そこには、これまで見たことのない物が待っていた。

廃道日記(Riding・Report)



子供の昔、父の運転するJ53で相馬や原町に海釣りに連れて行ってもらった。
古い記憶で路線名はよくわからない。

ただ、
峠を一直線に貫く一本の切り通しはまだ工事中で、
偉く廻りくどいつづら折れの道はもうもうと前を走る車の土煙に包まれていた。
父に開けていた窓を閉めろと言われ、外を見ると・・・

「あ、橋だ」
窓を覗き込むと、青空に大きい腕を上げた大きなクレーン車が
橋桁を吊り上げていた。


後日、アタック後に写真を見ていハタと気が付いた。

あの第一分断点、経線を考えると、
「あれは八木沢橋なのだろうか?記憶に埋もれた風景を手繰り寄せる。

すべては繋がり、時代とともに旺盛を迎え、消えてゆく交通文化。

いま、その道をTTRが走り抜ける。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。


キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)017-2
 
 
川俣線は中通りを走る東北本線から松川駅で分岐・起点となり、飯野村を経由して12.2Km先の川俣に達する私鉄である。収益が文字通り軌道に乗れば路線延伸として川俣から浜通りの浪江までを計画、日本鉄道浪江駅に接続するという当時としては夢のような鉄道計画であった。
 だが、
昭和の大恐慌は市町村に甚大な被害を与え、収益と採算性が望めなくなった川俣線は、昭和9年に川俣〜浪江間の路線延伸を諦め、省営バスへの転換を決める。川俣・浪江町と沿線10村及び福島県議会から鉄道省に鉄道からバスへの変更が提出・受理され、昭和13年に認可、変更されている。
 これは昭和7年から国が指導する形で全国の道路工事などの都市基盤整備事業を展開し、市町村や失業者を支援したのだ。

 つまり、新たに鉄道を通すより
現在ある街道を直した方が国から補助が出たのである。

 この省営バスへの転換とそれに伴う道路整備が
その後の国道114号線への試金石となり、川俣〜原町線(現県道12号線)との決定的なアドバンテージとなるのだった。

 こうして、原町に向かう「八木沢峠」は時代の波に乗り遅れてしまったのである。

今回のルートは
TouringMapple2008.1版に道路のみ一部掲載(部分的に道路表記なし)。



参考文献一覧


著者、編纂

製作、発行

川俣村史及び川俣町史

川俣町

川俣町教育委員会/著作・発行

原町市史

原町市

原町市教育委員会/著作・発行



早朝の残雪が残る八木沢峠原町側。昭和30年代と思われる石積みが北側にある。
道幅は約5m程だが・・・。


 突破! 5

「警笛ならせ」ド真ん中の弾痕が気になる八木沢峠の東(原町)側入口。
 さらにその標識の足下に、ずいぶん昔に捨てられたゴミも気になる所だ。
 正面切り通しの北側に高い石積みに対し
。反対側の南側の上は恐らく標高650mの三角点だ。

 南側は何の整えもない切り崩しの法面だ。それゆえ崖崩れによって道が埋められていた。北側の擁壁が無い部分や擁壁の上も同様で、倒れた木が風の通り道である切り道しに引き込まれ、さらに通過を困難なものにしている。
 加えて、この切り道しだけは明らかに設計ミスではないか?と思うほどに日当りが悪く、朝方の雪を、そのフワフワの土砂の上に振り掛けていた。


どうしてこーいうコトするかな?。



峠のピークにSJ氏。
擁壁が無くなると同時に北側は木が落ちて来たりして。灌木が
「死霊の盆踊り」状態。


 その奥の道路ピークに、先行したSJさんのシルエットが浮かび上がっていた。
 堆積した土砂からひょろひょろと木が生えて左右に広がるシルエットは万世でも見た「死霊の盆踊り」状態だ。柔らかな土砂に足を取られつつ、どうにかSJさんに追いつく。
 彼は無言のうちに顎を癪ってそれを示した。
振り返ると、峠のピークにそろそろお休みの時間を迎える標識が半ば埋もれそうになって立っていた。
「なんじゃ、こりゃ?」(M
「聞いたこと無いスよね」(S
 標識には「一旦停止 ブレーキテスト」恐らく赤地に白文字で書いてあったのだろう。
 当時は車のブレーキも耐久限度が低く、加えて路面は砂利のため事故が絶えなかったのだと推測する。
 しかし、こんな峠の頂点で止まられたら、当時の低馬力車では坂道発進も大変だったろうに。


その場面では気が付かなかったが、
こちらも
散弾銃の弾痕?


