その廃道は、急速に緑に埋もれてゆく。 |
永い冬が終わりを告げる。 野に花が咲き乱れると、 埋もれてゆくかつての国道がそこにはあった。 その難所に、 一つの忘れ得ぬ名を持つ隧道がある。 竣工は明治18年。 国の威信を賭けた難工事は熾烈を極めたのだろうか? 廃れた隧道は何も語らない。 ただ、 抑圧の残像だけが、瞼に連想される・・・。 「非 道 隧 道」 |
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廃道日記(Riding・Report)013 |
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苦もなく進入する。杉林の中にかつてのガードレール支柱が取り残されていた。 1.5車線に見えるが、ちゃんと2車線幅がある。 電柱は廃道化後に設置された新しさ。 古いタイプの降雪道路境界が立っている。 デリネーターに被せるタイプ?。 |
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阿賀川水量観測所。対岸に向かって一対のワイヤーが曳かれ、観測機器がケーブルカー宜しく 移動するタイプだ。昭和40年代辺りから河川敷で見られる。 因みに観測員が付いての手動制御だ。 |
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4輪車を拒絶する崩落地点。 流水は現在も続いている。 |
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ある。 |
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ガードレールが撤去される前に崩落していた可能性がある? もうずっとこのままだったのカモ。 |
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見上げるとそこには会津鉄道。
また凄い所に作ったもんだよ。 部分的にオーバーハングしつつそそり立つ 山側の法面。落石も苔むしている。 |
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道幅が狭い!と思ったら橋だ!。見上げると会津鉄道が岩盤に口を開けている。 眼下は滝壺のような垂直のナメ?凄まじい経線配置だ。 直進する昭和の鉄道と、地形を忠実にトレースする明治の国道。 「塗装完成2006年11月」 !前回の来訪時に入口にあった路上駐車は、塗装業者さんか?。 まあ、線路の保守点検などで車輌が出入りしている可能性は捨て切れない。 |
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橋が見えないよ・・・。 それにしても、良くこんな所に道を造った もんだよ。 |
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ええ、ハマってます、完全に。お地蔵さん?も人が悪い・・・? |
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どの様な経緯でここに鎮座ますのか?。 |
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ざっと見5m程の道幅、そのほぼ中央に大量の土砂が置いてある。 写真左手にコンクリの駒止と、吊り橋の支柱とワイヤーが見える。 |
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朽ち果てた吊り橋。幅は2mを切るだろう。 昭和の物だとは思うが・・・? |
しかも、吊り橋は残ったワイヤー |
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ロックシェッド付きのトンネル連結区間。 そして、 洞窟のような明治の隧道が姿を現す。「非道隧道だ!」 廃道化した国道に比べ、鉄道は未だ現役バリバリである。 よく見るとロックシェッドの末端に、落ちてきた倒木が引っかかって揺れている。 「アブねぇ・・・」 |
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昭和改修時の物だろうか? 凄まじい位置に無理繰りコンクリートを打設している。工事用の足場も命がけだろうな。 非道隧道内部。 西側から東側を望むと、当初はキチンと半円形に彫られたと想像が付く。 ただ、昭和改修時には道幅を拡幅している可能性もあり、本来はもう少し小さい断面だったかも知れない。 |
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天井部分の赤黒い部分が漏水箇所。 常時漏水しているのではなく。降雨時に染み出してくるのだろう。 東側に比べて実に個性的というか、野性的な西側抗口。 |
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この辺から見る隧道は実に表情豊かだ。
春先の色合いも良い。。 早春に誰かが堆肥用の落ち葉を集めている。 それにしても中途半端な?。 |
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見事な石の回廊!隧道より西の区間は路面状況も良く、良い雰囲気だ。 事実上の車止めともいえる法面崩落。 この区間だけは二輪車の天国? いやいや、サラッと地獄でした。しかも・・・。 |
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「終了!撤収!」・・・やはり予定通りか? これが隧道の名称を記す唯一の看板だ。 |
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●旧国道121号線 |
戻り足、観測所から若水橋を望む。 |
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振り向くと今通ってきた旧国道が連なってゆく。川の上流にアーチ橋の流水管がある。 |
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