう道床の名残りが僅かに残る。
「多分コレだろうな?」
 現在の切り通しの上で、旧道は向きを90°転換し下って行ったのだろう、と推測した。
 そして現在、旧道は新道の法面として崩されてしまったに違いない。空を見上げると電線が1本、わざわざ道路の法面を越えて飛んでいた。


中央の材木は無論だが、実は画面右の桟木が渡して在る部分も深いV字溝になっている。


地図に重ねるとこんな感じ?。
江戸期や明治期の道路は基本的に正攻法で合理的だ。
このルートも鞍部が一番低く、かつ可能な限り南斜面を長く歩く経線である。



「誰か来てるな・・・」真新しい轍が来訪を告げる。


 
降りる頃になって、その電線が真新しい鉄製の電柱で、下の民家まで延びている事に気が付いた。

 エピローグ。 13

「御同業か?」
 砂防ダムに向かう林道から怪しい分岐点の入口にはここ数日に付けられた轍が見て取れた。
OEMタイヤっポイな?XR系か旧型のセローっぽいか?

「ネットとは
 恐ろしいな・・・」

 溜息まじりに前進を開始すると20mほどで違和感在る路面が?
「橋だな」
銘板どころか欄干もない一連の橋は皆昭和28年以前の橋では?(妄想)
 そう思いつつバイクを前進させると、私有地の畑に迷い出る。
 先程の電線が続いていたが、彼も山藪に姿を消していった。
 メーター読み900m、予想通りに、旧県道は現道に巻き込まれていったのである。

●福島県道12号 原町川俣線
 「バラ坂峠区間」
区間総延長:南区間 約0.6Km
      (進入域までの計測)
     :北区間 約0.9Km
      全線未舗装
調査日:09/4の状況:

 路面状態は不良。南は大荒れ(爆
 バッキバキの廃道です。南区間は完全激ヤブ放置状態です。
北区間は最後は私有地の様です。
(官地境界の内側に在るケド・・・)
農道ですが、何が植えてあるか解りません。なるべく進入しない方が賢明かと・・・?(お前が言うか<俺)
 単独での走行は生命の危機に繋がります。ここを見るだけにして、現地では大人しく現県道12号を走った方が身の為でしょう。



アタリ!延々と旧道に続く電柱は現役である。


幅3m半のコンクリート橋。長さは5m程だが、
形式と意匠はバラ坂に架かる橋と同じだ。


「畑・・?」私有地と化した旧道。
先客はここでターン。


旧道はまたしても新県道の路肩補強の前に消え去る・・・。
「終ゥ了!!」


祠が移設されていないとすれば、旧道は完全に新道で埋められたコトに・・・。
また一つ、謎が解けました!。多分・・?。



流石におわり・・・。