八木沢峠の最高位置にある「見たことの無い標識がある風景」
道路
「ナニコレ珍百景」ぜひ登録して欲しいものだ。


 先頭はいいが2台、3台後はまだ上り坂の最後となれば、不用意に止まれば登る事も難しいかも知れない。
 写真を撮って「死霊の盆踊り会場」を後にする。
 目の前には既にゴールが見え隠れしている。冬住林道入口と隔てる簡易なゲートと段差(というか側溝だよな?)を乗り越え、林道に到達した。

 何年降りに車両が通過したかは知る由もないが、八木沢峠の半分は制圧したのだ。
 振り返る八木沢峠は、こうして通り抜けられれば道と認識できるが、単に林道に走りに来ただけではその存在を認識出来ない。


冬住林道から見る八木沢峠。切り通し事態がゆるやかなカーブを描くので頂点までは見通せない。


「突破」あのガードが無ければ県道と認識する事も出来なかっただろう。


08’9月の写真。この様子で直進が旧県道で通行可能?とは思うまい・・・。
写真右手は冬住林道入口ゲート。


 峠の中にある難所 6

 しばらく冬住林道の入口で休んで、雑談を交わした。

 後日知ったが、02年にリンク先のdark-RX氏がここを徒歩で攻略していたのは流石である。
ソレも何と!MRなら泣いて逃げ出す夏場である。

 2台のヤマハマシンは再び八木沢峠を越え県道12号沿いの第1分断地点に到着した。
 そしていよいよB区間、あの土砂放置区間の下り攻略である。


取り敢えず休憩タイム。
ん、スゲー泥だよ、こんなとこばっかだな。


 川俣側から旧峠を抜けて、原町側のS字コーナーの中間に出る区間を(A)区間
 
県道と交差し(第1分断地点)上真野川の源流、
元国道の暗橋にでる(第2分断地点)区間を
(B)区間
 重複した新旧県道部分から上真野川沿いに沢見橋の下を抜け、
現県道の追い越し3車線になる所(第3分断地点)に出て来る
(C)区間
(A)区間に続いて、(B)区間の走破に向かった


つい、1時間前に突入した場所から今度は逆に再降下!
こうしてみると、新道を挟んでS字に繋がっているかに見えるが・・・?。



 ゲートを潜ると舗装が途切れ、路面はすぐに岩塊でいっぱいになった。土砂は県道の真ん中にダンプカーで降ろしたまま?という状態で道路の左右が僅かに残っている。

 二人は入念にルートを吟味した。
しかし、ルートを考える程にこの経線の異常さに気が付く。
 どうやら新道開設に合わせ部分的に開通させた様なのだ。

 現在の入口とも言える第一分断点は新道を挟んでS字状の経線をしているが、下の写真左に見える防護擁壁は明らかに北寄りで、そのままほぼ直線的に新道を分断し繋がる経線ではないかと思う。


妙に広い間口、中途半端な山側路肩。
ゲートが在るだけで、他には何にもない。



「ホントに、なんか変だ・・・!」
最初は法面崩壊の跡かと・・・違うな、
4tダンプで奥から順に土砂を置いていったんじゃないのか?。


 ゲートを潜ると最初こそ広い道路だが途中から突然土盛りの中央山脈が繋がる。

「誰が置いたんでしょうね?この土砂」(S
昨年さ、JR常磐線の旧線を見に行ったんだよ。そしたらさ、旧線上がボテ山になってるんだよ」(M
「土捨て場になってたんですね、
旧線といえ
当時の国鉄の敷地ですから」(S
「そうそう、
残土処理を自前でやったんだよ」(M
「これもそうですかね」(S
「多分ね。ただ、どちらかと言えばこれは新道の災害土砂みたいだ」(M
「手近に処理した訳だ・・・」(S

 この山脈を挟んで道は左右に存在した。選択肢は二分の一、しかし山側の空きは大量の落ち葉に既にかなりの水が流れ込んで深い沢と化していた。
 取り敢えず、崖側の土砂とガードレールの隙間にTTRを押し込んで行く。

最初からいきなり難関。
「は、幅が狭い?マシンがでかい?」。


や、やりずらいんだな、コレが!。



日当たりの良い山の南東面を利用して4連ターンで標高を稼ぐ旧道。手前は第4ヘアピンだ。
石、土砂、木、標識・・・「全部邪魔だ!!!!」。


非常にモロい!だが通れる!!。
県道12号は後半戦も、やはり只では通してくれないみたいだ。


 
やっとの車幅なのに、さらにその先には木が生え、ツタが伸び、ガードレールの内側に標識がある。

パキャン!プラスチックの薄い音が後から響く。


ハンドルバーの幅が広く。木に当たってしまう。

「どうしろっつーんじゃ!!」続いて、SJさんの一言。
 初めて気がついたが、SJさんのWRはMRのTTRよりハンドル幅が広い。
 
それ故、MRがサラリと通過した場面でもいちいち何処か引っ掛かる。
 気が急いて精神衛生上宜しく無い。
 ゆっくりと左コーナーを曲がり直線区間に出る。約100m程度の放置区間の終わりが見えた。と同時に谷側の路盤はついに無くなってしまった。
 何処かでこのボタ山中央山脈を峰越えし、かろうじて沢に成りかけの反対側に渡らなければならない。

 いよいよガードレールに土砂が押し寄せると岩場に乗り上げ、段差の激しい所には石を積んで高さを稼ぎ、少しずつ乗り越えてゆく。


シフトレバーに岩石、ブレーキペダルにガードレールが擦っている。足の置き場が無い。


崖っぷちのガードレールに空き空間がある?
しかし、賞味期限はあと僅か・・・?。



「路が無い・・・」ガードレールの端は既に崖、路肩が欠損している。
ここらで中央分水嶺突破か?


「えいやっっっ!」峰越えのセオリー(爆w)通りに突破。


「八木沢峠の奥には更にもう一つの峠が、険しい峠が存在した」

 いや、ホント
笑い事っちゃないから。下りだからこそ出来るがこれを登るとなれば労力は3倍(当社比)になるだろう。


ガードレールの下は直ぐ崖。なんか岩盤から直接削ったような・・?

 実際、バイクの車輪が上がっているのはほぼ総て浮き石と言う状況なのだ。
 少しでも多加にスロットルを空けよう物なら石がバランスを崩し、たちまち段差となって前進を拒むというスパム型トラップだ。
 ゆっくりと動力を駆けずに登り、下るという達観したアクセルワークが必要だ。(で、出来るかぁ〜<俺)

 観念したMRは石を積んで段差を無くす土木工事を始めた。一通り高さを確保したらバイクに跨りゆっくり前進大きな石に後輪が載った所でやっと普通にアクセルオン、ペダル類を擦りつつ峠の頂点に立つ。
 すかさずこれから降りてゆく谷に向かって山脈から落石攻撃をかけて谷を埋めてゆく。人が乗っても沈まなくなった所でTTRを降ろす。


轍が深く、リムに直接石が当たる?


路肩の側溝は土砂や大量の落ち葉で埋まり、
別に流れ出た漏水で道路を削って埋めてゆく。


「峰越え区間(爆! 突破!!」
第6ヘアピンに辿り着き、これでA/B区間の突破に成功する。


 しかし流石はビバンダム君、アクセル一発で後輪はズブズブと穴掘りを始める。
「ここもレンコン畑かよ」(M
 スタンドが全く役立たずなので、面倒になったMRが斜面にバイクを立てかける。
 デジカメ片手に戻り、SJさんの峠越えを撮影する。
SJさんもMRが掘った穴を石で埋めてから突入したのだが、やっぱりレンコン掘っていた。
 路肩の岩石に足を掛け、無理繰り脱出するSJさん。足の短いMRでは決して真似の出来ない荒技である。

 こうして2台はやっとの思いで先程逆側から来た崩落S字地点に到達、午前中の遺恨を晴らしたのだった。

第5ヘアピンの奥には現県道12号線が見える。



第5ヘアピンの奥、この写真を撮っている位置に現国道へのアプローチルートがある。
だが・・・高低差が激しい。工事用仮設道路なのか?




第4ヘアピンはあまり高低差のないコーナー。
ここも一種の「交互通行用空き」なのだろう。兎に角一連のヘアピンでは一番の緩やかさだ。


 その後、2台は周辺の高圧鉄塔群を徘徊し、帰路に就いたのだった。

 完全制覇補完計画。 7

 
翌年3月、黄砂の吹き荒れた週末、MRは単独で八木沢峠にいた。
 レポ中に必要だった写真が先日のOS入れ替えの際に何らかの理由で抜け落ちていたからだ。
 補完写真を確保するために、この日例の第二分断点から第6ヘアピンまで遡っていった。

 完全に葉が散って落ちた旧道には雪もなく、地面から新たな春の芽が出てきた・・そんな雰囲気だ。
 改めて各コーナーを見ると、あのコンクリート支柱が前回見付けた本数の3倍程が今も在ることが解った。
 また、中央に鉄パイプを通すタイプと通さない(つまり駒止代わり?)タイプがある様だった。


墓標のように経つガードブロック柱・・・
日が落ちてから見るのは怖い(笑w



第2ヘアピンから第3ヘアピンに向かう直線・・・いい廃れ具合だ。
写真左手は何故かショートカットが可能な謎の枝道。(笑w


 設置された大体がヘアピン外側で、谷や川がある地形的に厳しい所には殆ど存在していた。他県では見られないので、この原町固有の設備と思われる。
 また、第一分断点や第五ヘアピンには現県道に繋がった形跡があることから、2ないし3つに工事区画を分けて、工事完了区間から順次車を通した可能性がある。
 つまり、舗装区間と砂利区間が交互に走れた時代が在ると考える。

ここで、改めて疑問に当たる。
 思い出にある「工事中の橋」は何処だ? 経線から言って、八木沢橋は第一分断点から
見えないのだ。



「MRさ〜ん!地図落としましたよぉ〜」スマソ!SJさん。
ちょっとミソ付きだが、
無事攻略!!


 どうやら、別につづら折れの区間があるらしい、と言うことか?

●福島県道12号 川俣原町線
 「八木沢峠区間」
区間総延長:B区間 約1.0Km
      全線未舗装
調査日:08/11or 09/3の状況:

 路面状態は不良。(爆
 バッキバキの廃道です。B区間は泥濘とロックステージの競演状態。
 単独での走行は生命の危機に繋がります。ここを見るだけにして、現地では大人しく現県道12号を走った方が身の為でしょう。


そして・・・現県道12号線、第二分断点。